閑話~王都、そして行動~
アグレナス王国の王城の一室、第一王子であるプラドの執務室には第二王子であるホイットの姿があった。
どちらも表情は明るくはない。執務机に肘をついて頬杖をついているプラドも、ソファに深々と腰掛けている疲れを見せているホイットも、大きな溜息を一つ吐いた。
「兄上はどこまで話を聞かれていますか」
「カリオのことか」
「えぇ」
プラドの問いにホイットは短く返す。彼らの表情が明るくないのも、ホイットが疲れた様子を見せているのも、どちらも原因はカリオ魔国のことであった。
「エルフの里が襲撃されたことはすでにアザートから聞いている。そしてつい先ほどカリオへゲートを用いての移動ができなくなったと報告を受けたばかりだ」
そこまで言うと、プラドは再び溜息を吐いた。
「勇者は勝手に救援とやらに向かっているという話だし、果たしてどうしたものか……。カリオへの救援も慎重に行わねばならぬのに」
溜息と共にプラドが吐き出した言葉に、ホイットも賛同の意を示すように溜息を吐いた。
彼らを悩ませているのはカリオ魔国への救援の件だけではない。カリオが襲撃を受けた件と同様、勇者がホラビルからの救援を受けて現地に向かったことも把握していた。その件に関しても悩んでいることは、プラドとホイットが吐いた大きな溜息、そして眉間に刻まれた皺からも見て取れる。
ホイットは気合を入れるように短く息を吐く。そして深々とソファの背もたれに預けていた上体を起こし、プラドに問いかけた。
「勇者はこの際置いておきましょう。カリオ魔国への支援はどうされますか」
「ある程度は兵を送るが、こちらの防衛分は残しておきたいところだ。今回の事件はカリオだけで終わるとも思えん。いざこちらが危険に晒された時、民を守る手段は手元に残しておきたい」
「加えてゲートでの移動でも使えないとなると、城お抱えの魔法師を何人かつけたほうがいいでしょう」
ホイットの提案に、賛同を示すようにプラドは首肯した。
「国境付近から兵の派遣は行わぬ。一旦はガイゼル団長と相談の上、王都から魔法師を数名つけた小隊を送る方が良いだろう。それ以上の救援が必要かどうか、送ることができるかどうかはカリオ側と協議した方がいい」
本来ならばここに一人は勇者を同行させたいところだと言ってしまいたい衝動に駆られる。しかしそれを寸でのところでプラドは飲み込んだ。連絡を取れば可能かもしれないが、協力的なのは樹沢ぐらいである。
何より妹であるシェルマが割り込んでキャンキャンとこちらを罵って連絡を切る未来が容易に想像できた。
「ひとまず、先の案を母上もご同席頂いた上で父上に相談しようと思う」
「それがいいでしょう。今シェルマもいませんから父上も真面目にご判断されるとは思いますが、ここ最近は特に母上がご判断されることが多い。本当、母上と結婚されてよかったと言いますか……」
ここ最近、父親である王の愚行を窘めている母親である王妃の姿を思い返し、ホイットは再び溜息を吐いた。ホイットとプラドだけでなく、家臣でさえ納得しているのだ。
父親を情けなく思えば良いのか、それとも母親を頼もしく思えば良いのか。子である二人にとっては複雑だ。
それでもうまく嚙み合って正常に政を執り行えているあたり、ある種お似合いの二人なのだろう。
そんな時、部屋にノックが響いた。
プラドとホイットは顔を見合わせる。互いに口には出さないものの、誰かとここで会う約束をしたかと目で問いかけた。しかしどちらも覚えがない。
「アザートです。入ってもよろしいですか?」
答え合わせをするように扉の向こうから聞こえてきたのは、しばらくぶりだが聞きなじみのある声と名前だった。
「構わん、入れ」
「失礼いたします」
プラドが呼びかければ、静かに扉が開く。そこにいたのはプラドとホイットにとっては久方振りのアザートの姿だった。王城ということもあって服装は綺麗だが、どこかにじみ出る雰囲気に疲労が滲んでいるのは気のせいではないだろう。
一方、入ったアザートはホイットの姿に気づくと一礼した。ホイットが軽く手を挙げて反応を返せば、少し困ったような表情をしたアザートが口を開く。
「お話の途中でしたか。出直した方がよろしいでしょうか」
「先程言っただろう、構わないと。それにしてもよくエルフの里から戻ることができたな。今の状況では戻るとしても徒歩になるだろうに」
アザートが調査に向かっていたのはカリオ魔国にあるエルフの里だ。プラドとホイットは彼の逃げ足を信頼していたとはいえ、心配をしていなかったわけではない。何も言っていないホイットでさえ、感嘆半分心配半分の目をアザートに向けていた。
「調査を終えて帰った時、ゲートがちょうど使えなくなったんですよ。文献の調査にカリオの状況と知りたいことを調べ終えたと判断して戻った瞬間でしたから、まぁ、ヒヤヒヤしましたが」
遠い目をしながらアザートは、当時のことを思い出しながら言う。
同伴の二人と共にゲートを潜って戻ってきた瞬間、途端にゲートの周囲がざわついた時のことが思い出された。一瞬自分たちが何かしたのかと驚いた三人だったが、どうにも周囲の意識はゲートに向けられている。困惑している人達の会話に聞き耳を立てて、その時ゲートが使えなくなったと知ったのだ。
本当にヒヤヒヤしたと、内心でアザートは繰り返す。
