誤報
禍々しい雰囲気が漂う、広大な神殿の奥。
その空間を支配していた不気味なまでの静寂は、不意に巻き起こった紅蓮の炎、そして目も眩む様な凄まじい雷電によってたちまち掻き乱されていた。
「――いいわよ、ルーク! 今の一撃で怯んでいるわ!」
振り返りながら第一声を上げたのは、最前衛にいた若い女性である。
頭には両側に飾りのついた鉢巻のような兜。肉弾戦に向いた戦士のような風貌だが、青く輝く金属の甲冑で包んでいるのは肩と胸、それに腰周りのみ。いかにも妖艶な姿をしている。
彼女はすぐ背後に立つ女性を庇うように、床に片膝をついて大きな盾を構えていた。
守られている女性は胸から下を刺繍入りの布地で覆った艶やかな身なりをしており、前に差し向けた手の平に橙色の光が、あたかも燃え残った炎のように燻っている。眼差しを鋭くしたまま、たった今放ったばかりの荒ぶる炎に念を集中し続けていた。
「よっしゃぁ! でかしたぞレイカ、ミリア!」
促されるや否や、二人の脇をすり抜けるようにして飛び出していった一人の逞しい青年。
速い。
背負っている白いマントは床を離れて宙に靡き、暗い闇の空間に白い残像の軌跡を描いた。
「ルーク殿、気を付けられよ! 相手は魔王、どこから攻撃してくるかわかりませんぞ!」
そう声をかけたのは、女性達の斜め後ろにいる壮年である。
生地を幾重にも重ねた白いローブ姿という軽装ではあるが、その手には重厚な長い杖を携えており、全身から高貴さを漂わせていた。複雑な形状に加工された金属塊がはめ込まれた杖の先、ピシピシと小さく雷が放出されている。
「応よ、イーヴァ! 任せておけ!」
振り向きもせずに応えたルーク。
彼が向かう先では、巨大な異形の魔物が両腕で頭を抱えて蹲っている。
紫とも青ともつかない硬質の肌、鋭く尖った両耳と、額から突き出た長い角。首から下に目をやれば、一撃で石壁をも砕きそうな剛腕、それも左右二本どころか肩と脇からも生えている。背からは身体の数倍も大きな翼が、天に向かって大きく伸びていた。その容貌、まさしく魔物の王と呼ぶに相応しい姿をしているのであった。
が、ルークといった若者は何の躊躇いも見せず、一直線に突進していく。
あと数歩、という距離まできた瞬間、彼は強く床を蹴って高く跳躍した。
右手には美しい装飾が施された長大な剣。
宙へと舞い上がるなり、左手にはめていた大型の盾を放り投げ、諸手でその剣の柄を握りしめた。
斜め下には、魔物の後頭部が待っている。そこへ、渾身の一撃を叩きこむつもりであった。片手よりも諸手の方が、威力ははるかに高い。
(こいつさえ倒せば、世界に平和が約束されるんだ――)
脳裏にちらと、これまでの苦難に満ちた冒険の日々が過っていく。
この日の、この瞬間を、どれだけ待ち望んできたことか。何度も命の危険に晒され、諦めかけたこと数知れなかったが、それでもここまでやってこれたのは、仲間達と一緒に乗り越えてきたからだ。皆で心を合わせて鍛錬に励み、いつしか彼等はどんな冒険者も及ばない階位――レベル――を極めていた。もはや、行く手を阻む者などこの世界にはいない。そうして四人は最後の覚悟を決めると、魔王がいるという暗黒神殿へと乗り込んできたのであった。
ルークの執念が伝播したかのように、真っ直ぐに伸びた刀身がキラリと一閃する。
勝利と栄光は目前に迫っている。
――しかし。
世界最強である筈の魔王は反撃どころか、依然として頭を守りつつ蹲ったままであった。
「もらったァ――」
一声とともに真っ向から振り下ろしかけた、その時である。
「……お、お願いですからやめてください!」
突如神殿中にこだました、悲痛な叫び声。
「……!?」
驚いたルーク、剣を中途半端に擬したまま、冷たい床の上に降り立った。
魔王だという魔物は続けて叫ぶ。
「わ、私達が何をしたって言うんですか!? 何も悪いことはしていないのに、どうして人間に倒されなくちゃならないんですかっ!?」
ゆっくりと大きな顔を上げた。
その大きな一つ目が水面のように潤んでいる。涙を浮かべていた。
「は……?」
思わぬ展開に、ルークは眉をしかめて固まっている。
あらゆる魔物の頂点に立つ最強最悪の存在、魔王が泣きながら許しを請うということがあったものだろうか。
「ひっ、ひっく、ひっく、うっ、うぅ……」
堪え切れなくなったのか、両手で顔を覆って嗚咽している魔王。
それも、甲高い少女のような声で、である。聞く者を戦慄させる悍ましい声を放つという噂を耳にしていたルークは、これには面喰った。あまりにも可憐すぎる。とどめに、敬語を喋るときた。姿形こそ厳ついが、中身は子供と大差ないではないか。
