第14話
山を登った先、大体山の中腹より少し進んだ先といったところである。二人の目には大きなお屋敷が見えてきていた。その屋敷はセントクルス王家に代々伝わる隠れ家であるらしく、セントクルス王国が建国された同時期にも建造されたものだという。
ただあまり使用されることはなく、年に数回、城の者が点検、補修にくるぐらいだという。そもそもこの屋敷の最もな使用目的は王家の者が行き場を失った際の隠れ家とされているらしく、余程のことがない限り今後も使用されることはないとルイードはラッカルから聞かされていた。
『ですので安心して使ってもらって構いませんからね、遠慮はご無用ですことよ?』
城を出る間際、ラッカルからそのようなこと言われていたが、いざ屋敷を目の前にして気がひけるルイードの足は止まっていた。
「遠慮がいらないっていったって…」
外観からして、それはただの隠れ家とは程遠く、まるで何処かのお金持ちが今ま住んでいるのではないかと思える程に立派な外観である。ルイードでは一生かかっても暮らせることはないだろう財産を注ぎ込まれ建造されたことが容易に伺えた。
「さぁ、入ろうかルイード」
足を踏み入れる事に躊躇うルイードの肩に手を置いて、王子は言った。王子も見るのは初めてであるらしいが、その躊躇ない様子は流石王子様といったところである。
王子の手にひかれるルイードとは、恐る恐る屋敷の中へと足を踏み入れた。
外観もさる事ながら、内観にしてもそれはそれは立派なものであった。使われていないお屋敷だと聞いていたが、その事を匂わせないぐらいな綺麗に片付けられている。
「ほぅ…中々味があってよいではないか」
屋敷の中を数歩進んで王子は言った。そうして地面へ下ろすと、その場に勢いよく座り込んでは、水筒の水を喉へと流し込んでいく。
余程疲れたのだろうか、王子の様子はいつもの余裕さは皆無で、仮面をつけることも忘れているようである。
「王子、お疲れ様でした。よく頑張りましたね」
「うむ、全くだ。まさか山登りがこんなにも辛いものだと知らなんだ。ただその代わり、今まで見たことも無い絶景を拝むことができた…」
と、王子の視線が屋敷の窓へと向けられた。窓の向こうではすっかりと夕焼け色に染まった空と、オレンジ色に照らされた野山の、それはそれは自然的な景色が広がっている。お城にいては決して見ることの叶わない美しい風景が、この場所にはあるのだと王子は嬉しそうに語る。
「もっと早くに来ればよかったな…」
王子は感嘆めいた口振りで呟いた。
外の世界を知らない王子とは、見るもの全てが新鮮には写り、全てが美しいものとして見えるようである。
風景に関してもだが、今日一日見てきたものとはルイードには見慣れたものであった。草木にして山にしても、それらはルイードにとっては有り触れた日時のものでしかない。むしろセントクルス城に居た時の方が非日常のようで、ここ最近のルイードは新鮮な体験ばかりを味わっていた。
故に今この状況とは、大きな屋敷にいることと、隣に王子がいる事を除けばルイードにとって何ら驚きもない日常で、これが当たり前だとは思っていたのだった。
「私は夕食の準備に入るので、王子は少しゆっくりとしていて下さい」
ルイードは王子を残し、1人屋敷を出て夕食の準備へと取りかかろとした、
「待て、俺も手伝うぞ。疲れてるのはお互い様だろうが、俺だけゆっくりなどしておれるか」
「あ、いえ、大丈夫ですよ?それに今日の夕食はいつも王子が口にしているようなものとは全然違います。火も使いますし、刃物も使いますし、少し荒々しい調理法を用いるのです」
ルイードの考えていた夕食、それはかつて同じ冒険者から教わったものであった。食材は山に登っている最中にも採取した野草であったり木の実であったり、また保存食として用いた干し肉などである。それらを炙ったり煮込んだりして、スープとするのだ。
つまり、調理経験のない王子とはもしかすれば怪我をしてしまう恐れがある。調理に際して傷などルイードにとっては大したものではないが、王子となればそれは別だ。傷跡が残るもんなら、それはそれは一大事である。
「ですので王子、今回は私にお任せ下さい。私が責任を持って、」
「ならぬ!」
「ど、どうしてですか?」
「それはのぅ…俺も調理とやらを、やってみたいからだ!」
「……は、はい?」
「駄目か?」
「いえ、駄目ということはありませんが…」
まさか王子の口からそんな言葉を聞くとは予想だにしていなかったルイードは、ただ純粋に驚いていた。
「本当に、よろしいのですか?」
「ルイードがいいと言うのであればだが…邪魔だけはしたくないからな」
「いえ、邪魔ということはありません。むしろかなり助かります」
「そうか!なら、俺も調理とやらに挑戦してみよう!」
王子は頰を緩めて、嬉しそうにははしゃいでいた。
調理という面倒を引き受けて喜ぶのは王子ぐらいのものだろう…いや、王子だからこそ喜んでいるのだろうか?