首都襲撃の時点で戻るようにとの報せがあったことに加え、当時は戻ろうともしていた。しかし里の襲撃で考えを変えたのだ。ここで帰れば無事ではあっても欲しいものは手に入らない。そう考え、もう少し情報を得たいと粘り、帰った瞬間のこれだ。一歩遅ければ王国に戻るのも一苦労だった。
「やはり逃げ足に関しては神はお前に味方するな。ともあれ、無事でよかった」
「えぇ、本当に」
プラドとホイットはうんうんと互いに頷き合う。
「ゴッホン! さて、今回頼まれた調査のことなのですが」
話の流れを変えるために、アザートは咳払いを一つして用件を切り出した。プラドとホイットも察していたのだろう。特段驚く様子を見せることなく、静かに話の続きを待っている。
二人の意識が自分に向いているのを確認して、アザートは再び口を開いた。
「エルフの里の図書館で調査した結果、今の状況はおそらく魔王が現れたためと判断して良いでしょう。文献、エルフの里の長老方からの話だと、魔王が出現すると魔獣が種族関係なく統率されたような動きを見せるとのことでした」
「これまで国関係なく人が魔獣に攫われる事件もあったと聞きますし、実際アザートも被害に遭ったと同伴のドシュトから報告を受けています。先程の統率が取れた動きがこれに該当するならば……」
ホイットの言葉に、プラドは一つ頷いた。
「魔王が現れた。そして今、表に出て我々を脅かしている。カリオを狙ったのは魔族がいるから紛れやすく、奇襲をかけるのに最適だったのだろうな」
呟きながらプラドが思い出すのは、各国で起こった魔獣絡みの事件だ。
魔獣による人の誘拐、襲撃、そして勇者が収束にあたった第一闘技場の魔獣の件。魔獣の動きがおかしいと思ってはいたが、アザートの報告を受けて確信した。
確かに魔王は現れた。そしてこそこそと何かを隠れ蓑にすることも、単純な魔獣襲撃事件に見せかけることもしなくなった。
プラドは思いついた考えに、眉間の皺を深くする。
「堂々と行動できるぐらいには、魔王の力がついた。それまでは表立って行動するわけにはいかなかったのだろう。表に出ても問題が無いと判断できるほどの力を持った、もしくは何かしらの策があるとしたら……」
「次は全面対立でしょう。そして最初の動きとしてカリオの首都を奪った」
「その通りだホイット。カリオの首都を自分のものにしたのなら、そこを拠点にする。ただ第三の主がいたはずだが、アザートは何か調査の段階で聞いていないか」
プラドの問いに、アザートは首肯した。
「詳しいところまでは分かりませんが、首都の住民及び王族、第三の主は総じて首都から逃げ出すことはできたと聞きます」
「やはり彼らはカリオ魔国内にいるのか?」
「いえ、住民はそれぞれバラバラに国外へと逃げたそうです。王族や第三の主も第三商店街を経由して他国へ行ったとのことです。エルフの里の長からの話ですので、おそらく間違いはないでしょう」
もっとも被害が出なかったわけではないですが。そう付け足したアザートの言葉に、それもそうだろうと黙したままプラドとホイットは内心で理解する。
それにしてもと、プラドは疑問が湧く。ゲートに工作をしたのは魔獣側だが、どうやって行ったのか。過去、ゲートの使用を不能にした事例は存在するが、それは第二の主によるものだった。
「アザート、ホイット。一体どのようにしてゲートを封鎖したのか、想像できるか」
内に湧いた疑問をそのまま口に出す。
問われたアザートとホイットは暫し考え込んでいる様子だった。一瞬の静寂の後、最初に口を開いたのはホイットだ。
「以前、勇者が似たようなことをしていました。確か第五遊技場の主を捕えるために。その時は第四工房で特注の道具を使ったはずです」
「どうにも今回の騒動の前はこそこそ動いていた様子。第四工房は世界の行き来自体は可能でしたし、その時にこっそり忍び込むなりして盗み出したのでしょうか」
続くようにしてアザートが言う。
盗み出したか、それとも別の手段があるか。前者ならばついでに色々と盗み出してもおかしくはない。後者だって十分警戒に値する。
団長のガイゼルと相談することが増えてしまったと、一つ増えた悩み事にプラドは頭を抱えたくなる。しかし時が待ってくれるわけでもないと、実際に頭を抱えるのを堪えてホイットとアザートへと視線を向けた。
「これから早速ガイゼルと話し合いを行う。おそらくそのまま援軍の派遣やら色々と手を付けることになるだろう。その間のことだが、ホイット、お前は勇者と連絡を取ってくれ。勇者側への指示もお前の判断で行うように。父上と母上には俺が話を通しておく」
「兄上、よろしいのですか?」
「俺の考えを理解しているお前なら大丈夫だ。アザートはカリオだけでなく周辺国、特にホラビルの情報を集めてくれ。可能ならば第四工房の現状を知りたい」
「戻ってこれたと思ったら次の仕事……。いえ、別に構いませんけど……。第四工房の現状というと、道具が盗まれたとか些細な事でもよろしいですね?」
「構わん。よろしく頼むぞ」
そこまで指示を出せば、プラドはちらりと窓の外を見やる。
窓の外はいたって平穏だ。どこからか立ち上る煙も、焦げ臭い匂いも、焦燥感を煽るような火や戦闘の音もない。
けれど目に見えない不安や危機感が、王都に流れ始めているのを感じていた。カリオの情報があるからか、それとも本能的な部分出感じ取っているのかははっきりとしない。
それでもはっきりとわかることがある。
戦の音は、すぐそこまで来ている。




