第70話~対峙、そして結果~
火の手が上がっているのか、夜にしては明るい森の中、ニタリと気持ちの悪い笑みを浮かべた相手に<駿影>で斬りかかる。
性別が分からないから彼なのか彼女なのか分からない。そんな人影はこちらの攻撃を受け止めるでも反撃するでもなく、後ろへと飛ぶようにして避けた。
「おお、怖い怖い」
「……ほーん」
避けた人影を睨みつける。
武器を取り出す様子も、構える様子もない。こちらへの警戒はあっても、反撃の意思を感じない。先程俺から攻撃されたのにも関わらずだ。率直に言って不気味である。下手に攻撃しない方がいい。
構えは解かないまま、相手との距離を縮めることなく開けておく。
どうにもその選択が人影にとっては気になるものだったらしい。考え込む動作と共に「ふむ」と呟いた。
「仕掛けてこないのかな?」
「どう見たって怪しい状況で、誰がけしかけるか」
煽るような口調で告げられた言葉にそう返せば、何が面白かったのか人影は笑う。
「アッハハ……そうだねぇ……」
思い出し笑いでもしているのか、ふっと遠くを見つめたかと思えば人影は笑い始めた。そうしている間もこちらを警戒していながら戦闘行動を取る様子はない。こちらが一歩近づけば、相手は一歩離れてみせる。本当に交戦意思がないらしい。
不気味だ。けど相手をどうにかしなければ魔獣の行動を止めることも出来なさそうである。
(遠隔で行くか)
不気味で接近できないならば遠隔攻撃で叩く。そう決めて<駿影>から<ヴォルカス>へと変え、銃口を人影へと向ける。
「それでどうする? 頭ぶち抜い――」
おどけたように肩を竦めつつ喋りだした人影に、魔法の弾をぶち込む。相手の言う通り、頭を狙っての攻撃は外れることなく、首から上が消えてなくなった。衝撃で後ろへと傾いだ体は、そのまま勢いを殺すこともできないまま地面へと倒れる。
「こっちは時間が惜しいんでね、お言葉通りにさせてもらうよ」
まあ、こんなことを言ったところで言葉が空いてに届くことなんてない。声を聞く耳はもう無いのだ。
魔獣がどうなったか確認しよう、そう考えて<レーダー>を展開した瞬間である。
「本当に言葉通りにするとはね。助言のつもりで言ったつもりないんだけどねぇ」
「っ!?」
間延びした声が倒れ伏した体から発せられた。なんで、どうして、確かに倒したはずなのに!
<ヴォルカス>を構え、相手を警戒する。展開された<レーダー>にはいまだ動き続けている赤い点が存在していた。どの点も撤退する様子を見せていない。目の前の現象が幻覚などではなく、現実であることを思い知らせてきた。
頭だから駄目なのか、胴体ならばいいのか。
そう予測を立てて素早く人影の胴、もっというならば左胸へと銃口を向ける。素早く引き金を引けば、魔法の弾が今度は人影の左胸に直撃した。大きい着弾音と共に左胸を中心とした大穴を開けた人影は、にやけた笑みを浮かべたまま地面へと倒れる。溢れる赤い液体が、周りの草木を同じ色に染め上げていた。
先程見た光景と同じだ。違うのは人影がどこを負傷しているかの一点で、通常ならば死んでもおかしくないはずだ。
そのはずなのに、だ。
「イッタイなあ。今度は心臓トカ怖いねえ」
ぐじゅぐじゅと粘り気のある音と共に傷が塞がろうとしている。その影響か言葉の発音がところどころおかしい。普通の声音から突然高いものや機械的なそれが出るのは独特の気味悪さがある。
傷口へと視線を向ければ、粘ついた泥のようなものが動いている瞬間だった。あの粘り気のある音はどうにも傷口を塞ごうと泥のようなものが動く音らしい。意思を持つように泥は動き、離れ、混ざり、泡立つ。そうして出てくるのは心臓だった。ピクリとも動かなかったその心臓が突然動き出し始めれば、今度は骨や肉だとばかりに泥が動く。
気味が悪い。吐き気がする。けれど今はそんなことを考えている暇はなかった。頭もダメ、心臓もダメ。そうなればもう全身を連続で攻撃して回復しないようにするしかない。
(って、待て待て)
やってしまおうかと考える思考を無理やり戻す。
離れた理由でもある相手の態度の違和感が、攻撃の際でも変わっていないのだ。こちらから攻撃を仕掛けても交戦の意思を見せなかったその態度、当初は不気味だった。けれど今では別の見方もできてくる。
「その態度、死なないからとかいう余裕からきてんのか?」
俺の問いに、人影は笑みを深めた。
「そうさ」
「……ちっ」
返答に思わず舌打ちを零す。こんなの、舌打ちしてしまってしょうがないだろう。それともこいつを倒すには何か用意でもすればよかったのか?
