第67話~救出、そして騎士~
お久しぶりです。
虫の鳴き声が聞こえるだけの静かな夜、俺たちとキッシュさんは作戦のために二手に分かれて山に登っていた。魔獣のどれもが昼行性ではない。夜行性だって存在する。そのような魔獣に気づかれないためにも二手に分かれる必要があるのだ。
どちらもばれてはいけないというものではない。どちらかがばれる必要がある。これは陽動作戦なのだから。
「秋人様、そろそろです」
先頭を歩いていたリアナが前を向いたままそう呟く。分かったと、俺も小さく返すだけにした。
足音は大きく、気配を隠すことなく、そして殺意も隠さない。俺たちが敵であるのだと、この山に潜んでいる敵に理解してもらうためには必要なことだ。同時にキッシュさんたちの様子を探れば……うん、あちらはこちらとは違ってうまく気配を消して隠れているようだ。
もう一組を示す点は二つ。一つはキッシュさん、そしてもう一つはドシュトさんだ。
(まさか参加するとは……。思うところがあったのだろうか)
彼の気持ちを理解できるほど、俺はドシュトさんと長く過ごしていたわけではない。むしろ邪険に扱われていた分、普通に接してもらうよりもより距離は遠いことになっているだろう。
だからこそはっきりと断言することができないのだ。彼がどうして参加することにしたのか、その理由が。
けれども、もし推測が許されるならば、自分の放ったあの言葉が彼に届いているのであれば俺にとっては嬉しい。今でもなお引きずってしまっているような自分と重ね合わせてしまったのだから、どうかと願ってしまう。
「ピィ」
「ああ、到着か」
思考を遮るようにロルが鳴く。なるほど、目的地である洞穴の入り口についたと知らせたいらしかった。
「さて、ここからは単純だ」
ニヤリと笑みを浮かべる。
「存分に暴れるぞ」
そう言って、銃を抜き放った。
最初に飛び出したのはロルだ。そもそもの戦闘が近接メインであるロルにとって、すぐさま距離を縮めることは大切である。
すらりとしながら筋肉のついた足が地面を踏むたびに腹の底を響かせるような音が鳴る。いつもの愛くるしい表情は消え、目を開いて突撃する様は暴走している魔獣のそれであった。喉奥から聞こえてくるうなり声は鳥のものとはかけ離れている。狼のような、それでいてドラゴンともとれるような、これから殺すのだと圧をかけてくるような声だ。
鉤爪が横一文字に振るわれる。それと同時に警備役であった魔獣のゴブリンは、恐怖に目を見開いたまま声を上げることすらできなかった。ごとりと重い何かが地面に落ちる音が鼓膜を震わせる。
その音が立て続けにロルの周りで鳴っていた。魔獣たちの悲鳴と怨嗟の雄たけびの中でさえ、その音はやけに生々しく聞こえてくる。
ロルに続くように俺とリアナが洞窟へと飛び込んだ。先行するロルばかりにやらせない。俺達だってやるのだ。
リアナは取り出した杖を無言で振るう。瞬時に現れたのは風や水、火に土の四種の球だ。それぞれ一つずつではない。入り口から誰も逃がさないとばかりに、洞穴の口をすっぽりと覆うほどの数が宙に浮いていた。
「やりなさいな」
魔法の名前を唱えるでもない、ただ杖の先端を魔獣に向けただけ。
色とりどりの球が洞窟の奥に向かって飛んでいく。ロルや俺に当たりそうな位置に発生した球が綺麗に俺達を避けているあたり、ただの直線状に発射された球ではないらしい。
何も知らなければ綺麗だろう。光を放つ球が宙を翔けていくさまはちょっとした催し物、例えばパレードで見たならきっと感激することだろう。
その球が魔獣に辺り、轟音と共にその魔獣の体を消し飛ばすなんて光景を見なければだが。
綺麗に光る球が、綺麗なまま魔獣を消していく。光が汚れることはない。ただ赤く染まっていく壁や地面を背景に球は変わらず飛んでいた。その光景はあまりにも歪で、だからこそ恐ろしい。
「こりゃすることないな」
思わず苦笑を漏らしながら、俺は最後尾でまだ残っている敵の処理をする。隠れてやり過ごした魔獣は恨みがましい目でこちらを睨んでいた。ロルのような魔獣とは違う、どこか絶対的な敵意を持っているかのような目だ。
……似たような目を、この世界ではない場所で俺は見たことがある。
(信じ込んだ目だ)
何かを、誰かを信じ込んで、その人と同じように相手へ敵意を向ける目。天ヶ城達ハーレム組を信じ込んだ学生の多くがしていた目を、目の前の魔獣たちはしていた。
