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第17部


 王子はいつもの仮面をつけるのも忘れる程に戸惑っていた。その場から忽然とルイードの姿だけが消失ような気がしてならず、何かあったのだろうとは取り乱していたのである。


 昨晩の俺の態度に不貞腐れて隠れているのか?今この瞬間もどこかの物陰では、慌てふためく俺の様子を伺っていてーーーいや、違う。ルイードはそんな器用な真似ができる奴なんかじゃない。少なくとも俺の知っているルイードとは、俺を1人にするような悪戯心を持ち合わしてなんかいなかった筈だ。


 何よりもこの準備された朝食がその証拠、わざわざ俺を驚かそうとここまでする必要はないだろう。あいつは絶対にそういうことをする奴じゃない。俺はルイードをよく知っているから、絶対にあり得ない。


 じゃあここでの問題はルイードがどこへ消えたかだが…見た感じ朝食の準備しかけで、スープの鍋が火がついたまま煮えたぎっている。普通、こんな状態の鍋を放置したままにするものか?


するわけない。それではこのスープが台無しになってしまう。それに、ルイードは言っていたではないか…


『私たち人間は自然の恵みを受けて、それを食べてはこうして生きているのです。言わば自然と人間とは、切っても切れない、密接な関係ということですね』


 そのような事を、確かに言っていた。そんな事を言う奴が、このような形で食材を無駄にしたりするものか…


 では、どうして…


 ルイードはいないのだ?


「ルイードぉ!?いるなら返事をしろ!!」


 王子は叫んだ。叫んで、やまびことなっては返ってくる自分の声を聞いた。返事はない。ルイードの声は返ってこない。おかしい、おかしいおかしい…


「くそっ!」


 王子は焦って、何か手掛かりはないものかと再度辺りを確認してみる。煮詰まった鍋はそのまま、食材をカットしたであろうナイフはまな板の上に置かれていてーーーふと、まな板な上に放置されていたパンに目が釘付けとなっていた。


 そのパンは王子のよく知るもので、というのもそれは王子は好物であったからである。これはセントクルス王国でも選りすぐりのパン職人に作らせた特注品で、城にいる時は朝食には必ずこのパンが用意されていた。

 

 絶妙な甘みと生地の弾力が特徴的な、舌触りの良い上質な味わいのするそのパンは、サンドイッチの食材としてよく用いられていた。


「そう、サンドイッチだ…」


 見ると、まな板の上に放置されたパンの断面にも綺麗な切れ目が入っていた。これから食材を詰め込もうとした痕跡が残されていたのである。ただ見た感じその詰め込むべき食材は見当たらず、パンだけが寂しくは残されたままであったのだ。


 次の瞬間、王子にとある憶測が過っていた。それはルイードがサンドイッチの食材に合いそうな食材の採取に行ったのではないか、という確証なき憶測であった。


 その憶測があたっていれば、ルイードは鍋が煮詰まる少しの合間を縫って探しに行ったのではなかろうかーーーであるならば、そう遠くには行っていないだろうことが予想できる。


 全ては憶測であり、予想だ。もしかしたら次の瞬間にもケロリとした顔で現れて、「驚きました?」と悪戯な笑みを浮かべるやもしれない。


 分からない。分からないが、もしもそうじゃなかった場合、ルイードの身に#何か__・__#が危険が迫っていた場合のことを考えると…


 王子は気が気ではなかった。故に王子の足は自然と駆け出していた。ルイードの姿を求めて、王子の足はただ当てずっぽうには何処かへ進んでいく。


「無事でいてくれ、ルイード!!」


 山の朝はよく冷える。王子は未だかつて感じたことのない寒さを感じていた。城の中にいた時はこれ程の寒さを感じたことなど皆無に等しかった。


 大抵、冷える日には城の誰かが厚手のブランケットを持ってきて、「どうぞ」と会釈して手渡してくる。王子はそのブランケットへと包まり暖をとりる。それが王子のとっての当たり前であり、つまりだ、王子は身を縮こまらせる程の寒さというものを味わったことをなかったのだった。


 城にいれば、何でも誰かがやってくれていた。王子が何を言わなくても、王子が不快を感じさせないとする誰かがやってきてはアレコレと用意してくれて、王子は、王子のままふんぞり返る事ができた。


 それが今はどうだ。近くには誰も居らず、唯一の付き人であるルイードをよもや王子自ら探しに出る始末。


 あり得ない。王子にとって、今この状況とは非日常と言っても過言ではない。


 寒い。帰りたい。焚き火に手を当てていたい。そうして朝食を食べて、腹を膨らませて、また家に戻っては暖をとっていたい。それが当たり前だったんだ。当たり前過ぎて、今の今まで疑問に思ったことすらなかった。


 なのに、何故俺は走る?誰かの為に行動するなど、王子らしかぬのではないか?俺がわざわざこのような事をする必要などあるのか?