焦りを抑え、警戒しつつ考える俺の前で、人影は心底楽しいのだと分かるほど体を震わせながら笑う。
「第五の主である君がどんなことをしようとも殺せない。ああ、面白いなあ。おかしいナァ!」
いつぞやの第四工房の主を思い起こさせるように、とうとう人影は高笑いを上げた。
「悔しいかい? 第五となれば誰をも寄せ付けない力を持つのに! 君はこんなか弱い存在をちゃんと殺すことさえできない!」
芝居がかった身振りと共に、なお人影は嘲笑する。
「もちろん君は最強さ! 勇者なんて目ではなくて、私なんてどうあがこうとも君に倒される! 五大祭の時も、君が正体を現した時も、いつだって蹴散らすことなんて簡単だったろうに! それが、それがだよ! こんな虫けらのような僕を倒せない!」
これで笑わずにはいられるか、そう腹を抱えて笑う。
銃口を突き付けられているのにも関わらず笑う。頭を消され、心臓も撃たれたのに挑発する。命を懸けた遣り取りをして、一方的に叩きのめされたのにそれらをする人影が不気味で仕方がない。
けれどこちらの感情など置いてけぼりで、目の前の人影はまだケラケラと笑っていた。
「君のような最強ともいえる存在が、俺を殺すことができない姿を見るのは本当に楽しい! それまで優位だと思っていた相手に怯えて、恐れる。 最後には恐怖の表情を君も見せてくれたら、もっと私は笑えるのに!」
「君も?」
人影の言葉に引っ掛かり、思わず呟く。俺の前に誰かを殺したのか?同じ方法で?
呟きが聞こえたのだろう、人影は肩を竦めてみせた。
「食事のお話なんて別にいいだろう? もう一つになって、僕になった、それだけだ。それよりも、だ。本当は俺は君と戦うつもりはなかったんだよ? 死にはしなくともボクにとって厄介だし」
食べて一つになった?文字通りの意味なのだろうか。だからそのせいで一人称がぶれっぶれなのか?食べた人間の影響でも受けてる?
