第64話~巻き添え、そして出会い~
カリオ魔国は色の異なる木々や先程までいた魔泉然り、何とも禍々しい領土ではある。パンフレットに載っている観光地もほとんどがそんなものだ。そういった光景がいくつも当たり前のようにパンフレットとして載っていることに驚いたのは記憶に新しい。
けれどもカリオのどこもかしこもが禍々しい光景というわけではない。
魔国に入ってからアギナの街に到着するまで、風景はいたって普通であった。魔国に入ればすぐさまそれらしい光景になると思っていた俺は、まだ国境を越えていなかったのかと一瞬錯覚したことを覚えている。まぁ、実際は超えていたのだと、今更ながらに実感しているのだが。
「一気に変わったな」
あたりを見回しながらそう呟く。
紫の葉を茂らせる木々。青々とした表現なんて目ではないほどの、真っ青な葉の茂み。そして先程よりも断然多くなる魔族の姿。魔泉から歩き始めて早数日ではあるものの、突然の変化に少なからず戸惑っていた。
「ピヒィ?」
呆気にとられた声音を漏らし、物珍しそうに周囲を見回す俺にロルが不思議そうな鳴き声を上げた。ロル自体に戸惑っている様子はない。どうにもこの風景に違和感を覚えていないようだった。今まで一緒にいたとはいえロルは魔獣。やはり人間と魔獣では感覚が違うのだろうか。
「驚いたりは……しないんだな」
苦笑交じりに先程の感想が漏れる。けれどもロルはその言葉の意味がうまく理解できていないかのように首を傾げた。
まぁ、それでも構わないか。そう考えていると並んで歩くリアナが口を開いた。
「ロルのような魔獣はもちろんなのですが、魔族も違和感は覚えませんね」
「ダークエルフって……そうか、大きく分けたら魔族なのか」
「えぇ、ダークエルフやエルフはもちろんのこと、人族と獣人以外は基本魔族ですね。細かく分けたら、となると他の種族の何倍もありますが」
リアナの言葉になるほど、そうだろうと納得する。魔泉で見かけたような鬼はもちろんのこと、話ではスライムやコボルトのような種類もいるらしいのだ。それを考えただけでかなりの数になることは想像できる。
おっと、話がずれていた。
「この色に驚かないのは魔族もなのか」
ここはカリオ魔国内であるし、ほとんどを魔族が占めているなら当然かと付け加えながら再び周囲を見回す。うん、どう見たって驚くべき光景だ。紫色の葉なんて、こうして歩いている間も慣れない。
「確かに生まれながらの環境もあるのでしょうね」
付け足した言葉にリアナは一つ頷きながら言う。一旦言葉を切るようにした彼女は、こちらに視線を向けて再び口を開いた。
「けれど私は生まれがここではありません。ですから魔族という種族自体がこういう色を好む種族なのかもしれませんよ」
「なるほどなぁ、元からというやつか」
リアナの言葉に頷きながら進む。
そうこうしているうちに気付けばもう夕暮れも近くなっていた。空を見上げればさすがにここだけおかしい色、ということはなく陽が傾いて少しばかり橙色に近づき始めた空が眼前に広がる。
そろそろ野営地を探さなければならない。出来ることなら水の近くで少しばかりでもいいから開けた場所がいい。川や湖が近くにあるのであれば良いのだが、そう簡単に見つかるものではないだろう。
「そろそろ夕暮れも近い。野営地を探し始めるか」
視線を空からリアナへと向けつつ言う。そうすると彼女も先程の俺と同じく空へと視線を投げた。
「そうですね。暗くなり始めてからでは遅いでしょうし」
そう言う彼女の横で地図を広げる。さすがに街道のすぐ傍で野営というのは聞いたことがない。かといってここら辺が開かれていますよ、なんて書かれてはいない。けれども大ざっぱながらにも場所が分かるのだ。
「ここら辺、かな。川も近いし」
「どこですか?」
俺の言葉に反応したリアナが地図を隣から覗き込んでくる。そんな彼女に分かるように、おおよそここが良いのではという場所を指し示した。