号泣している魔王を斬る訳にもいかず呆然としていると、仲間達もぞろぞろと近寄ってきた。
「ちょっとちょっとぉ! あんた、魔王でしょお!? 何で泣くのよ? それでも魔王なの!?」
ミリアといった魔法使いが苛々したように言うと、
「そうよ。魔王なら魔王らしく、堂々と戦ったらどうなのよ? そんなに死ぬのが怖いなら、魔王なんて名乗るんじゃないわよ! この意気地なし!」
おっかぶせて罵倒したレイカ。普段は口数少なかったが、戦闘となると人格が一変し、魔物に対して一切容赦はなかった。泣いている魔王に対し、これでもかと言わんばかりに悪罵を投げつけた。
「うえっ、ひっ、ひぐっ、うっ、うっ、うえぇぇん……」
若い女性二人に責められ、魔王はさらに激しく泣き出した。
見上げるような巨体を震わせながら号泣している様子は、ある意味で凄まじいものがあった。
レイカは長い前髪を人差し指でくるくるやりながら魔王を眺めていたが、ついに堪忍袋の緒が切れたとみえ
「ああっもうっ! ホント、いい加減にしてよね! こっちはヒマじゃないのよ!」
腰に差していた長剣を抜いて斬りかかろうとした。
が、そこへ慌てて割って入ったのがイーヴァである。
「ちょおっとお待ちなさい、レイカ殿。これはどうも、様子が変ですぞ。油断してはいけませんが、まずは事情を確かめてみないことには」
と、年長者かつ高位を得た魔術師だけあって、さすがに思慮深い。
彼はつと、泣きじゃくっている魔王の方を向き
「魔王殿。何も悪いことはしていない、と言いましたな? 我々は、あなたが数多の魔物を手下にしてこの世界を滅ぼそうと企んでいると聞いてここへやってきた。世界を滅ぼすことは悪いことだと人間達は考えているのだが、その点いかに?」
物静かな口調で問うた。
「ひっく、くすん。わ、私のは、話を聞いてくれるというのですか?」
優しく語りかけられたことで心地がついたのか、やっと泣き止んで顔を上げた魔王。
本来禍々しい筈の大きな一つ目を、すっかり泣き腫らしてしまっている。
ぶった斬る気満々だったルークも完全に気持ちが萎え、いつしか憐れみすら感じ始めていた。
温厚なイーヴァはうむ、とゆったり頷き
「そのように、言っておるのです。だからいつまでも泣いていないで、きちんと話してくれませんかな? ――ルーク殿、レイカ殿、剣を収めなされ。魔王殿は怯えているようですぞ」
「うっく、ひっく。あ、ありがとうございます……」
六本あるうちの、右の一番下の腕でごしごしと涙を拭いつつ、魔王は神妙に喋り始めた。
――私が世界を滅ぼそうとしているだなんて、誰が言い始めたか知りませんけれども、そんなの言いがかりです。
そりゃあ、幼い頃は世界を自分のものにしてみたい、とか思ったりしましたよ。こう見えても魔物ですもの。魔物に生まれたからには、大きな夢の一つや二つ、叶えたいって思いますよ。
何かがイラッときたらしく、レイカが剣を抜きかけたのを、ルークがそっと止めた。
一瞬びくっとした魔王だったが、居住まいを正して先を続けた。
――でも、そんなこと出来る訳ないじゃないですか。世界は広いんですよ? ましてや、滅ぼすだなんて。どんなに強い魔力を持っていたって、世界を手に入れることなんか出来やしません。魔神官ヴェルヴォーラだったら、本気で考えるかも知れませんけど。――え? この前、倒した? ああ、まあ、あれは別にいいです。あいつとは絶交してましたし。だって、闇魔術師達に私の悪口吹き込んで、ごっそり裏切らせたんですよ。酷いと思いませんか? ですよねぇ!?
イーヴァが頷いたために思わず身を乗り出した魔王。
が、ミリアがチッと舌打ちしたのに気付き、慌てて咳払いをした。
――まあ、ヴェルヴォーラのことはおいといて。
確かに、世界の果ての地に暗黒神殿なんか建てた私も悪かったとは思います。何か悪さを企んでいるだろうって、誤解を招いてしまいますよね。人間達、さぞかし不安に思ったことでしょう。
でも、誓って言いますけど、世界を滅ぼすつもりなんてこれっぽっちもありません。
暗黒神殿を建てたのは、この結界の中でなら静かに暮らせるかなぁって思ったからでして。そうしたら、何か勘違いして騒ぎ始めた下級の魔物達がいるって聞きました。あちこちで人間の村とか隊商を襲ったのは、そいつらの仕業ですよ。いやホント、申し訳ないです。私の目が届かなかったばっかりに。
どうか、信じてくれませんか?