少しだけ怖いとは思う。けれどそれだけだ。
「残念、ぐだぐだ考えるのは止めたんだよ」
言い聞かせるように、そして宣言するように呟く。自分自身の背中を押すようにニヤリと笑って見せた。
もう、あの時の俺ではない。
逃げる敵に銃口を向け、引き金を引く。やっていることは残党の掃討で、そんな戦闘でもないただの作業に魔法を使う必要はなかった。魔法を使って敵を撃破する役目は、リアナが十分に果たしてくれている。
彼女たちなら大丈夫だ。
前方から聞こえてくる爆音は頼もしい。洞窟を震わせる雄叫びを聞けば、何が出ても大丈夫だと思えた。
◇
秋人達とは山を挟んで反対に位置する場所、むき出しになった岩肌にぽっかりと穴が開いていた。一晩で仕上げたには十分の、人一人が通れるぐらいの穴である。中は暗く、ランタンにような明かりはない。月明りが照らしているのは入り口ぐらいであり、そこからは壁に手をついて進むほかなかった。
そんな細い道を、キッシュとドシュトの二人は進んでいた。
互いに喋ることはない。信頼しあっているからではなく、現在の状況がもたらす緊張感からであった。
敵の本拠地にいる以上、想定外のことが起こってもおかしくはないのだ。
ごつごつとした岩肌を片手でなぞるようにして進んでいく。まだ出口は見当たらないが、敵である魔獣の気配は感じない。つまりはギリザ達の陽動がうまくいっているということだろう。
(彼らには感謝せねば……。我々だけでは失敗しただろう)
キッシュ自身、本音を言えば悔しいのだ。自分やドシュトの力だけでは助けることができなかっただろう。ギリザ達の力を借りてようやく助け出せている。それが自分自身に力がないとさらけ出しているようで、顔をうつ向かせるほどには恥ずかしかった。
ギリッと奥歯が鳴る。けれどもすぐに力を緩めた。後ろを歩く仲間に聞かれたら、それもそれで恥ずかしい。
そうだ、仲間だとキッシュはちらりとドシュトを視界の端で捉えた。
行きたくないと言っていた彼の顔は青ざめている。護衛の任に就いた兵士らしく警戒はしているものの、平時よりも怯えた様子で周囲を警戒していた。それでも突入する前のことを思えば、こうしてついてきていること自体が不思議とも思えるだろう。
(そう、不思議なのだ)
どうして怯えて行かないような様子であったドシュトが、こうしてキッシュの後ろを歩いているのか。それがキッシュにはちょっとした不思議であった。
発破をかけたわけでもない。けれども彼は怯えながらも確かに剣を取り、そして声を震わせながらもついてくるといった。その背は猫のように曲がっていて以前の不遜な態度とは打って変わっていたけれど、やはり止めるということもなかったのだ。
何かが彼を突き動かした。けれどキッシュにはそれが分からない。
(騎士らしくはない様子であったが、それでもやはり彼にも多少なり騎士としての心構えがあったということか)
皮肉交じりの感想に半ば苦笑が漏れそうになるのを堪えつつ、キッシュは先に進んでいく。
気づけば出口と思しき光が、彼らの先に見え始めていた。
(人一人通れるほどの穴、どうしてばれないのだろうか)
ふと、出口手前でそんな疑問がキッシュの脳裏に過る。
人一人通ることができるほどの穴を魔獣側が見逃すとは思えなかったのだ。空気の流れ、その流れに乗って漂ってくるであろう匂い、人には分からなくとも魔獣であるならばそれらを発見できておかしくはなかった。
どれほど考えても疑問を解消することはできない。
けれどもその疑問は、穴を出た瞬間に解決する。正確には、後ろからやってくるドシュトがちゃんとついてきているか確認しようと振り返った時だった。
「なるほど、確かにこれは気づかないな」
感嘆の言葉がキッシュの口から漏れる。
振り返った先はただの岩壁だ。先程自分が通ってきた穴などそこにはなく、ごつごつとした冷たい壁しか見当たらない。穴を通ってくる冷たい風も目の前の壁からは感じられなかった。
出たのは魔獣の気配のない、薄暗い細い横穴だ。けれどもこことて敵の陣地だ。ばれてはいけないと念のためにキッシュは手で壁を探り、先程入ってきた穴へと戻る。
(彼が開けたのだろう。本当に何から何まで世話になってしまっている)
道中で出会ったギリザ達は親切であった。連れであるドシュトが失礼なことをしたにも関わらず、それでも何も言わなかった。そばにいたリアナという女性と魔獣も同じく、不快な思いをさせただろうにここまで何もなかったのである。
