閑話~道中、そして城~
森の木々を見れば中には紫の葉を茂らせるものまであるというこの森。そして街道をすれ違う人びとの中に人族の者など少なく、多くがエルフや魔族である。
アグレナス王国の街道ならば滅多にない光景なのだろうが、ここ、カリオ魔国の風景としてはこちらの方が日常なのだろう。
(それにしてもここまで違うものなのか)
いつも城で着ている衣服ではない、一見すれば商人の人間と見間違えられる衣服を着ているアザートは、荷馬車の御者台でぼんやりと周囲に視線をやりながらそんなことを考えていた。
アグレナス王国に存在する二人の王子であり、アザートの上司でもあるプラドとホイットの命で出立して早数日、すでにここまで来ている。このまま行けば当初の目的地であるエルフの里には予定通りには到着することだろう。少なくとも仕事が続行不可能になるほどの問題は起きていない。
もっとも、何も問題がないと言えば嘘になるのだが。
「もう少ししっかりとしないか」
短いながらもきつい言葉がアザートの後方から飛んでくる。
またかと半ば諦念が混じった思いを抱えつつアザートが後ろを振り返れば、幌馬車の荷台から男性がアザートを睨みつけていた。
商人であるという偽装のために積んだ中身のない軽い木箱に寄り掛かるようにして睨む男性は、小さくため息を吐くとこれだから平民出身はとぼそりと零した。
その言葉にはアザートも苦笑するしかなかった。
商人の護衛にしてはいやに高価な鎧をまとい、一見するだけで騎士だと分かってしまうような彼は確かに騎士だ。加えて貴族出身の、という肩書がつく。武功を上げて貴族になったのではない。生粋の貴族なのだ。
思わず出てきそうなため息を寸前で飲み込む。後ろの騎士は文句を言えてある程度はすっきりしたのか、小さく鼻を鳴らすと視線をアザートから逸らした。
貴族だからといって誰もが誰も平民だからと見下しているわけではない。貴族の上に位置する王子二人、プラドとホイットにいたっては学友扱いをされている。
ならば見下す人間がいないかと言われれば、残念ながらノーと答えるしかないのも現実だった。
「アザート殿?」
これから彼と旅をしなければならない。野営の時など辛そうだ。そんな考えで気分を沈ませていれば、隣に座る老齢の男性から声がかかった。
「いえ、何でもないです、キッシュ殿。少し旅で疲れただけですから」
旅とは言っても主な原因は心労なのだが、とアザートは口に出さずに心の内で付け足す。言っても仕方がないし、まず間違いなく後ろの騎士が食ってかかるであろうことは目に見えていた。
老齢の男性、キッシュは何があったのか察したらしく、同じように苦笑をアザートへと向けた。
「ああ、なるほど。まぁ、あまりドシュト殿のことは気にしないことです」
「分かってはいるのですが……」
キッシュの言葉にアザートはぽりぽりと頭をかきながら答える。
キッシュも先程の男性、ドシュトと同じくアグレナス王国に仕える騎士だ。さらにはドシュトと同じようにキッシュも貴族であった。それでもこうして態度が違うのは、元からの人となりが影響しているのだろう。
「何かようかね?」
自分の名前がちらりとでも聞こえたのか、ひどく険しい表情のドシュトがじろりと視線をアザートへと向ける。
決してその視線が同じ貴族であるキッシュへと向かうことはない。あくまで平民であるアザートへのみ向けられていた。
「いえ、何でもありませんよ」
どうにかやり過ごそうと、アザートはへらへらと笑いながら答える。そんなアザートをドシュトは鼻で笑い、興味もなくなったとばかりに視線を逸らした。
アザートも前を向けば、再び大きくため息を吐きそうになる。どうにかため息を吐くのは堪えたものの、その代わりに大きく肩を下げた。大丈夫ですと仕事を引き受けた時は王子二人に答えたものの、正直に言って先行きは不安である。
「おや、もうここまで来ましたか」
これからを考えてアザートの胃が痛みを訴え出した頃、隣に座っていたキッシュがちらりと視線を脇に逸らしながら呟く。
その声につられて彼の見る方へとアザートは視線を向けた。