どちらにせよ、王子がやりたいというのであればそれを止める理由もない。ルイードは王子を見てニッコリと笑っては、では一緒に、と呟いて、調理の準備へと取り掛かった。
冒険者であるルイードの日常では野営が殆どだったので、このような自然食を用いることは専らであった。特に自然食が勝手には繁殖する山とは食材の宝庫で、まず食べる物には困らない。またこの山は人が入って採取された形跡がない分、食材の選定について然程困るようなこともなかった。
今回作る料理は、ルイードの普段持参している塩味の強いスープの元を用いたルイード一押しの山菜スープなのである。
ただ、それが王子の口に合うかは別問題として、というのも、この山菜スープは少し野生特有の臭みが強い。それこそ城で味わっているような料理の味とは程遠く感じることであろう。
ただそんなこと王子に言っては興が醒めてしまうだろう、せっかく調理に対して意気込みを見せる王子に無粋な言葉は不要だとはルイードは黙っていることにした。
「うむ、ではこの草から実を千切り取ればよいのだな?」
「はい、大雑把で構いませんので、よろしくお願いします」
「おう、任されたぞ!」
王子は返事をして、長い髪を一つに結っては木の実を一つ一つ千切り始めた。その横顔は何処ぞの美少女のようで、中性的な美しい顔をしている王子だからこそ魅せれるものなのだろう。
すっかり見惚れてしまっていたルイードは、すぐ様我へ返ると自分の調理へとは取り掛かった。
「ところでルイード、お前は普段このようなことをして飯を作っていたのか?」
調理に移ってしばらくして、王子がそんな事を尋ねていた。ルイードは王子へと目配せすると、湯気を放つ鍋をかき混ぜながらには短い一回頷いた。
「ええ、私にとってはこれが普通でしたので」
「そうか、いやそう聞くのもな、俺は料理は出来た状態のものでしか見たことがなかったんだ。だからどのようにして作るのかとか、そういうの、全く知らなかったわけさ」
王子は剥き終わったばかりの木の実を手に取ると、それをまじまじと眺めては、
「これも、生きていたのだなぁ…俺は生きているもの食べ、こうして生きていたのだなぁ…」
やけに感傷めいた口振りでそう言った。この時、王子が何を感じ、何を思って調理に取り掛かっているのかルイードにはわからない。ただ普段の王子からは絶対に感じ取ることのできない深い感情を抱いていることだけは、何となくではあるが理解できていた。
「そうですよ、私たち人間は自然の恵みを受けて、それを食べてはこうして生きているのです。言わば自然と人間とは、切っても切れない、密接な関係ということですね」
「密接な、関係?」
「そうです。つまりですよ、なくてはならない存在という意味ですね」
「そうか…」
王子は重く頷いた。そして、ルイードに真剣な瞳をぶつけては、
「要するに、俺とルイードも、その…密接な関係というものなのだな?」
ルイードは自身の耳を疑った。突然の王子の発言に、理解が置き去りにされていたのだった。
何を言いだすのだこの王子様は!?ーーールイードは慌てふためく。
「そ、それとは少し意味が違いますかね」
「ん、どうしてだ?俺にとって、ルイードとは最早居ては成らぬ存在だ。お前の居ない日常など、俺には想像さえもつかぬ。だったらそれは密接な関係というものではないのか?」