頭が上がらなくなるとはまさにこのことだった。
そうしてアザートの救出まで手伝ってもらっているとなると、何かしらのお礼をしなければ釣り合わない。このまま旅を続けるのであれば、道中で必要になるであろう食糧や宿代数十日分になる金銭でも感謝の気持ちとして渡そうかとキッシュは考える。定番でありもう少しひねればと思わないでもないが、旅ならばその二点は特に重要だろう。
「キッシュ殿」
傍から小声でドシュトの声がキッシュの耳を打った。考えている間に到着していたようだった。
そっとキッシュは背後のドシュトを振り返れば、彼の顔には緊張が浮かんでいる。それもそうだと思うと同時に、ここからは危険度が増すうえに失敗は許されない。
「ドシュト殿、やめるならまだ間に合うぞ」
「……いや」
このまま引き下がれば森へと戻ることができる。魔獣の群れの真っただ中に突っ込むこともないのだ。当初、恐怖に震えて嫌がっていたドシュトへの情けであった。
けれどもそれをドシュトは長い間を経て拒む。
本当にその答えでいいのか。尋ねようとキッシュは一度口を開く。けれどもその言葉は口をついて出ることはなかった。そっと閉じ、「分かった、行くぞ」と二人で穴をそっと出ていく。目指すはアザートが捕らわれている場所だ。
息を殺して進んでいく。キッシュの後ろで、ドシュトは真っ青な表情になりながらも確かに自分の足で進んでいた。
◇
策が上手くいったおかげか、二人が道中に魔獣と遭遇することはなかった。陽動作戦が想定通りに進んでいることに安堵し、けれども何が起こってもおかしくはないと気を引き締める。
キッシュもドシュトも息を殺し、忍び足で洞窟の中を歩いていた。角に差し掛かれば先頭を行くキッシュが進行方向を確認し、敵がいなければ進んでいく。その足取りに若干の迷いはあるものの内部で迷っていないのは、事前にギリザから調べたといってもらった簡易的な地図があるからだ。それがなければ迷っている。
自分の鼓動の音さえうるさく感じてしまいそうなほどの静けさだが、それでも音がないわけではない。遠くから岩壁を反響して戦闘音と魔獣の怒号が二人に届いていた。きっとその音が大きい方へと向かっていけば、今頃入口から派手に侵入しているギリザ達と合流することができるだろう。
ちらりとそんなことを考えるも、キッシュはすぐさま思考を目の前に戻す。視線をわずかに落として確認した地図を見れば、そろそろ目的地に到着してもおかしくはないのだ。
「キッシュ殿」
そっと背後からドシュトの囁きが投げかけられる。その言葉にキッシュはドシュトの方を向くことなく小さく頷いた。
「ああ、間違いない。あそこだ」
二人がまっすぐと見据えた先には木戸があった。魔獣が設置していたというよりは、以前人間がここを拠点か何かで使っていたのだろう、仕切りとしてかろうじて役割を果たしている程度のものだ。あと数年もすればただの板になっていただろう。
ギリザから貰った地図通りであるならば、扉の先には魔獣によって捕らわれた人々がいるはずである。
二人は一度周囲の気配を探った。ここで魔獣と鉢合わせ、なんてことが起こったら洒落にならない。通路の壁に背を付け、息を殺して左右を確認する。遠くの喧騒だけで、周囲に気配はなかった。陽動がうまくいっているようである。
いないと分かった後の行動は早い。足音を殺しつつ木戸に近づけば、キッシュは扉向こうからの音が拾えないかどうか聞き耳をたてた。一方のドシュトは背後を警戒している。
そこまで言葉が交わされることはない。兵として培った経験はもはや体に染みついていた。
「行くぞ」
ようやく小さな声でキッシュが呟いた。扉向こうに魔獣の気配も、音もない。
扉を静かに開け、二人は中に体を滑り込ませた。入口のすぐ真上には巨大な穴が開いており、頭上から雲一つない夜空を眺めることができる。先ほどまで通ってきた通路などとは違って粗雑に開けられた縦穴は、横にさらに穴が伸びている様子ではないもののそこそこ大きかった。
(空気穴にしては大きい。何かを出し入れしていたのだろうが、それにしては削り方が粗い)
眉間に皺を刻んだまま、キッシュは違和感を覚える。けれど時間は有限だ。すぐさま彼は視線を下におろした。長居できるような場所ではない。