全体が森として表記されているためここが開けた場所なのかまでは分からない。けれども街道に比較的近くて川からもそこまで離れていない。そんな場所だった。
指し示した場所を見ていたリアナはふむふむと相槌を打つと再び口を開いた。
「ではロルに少しここら辺の探索を頼んでみましょうか」
「それもそうだな」
そんな話をしていれば、名前を聞きつけたのであろうロルがいそいそとこちらに歩み寄ってきた。
目の前に来たかと思えば胸を張り、自信に満ち溢れた瞳でこちらを見る。頼りにしてほしいのが手に取るように分かってしまうほどだ。その様子が少し微笑ましく、思わず笑みをこぼしてしまう。
「ピ?」
「いや、何でもない。気にするな」
どうして笑ったのかと不思議そうなロルにそう言う。あまり納得がいっていないのか不思議そうな顔で首を依然として傾げているが、まぁ、それは置いておこう。
誤魔化すようにロルの目の前に地図を広げれば、先程リアナにしたように目星をつけた場所を指さした。
「ロル、ここら辺は川が近いのは分かるな? ここら辺で開けた場所を探してきてほしいんだが」
「ピ? ピニョッピ」
しばらく俺の指先あたりを見ていたロルだったが、理解したように頷く。そして少しばかり距離をとると、大きな翼を広げて指し示した方へと飛んで行った。
「とりあえず近くまで行こうか」
「はい」
そんな短いやり取りをすれば二人で少しばかり街道からはずれ、茂みへと近寄る。そこまで遠い距離ではない。けれどもロルが現地を見る時間がそこまで必要なかったのか、通りの邪魔にならないよう移動したところで戻ってくるロルの姿が見えた。
「ピッピニョ!」
戻ってきたと知らせるようにロルが鳴く。二度、三度、大きく翼を羽ばたかせると、減速しながらすぐ傍へと降り立った。
「開けた場所、あったか?」
「ピッピピッニョ!」
問えばロルは勢いよく首を縦に振りつつ、何とも元気な鳴き声を返してきた。元気だなぁ。元気なのは良いことなのだが、そんなに激しく頭を振って大丈夫だろうか……?
挙句の果てには翼も上下させ始めたロルに少し戸惑いを覚える。楽しいのか?こちらとしては見ていて怖いのだが。
なんと声をかければよいのか考えていれば、見かねたリアナが口を開いた。
「そ、それでは向かいましょうか」
「そ、そうだな。ロル、行くぞ」
「ンピ? ピッピ」
渡りに船とばかりにロルを急かせば、ピタリと動作を止めたロルが了承の鳴き声を上げる。道案内でもしようと考えたのだろう、先導するように先を歩き始める。空を飛ばないのは見失うのを防ぐためだろうか。
いや、それにしても突然動きを止められるとそれはそれでビクリとする。驚きで思わず肩が跳ねたじゃないか。
「な、何だったんでしょうね?」
「さぁ……?」
問いに明確な答えを返すことができず、何とも曖昧な返事で誤魔化す。
度々変なことをロルは気に入ることがあった。これもその一種なのだろうか。いや、たとえどうであろうとしても目の前でやられると思わず驚くようなことであるのは確かだ。もしかして何か病気とかあるのだろうか。
「病気、ではないのか」
そっとステータスを確認して病気であるかどうかを確認する。けれどそれらしいことは書かれていなかった。
「ピッピピッ!」
前方から早く来いとばかりにロルが鳴き声を上げる。催促するようなその声音に大丈夫だろうかなんてぐるぐると渦巻いていた思考が途切れた。
「行くかぁ……」
そんな気の抜けたような言葉と共にロルの後を追う。ついてくる俺達を確認したロルは、右に左にとリズミカルに体を揺らしつつ再び先導を始めた。先程の余韻、なのだろうか。
大丈夫だろうか、また先程のような行為をし始めないだろうか。そんな何とも変な心配をしながらも、目の前でリズミカルに体を揺らすロルの後をついていくのだった。
街道からそれ、森の中の小道をロルに連れられて進む。