伸びる道の片側にもう一本、道がある。その道の脇にはひどくおどろおどろしい看板が立てかけられ、そこには「この先、魔泉」と書かれていた。
「魔泉、ですか」
思わずポツリと呟かれたアザートの言葉に、看板を横目に見ていたキッシュが視線をアザートへと向けた。
「アザート殿はカリオの魔泉をご存知ではないのですか?」
「ええ」
キッシュの言葉にアザートは素直に頷く。
学校を卒業してからほとんどを王国で過ごしてきた。アザートにとってどこかへちょっと出かけようということなど、仕事に追われてできなかったのだ。それでもほとんどというからには、他国へと行ったことがある。もっともそれは仕事だったが。
今度は有給でも取ってどこか旅行に行くのもいいかもしれない。この仕事の褒美としてそうしてもらおう。半ば遠い目でそんなことを考えるアザートに気付くことなく、キッシュは口を開いた。
「いわゆる観光地ですよ。さながら血の池のような湖なのですが、その色の原因は魔獣が湖に落とした果実だとのことです」
アザートはキッシュが言ったことをそのまま想像し、少し混乱する。
果実が原因で赤、というのがどうにも想像できない。どうしても想像するのは赤い果実を絞ったジュースだ。あれは血の池というほどには真っ赤ではない。グラスに注げば向こう側が見えるぐらいのはずである。
けれども血の池と表記するぐらいにはすごいものなのだろうと、半ば諦め混じりに納得する。それと同時に見た目と匂いのギャップはすごいものだろうとも考えた。
「色と匂いの差が凄そうですね」
思わず出てしまったアザートの言葉にキッシュは微笑みながら頷いた。
「知り合いの商人もそう言っていましたよ。ジュースみたいなものだと考えていたら、予想以上のものだったと」
「それは是非一度見てみたいものです」
アザート自身と同じように最初はジュースのようなものだと考えていた商人がそう言っていたのだ。それはよほどの光景なのだろう。是非とも見てみたい。
そう考えて小さく笑みを浮かべたままアザートは言う。
その言葉に返ってきたのはキッシュの言葉ではない。後ろから耳へと飛び込んできた嘲笑だった。
「庶民であるアザート殿は今が仕事中であるということをご理解されていないご様子。そんなことを考える余裕があるとは、さすがですな」
皮肉しか込められていないその言葉を紡ぐドシュトの方をアザートは振り返らない。ただ前を見て、苦笑と共に肩を竦めるだけだ。
ここまで来ればもう何を言われても、そうですかとしか思わない。先を考えれば不安にはなるが、この手合いの者を正面から取り扱おうなどとはアザートも考えていなかった。
「ドシュト殿、言葉が過ぎますぞ」
アザートの代わりとばかりにキッシュがきつい口調でドシュトを窘める。
そんなキッシュにドシュトは言葉が詰まったように無言になった。しかしそれでも苛立たしさが残っているのか、小さく舌打ちする音が微かにアザートの耳に届いた。
「ふん」
舌打ちの後、何か言葉を返そうと身じろぐ気配がする。けれども反論をしたとしても意味がないと分かったのだろう。結局は鼻をフンと鳴らし、再び視線を周囲の景色へと移した。
何とも言えない空気が漂う。その中で思わずアザートは天を仰いだ。
できることならば今日中に次の町へと辿り着きたい。三人分泊まることのできる部屋があるのであれば、どれほど小さな町や村でもいい。どうにかしてこの空気から少しでも長く距離を置きたい。
そんな望みなど、叶いにくいとアザートはため息を吐きそうだった。
「この調子では町に行けるかどうか微妙なところですな」
天を仰ぐアザートの鼓膜を、隣で手綱を握るキッシュの言葉が震わせた。
「え?」
「いえ、少し急いだとしても夜までに行ける距離で宿のある町はありません。野宿、でしょうな」
アザートの何とも間抜けな声にキッシュは大真面目に返す。
その言葉にアザートはただただ引き攣った笑みを浮かべるしかない。結局願いは届かなかったのだと、天を仰いで嘆きたい気分である。
けれどもそれを許さないとでもばかりに再度後ろから聞こえた鼻を鳴らす音に、どうにかこうにかアザートは何度目かの出そうなため息を飲み込んだのだった。