奥に広いその空間は、錆びた鉄格子で区切られた牢が両脇にいくつか並んでいる造りだ。入口近く、二人の足元に広がるのは鉄臭い何かの染みだ。逃げ出そうとしたのか、それとも戯れなのか。どちらにせよその染みが決して魔獣ではないのは、近くに転がる人だったモノが雄弁に物語っている。中にはかなりの人間が暗い顔でそこにいた。どの顔にも生気などない。鼻をつく臭いは、牢の中にいるのが明らかに生きている人だけではないということを知らせてくる。
そんな人々は視線を入ってきた二人へと向けていた。立ち上がる気力もないのだろう、顔をわずかに向けることで二人を視界に収めている。生気のない彼らの表情に浮かんでいたのは希望もあったが大半は困惑だ。なぜいるのか、声には出さないまでもどの目もそんな疑問を二人に投げかけていた。
一斉に注がれる視線の持ち主たちに、二人は落ち着いた声音で答える。
「静かに。助けに来た」
仕事柄、似た事態に直面したことがある。そんな時、助けに来た人間が動揺してはいけない。助ける側も失敗しやすい、そして助けられる側にもいらぬ不安を生んでしまう。
キッシュが牢の一つに近づけば、ふと何かに気づいたようにぴくりと眉を動かした。
「鍵がかかっていないのか」
誰も出ていないことから、一見して牢に鍵がかかっているものだと思っていた。けれど扉部分を引けば簡単に開いてしまう。
「ま、魔獣だからか」
キッシュの様子を見ていたドシュトがポツリとこぼす。
「分からん。どちらにせよ、早くせねばならぬ。ドシュト殿は右手側を、私は左手側を」
「わ、わかった」
どこか尻込みしているような様子ながらも、ドシュトは言われた通りに右手側にいる人々を逃がそうと動き始めた。動揺を見せるなど、と思わないでもない。それでもこうしてついてきているのは、やはり彼も自分と同じく騎士だからだろう。そう思い直すことにしてキッシュも人々を逃がそうと動き始めた。
牢の数はそこまでではない。一人でくれば大変だったかもしれないが、そこはこの手のことに慣れている二人。片方は若干動揺があったものの、人々の説得から牢から出すまでさほど時間はかからなかった。騎士であると伝えれば安心するのだ。
「おお、アザート殿!」
最奥の牢から人々を開放していると、小声ながらもドシュトの声がキッシュの耳に届く。声のした方を見やれば、真向いの牢から見知った姿が出てくるのが見えた。
「た、助けてくださってありがとうございます」
驚いたような表情でドシュトを見ながらも、アザートが感謝の言葉を述べる。
その言葉に気をよくしたのだろう、肩の力が若干抜けたような様子を見せながらもドシュトは首を横に振った。
「いえいえ、護衛として当然のことをしたまでのこと」
「正直、助けに来てくださるとは」
ドシュトの言葉にアザートは声を低くしながらも呟く。事態が事態なだけに、助けに来るとしてももっと先だと考えていた。国に戻り、事情を話すことを踏まえて、そうして助けが来るなりもしくは来なかったりするだろう。アザートは攫われた後そう考えていたのだ。
言葉に出さないならば、ドシュトも驚いた原因の一つであった。アザートと同行していたギリザに対しての態度など道中のことを考えると、尻込みして早々に逃げているのではと考えていたのだ。
「そ、そのようなこと。さあ、少し脇へ。他の方も助けねば」
どもりながらもドシュトはアザートの言葉を否定する。そうしてまだ牢に残っている人を外に出し始めた。
その様子を傍目に、アザートはなるほどと胸中で納得する。
先程の言葉の力の弱さ。アザート自身の予想が少なからず当たっていたのだろうと思えば、残念な気持ちが沸いてくる。
(では一体なぜ彼が来たのか)
来る理由があったのか。キッシュが無理やり連れてきたのか。いや、無理やりだとしても自分の知っている彼ならば関係なく逃げているのでは。
考えていれば、アザートはぽんぽんと肩を叩かれた。思わずびくっと体に力が入って後ろを振り向けば、同じく驚いた表情を浮かべるドシュトの姿があった。
すぐさまドシュトは笑みを浮かべると、そっと入口の方を指さす。
「アザート様、最後で申し訳ありません。他の方も牢から出しましたので、このまま外にお連れします」
その言葉に入口の方を見れば、不安そうにあちらこちらを見る人々がいた。傍にはキッシュがおり、周囲を警戒している。 牢から出た解放感から走り出していないのは、牢からでも聞こえる戦闘音が原因だろう。
ドシュトに連れられて入口に向かいながら、アザートは彼に聞いた。
「正面から出るのですか?