「ルイード!頼む、返事を…返事をしてくれ!」


 そこにかつての王子はどこにもなかった。そこにいるのは、大切な誰かを思う青年が1人。吹き抜ける朝風に身を震わせ、頼りない朝日に目を眩しくさせる1人の青年が走る姿であった。


「ルイード!ルイード!」


 迷子の幼子が母親を求め叫ぶように、王子はルイードの名を叫び駆け続けた。ルイードの安否を思う王子に、その他の感情は消え失せていた。


 王族ある事の傲慢さや、王家としての威厳などを全部捨てて、王子はただ1人に青年となる。青年は、大切な人を探して、叫び続ける。


 そこに邪な思いはなかった。純粋なる感情として、ただただルイードに会いたい一心だったのだ。


 そして、そんな思いに応えるように、王子の耳に遠く山の切れ目から声が響いてきていた。微かな声、耳をよく澄まさなければ聞き取れない程の虫の声。それでも、王子にはそれだけでも充分であった。


「そこにいるのか!?」


 何故なら王子はその声をよく知っている。いつも自身の側で、優しく語りかけてくれていたその声をよく知っていたのだ。聞き間違えることなど決してない。その声は王子の大切な人の声ーーールイードの声なのだから。


「ルイード!今すぐ行く!!」


 無事でいてくれーー王子は神にも祈る思いで足に鞭を打った。これ程に走ったのは初めてだ、息が切れて、気を抜いたら意識が吹っ飛んでしまいそうだ。全力で走るとは、こんなにもキツいことだったのか。


 思えば、ここ最近は初めてな事ばかりだ。初めてラブテスカスの花を見た。北国に咲く幻の花とされるラブテスカスの花がよもやこの地方で拝めるはずもないことは知っている。知っているさそんな事。いくら無知な俺だってそれぐらいの事はわかる。


馬鹿にするなーーーと、そんな事を思っていた。だから喜んでいるふりをして、滅茶苦茶に怒鳴り散らしてやろうと考えていた。それなのに、あの日あの時見た、セントクルス城の庭園に咲いていたあの花は、間違いなくラブテスカスの花だった。


俺を喜ばせようと、城の皆んなとルイードが考えて作ってくれた唯一無二のラブテスカスの花だった。美しかった。怒鳴り散らして皆んなの気持ちを台無しにしてしまいそうな自分を恥じる程に、圧巻の花であった。


 それだけじゃない。俺の体験した初めてはまだまだ沢山ある。ただ一つ言えるとして、俺の隣にはいつも#そいつ__・__#がいた。そいつの前でなら仮面をとってもいいと思った。そいつの前でなら、素直で、ありのまま自分でいられると、そう思ったんだよ。だからさ、ルイード。頼む。無事でいてくれ。俺をもう1人させないでくれ。頼むよルイード、頼むよ…


「ルイード!!!」


「お、王子…あはははは…すみません」


 王子の視界先でルイードは引き攣った顔で笑っていた。グラグラと、頼りない枝木に体重を預け、今にも落っこちてしまいそうだった。


 ルイードと地表までは何メートルもある。あの距離から落ちてしまえば、ルイードは大怪我を負ってしまうことだろう。


 王子の心臓が激しく高鳴っていた。どうしていいかと考えて、どうしていいかも分からない自分に歯痒さを感じていた。


「ルイード!待っておれ!直ぐに助けてやるから!」


 根拠はない。ただそうでも言わなければ、王子の方が焦り立つ思いに押し潰されてしまいそうだったのだ。


 そんな王子を見て、ルイードは笑顔を崩す事はなかった。ただ傾く体を不安定に揺らして、口を開く。


「王子…危ないので、避けていて下さい!私は大丈夫です!」


 ルイードはそう言うだけで精一杯といった様子で、王子の体を思うからこそ無理に強がってみせていた。また何ともないとは言いたげに、無理に笑ってみせたりしている。


 ルイード自身がよく理解している。このまま落ちてただで済むはずはない。もしかしたら、落下してそのまま死んでしまうかもしれない。絶対とは言わないが、そんな結果の方が遥かに確立の高い筈ーーーだからこそ王子を巻き込みたくはない。


