第3話
あれから3日が過ぎようとしていた。今ではすっかり片付いた王子の部屋を後にしようとして、ルイードは王子の横たわるベッドへと振り向いた。
「それでは王子、今日はこれにて失礼させていただきます。また明日伺いますので…おやすみなさい」
「……」
返事はない。この3日間はずっとこの調子であった。ルイードの言葉に対し、王子が反応する事はかなり少ない。仮にあったとしても、声を出さず首を縦に振るか横に振るかだけで、YESかNOというその二つの意思表示しか見せずにいる。
ルイードは部屋を出て、扉の前で待っていたラッカルと顔を見合わせた。
「今日はどうでしたか?」
ラッカルは尋ねる。ルイードはラッカルに向けて首を横に振ってみせては、「駄目でした」と残念そうには呟いた。
そのまま二人は王子の部屋から離れ行く。
「やはり何も話してくれないのですか…いや、いつもそうなので予想はしていましたがね」
と、ラッカルは王子を心配しているような声振りで、またルイードの心中を察しているような口振りであった。
「いつもとは…じゃあ以前私の他にも王子の世話役をしていた人がいたのですか?」
「ええ、何人もね。でもその時の王子はただ喚き散らすばかりで、どの方も直ぐには追い返されてしました。それだけで言ったら、ルイード、貴女は追い返されない分マシなのかもしれません」
何がマシなもんかーールイードはそう思って、軽いため息を零した。
食堂に入り、ルイードは遅めに夕食を、ラッカルは湯気立つお茶を啜る、そんな時。
「どうして王子はあんな風になってしまったのでしょうか?」
不意に、ルイードはラッカルに尋ねた。やっとラッカルに心を書い開きかけていたルイードは、ここ最近色々な事を教わりつつあった。それはセントクルス王国についてや、セントクルス場内についてのことなどなど、ルイードにとって興味深い話ばかり。
そうしてついに、ルイードは王子の過去話についてを切り出した。王子の世話役について直ぐにも聞きたかった内容ではあったが、なんと言ってもセントクルス城の、それもセントクルス王家で直系にあたる第一王子に纏わる話である。気が引けて聞けないままとなっていた。
ラッカルは一瞬躊躇って、ふぅ、と一息ついてはルイードに向き直って、ゆっくりと語り出した。
「そうですね…今ではルイードも無関係な話ではないですし、お話しても大丈夫な頃合いでしょう」
2年前の事、このセントクルス王国に於いてとある不幸が降り注いだ。それは当時、このセントクルス王国内に於いて大きな波紋を巻き起こし、一時は王国の存続すら危ういと噂される程だったという。
2年前の、肌寒い朝方のこと、セントクルス城にてとある人が不治の病にて命を落とした。名を[カーネリア=セントクルス]ーーそう、それはこのセントクルス王国で絶大な求心力を誇り、国民から羨望の眼差しを受けていた高貴なる人物ーー王子の母親に当たる人物だった。
「あの時はどうなるかと思いましたわ…国王までもが気を病んで床に伏せてしまい、国民の間に不安と悲しみが蔓延しておりましたの…建国から200年余り、セントクルス王国始まって以来の危機だとは皆んな口々に言っておりましたわ…」
悲しげな声でラッカルは呟いた。どうやらラッカル自身そのうちの一人だったようで、当時の事を思い出したのか、目尻には一筋の涙が煌めいていた。
「それでも何とか持ち直して以前の明るいセントクルス王国に戻ったのですがね…ハリス王子だけは、そうもいかなかったのです」
そう言って、ラッカルは徐に立ち上がると、ルイードの頭を優しく撫でた。
「貴女も不思議に思ったでしょう?王子が何故仮面を被っているのか、と」
ルイードはラッカルを仰ぎ見て、はい、とは正直に答えた。あの仮面は何なのか、どういう意味があるのかずっと気になっていたのである。
「あれは王子の心情そのものだと我々は考えています。実際のところはよくわかっておりませんが、王子が仮面をかぶるようになったのは王妃が亡くなって直ぐのことでした。気づいた時には既にあの仮面を被り、人と交わる事を拒絶し始めたのです」