「いえ、我々が秘密裏に通ってきた抜け穴があります。そちらから」
「そのような抜け穴がどこに……」
「……ギリザ殿です」
アザートの疑問に、ドシュトは眉間に皺を寄せながら答えた。その表情の通り、複雑な心境なのだろうことが見て取れた。
一方のアザートは少しばかり目を見開いている。彼はこの救出にまで手を貸してくれたのかと、その人となりに場所がここでなければ賞賛の言葉が笑みと共に口からついて出ただろう。声を立てるわけにもいかないのが惜しい。
アザート達が入口にたどり着いたのを確認して、キッシュが人々へと小さいながらも通る声で話し始めた。
「それではこれより抜け道へと案内します。音には注意を。ただいま陽動で入口へと魔獣の注意が向けられていますが、気を抜かぬよう素早く移動していただきたく思います」
それではこちらに、そう締めくくってキッシュを先頭に人々が移動を始めた。最後尾はアザートである。
一列になって足早に人々が牢のある部屋を出ていく。キッシュは抜け穴に入るための曲がり角へと立ち、ドシュトは牢の入り口で静かに案内していた。
とうとうアザートが部屋を出る。部屋を出れば何か思いものが消えたような、そんな感覚を覚えた。やはり他の人々と同様、絶望していたのだろう。
足早に部屋を立ち去って前の人が行く方へとアザートは向かう。彼の数歩後ろから、ドシュトがついてくる。
ドラゴンに連れ去られ、あの頭上に穴から放り込まれた。わずかな時間とはいえ絶望を感じなかったではない。その部屋から抜けだせたことへの安堵を、アザートは静かに吐き出した息ながらも感じていたのだ。
◇
おかしい。違和感を覚える。
(足りない)
目の前ではロルとリアナが魔法や時にはその体術をもって魔獣を翻弄していた。少しでも逃げようとすれば後ろに回って処理をする。まるでいたぶっている俺たちの方が悪役のような気分だ。
いや、今はそれはいい。
目の前の光景を再度観察する。ロルとリアナの様子ではなく、魔獣の方へと意識を向けて見逃しがないように端から端まで観察する。
(やっぱり、いねえ!)
ぶわりと嫌な汗が噴き出たのを感じたと共に、すぐさまレーダーを使う。
入口以外に魔獣がいる様子はない。そう、いないはずなのだ。けれどもそれではおかしい。
見落としてるんじゃないのかよ、集中しろ、集中!
「あ……」
刹那、レーダーに変化が現れた。
「どうかされましたか?」
「ピ?」
思わず漏らしてしまった声を聞きつけたリアナとロルが作業の手を止めることなくこちらへと視線を向けた。
だが申し訳ないが、説明する暇がないのだ。
「ここは頼むぞ!」
不思議そうな表情を浮かべる二人を置き去りにして一足飛びで魔獣の群れを超える。そのまま洞窟の奥へと駆けた。本当にすまない、説明した方がいいのは分かっているんだけども!