沸いた疑問を口にするよりも前に、人影は再度喋り始めた。
「だから、うん、さすがに何度も肉塊になりたいとも、そのままの姿で指揮を続けたいとも思わないから……最初に謝っておくよ、ごめんね?」
「は?」
こちらのことなど一切気にしていないように喋り続けたかと思えば、今度は笑顔と共に突然の謝罪だ。わけがわからない。
銃を構えたまま呆けた声を出してしまった俺をよそに、人影は視線をこちらから外す。
瞬間、魔獣の気配がした。
「っ!?」
今現在、里を襲撃している魔獣と比べれば明らかに格上だと分かる気配。その気配が前面、人影の背後から迫ってきている。
「ほうら、交代だ」
「逃がすか!」
飛んでくる気配と入れ違うように後退しようとした人影に、追撃を仕掛けた。<ヴォルカス>から出た弾二発は、どちらも狙い過たず笑う人影へと直撃する。避けようともしない、本当に忌々しい。
どさりと肉塊の落ちる音がした。その肉塊からケタケタと笑う声がする。今回も殺しきることはできず、こちらを気にすることもない肉塊が蠢いて元の形に戻ろうとしていた。このまま追撃してやろうか、少なくともそれで指揮は難しくなるはずだ。
さらに追い打ちをかけよう、そう考えて銃口を向ける。引き金を引こうとして、ふとその指を止めた。
「ここで到着とか台本かよ……」
「はは、私を思ってくれるいいコなんだよ」
零れた愚痴に肉塊が明るい声で言う。うっさい、お前には聞いてない。
ドンッ!と大きな衝撃音が俺と人影の間で鳴る。同時に跳ね上がる土くれやら砂やらで敵の姿が遮られた。それに紛れて逃げている……というわけではないようだ。まだ気配が二つ、前方に存在している。去って行く様子も見られない。
視界不良の中、声が聞こえた。
「魔王様! 何と痛々しいお姿に……」
「あーうん、いいコだね、君。本当に面白くないぐらいね」
男性と思しき声に続いて人影、いや魔王が気落ちしたように言う。同時に思わぬところで答え合わせをされ、こちらも動きを止めてしまった。
やはり魔王なのか。絵本の中の存在、本当にいるのかどうかさえも怪しい。ただの御伽噺だと半ばあり得ないと考えていたが、どうにも実在していたらしい。目の前で見せられたのであればただの想像だなんていいようがない。
そんなことを考えている間に、とうに元の姿を取り戻した魔王はポンと軽く飛んできた人影の肩を叩いた。もう土埃は舞っておらず、やってきた奴の姿がはっきりと見える。
人型であるそれの肌は人とは違っていて黒く艶があった。人肌といよりも爬虫類の肌を思い起こさせる。加えて高い背、長く伸びる尾、鋭く赤い目とくればより爬虫類の印象を強くした。人の手よりも明らかに大きい手足の先は鋭くなっており、これまでに何人か殺してきたのだろう、赤く濡れていた。ポタリポタリと落ちる雫を、鬱陶しいとでも思ったのか青い舌で舐めとる。
目と口以外、耳や鼻なんて見当たらない爬虫類と悪魔が混じったかのような化け物だ。
「……殺せばよいのですね? 貴方様をひどい目に遭わせたこいつを」
観察するこちらを、爬虫類もどきが睨みつけながら言う。
「まあ、そうしてもいいよ、うん、それは君の自由だ。ただちょっと頼みたいことがあってね」
対する魔王はひどくつまらなさそうなまま、再度肩を叩いた。「これでよし」と呟く声が続く。
「ここの指揮、君に任せたから。とっても、優秀で、信頼のおける、頼もしい君にね」
「おお……おお……! なんと嬉しいお言葉! そこまでの信頼を置いていただけるとは恐悦至極、その信頼に応えねばなりますまい!」
魔王からの言葉に爬虫類もどきはひどく嬉しそうだった。その細められた赤い目や震わせる声からも喜びを感じ取ることが出来る。そうしてこちらへと向けてくる殺意に、魔王の言葉に応えたいという思いさえ見て取れた。
一言ずつ区切った魔王の言葉に、彼は奮い立っているのだ。
「ゲスが」
ぽつりと零す。魔王には聞き取れたらしく、爬虫類もどきの背後でクツクツと笑った。本当に信頼しているだなんて思っていないと、フードから見える笑みが物語っている。ただ相手がやる気を出す言葉を連ねただけだ。
どちらにせよ、倒せばいい。倒すことが出来ずとも捕まえる。そう考えることでおぞましさを振り払う。