ちらりと片手に持った地図を確認してみれば、今進んでいる小道は地図に載っていない。けれど地図に書かれた森の近くに小さな点と共に村の位置が記されていた。おそらくこの小道は方向からして、村の人間が使用している道なのだろう。獣道というには雑多なそれではないし。
ぼんやりと今歩いている道のことを考えていれば、目の前で立ち止まる気配がした。
「ピッピピッ!」
立ち止まってこちらを振り向きながらロルは鳴き声を上げる。その声につられるようにして前を向けば、ロルが立ち止まった場所が目に入った。
小道の脇にある少しばかり開けた場所である。川が近いのだろう、集中して耳を傾ければかすかにせせらぎの音を捉えることができた。
そして何より、俺達と同じことを考えた人がいたのだろう。開けた場所にはたき火の跡がある。そしてさながら椅子のように丸太が二本、たき火を挟んで転がっていた。
「この道、結構使う方もいるんですかね?」
「そうかもな。けどまぁ、使う人が多いってことはそれなりに安全ではあるってことだろうし」
いいんじゃないか、と続けながらたき火へと近づいてしゃがみ込む。う~ん、使えそうな枝でも燃え残っていればと少しばかり期待したが、どうにもこの分では燃え残りは見当たらない。
まぁ、ここは森だしたき火に最適な枝も探せばすぐに見つかるだろう。そうなればさっそく取り掛かった方がいい。
「使えそうな枝は燃え残っていないし、とりあえず近くで枝を探してくる」
「秋人様、私も行きます」
「二人でやったら早いか。それじゃあ頼む」
そう言えば、リアナは「はいっ!」と笑顔と共に元気よく返事をして早速枝探しを始める。
さて俺も……っと、その前にだ。
「ロルはここで留守番な。荷物とか色々見張りを頼む」
自分は一体何をすればよいのだろうか。見ているだけでそう考えているのが分かるように右往左往するロルへと向けて言う。
その言葉に気付いたのだろう。ロルが勢いよくこちらへと体を向ければ、左右を確認するように首を巡らせた。荷物も言うほどあるわけではない。けれどそれでも場所の確保に見張りが必要なのだ。
……どことなく、そうどことなくだが、花見の場所取りのようだと思わなくもなかったが。
「ピッ!」
状況を見て納得したように、ロルは言葉短く答える。そして丸太の上に陣取ったかと思えば、ここは任せろと言わんばかりのどや顔をこちらへと向けてきた。
そんな姿に苦笑を浮かべながらも、リアナに続いて枝を探し始めた。
□ □
パチパチと目の前で枝の焼ける音が聞こえる。ぼんやりと丸太に座ってその音に耳を傾けつつ、時折、燃え残った枝を足でつついてたき火へと蹴って放り込む。
ちらりと視線をたき火から逸らせば、今度はテントが視界に入った。
ここが凄い、なんていうこともない典型的な携行用のテントだ。こちらの世界ではこれぐらいのサイズでも、アイテムボックス一つあれば持ち歩きができるので、そこらへんはすごいのだろう。
あぁ、それは関係ないことだと首を打ち振る。そしてふと、中で今休んでいる二人のことを考える。いや、正確に言えば一匹と一人だ。
リアナは既に先程火の番を終えている。次の番が来るまで、きっとそれまでの休憩と今頃寝ているに違いない。ロルもぐっすり寝ているのだろう。なにせリアナの寝息は聞こえないものの、先程からすぴーすぴーとロルの寝息がテントの外にまで聞こえてくる。
なんだ少しおかしくなって、口の端が緩む。これほど寝ているのであれば番が来て起こそうとしても果たして起きてくれるだろうか。もしかしたら多少なりとも抵抗されそうではある。
その様子が簡単に想像できてしまえば、笑いも堪えることができない。緩んだ口の端を誰から隠すでもなく片手で抑える。
その瞬間だった。
「……ん?」
感じた気配にすっと手を≪駿影≫へと伸ばす。音も無く立ち上がれば、視線をまっすぐと一点に、気配のあった方へと向けた。