けれども確かに届いたのは、涼やかな声だ。
「いってらっしゃいませ」
確かに聞こえたリアナの声。説明を求める言葉ではなく、信頼しているのだとはっきりわかるただ送り出す言葉。それに応える言葉はこの世界に来る前によく使っていた「すみません」や「ごめん」ではない。
「ああ、いってくる!」
◇
事態が急転したのは、抜け穴にまだ入っていない人が四分の一ほどまでに減ったころだった。
「む?」
最初に気づいたのはドシュトだった。
「これは……!」
次に気づいたのは焦りと失態に気づいたアザートだった。
「皆さん、駆けて!」
そうして次の瞬間には、焦った表情でそうキッシュが人々に声をかけた。
解放された人々は何が分からず、思わず足を止めた。緊迫した表情でいる助けてくれた騎士という状況は分かっても、いったい何が差し迫っているのかが分からなかった。分からないからこそ、呆然と状況を見ようとする。
けれども次の瞬間には、足を止めたことを誰もが後悔した。
『ギイィィィィィヤァァアアアアアアアアアアア!!』
何かが羽ばたく音だと分かった瞬間、耳をつんざく鳴き声が洞窟内に響き渡る。その声を聞いた人々は、金縛りにあったように体を硬直させた。
誰もが静かに鳴き声のした方を見やる。
音の出所は牢が並んでいた部屋だ。開け放たれた扉から見ると、頭上から小石からこぶしより少し大きい位の岩が落ちてきている。それらが落ちると同時に腹の底に響くような音が洞窟を震わせた。
最初に上から姿を現したのは鉤爪だ。鱗に覆われたその腕は鋭い爪とともに蝙蝠のような翼を持っている。その翼がお飾りではないのは一目瞭然だ。
その腕がもう一本、上から伸びて地面を勢いよく殴る。その生き物にとってただ手をついただけなのかもしれないが、それを生身の人間が受ければ無事ではいられないのだと、ついた地面が少しばかり抉られているところからも分かった。
最後に上から出たのは頭だ。トカゲのような頭。けれどそんなかわいらしいものではない。鋭く並ぶ歯、強靭な顎、爛々と輝く瞳。厳ついその顔を出したかと思えば、何かを嗅ぎ取るようなしぐさを見せる。
そうしてゆっくりとそいつ――ドラゴンはキッシュたちの方を見たのだ。
「逃げろおおおおお!」
誰が叫んだのか。キッシュやドシュト、アザートではないことは確かだ。まだ抜け道に入り切れていなかった人々が一気に恐慌状態に陥る。他人を押しのけ、自分だけでも助かりたいと抜け道の入り口に殺到していた。
牢のある部屋から抜け道までの距離は決して目と鼻の先ではない。けれどもドラゴンからすれば一息に駆けて襲うこともができる距離ではあった。
「アザート様、早く!」
恐慌の中、硬直していたアザートの手を誰かが強引に引っ張る。一体誰だと半ば呆けた頭で見てみれば、引っ張っていたのはドシュトであった。
彼が引っ張っていた先にはキッシュがいた。
「落ち着け! 順にだ! そう、順に!」
先程起きた混乱を収めながら、最初よりも素早く人々は怯えながらも抜け道に入っていく。『騎士』に従っていれば助かるのではないか。現れたドラゴンに絶望した彼らにとって、もうそれだけしか頼るものがない。
後ろでは怒り狂ったドラゴンの鳴き声と共に壁を殴りつける音が響く。緊迫した状況の中、気づけばアザートの順番はすぐに来ていた。
「キッシュ殿、アザート殿を」
アザートを押し付けるようにドシュトが言えば、キッシュは困惑しながらもアザートを抜け道へと押し込む。
「キッシュ殿も行け」
「ドシュト殿は」
「……殿が必要だろう。貴方は抜け出した人の護衛を」
抜け道から出たからと言って安全が確保されるわけではない。かといって二人とも行ったところで後ろのドラゴンが見逃してくれるとも思えなかった。所詮人とドラゴン、追いかけられたら追いつかれるのは当然のことである。
それならば誰かが足止めをするしかない。
本当にいいのかと、キッシュは口を開きかけた。けれども言い合う暇はないのならばと、
「分かった」
