五十四本目 意識渦巻くこの世界は
学校で終礼を終えた龍成は、帰宅途中でふと足を止めた。
「……?」
自分がなぜ足を止めたのかも、分からない。
けれど僕が……妙な予感を胸に覚えたことは確かだった。
疼くように、歓喜するように。
ややあって、再び足を進める。
予感は、止まらない。
すぐ脇を通る車が鈍く思えた。
時の感覚が、延びる。
これは……知っている。
戦いの最中、たまに感じるものと同じ。
笑みを湛えながら、帰路を急いだ。
◇◇◇
〈ヨルム〉・リヴィア王国マルトロスの衛兵詰め所
「それで……こっちの数は?」
「転移門を使っても、現在でようやく五千……冒険者の数は、三百程度です」
カイルは嘆息した。
冒険者達の行動範囲を制限する『壁』が壊れたことも、既に伝えた。
それを知った冒険者たちも、他の同胞に広めたはずだ。
しかし、それでもたったこれだけ。
敵の数は五万を優に超えるだろう。
しかも練度すらこちらと同等、もしくは上回っている。
どう足掻いても、勝ち目がない。
「……こちらに向かっている冒険者もいるようですので、これから多少は増えると思いますが……それでもせいぜい千に届くかどうか、といったところでしょうか」
「そもそも、連携なんて出来ねぇ冒険者をどこまでアテに出来るか……ちくしょうめ」
額に手を当て、思考を巡らせる。
そもそも数が全てではないことは、カイル自身分かっている。
しかし、それでも敵の将軍三人の内、少なくとも一人は【剣王】と同等、あるいは上手か。
残る二人はカイルならば問題なく倒せるが、それでも十分すぎるほど脅威だ。
なにより【戦王】はそんなこと重々承知しているだろう。
「西にある荒野から皇国が動くことは……まぁしらばらくは無いだろう」
その理由など、誰も問うものはいない。
皆理解していた。水龍神に護られていることを。
水龍神とマルトロスの先人が結んだ契約は、決して攻め入る他国から守るようなものではない。
しかし、抑止力となっているのは確かだった。
そして、皇国が水龍神を不安要素とするのはもう一つ理由がある。
つい最近に起きた、謎の水龍神の出没。
もしも気紛れで彼の龍神が参戦すれば、皇国の敗北は必至である。
故に、皇国がマルトロスの攻め込む可能性は薄い。
カイルは理由に心当たりがあるが、それを除けば理由を知るものはこの場にいない。
「問題は……皇国がマルトロスから攻め入った理由だ」
「それは……地理的な理由では?」
そう述べたのはまだ若い衛兵だった。
しかし、熟練の兵士達は皆横に首を振っている。
マルトロス以外から皇国が攻め入らない理由。
真っ先に浮かぶのは、皇国との国境から最も近いのがマルトロスだから、というもの。
しかし、長年の経験を積んだ者たちは、それだけなはずがないと断じた。
「それも理由の一つだろうが……それだけってのはありえねぇな」
「何故ですか?」
「リスクが高すぎるからだよ」
首を傾げるは衛兵この場にいる数十人の内約二割。
そのほとんどが新米の、経験の薄い衛兵である。
「龍神がいるような場所にわざわざ攻め込むのはリスクが高すぎる。いくら近いっつっても全滅の危険があるような場所から攻め込むわきゃねぇだろ。事実今までの戦で、マルトロスの付近まで皇国が来たことはねぇ」
だとすれば、と。
カイルは説明を続けた。
「あり得るのは……『世界樹の根』か?」
「それしかないでしょうな……」
応えたのはカイルの次に力のある兵士。
『世界樹の根』。それは蛇帝の分体が守る至宝である。
過去にダンジョンの宝箱から、幾度か『世界樹』の一部が見つかったことがある。
薬にすれば全治の秘薬、武器にすれば至高の槍となる。
加工は非常に困難だが、武器の形で見つかった物が小国の国家予算並みの値段で取引された例もある。
何故か蛇帝の分体がいなくなった『世界樹の根』であれば、一体どれほどの富になるのか。
皇国が故意にマルトロスを狙うとすれば、これ以外の理由はまずないだろう。
「……不味いな」
「ええ、非常に不味いですな……」
決して、カイルは『世界樹の根』が取られることを心配しているわけではない。
「皇国が滅ぶのは勝手だが……こっちまで巻き込まれないとも限らん」
カイルともう一人の会話が理解出来たのは、その場には当事者達以外いなかった。
戸惑う衛兵たちを前に、カイルは騎士団時代に読んだ文献を思い出していた。
――数人の盗賊のせいで、滅んだ大国の昔話を。
◇◇◇
リヴィア王国の衛兵達が抱く危惧など知らず、山道を歩く者達がいた。
装備に統一感はなく、各々が自由に話し、道を歩く。
歩く道は言い訳程度に整えられているが、所々破壊痕が見て取れる。
モンスターの発生は避けられない以上、ある程度は仕方ないことだが、普段その道を利用する者が少ないのは明らかだった。
固められた土で作られたその道は、端的に言って荒れ果てていた。
「ったく、まだ着かねぇのかよ?」
疲労を滲ませた声を吐き出すのは、まだ若い少年だった。
その少年の問いに対し、隣にいた少女が答えた。
「まだ暫くかかるかと……大蛇ルートならもっと早かったんですが」
「そんなん俺らだけで倒せるわけないっしょ……」
軽薄そうな声音の先ほどとは違う少年が、少女の言葉に呆れを含んだ声で返す。
「いや、確か単独討伐したプレイヤーも居る、みたいな噂があったよー?」
「マジか……ンだよそのバケモンは」
「どうせトップ陣じゃないのー?Lv80越えとかいうー」
彼らの会話は、間違ってはいなかった。
単独討伐を果たしたプレイヤーが、当時転職すら迎えていなかったことを除けば。
「今はそんなことはどうでもいいでしょ。さっさと行かないと戦争始まっちゃうわよ?」
「そうだねー」
「【付男子】みたいに付与魔法が使えりゃいいのになぁ……」
「しょうがないでしょ。レアな〔スキルブック〕の中でも珍しいって話なんだから」
「そもそもアキラ魔法使えないジャン?」
「うっせぇよ!別に俺が覚えるとは言ってねぇ!!」
そんな風に騒ぐ彼らは、危機感など感じていなかった。
王国と皇国の戦争。
それは〈ヨルム〉の人々にとっては忌避すべきことだ。
しかし、彼らはそんなことは微塵も考えていない。
何故なら……彼らにとって、この世界はあくまで『ゲーム』なのだから。
〈ヨルム〉があくまで『ゲーム』であるが故に、戦争を忌避しない者。
『現実』であるが故に、戦争を回避しようと、あるいは勝利しようと躍起になる者。
『ゲーム』か、『現実』か。その二択に何ら意味を見出さない者。
様々な意識が渦巻く〈ヨルム〉は、紛れもなく一つの『世界』であった。