第58話~再会、そして出立~
驚いた。ただただ、驚いた。それが最初の感想だった。
まさかここで、こんな形で樹沢に会うことになるとは思わなかった。会うとしてももう少し先の出来事で、こんな路地ではなくアグレナス王国だろう。そう考えていた。
けれど何とも現実はおかしなもので、今こうして目の前には随分と久しい姿が、同じような驚いた表情で立っている。
きっと、俺も似たような表情を浮かべているのだろうなんて悠長な考えが頭の片隅に浮かんで消えた。
瞬間、我に返る。
「行くぞ」
驚いた表情を消して傍にいるロルへと声をかける。思いのほか冷たくなったその声音に、ロルがピクリと怯えたように体を揺らした。ごめんな、ロル。
「……ピ」
返事をしてくれたロルの目にもう怯えの色は無い。
先程の謝罪の気持ちを察したのか、それとも空気を読んだのか。どちらにしてもありがとう、としか言えない。
くるりと踵を返し歩き出す。解いてしまった魔法、かけなおさなければ。
そんなことを考えながら立ち去ろうとすれば、後ろで人の動く気配がした。
「ま、待ってくれ! 神楽嶋!」
演技とかではない。本当に焦ったような樹沢の声音の思わず足を止めてしまう。
いつものジト目のままちらりと後ろを振り返れば、手を伸ばした樹沢がこちらを見ていた。足を止めて安堵したのだろう。こちらに向けている樹沢の顔に浮かんでいた焦燥が少しばかり緩んだ。
「神楽嶋って……」
そんな彼の隣でボソリと呟いた少女は、対照的に体を強張らせる。脅した覚えは無い。あぁ、もしかしたら樹沢から話を聞いているのかもしれないな。
何とも気まずい空気が路地に流れる。俺自身もその空気の原因ではあるけれど、少々居心地が悪い。
いい加減このままではダメだと、重い空気を打ち破ろうと彼に向き直り、口を開いた。
「樹沢、何だ?」
「ピィィィ……ッ」
「少し静かに」
そう言えばロルは警戒の目はそのまま、口を閉じる。正直に聞いてくれて嬉しいよ、ロル。今はちょっと優しく対応出来そうに無い。
視線で何だともう一度促すように樹沢を見れば、樹沢は「あ、あぁ」と一瞬まごついた。
「あ、あのよ」
呼び止めたときに何も考えていなかったのか、樹沢は呟きながらも話題を探すような素振りを見せる。
その目は真剣だ。真剣に俺と向き合って、話の話題を探している。その様子に驚きと小さな関心が生まれた。
少なくとも彼は以前、このような人ではなかった。天ヶ上の言葉を信じ、思い込み、何を言っても聞かない人間だった。城を出てから何があったのか知らないが、俺としては突然、樹沢が変わっているように見える。
そう考えれば軽く驚いても不思議ではないな、うん。久しぶりに会った人の性格や印象がころりと変わっていればそりゃあ驚くというものだ。
一人で納得していれば、ようやっと話題を見つけた樹沢が口を開いた。
「三年の緋之宮先輩、覚えているか?」
緋之宮、緋之宮先輩……あぁ、ハーレム組の一人だ。確か長い黒髪の美人であったはずだ、覚えているよ。
そう伝えるように無言で一つ頷く。けれども目の前の樹沢の表情は晴れない。
一体どうして彼の表情は依然として暗いのだろうか。不思議に思って言葉の先を待っていれば、何とも重そうに言葉を紡ぎ出した。
「その……緋之宮先輩さ、亡くなったよ」
「え?」
彼は今、何と言ったのか。驚きで呆けながらも、思わず聞き返してしまう。それほどまでに先程の彼の言葉が衝撃的だった。
緋之宮先輩が、亡くなった。彼女がハーレム組の一員であることはさておいて、同じ世界から来た人間が亡くなったというのはなかなかにショックな出来事だ。
何と言えばよいのだろうか。どう反応すればよいのだろうか。
そう戸惑っていれば目の前の彼は諦念と悲しみがない交ぜになった表情を浮かべ、肩を竦めた。
「びっくりするよな、俺もびっくりした」
あぁ、俺もびっくりだ。言葉が出ないほどに。
そんなことを口に出すことなく、内心で樹沢の言葉に相槌を打つ。