確かに気配を感じた。人の気配ではない、魔獣の気配だ。数は……三体。スライムやゴブリンといった下級の魔獣ではないだろう。少なくともそれ以上だ。『第一闘技場』の魔獣、とは違うだろうが。
ただ距離は遠い。そもそもこちらに向く殺気を感じなければ、近寄る気配さえも感じない。もしかしたらただ近くを通りすがっただけなのではないだろうか。
「秋人様!」
そんなことを考えていれば、視界の外からこちらへと言葉が投げかけられる。
気配に注意を向けつつも声のした方へと顔を向ければ、片手に長杖を持つリアナが急いでテントから出てきていた。
ロルも慌てて出てきている様子だったが、慌てたせいで入口で躓いてしまっていた。
「あぁ……ロル、大丈夫か?」
「ピヒィ……」
あまり触れてほしくなさそうにロルが鳴く。悲壮感が込められたその鳴き声を聞けば、声をかけることもはばかられて「おう……」としか呟けなかった。
「ゴブリン、ではないみたいですね」
話を戻そうとばかりにリアナが言葉を呟く。ロルを心配しながらも、出すつもりだったのかは分からないがリアナの助け舟に少しばかり感謝をした。ロルの纏う空気が心配しないでもいいと言わんばかりで、心配したくとも何とも言えなかったのだ。
リアナの言葉に乗るように、再び口を開いた。
「何かなんて分からないがな。それにこっちを狙ってもいない」
「そうですね」
「下手につついてこっちに敵意を向けるより、放っておいた方がいい気もするがな」
「放っておいても構わないかと。……それにしても、一体何を魔獣は追っているのやら」
リアナはほうっと息をつきながら、吐き出すように言葉を紡いだ。全くもってそうだと、無言で頷きながら同意を示す。
気配が分かる程の殺気、それは感じるのだ。そうなると魔獣にそこまで殺気を持たせるようなことがあったのは一体何なのか、どうしてそのままなのかが気になってくる。
「餌にでもなる他の魔獣を追っているのでしょうか? それとも縄張り争い?」
「これほどの殺気なら狩りよりも縄張り争いと言われた方が納得できるなぁ」
「そうですね……。縄張り争いなら……って、ん?」
リアナが言葉を区切る。俺も口を噤み、けれども≪駿影≫の柄に手をかけたまま意識を殺気のした方向へと向けた。
「グゥウウ……ッ」
こちらへとやって来たロルでさえも、うなり声を殺気を感じる方向へと上げる。
「……来て、ません?」
「あぁ……、来てるな」
「ピグゥウウゥッ」
ロルのうなり声をBGMにしてそんな言葉を交わす。
十中八九魔獣であろうが、殺気の正体がなぜかこちらへと向かってきた。遠くから聞こえてくる木々をなぎ倒す音が、気づいた時から少しずつながらも大きくなり始めてきている。
「テントは俺が片付ける。火は……一応片付けておこう。目印にされても困る。リアナ、消してくれ」
「了解しました」
急ぎであると分かっているからか、リアナは浅い礼をした後にたき火へと駆け寄っていった。
ちらりと目だけで後ろ姿を見送れば、すぐさまテントの回収に取り掛かる。畳んで……いる時間はないな。そう判断して少し大きめにアイテムボックスを開いて押し入れた。穴の口へと近づけば自然とテントはそのまま吸い込まれていく。
やはりアイテムボックスは便利だなんて感想を抱いていれば、ロルの高い鳴き声が耳に届く。
「ピーッ!」
「何……って、これはもうすぐ来るな。リアナ、たき火は?」
高い鳴き声で報せてくれたロルから視線を外し、リアナへと向けつつ尋ねる。
「大丈夫です!」
「よし。そろそろ来るぞ、構えろ」
「逃げるのでは?」
「俺達を追いかけないという確証があるなら、な。来ないなら関わらなかったが、来るなら討伐だ」
「了解しました」
逃げて、追いかけられたら?そう考えればさっさと討伐した方が安全に思える。それゆえの言葉に、リアナは首肯しながらの了承で返した。