□ □
「一体どういうおつもりなのです!」
ひどく甲高い少女の声が王城内の廊下に響く。
あまりの大きさにすれ違う人は足を止め、中には顔をしかめながら声のしたほうへと顔を向けた。けれども誰もが声の主を見た瞬間、無言で視線を逸らす。
下手に注意して機嫌を損ねてはいけない。声の主である第一王女、シェルマはそんな人物だ。
「お答えください! お答えくださいと申しているのです、ホイット兄様!」
シェルマはそれでも自身の数歩先を足早に歩く青年、ホイットへと荒げた言葉を投げかける。先程からずっとこうして呼び止めているにも関わらず、目の前の兄は全くもって反応を示していなかった。
一方のホイットも決して良い顔をしてはいない。小さく唇の端を噛み、せかせかと素早く足を動かして廊下を駆け抜ける。
はっきりと言うのであれば、ホイットはシェルマのことが嫌いであった。そうでなくとも甘やかされて育った彼女だが、勇者が来てからさらに面倒なものとなっている。本音を吐露してもよいのなら、彼女は王族にふさわしくないとも考えていた。
けれどもそんなことは言えない。だから少なくともこういうところでは抵抗するのだ。
「ホイット兄様!」
あまりにしつこいと青筋が浮かびそうなホイットの前へと、シェルマが駆け足で踊り出た。そうなれば自然とホイットの足も止まってしまう。
「……なんです?」
「なんです、ではありません! 話はすでに聞いているのですよ!」
きゃんきゃんとシェルマは叫ぶ。
耳栓でも用意しておけばなんてことは言わないものの、ホイットはその代わりに顔をシェルマから逸らした。
それがシェルマの癇に障ったのだろう。さらに厳しい目つきになると、再び口を開いた。
「勝手に調査を出すなど……私は聞いておりません!」
「別に今に始まったことではないでしょう。貴方の許可がなければ動かないこともあるでしょうが、それ以上に貴方なしで進むものは多いのですよ」
「そんな屁理屈、私は求めていません!」
ホイットの言葉を遮るようにシェルマは甲高く叫んだ。
一体先程のどこが屁理屈だったのか。事実そうではないか。そんな思いが苛立ちと共にホイットの口から飛び出そうとするも、彼はそれをぐっと堪える。今ここでそんなことを言ったとして、火に油を注ぐようなことになりかねないのだ。
ホイットの内心を知ることもなく、シェルマは責め立てるように言葉を続けた。
「自国内だけではなく他国にまで及ぶ調査、そのような大きな仕事は勇気様に任せるべきです! 勇者様であるならわざわざひっそりと他国に入る必要もないでしょう!?」
「その前に声が大きい。仮にも国で行っていることをキャンキャンと人の通る廊下で言うものではありません」
さすがにその言葉は効いたのだろう。シェルマは一瞬言い返そうとするも、苛立った表情はそのまま声を小さくした。
「どうして勇気様に頼らないのですか? あの方は大きな仕事を任せても大丈夫なお方です」
まっすぐに疑いのない瞳を、シェルマはホイットへと向ける。
その目にホイットは思わず呆れた表情を見せ、小さく肩を竦めてみせた。
「本気でそのように思っているのですか?」
「当然です。勇気様は容姿が優れているだけでなく、とてもお優しい方なのです。情報を集めるのであれば一介の人間よりも、勇気様の方が簡単に集めることができるでしょう」
ホイットの問いにシェルマはそう返す。薄っすらと紅に染まった頬を隠すように手を当て、もじもじとしつつ言うその様はさながら恋した乙女の様子である。
ただ単純なものならばそれは良いと、ホイットは目の前で勇者を思い夢見心地になっているシェルマを考えながら思った。けれども話はそう簡単なものではない。その勇者だからこそ今回の仕事を任せなかったのだ。
任せようものなら毎日きちんと仕事をしているかなんて余計な心配をしてしまう。それはいやだった。
もっともホイットにとっては今こうしてシェルマに詰め寄られている時間も嫌であった。
「……何も勇者でなくてはこの仕事ができないというわけではありません。むしろ勇者だからこそ、目立ってできないこともあります」