一つだけ言わせていただきますけど、もし本当に世界を狙っていたら、とっくのとうに行動を起こしてますよ。皆さん階位がすごく高そうですけど、大分時間かかったでしょ? 魔物の軍勢が本気で人間を攻めていたら、そんなにゆっくり階位を上げている余裕なんかなかったと思いますよ? こちらはみんな弱いですけど、数だけは沢山いますし。
「う……」
嫌な顔をしているルーク。
言われてみれば、確かにその通りである。
彼等は魔王が何も行動しないのを幸い、剣や魔法の修練に明け暮れしていたからだ。その成果あって、高階位に上り詰めることができたのである。もしも魔物達がこぞって人間の住む街へ押し寄せてきていたら、とてもそういう余裕はなかったに違いない。
が、魔王はそのことをどうこういうつもりはないらしく
――いや、それはもう、どうでもいいです。
私はこれから先、絶対人間と敵対しませんし、そういうことをしないように下の魔物達にも言い聞かせます。もちろん、背いたヤツがいたら、それは倒されても仕方がないです。可哀想ですけど。
本当に、お願いします。
これ、この通りです――。
「……」
土下座して床に額をこすりつけている魔王を前に、固まっている四人。
魔王を倒しに散々苦労してここまでやってきたというのに、いきなり泣かれ、ついには土下座までされた日には、この後一体どうせよというのか。
しばらくの間、ルークは眉間に皺を寄せて考え込んでいたが、
「……魔王さんよ、俺からも訊きたいことがあるんだが」
「はい、なんなりと」
魔王は恐る恐る顔を上げてルークを見た。
「パラナムの港町でゲレドっていう盗賊が娘達をさらったりしてひどく悪さを働いていたのを、俺達が懲らしめてきたんだけど……あれ、あんたがやらせたんじゃないのか?」
「滅相もない! それ、人間の盗賊でしょう? 人間は人間ですよ。魔物は一切関わってません」
肩から生えた腕の手をぶんぶんと振って見せた魔王。必死に否定しているらしい。
「なるほど、それはわかった。――だけど、訊きたいことはまだある。バーツ城がガーゴイルの群れに襲われた、あの一件は?」
「ああ、あれですか。人間の若者達がガーゴイルの巣に火をかけて燃やしちゃったんですね。それで彼等が怒って、押し寄せていったんですよ。ガーゴイルは野生ですから、私の手下ではありません」
「ダムラ遺跡から死体が蘇って、隊商を襲った件」
「それこそヴェルヴォーラの仕業ですよ! 酷いことをするものです」
「南オーラル島の世界樹が傷つけられた、あれ」
「この世の全ての法則を司る世界樹にそんなことをするのは、間違いなくヴァンパイアマスターのヤツですね。あいつも私のことが嫌いで、好き勝手やってるんです。やっつけていただいても全然構いませんけれども?」
ルークは思いつくまま、世界中で起きた魔物がらみの事件を片っ端から魔王に問い質していく。
しかしながらそのいずれもが、魔王とは全く無関係であった。
最初は胡散臭い顔をして聞いていたレイカとミリアだったが、次第に真実が明らかになっていくにつれ不快な表情を浮かべ始めた。
それというのも――彼等をはじめ世界中の冒険者に「魔王を討伐せよ」と命じたグランディーノ王国の国王は、今ルークが挙げた数々の事件を引き合いに出し、全て魔王の仕業であると公言していたからだ。
世界で最も大国であるグランディーノ国王の言葉ゆえ、誰も疑う者はいなかったといっていい。
だが、よくよく考えてみれば、腑に落ちないことがある。
グランディーノ国王は、事件の一つ一つが魔王によるものだと、どうやって確かめ得たのであろう?
もちろん、国王自身が王都から出て探索に行くなどということはあり得ない。王都どころか、王城からでさえ出ることは稀なのだ。
と、すれば――大臣や側近達から聞いた話だけを頼りに、魔王が世界を滅ぼそうとしていると勝手に思い込んだとしか考えられない。幾多の冒険者達が、今も打倒魔王を目指して世界を駆けずり回っている訳なのだが、その誰もがグランディーノ国王の飛ばした虚報に振り回されているということになる。
そして誰よりも――真っ先に魔王の元に辿り着いてしまったルーク達四人こそが、一番の迷惑を蒙ってしまったといえるであろう。
「あの野郎……!」
怒りに震えているルーク、レイカ、そしてミリア。
これまでの死ぬような苦労はなんだったんだ。三人は思った。
ただ一人、イーヴァだけが仕方なさそうに苦笑しつつ
「まあまあ、お三方。とりあえず世界は平和なままで済むとわかった訳ですし、それにほら、こうして他の冒険者達よりも強くなれたのですからここは一つ、大きな気持ちで……」
「やってられるかーい!」
「また、遊びに来てくださーい!」
にこやかに六つの手を振る魔王に見送られつつ、ルーク達四人のパーティは暗黒神殿を後にした。
――その後、彼等がグランディーノ王国に戻ったのかどうか、それは定かではない。
ドラクエⅢを思い出したのです。
王様から魔王バラモスを倒せとか言われますけど、Ⅱの時みたいに実害が出ていない訳でして。Ⅱではムーンブルクが滅ぼされますけども。
で、王様あんた、どうやって魔王の策動を知ったんですか?
何で王様から魔王を倒してこいとか命令されなきゃならんのだ?
などなど考えていたら、こんな話を思いつきました。
またもやすっ飛んだものを書いてしまい、すみませんでした。