やり取りをしている間にも音は近づいてくる。枝が折れるなんてものではない、木が丸ごと折れているのではと疑うような音だ。少し高く、けれど確かに折れているのだと分かるその音は、聞いているだけで不安を掻き立ててくる。
「ロル、空から頼む!」
「ピッニョピィピ!」
頼んだ瞬間、ロルから返ってきたのは威勢の良い鳴き声だった。
翼を大きく広げて大きく羽ばたきを一度すれば、ロルの体が音もなく地面を離れる。続けざまに羽ばたきの音がするたび、ロルの体はどんどん空へと近づいていった。
「来ます!」
「端へ寄れ! 挟撃する!」
「はい!」
左端へと一足飛びで移動すれば、反対側には同じように右端へと飛んだリアナの姿が視界に映る。突っ込んできたところを両側から攻撃する、とりあえずはこの方法で良いだろう。
音が大きくなっていく。木が折れ、複数の何かが地を蹴り、時折木箱を揺らしたような音が響いていた。
瞬間、その何かの体が現れて――――
「はっ!?」
思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。今俺が浮かべている表情は、きっと滑稽なものだろう。
「えっ!?」
反対側にいたリアナも似たような声を上げる。
気持ちは分かる。出てきたのは魔獣ではなかった、幌馬車だったのだ。少し大きめの幌馬車は、先程聞こえていた文字通り木箱を揺らしながら俺達の前をかなりの速さで駆け抜けていったのだ。
「急げ急げ!」
「これでも急いでいる!」
幌馬車から聞こえてきた焦る男性の声につられてそちらへ視線を向けようとするも、すぐさまそれは遮られた。
「ギイイィィィグゥガァァァァァァァッ!」
腹の底を震わせるような獣の声。
躊躇なくぶつけてくるのは殺気であり、追うものを逃がすつもりなどないといわんばかりの眼光は鋭い。ゆったりと羽ばたかせる蝙蝠のような翼は、夜の暗さに紛れて見えづらい。空を飛ぶドラゴンに負けじと、地を駆けるドラゴン2匹もその岩のような巨躯を揺らしながら殺気を放ちつつこちらに迫っていた。
これが熊や狼といった魔獣であるならばよく見るのだが、今回の相手は違った。
「ワイバーンにロガスドラゴンです!」
「森に棲み着くような魔獣じゃないだろうに……!」
おそらく馬車を追いかけているのであろうワイバーンとロガスドラゴンは明確に姿を視認するにはまだ遠いも、種類や数が分かるくらいには近づいてきた。三体どれもが殺気を放ち、こちらへと近づいてきている。ワイバーン一体は空を、ロガスドラゴン二体は木々をなぎ倒しながらこちらへとやってきていた。
そんな光景に思わず吐き捨ててしまった言葉を、リアナは無言ながらも頷き一つで返してくれる。どちらも岩山に棲むような魔獣、このような岩山が近くにない森に現れる種ではない。何故現れたのか、追いかけられている理由は何なのか。そんな疑問が脳裏をよぎるも、思考は続けざまに立ったひどく不快な破砕音で引き戻された。
そちらへと視線をやると、木に正面からぶつかった幌馬車のなれの果てがあった。
御者であろう鎧を着た男性と軽装の男性は御者台から地面へと投げ出されている。中からももう一人、男性のうめき声が聞こえてくる。先程の衝撃で立ち直るのはまだ無理そうだ。
「来ます!」
「リアナは右、ロルは飛んでいる奴を! 左側は俺がやる!」
≪駿影≫を構えながら叫ぶ。視界には入っていないながらも、意識を魔獣へと向けたのを察知した。
瞬間、空を飛んでいたワイバーンが悲鳴を上げる。
「ギィギャアアアアアアッ!?」
先程まで風を切るほどの勢いで飛んでいたワイバーンは、その速さを失っている。悲鳴を上げたのはそれが理由ではない、失われてしまった片翼が原因だった。
「ピッピピッニョ!」
その原因でもあるロルが、何とも気の抜けた鳴き声を上げる。自身の数倍はあるであろうワイバーンの頭をその鋭利な足で掴んだまま、こともなげに滞空していた。