「驚くと涙も出ないなんて本当だとは思っていなかったけどよ。けれど、本当だった。どんな人だろうと、知り合いだったのには変わりなかったから」
樹沢はそう言って言葉を切った。
こちらを見ていたはずの目は、今では既に遠くを見るような、懐かしむようなそれへと変わっている。見えているのは前の世界か、それともこちらの世界に来てか。どちらにせよ、緋之宮先輩が生きていた過去のことであるのは確かだ。
(驚きで涙も出ない、か)
目の前で樹沢が紡いだ言葉を、足元に視線を落としながら心のうちで反芻する。
その通りだとも、どこか可笑しいとも思う。確かに俺はショックを受けたのだ。では今何故、涙が出ていないのか。彼の言葉で言うなら驚いたという言葉が正しいのかもしれない。
けれどどうしても、俺の今の心情が目の前の彼と同じだとはどうにも思えなかった。
そう考えている間にも沈黙は続く。今度は自分だというように少しばかり躊躇いながら口を開いた。
「……いつ、亡くなったんだ?」
「『第一闘技場』の魔獣がこっちに来た事件、それが起こった日だよ。ホラビル近くの森で最初に天ヶ上達によって発見された第一の魔獣にやられたんだ」
「……そうか」
再び視線を足元に戻しながら考える。事件が起こった日、と樹沢は言った。それならばギルドに貼られていた紙に書かれていた場所の中で、最初に勇者が戦闘を行ったというあの森だろう。
それにしても勇者の一人が亡くなったという記載は無かった。あったのであれば今頃、ホラビルどころか『アトレナス』全体で騒ぎになっていてもおかしくはない事態のはずだ。その騒ぎを起こしたくないから、隠してしまったということか。
そっと、自身の胸に手を当てる。
(あの先輩に良い思い出なんて、ないはずなのにな)
先程も感じた悲しいはずなのに靄がかかってどうにも実感できないこの感覚。悲しいのか、それとも悲しくないのかはっきりとしない。
これが普通なのだろうか、それとも自分が薄情なのだろうか。
「……そう、だったのか」
慰めも、だからどうしたという無情な言葉も言うことが出来ずに、ただそれだけを言葉にした。
本当に何も言うことが出来ないのだ。いや、そもそもどう言えばよいのか。
慰めればいいのか?けれどそれはどうにもおかしい。それならば、だからどうしたといった無情な言葉を言えばいいのか?……いや、それもどうにもしっくりこない。出来るとすれば、こうして悶々と自分の胸の内で考えることぐらいしか出来ない。
このままここに突っ立っていたとしても答えは出ない。会話も途切れているし、相手側も話題は無いのだろう。それならばもう宿屋に戻ってしまおうか。
「あと!」
立ち去ろうとした気配を察知したのか、樹沢が大きな声で呼び止めた。
そちらへと視線を向ければ、何とも言いにくそうにしかめ面をしながら、それでも話出そうとしている樹沢がいた。
「……アグレナス王国での件、なんだけどよ」
その話題を聞いた瞬間、思わずしかめ面になってしまう。目の前の彼とてしかめ面だが、表情には申し訳なさが混ざっている。対して俺は怒りや不機嫌が混ざっているのだろう。
気まずさで視線を合わせない樹沢は俺の表情を知ることもないまま、言葉を続けた。
「あの時、俺はあの場にいなかった。けれど申し訳なく思うんだ」
苦しそうに、酷く辛そうに言葉を彼は絞りだす。強く握り締めた拳は微かに震え、唇を噛む様子はこのままでは血が出てしまうのではと心配になった。
ポンポンとは真逆、酷く丁寧に樹沢は言葉を紡いでいる。次はどの言葉を選べばいいのか、どれを選んだら伝わるのかと考えているようだ。
けれどもそれはどうにも性に合わないらしい。少しばかりの苛立ちが隠しきれず、ひくりと眉が動いていた。
「その、だから……あぁ、もう! 単刀直入に言うぞ!」
いきなり何だと思わず身構えたのと同時に樹沢が勢いよく頭を下げた。角度九十度、何とも綺麗で素早いものだ。俺だけでなく彼の隣にいた少女もぽかんとした間抜け面を彼に向けるほどに早かった。