それだけ答えて同じように抜け道へと飛び込んでいく。
「はは、まさかこうなるとは」
苦笑を浮かべながらそう言っている間に、ひと際大きい轟音が響く。見ればドラゴンが戸どころか壁さえぶち破っていた。
ドシュトが剣を構えれば、涎を垂らしながらドラゴンが彼へと視線を注ぐ。
(以前ならば逃げていただろうに)
自分の行動に驚いてしまう。ドラゴンが出たなら尻込みし、他の人間が討伐するまで陣営に戻って待つ。勝てばさすが騎士だと己が成し遂げたように勝鬨を仲間とともに上げ、これほどの強敵を打ち破ったのだと市井の人間に自慢話として語る。
常ならば、そうであったのだ。
(騎士ではない、か)
ここに来る前に言われた言葉を聞いた瞬間、衝撃を受けたようだ。同時に納得もした。確かにこのままでは、ドシュト自身は『騎士』ではない。
「我は王国の騎士なれば! お前のような魔獣の相手など容易! ただ羽のついたトカゲ風情が粋がるとは笑えよう!」
これでもかと煽りの言葉を並べて、最後に嘲笑で締め括る。よほど気に障ったのだろう、カッと目を見開き、歯茎を見せるほどにドラゴンは唸り声を上げていた。興奮からか、畳んでいた翼がわずかに開いたり閉じたりしている。
その姿を見て冷や汗をかきながらも、ドシュトは決して逃げない。
「ここで逃げては騎士ではない。言葉通り、退くものか」
柄を握り直し、叱咤するようにドシュトは囁いた。
◇
強力な魔獣に一人で挑むという事態は、騎士であるならば決して珍しいことではない。そうでなければどうやって人を守るというのか。
けれどドシュトは今までそういったことをこれでもかと避けてきた。死にたくないし、あとで甘い蜜は十分吸える。ならば無理する必要などなかった。
そのツケがこうして回ってきたのはもはや皮肉でしかなかったが。
「くっ」
洞窟内であるということをドラゴンは考慮せずにその鋭い鉤爪を振り回す。時にはその強靭な顎で食い契ろうと迫ってきた。
それらをドシュトは紙一重のところで避けていく。攻撃しようにも攻撃できない。そもそもこれは人々が逃げるまでの時間を稼ぐのが主目的ではあった。
けれども時間は過ぎていく。どれだけ経ったのか、もはやドシュトには分からない。ただ目の前の攻撃を避けつつ、相手を挑発するぐらいしかできない。ここから行かせるわけにはいかなかった。
「グガアアアアッ」
考えている間にもドラゴンは雄叫びを上げて迫ってくる。上段から鉤爪を振り下ろせば、ドシュトは横に避けた。けれどそこで攻撃は止まらない。流れるように首を伸ばして噛み千切ろうとするのを、どうにか剣で流しながら腹の下をくぐって避ける。
そのままドラゴンが下敷きにしようと体を腹から地面にぶつけようとする前に、ドシュトは大慌てで後ろへと潜り抜けた。ジャンプなしでも轟音が響く。少しでも遅れていれば、今頃牢のあった部屋の入り口と同じく、この廊下にシミを広げていただろう。
追撃とばかりに尻尾が振り降ろされる。他の種より短いながらもだからこそ太い尻尾を、どうにかドシュトは再び回避した。再び腹に響く音が鳴る。
「どうした、のろま! やはりただのトカゲか!」
そう挑発した時だった。
「ギィガアアアアアア」
逆鱗に触れた。叫び声を聞いた瞬間、ドシュトは死を悟った。のろまか、それともトカゲと言い過ぎたのか。どちらにせよ、もう死を覚悟するしかなかった。
ここで死んでしまってはどうなるのか。おそらく逃げ出した人々を追うだろう。ここから近い大都市までかなりある。そこまでの時間を稼げているとは思えない。目の前のドラゴンならば、人々が大都市にたどり着ける前に追いついてしまう。
「……っ! はっ、トカゲという言葉がよほど効いたと見える!」
止めることなく続けた罵倒に、ドラゴンの行動はさらに荒々しいものへと変わった。もはやそこにドシュトがいるかどうかなんて関係がないのだ。
腹が立って、腹が立って腹が立って腹が立って腹が立って腹が立って腹が立って腹が立って――殺したいほど腹が立って仕方がない。