ひとまずどうにかして目の前の妹を追い払おう。そう考えて出た言葉に、シェルマは夢見心地の様子から元へと戻った。
「何を言っているのです、兄様。勇気様ができないことなどないでしょうに」
何を考えているのだろうといった表情を浮かべ、シェルマはホイットに呆れの眼差しを向けつつ言った。
呆れるのはこちらの方だと、ホイットはたまらず頭を振る。
どうして目の前の妹はこうしてあの勇者を信じることができるのだろうか。ホイットからしてみれば戦いならまだしも、それ以外のことであの勇者に任せたいなどとは思わない。任せたとしても騒ぎを起こすのが落ちだ。
どうしてもシェルマは我慢ができなかったのか、再度ホイットに訴えようとする。けれどその言葉をかき消すように、二人以外の言葉が投げかけられた。
「一体どうした二人とも、こんなところで」
その言葉に二人がほぼ同時に声のしたほうへと顔を向けた。
そこに立っていたのは書類を片手に二人へと視線を向けているプラドだった。その目には一体何をしているのだろうという不思議な思い、それと同時にこんなところで諍いとはという呆れが含まれていた。
さすがに第一王子である彼のそんな視線にさらされてしまってはシェルマでさえも居心地が悪いのか、荒げようとした言葉を飲み込んだ。
「それで、だ。一体何を話していたんだ」
シェルマに関しては遠くまで聞こえていたぞ。そう継ぎ足した言葉にシェルマの方がピクリと跳ねる。
けれどもここで言葉を止めては意味がない。目の前の兄達はどれほど天ヶ上が素晴らしいのか理解していないのだ。ならば自分が教えなければならない。
そう考えたシェルマは床へと落とした視線を、キッと目の前に立つ二人の兄へと向けた。
「何と言われようとも私の考えは先程ホイット兄様に伝えた通りです。今回の仕事は勇気様に任せるべきです」
「今回の仕事……あぁ、あれか」
シェルマの言葉にプラドは思い出したように頷く。そしてシェルマに苦笑を向けつつ再び口を開いた。
「もう変更は無理だ」
「なぜです!?」
「既に他の者にも話は通してあるのだ。今からお前一人が言ったとしてどうとも変わらないぞ」
「んなっ!? い、いいえ、お父様に頼めばどうにか!」
自分の父親は何かと自分を可愛がってくれている。そんなシェルマ自身が頼めばきっとどうにかしてくれるのではないか。そんな考えが浮かべば、血の気が失せそうになったシェルマの表情も笑顔へと戻っていく。
「こうしてはいられません。では、失礼します」
シェルマはそう言うや否や、くるりと踵を返して廊下を足早に突き進んでいく。ただ王子二人はその後ろ姿をぽかんと見つめるしかない。
ホイットに至っては突然詰め寄られ、そして突然去っていったのである。それはもう嵐のようで、怒りを通り越して呆れが胸中に生まれた。
「それにしても、本当に父上のところに向かうのだろうか」
ポツリとプラドが言葉を零す。
去り際の彼女の言葉を考えれば、これから王の下へと直接向かうなりどうにかして王に先程のことを頼み込むのだろうということは容易に想像できた。
けれどもプラドだけでなくホイットにも、そのことに対しての不安は見られない。もしかしたら王が許可するのではないか、なんて不安など彼らの胸中に欠片も無かった。
「無理ですよ。伝えた中には母上もいらっしゃるのですから」
「まったくだな。あの母上に限って自身の子供の頼みだからとこういったことで許可することは想像できない」
女王である彼らの母親はそういったことに関しては父親よりも厳しい。
もちろん母としての優しさはあるものの、それと国のことに関しては混同しないような人だと二人は知っていた。
何より、と二人は胸中でさらに考える。
自分達の父親である国王は妹であるシェルマに甘い。けれどもそんな王は妻である女王の尻に敷かれているのだ。王自身も自分の甘さを考えて、彼女と結婚したとのろけで王子達に聞いたことがある。
そんな彼がシェルマの頼みを聞いて許可を出した妻である女王に盾突く。そんなことなどプラドとホイットには想像が出来なかったのだった。