 命の懸かった危機的状況でさえも、やはりルイードの頭の中は王子のことで一杯だった。またここ数週間で体験したセントクルス王国での夢のような毎日で、心も頭も満たされていたのだった。


 これ以上はない。たくさんの幸福をこのセントクルス王国で味わった。だから、仮にここで死んでしまう事があるならばそれは天命。今後決して味わうこともないだろう幸福な時間を一気に受けた、その対価だとはルイードは考える。


「王子…私は、楽しかったんですよ。汚名を着せられて、最初は何で私がって思っていたんですけど…やっぱり、楽しかったんですよ、私は…」


 ルイードの目から涙が零れ落ちた。そうして止め処なく流れ続け、ルイードの頰を濡らしていた。


「王子、ありがとう…」


 ルイードは決意した、自身はこれまでだと。だからこそ口には王子に対する感謝の気持ちが溢れかえっていたのだった。最後に会えただけでもそれで充分だと、ルイードは思う。


 それなのに、どうして涙がこんなにも止まらないのだろうか?ーーールイードはその理由を知らないままである。


 その時だった。


「馬鹿野郎!諦めるな!!」


「…え?」


 王子の叫び声が聞こえた。遥か地上で、必死な形相を作る王子がいる。


 王子は諦めてなどいなかった。今この瞬間にも、ルイードを助ける方法を模索していた。乏しい知識を振り絞って、ルイードを見上げ考えあぐねいていた。


 そして、その答えを得ていた。王子は腕を前に出して、ルイードの真下へとは移動する。


 まさか受け止めるつもりでいるのかーーールイードは咄嗟に理解した。


「王子!いけません!そこをどいて下さい!」


「五月蝿い!黙れ黙れ!俺は王子だぞ、偉いんだぞ!?俺様に指図するなど千年早いわ!」


「い、今はそのようなことを言っている場合では、」


「それになこの野郎、泣きながら言われたって『はい分かりました』って言うほど、俺はうつけではないぞ!?」


 そう叫んで、王子はニヤリと笑った。焦る気持ちと余裕ぶった態度の合わさった、複雑な笑顔を見せる。


「ルイード、お前は俺のものだ!勝手に傷ついてもらっては困るぞ!?何故ならお前にはこれからたくさん、色んな#初めて__・__#を教えてもらうんだかな!!」


「い、色んな…初めて?」


「そうだ!お前が俺に教えてくれたんだぞ!?仮面を被って、殻に篭ったままの俺を…お前は連れ出してくれた!そしてたくさんの…初めてを俺に教えてくれたんだ!それなのに、こんな終わり方ってあんまりだろぉ!?なぁ!?」


「お、王子…」


「はは、そんな顔するなルイード!笑え!お前の泣きっ面も脆く儚なげで美しいが…やっぱり俺はお前の笑った顔が一番好きだ。どんな宝石よりも、どんな絶景よりも、それに叶うものなんてこの世のどこにも無い!俺が見つけたんだ!お前の笑顔を、俺がーーー」


 王子がそう言いかけた、刹那だった。


 ゴキンッ、と、枝が千切れた。そのすぐ後にも、ルイードの体が宙へと投げ出され、一直線には下へと落下し始めていた。


「王子!!お願いします!!避けて下さい!!」


「ならぬ!ならぬならぬならぬ…」


「馬鹿!ハリス!!避けろと言ってるでしょうが!?」


 始めてルイードが王子の名を呼んだ。その声は王子の耳にもよく届いていて、王子の口元は綻んでいた。


「くく、まさかこんな土壇場に於いて嬉しさを感じるとは…やはりルイード、お前は面白い…」


 王子の決意は固まっていた。故に、直立不動ではルイードを待つ。


「お願いだから…ハリスッーーーーー!!!」


 ルイードの悲痛な叫び声が、山の中を反響して、


 ルイードと王子の体が重なった。


 グシャリーーー


 そんな音が、辺り一帯に木霊していた…


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