血走った目でドシュトを睨み、もはや洞窟がどうなろうと知ったこっちゃないとばかりに腕を振り回す。涎を飛び散らせながら食いちぎろうとして、避けられて岩を噛んでしまう。とうとうドラゴンの口内から血が涎とともに滴り落ちたとしてもそんなことは関係ない。痛みでうめくことなく、ドラゴンは攻撃を止めない。
幾度かギリギリのところで避け、今回も尾の振り上げを避けたはずだった。
ブラフだ。叩きつけられた尾を避けた先に待っていたのは、無理な体勢になりながらも体を捻ってドシュトを捕えようとする血塗れの顎だった。
「はっ」
食いちぎられる瞬間はこうもゆっくりなのか。これが死の間際なのかと、ドシュトはぼんやりと思う。目の前に迫る顎はゆっくりで、けれど体が反応できていない。
もう死ぬのだ。
「騎士で、いられただろうか……」
もしそうであったなら良い。それならば本望。
そんな呟き、本来誰もが拾っただろうか。
「ああ、そうだよ」
けれどもその呟きを拾ったものがいる。同時に素早く開かれた顎が蹴りぬかれ、ガチンと勢いよくドシュトの目の前で顎が閉じられた。
閉じた瞬間舌を噛んでしまったのか呻くドラゴンを、ドシュトは人影越しに見る。そしてゆっくりと、視線を上へと上げていった。
「前言撤回だ、あんたは確かに『騎士』だ」
そう言ってニヤリと笑って見せたギリザに、ドシュトは呆けた表情を見せるしかなかった。
「ほら、立って」
そう言われてドシュトは言われるがままに立ち上がる。
「まだ終わっちゃいないだろう、騎士様。入口は大丈夫、他の魔獣が潜んでいる気配も……ないな。目の前のドラゴンをどうにかすれば、ひとまず今は大丈夫だ」
「あ、あぁ」
「隙を俺が作る。とどめは頼むぜ」
「――分かった」
ギリザの言葉にドシュトは確かに頷いて見せた。先ほどの戸惑いは薄れ、今はしっかりとドラゴンを見据えている。
どんな心境の変化があったのか、それはギリザ――秋人にも分からない。
ただ、今のドシュトの姿をして「騎士ではない」という言葉は不適切だった。
「行くぞ!」
その掛け声と共にギリザは駆ける。先程まで暴れていた様子から、これ以上洞窟内で暴れさせるわけにはいかない。まだ保っているが崩落してしまう。
ドラゴンも先程の痛みが薄れたのだろう、さすがにその口で攻撃してくることはなかったが、鉤爪を振り上げ、ギリザに狙いを定めて振り下ろそうとした。
けれど遅いのだ。そしてそれならば尾で攻撃すればよかったのだ。
わざわざギリザ達に顔を見せたまま攻撃をしてくるから――ギリザ達にとって都合の良い状況が生まれてしまった。
「しっ」
地面を蹴ったかと思えば、ギリザの姿は一瞬消え、次には振り上げられた鉤爪のすぐ横にいた。一瞬のことで反応が遅れたドラゴンなど気にせず、ギリザはその鉤爪を蹴った。狙いは壁ではなく、ドラゴンの首だ。
反応できないまま、強く蹴られたらどうなるか。ドラゴンの鉤爪は持ち主の意思に反して、ギリザの狙い通りの軌跡を描く。地面に叩きつけるわけにもいかないと蹴られた鉤爪は、とうとう持ち主の首を抉ってしまった。
「グウガアアアアアアアッ」
あれほど暴れくるっていたドラゴンも、さすがに悲鳴を上げる。この痛みの原因から少しでも逃げたい、その一心で鉤爪を抜こうとすれば、
「させるか」
短い言葉とともにギリザがさらに首へと鉤爪を深く打ち込んだ。
のけ反るドラゴンの首、あれほど他者の血でまみれたであろう白い喉は、今ではドラゴン自身の血に塗れている。
そして何より、のけ反って喉を露わにしてしまったのは失策であった。
「とどめ、だ!」
あれほど避けていたドラゴン自身より弱い男に、その剣で喉を貫かれてしまったのだから。
びくりとドラゴンが体を震わせる。ゆっくりとその体が地面に倒れ伏す。もう動く気配も、そもそも生きている気配もない。
「おつかれさん、ってのはちと砕けすぎか。お疲れさまです、騎士ドシュト」
「ああ、ありがとう、ギリザ殿」
二人の男の安堵の声が、静かになった洞窟に響いた。