「お、王子…」
「何だ?」
「そのような恐れ多き言葉はやめて下さい。誰かに聞かれては、その…誤解されてしまいます。今は誰もいないので別に構いませんが…お城に戻られた際は、くれぐれも口に出さぬようお願いします」
嬉しかった。王子にそう言ってもらえて、ルイードは嬉しくて嬉しくてたまらなかった。ただその反面で、素直に受け止めてはいけないと自己を制するルイードがいるのも確かであった。
今のルイードと王子の関係は一時的なもの。一ヶ月間という、短い期間での出来事でしかない。一生で考えればほんの些細な、過ぎ行く時間の、他愛もない日常の一コマでしかないのだ。
しかもルイードの今後とはどうなったものかわかったもんじゃない。死刑宣告が果たして虚実であるか真実であるかもわからずに、また仮に死刑を回避したとしても、ルイードがこのセントクルス王国にいれるということはまずあり得ないだろうからだ。
ルイードは冒険者で、トレジャーハンターで、流れ者。かたや王子は王子、セントクルス王国の明るい未来を支える第一王子なのである。
そんな2人が今後巡り合うことはまずない。今回の特例を除けば、交わっていい機会など二度とは訪れない。
その事を理解しているからこそ、ルイードは困惑していた。
「王子、そのような言葉は…いつか王子が巡り会うだろう、将来を誓い合った姫君に対して言ってあげて下さい。きっと、喜ばれると思います」
間違いない、こんな素敵な王子様にそんな事を言われて、ときめかない女性などいるものかーーーそれが自分でないのは残念だが、それは仕方がないこと。
むしろそれが正解なのだ。本来のあるべき形。
ルイードは悟って、夕陽をバックにする王子をまじまじと眺めた。
『王子、貴方にとって、今日この日の出来事は些細な日常の、何の他愛もなければ変哲のない日常の一コマかもしれませんが…私は今この日のことを思い出すことが出来れば、この先どんな辛い事に巻き込まれようとも乗り越えられるような、そんな気がします』
ルイードは薄く笑って、どこか寂しげな瞳を王子へとぶつけていた。
そんなルイードを見て、王子は尋ねる。
「それは…お前じゃ駄目なのか?」
「……はい?」
「いや、俺には将来のこととかはよく分からんのだがな、お前と一緒に、これから先ずっと共にいれたらいいなと、俺は考えていたんだ。現に俺はお前のいない世界など考えられないし、むしろいなくなってもらっては困るのだ。どうしていいか、分からなくなってしまう」
王子はニッコリと笑った。そして、
「俺は、ルイード、お前の事が好きなんだ。だから、ずっと俺の側で、そのままのお前を俺に見せてはくれないか?」
恥ずかしげもなく、ただありのままの、素直な言葉を口にして、ルイードを抱きしめた。
「お前の匂いも、温もりも、俺はずっと忘れたくない。だから、忘れさせないでくれ…つまりだ、どこにもいくな」
「お、王子…」
「嫌か?」
「い、嫌でもありませんが…ただ…」
「ただ?」
「そのぅ…照れてしまいます」
「ふん、知るか。俺は王子だぞ?」
「………あははは…」
ルイードの乾いた笑い声が溢れる。
それは照れているような受け止めきれないような、複雑な笑い声であった。ただ一つ言えるとして、嬉しさの隠しきれないルイードであったのは間違いなかった。
ルイードは、幸せを感じていた。