あまりの速さで何が起こったか分からない。ただロルがワイバーンの片翼をもいだのだと、翼にある鉤爪から垂れる血だけが物語っていた。
っと、こっちも早く対処せねば。
ほんの数秒、≪駿影≫を腰だめに構える。足裏に力を込め、視線はまっすぐ自身が担当するロガスドラゴンへと向けた。
「おらっ!」
杖の状態のまま振りぬき、突進してきたロガスドラゴンの頭を殴打した。
「ガァッ!」
頭を上から下へと殴打したためだろう、ロガスドラゴンの悲鳴は短い。鼓膜を痛いほど震わせる轟音と共に頭から地面へと叩きつけられたロガスドラゴンは、強制的に進行を止められた。……止めたのは俺か。
「ギィガァ……」
頭を抑えつけたままでそんなことを考えていれば、下からロガスドラゴンがこちらを睨みつけてくる。
さながら岩のような巨躯を左右に揺らして進もうとしていた。けれど動かない、動かせない。こっちだってちょっかい出すためだけにこうしてこいつの頭を押さえているわけではない。
軽く地を蹴り、ロガスドラゴンの巨体の真上へと一息に跳ねる。眼下では自身の体を押さえていた原因を探そうと、血走った眼で左右を見るロガスドラゴンの姿があった。
魔法を使っていないのだ。あとは重力に従って落ちるだけ。
鞘から≪駿影≫を抜き放ち、上段に構える。落下の速度が速くなっていく中、まっすぐ見据える先にはロガスドラゴンの体、いや、その胸部であった。
「ふんっ!」
小さく口から漏れ出た声は、おそらく俺以外聞こえていないだろう。
「――――ッ!」
悲鳴を上げるはずだったロガスドラゴンは口を大きく開ける。けれど漏れ出たのは声にもならないかすれたものだった。
狙った場所が場所だけに荒く呼吸することも出来ず、ロガスドラゴンは倒れ伏す。あとに残ったのは巨大な魔獣の死体、そしてさびた鉄の匂いと月に照らされて不気味に光りながら草地を濡らす赤だけだ。
≪駿影≫を一度振るって鞘へと戻し、視線をリアナへと向ける。こちらは終わった、あちらはどうだろうか。
(心配する必要はなかったな)
言葉にはしないまでも、目の前の光景を見てぼんやりとそんなことを考える。
次々とリアナから放たれる圧縮された空気の弾。もう鈍器のようなそれが四方八方からロガスドラゴンを襲っていた。
「あの!」
「ん?」
こりゃあ文字通りフルボッコだ、なんて悠長なこと考える。 そんな俺にリアナが現在も戦闘が続行しているとは思えないほど軽いノリで声をかけてきた。
「ドラゴンの肉ってそこそこおいしいのですが……どうしますか?」
「は? 何言って……あぁ、食用にとっておくかってこと?」
「はい」
目の前でロガスドラゴンが弱っていく。まぁ、非常食が増えるのならありがたい、のか?いや、でも見た目が岩なんだぞ。それでもおいしいものだろうか。
「このドラゴンでも?」
「はい」
「はぁ……見た目からじゃあ想像できないな、それ。ま、とりあえずそっちの一匹だけな。そう何匹もいらん」
「分かりました」
そう答えれば、リアナはとうに息の絶えたロガスドラゴンへと向き直る。何をするのかと見ていれば、風属性の魔法を使って、収納しやすいように切り始めた。
見た感じまだワイバーンの肉が柔らかいとは思うんだがなぁ……。
そう言えばワイバーンはどうなんだろうとロルの方へと視線をやる。
「おうふ」
思わず言葉が漏れ出た。口の端がひくひくと震えているのが自分自身でも手に取って分かるほど、目の前の光景に衝撃を受けている。
「ピグゥ~」
何とも呑気な声が上空から聞こえてきた。まだ上空にいるロルは何やら楽しげな様子だ。実際楽しいのだろう。いや、おいしいと言った方が正しいか。何かを咀嚼するような動きと共に、ロルの嘴からはみ出した尻尾が上下に揺れている。
トカゲのような尻尾が一体何だったのかなど、深く考える必要などない。
「食べたかぁ……」