「以前はですね、王子とはよく笑いよく人と接する…それはそれは人の姿をした天使のようなお方でした。どんな時でも、ニコニコと駆け寄ってきては愛くるしいお顔を浮かべる人気者、皆そんな王子のことを可愛がり、我が子のようには愛しんだものです…」
ラッカルは遠い目を作って、
「それ故に、今の王子のあの状態が心配でならないのです…私もその一人で、王子には何度も呼びかけてみたのですがね…やはり駄目でした」
どこまでも悲しげには呟いた。それは今のラッカルの気持ちを素直には 表しているようで、そんなラッカルを見てルイードもまた悲しい気持ちになる。
このセントクルス王国に来て間も無いが、この王国についての話は以前からよく聞いていたルイード。皆が輝くような笑顔を浮かべ、争い事皆無に等しく、自然豊かな神の国にような場所だとーーーそれがつい数年前までにはそうではなかったと聞くて、どこか遣る瀬無い思いに駆られていた。
二人の間にしんみりとした空気が流れ始めていたーー刹那である、ラッカルはルイードの手を強く握り締めて、
「だから…期待せざるを得ないのかもしれません」
強い意思の篭った口調ではそう言った。
「期待?」
「そう、期待です。貴女に対してですよ、ルイード」
用意された客間用の自室へと戻り、ルイードは一息ついた。そうして窓から見えるセントクルス王国を眺め、感嘆のため息を漏らす。
この絶景見たさにこの国にやって来て、実際に自分は今それを眺める事を許されていて、その引き換えとして王子の世話役を任せられているーー複雑な心境ではあったが、今ではあまり悪い気はしていなかった。
そうしてセントクルスの夜景を恍惚そうな瞳で眺めて、ルイードは食堂を後にしようとした別れ際の、ラッカルとのやり取りを思い返していた。
………
……
…
◆
「今回貴女がこのセントクルス城に呼ばれたのは、王の意思によるです。その真意がどこにあるかは分かりませんが、王は常々言っておりました。『いつか、王子に笑顔を取り戻してくれる聖母のような方が現れるて』、そんな事を言っては、いつもセントクルス城の展望台から時折下界を眺めておられたのです。あの日も、そうでした」
「あの日?」
「…ルイード、貴女がこの国に訪れた日のことですよ?血相を変えて展望台から降りて来た王様が、騒ぎ回っておりました。『ついにこの時が来たと』、それからしばらくセントクルス城の話し合いに移り、貴女には一週間程牢屋に入って頂きましたが…その事について酷く申し訳ない事をしたと思っております」
そう言って、ラッカルはルイードに向かって深々と頭を下げた。
「王様に代わり、私が謝罪します。ルイード、あの時は本当に申し訳ありませんでした。そして今も、貴女に面倒な役を押し付けてしまい、本当に不甲斐なく思います。本当に、ごめんなさい」
ラッカルは謝罪して、ルイードは戸惑っていた。
自分が汚名を着せられた真意を聞いて、率直に驚いたからである。
「あ、頭を上げて下さいラッカル様」
「いえ、私は貴女に申し訳なくてたまらないのです…」
その後はラッカルの謝罪は続き、気のやり場に困るルイードであった…
◇
「それにしたって何で私だったのだろう…」
そこだけはどうしても不意に落ちない。ラッカルの話からすれば自分は聖母のような存在と比喩されているが、私のどこを見たらそう判断できるのか、ルイードには甚だ理解に乏しい。
その理由について二転三転に考えを膨らませて、やっぱり目ぼしい答えも見付からず、ルイードは取り敢えず寝る事にした。
というのもルイードは深く考えるのは苦手だったのである。
考えたって仕方ないことを考えたって仕方ないじゃないかーールイードベッドに潜ると、静かに微睡みを待った。
そうか、王子にはそんな過去があったのかーー睡魔に沈む最中にも、そんな事を思うルイード。少しだけ王子に近づけたような、そんな気がしていた。