しかし魔王はそんなこちらを笑いながら、撤退の様子を見せた。
「誰が逃がす――」
「いやいや、逃げるよ」
遮るように言った魔王はドンと爬虫類もどきの背を押す。しゃ、射線上に仲間を入れるんじゃねえよ!もう仲間というよりもただの盾扱いじゃねえか。これでどこがどう信頼しているというのか。
押された爬虫類もどきは一瞬驚いた表情をしているあたり、彼にとっても予想外であったらしい。
「信頼、してるよ。それじゃ」
「っ! 信頼に応えますとも!」
しかしその驚きは追撃のような魔王の言葉で消え、代わりに再び喜びと覚悟が出てきていた。魔王はその言葉を聞く前に、この場から去って行く。地を蹴る音と爬虫類もどきの言葉が重なる。きっと彼の言葉は魔王には届いていないだろう。これまでの態度から聞く気なんてさらさらないだろうけど。
要は二体とも倒せばいいだけの話だ。そう考え銃を構えた瞬間、爬虫類もどきが射線上から横へと飛んで行った。
「んなっ!」
「大人しくやられると思わないでいただきたい」
半ば叫ぶように言ってくる彼はどんどんを距離を離していく。レーダーで確認すれば魔王もかなりの距離を行っていた。このまま二人を同時に行くには双方の距離が開きすぎている。魔法……使うには魔王が距離を離し過ぎてるし広域は迎撃に出てる人を巻き込んじまう。
多を取り一を見逃すか、一を取って多を殺すか。
悩んだのは一瞬で、けれどすぐさま決める。爬虫類もどきが去って行った方へと向かった。
「速いですなあ」
呑気な声で言う爬虫類もどきをすぐさま視界に捉えれば、もう後は引き金を引くだけだ。
選ぶのは速度重視の風属性魔法。引き金を引けば飛んでいく薄緑の弾は込めた魔力の大きさもあって木々をなぎ倒して爬虫類もどきを追いかけた。この付近に人はいない、まだ大丈夫。
少し耳に障る高い音を発しながら進む弾は距離を詰め、そうして爬虫類もどきへと着弾した。
「ガッ!」
短い呻きがしたかと思えば、どうっと地面に倒れる音が続く。すぐさま<レーダー>で魔王を……逃げきってんなこれ。なんの反応もない。
爬虫類もどきに近づきながら、それでも眉間に皺を寄せる。
ふとそこで気づく。男性の低い笑い声がしていたのだ。元凶は探すまでもなく、目の前で地面にうつ伏せになっている爬虫類もどきである。
「これで……いい、のだ。これで」
満足そうに爬虫類もどきが喋る。やり遂げたと言わんばかりの清々しい横顔をこちらに見せつけ、嘲笑うように笑っていた。こいつも分かっているのだ、魔王が逃げ出せたのだと。
「ああ……貴方、の……信頼に、応えられ、た――――」
満足気な表情でそう言った爬虫類もどきの声が小さくなり、そうして聞こえなくなる。動く様子もない。笑みで細められた目は濁り始めていた。
たった一瞬の出来事で、彼らは成功させたのだ。
なかなかに後味の悪い結果に苛立っていると、連絡用の水晶がリアナからの連絡を知らせてくる。苛立ちで思考を停止させるのが嫌で、すぐさま通信に出た。
『秋人様、魔獣の群れが停止、引き上げていきます!』
「そう、か。……すまない、首謀者は取り逃がした。この場の指揮権を持つやつは倒したが」
『……追いますか?』
正直な気持ち、魔王を追いかけたい。元凶であるとはっきりしているのだから、やつを倒せば済む話のはずだ。
そう言おうとして開きかけた口を、一拍置いて閉じる。
「いや、安全を確認してから第五に戻る。話を聞きたい人がいる」
『かしこまりました。ロルに事情を伝えた後、安全を確認します。その後、合流して戻るという形で?』
「それでいこう、頼んだ」
今のままでは魔王を倒せない。だからこそ、あの人に尋ねたいのだ。人と言っていいのかわからないが、おそらく今の事態を一番知っているはずだ。
通信を切り、まずは安全確認だと空に飛びあがる。
魔獣はいない、いても撤退するやつだけだ。あちらこちらで火の手はまだ上がっている。けれど魔獣撃退に成功した歓喜の声と共に、消火のために連携しようとする怒号も微かに聞こえてきた。これなら火もそのうち収まるだろう。
防衛は成功だ。目の前に広がる里の光景を見ればわかる。
けれど苦いものが残っているのも事実だった。