まぁ、ロルは高ランクの魔獣を餌にしたこともある。ワイバーンを食べてもおかしくはない……と思う。襲ってきた先程までの光景と、今の楽しそうなロルの光景が違いすぎるが、それはいいだろう。
楽しそうに弱肉強食を実現しているロルを見ながら、やっぱりドラゴンの肉はおいしいのだろうかと考える。瞬間、小さなうめき声と立ち上がる気配を感じた。
「いったた……」
声につられてそちらへと視線をやる。視界に映ったのはゆっくりと立ち上がりながら、服についた草やらをはたいている男性だった。一見して商人のような恰好をした男性だ。少しばかり気が弱そうであるとも見える。
立ち上がる彼を見ながらそんなことを考えていると、その男性がこちらへと歩み寄ってきた。
「すみません」
軽く手を挙げながら、男性は声をかけてきた。
「もしかして僕達を追いかけてきたドラゴン、退治してくれたのですか?」
「えっと、まぁ、はい」
「いやぁ、ありがとうございます! 突然襲われて、這う這うの体で逃げていたのですが……巻き込んでしまってすみません」
「まぁ、逃げる時にそこまで気にしないでしょうし」
そう言えば、目の前の男性はあははと苦笑をこぼす。申し訳なさが見て取れるその笑みは、実際人を気にして逃げることなどできなかったのだろうと察することができた。
そうでなければ幌馬車がこうなってしまうような事態は起こっていなかっただろう。そんな考えと共にちらりと壊れた幌馬車へと視線をやる。
「是非ともお礼をしたいのですが……何分、このざまでして」
男性の声にそちらへと視線を戻せば、男性は困ったような頭を掻いていた。
「エルフの里まで行けばお礼ができるのですが……、う~ん。それにこれで旅も危なくなって……」
どうやら目の前の男性もエルフの里が目的地らしい。いや、それにしても本当にお礼はいいのに。
そうはいっても目の前の男性は納得ができないのだろう、少しばかり考えこんだかと思えば何かを決めたようにこちらをまっすぐ見つめてくる。何だろうか。
「あの、差し出がましいのですが……一つ、お願いを聞いてくれやしませんかね?」
「お願い、ですか?」
「えぇ……是非とも、エルフの里までの護衛をお願いしたいのです!」
「は、はぁ……」
こりゃあ突然だ。あまりの突拍子もない提案に、思わず気の抜けた答えを返してしまった。
「あのようなことがあった後では、馬車もない僕達としては心細いのです。その分、貴方方も一緒に来てくださるなら安心できます。あ、もちろんお礼をしたいというのもありますよ!」
どちらが本音何だと問いたくはなったが、押し黙る。おそらくどちらも本音だ。若干付け足した分、お礼の件がおまけのように聞こえなくもないが。
けれども護衛か。
目の前の男性と確かに目的地は一緒だ。エルフの里に行く以上、おそらくほぼ同じ道のりで行くことになるだろう。彼らも街道を通っていくだろうが、それでも護衛は多いに越したことはないはずだ。助けて、ここでさようならをして、今の話を蹴って、道中再び出くわす。……うん、なんと気まずいことだろうか。
「もちろん、お礼に護衛の分も付け足しますので……ダメ、ですかね?」
「ん~……、分かりました。エルフの里まで、ですからね」
「あぁ、ありがとうございます!」
ついでに彼から情報ももらえればそれでいい。……それにここで拒否して再び出くわしたら、それこそこちらがいたたまれない。
そんな気持ちで返事をすれば、何やら思い出したかのように「あ!」となんとも素っ頓狂な声を目の前の男性が上げた。
「そう言えば自己紹介がまだでした!」
事態を想像したせいで若干の気まずさを味わっていれば、目の前の男性が意気揚々とそんな言葉を口にした。
自己紹介、あぁ、そう言えばしていなかった。
「このたびは本当に助けてくださってありがとうございます」
彼は朗々と言葉を紡ぐ。人の好さそうな笑みを浮かべ、その続きを口にした。
「――私の名前はアザート。しがない商人、ですよ」