「すまん! 今更かもしれないが、本当にすまん!」
周りが驚く中、樹沢は辛そうな声でそう叫ぶ。
すまない、本当にすまない。そうやって謝る樹沢を暫く無言で見つめていたが、小さく溜息を吐くと共に口を開いた。
「なぁ、樹沢」
「なんだ、神楽嶋」
謝罪の言葉を一旦止め、樹沢が顔を上げる。
真っ直ぐにこちらへと向けられた視線が痛く、少しばかり足元へと視線をそらした。それでも突き刺さる視線が心をざわつかせる。
本当にお前はすごいよ、俺はお前みたいに真っ直ぐ見つめるなんて出来ない。第五の皆と知り合って少し改善されたかもしれない。けれどやっぱりベースは前の世界で歪められた俺のままなんだ。
「さっきの謝罪の言葉、正直言うのであれば半分は嬉しいよ」
そう言えば樹沢の纏う空気に喜色が混ざるのが分かった。
「でも、さ」
少しばかり強調するように言う。話はこれで終わりではない、まだ続きがあるのだと言うような意味を込めて言葉を吐いた。
ピタリと空気が固まると同時に、その先を気にする樹沢の視線が突き刺さる。
「もう半分、その半分はどうにもお前を、天ヶ上達を許すことが出来ないんだ」
そう言えば樹沢は顔を歪めた。
そう簡単に許しますとなるわけではない。したくてしたわけではないということならばまだしも、少なくとも以前はそうではなかった。急に変わったんだと言われても、ならば許そうとなるほど俺も立派ではなかった。
ぎゅっと握りしめた拳が微かな痛みを訴えてくる。随分と前に考え、今更だと決めた思考が再び顔を覗かせた。
「前の世界でもそうだったけれど、こちらに来ても変わらなかった」
そう言って樹沢の方へと顔を向ければ、目の前の樹沢が目を見開いたのが分かった。泣きたいような、けれど今になっても悩む自分が滑稽で可笑しい。表情が歪んでしまっているのを感じながらも、そのまま再び口を開いた。
「……俺がどうにかすれば、お前達の態度は変わったのかなぁ?」
そう言えば静かな空間にヒュッと息を呑む音が響く。樹沢も、そして隣に立つ少女のどちらもが目を見開いてこちらを見ていた。
正直、今自分が酷い表情をしているのだということは分かる。泣きたいのか、怒ればいいのか、それとも後悔すればいいのか分からない。そんな感情がない交ぜになった表情は決して綺麗なものではないだろうし、もしかすると歪んでいるかもしれない。
けれど、このままではいけない。そう考えて緩く頭を振って、酷く負の方面へと沈み込みそうだった思考を戻した。
「まぁ、こんなこと言ったって今更だ。樹沢、お前の気持ちは分かったよ。けれどこれだけは、はっきりと言っておく」
相手を睨むようにしてそう言えば、樹沢が緊張した面持ちで唾を飲み込む。
先の言葉を無言で待つ彼に向かって俺は再度、言葉を投げかけた。
「俺は『第五遊技場』の主だ。『第五遊技場』の人間を、世界を傷つけることは断じて許さない。それに繋がることがある以上、『第五遊技場』を開放することはない」
「そう、か」
「あぁ」
短い言葉を交わせば、互いに押し黙る。これ以上、本当に相手に伝えたいことなどない。色々自身の感情が混ざっているとしても、俺は主だ。優先すべきは『第五遊技場』である。
目の前で突っ立っている樹沢は依然として押し黙ったまま、足元を睨みつけていた。浮かんでいる表情から見える感情は一つだけでなく簡単には読み取れない。けれど決して喜びといったものを見ることは出来なかった。
「それじゃあ」
もう話は無いのだろう。そう考えて別れの言葉を言えば、くるりと踵を返してその場を去ろうとする。
「なぁ、神楽嶋!」
それでも呼び止める樹沢に、これで最後だろうかなんて考えながら顔だけそちらへと向けた。そして少しばかり目を見開く。
悲しさといった感情は混ざっている。けれどそれ以上に何かを決心したようなその顔つきは悪いものを予感させるような顔ではなかった。
「謝ってすぐ許してくれるなんてこと、あるわけないよな」
そう投げかけられた樹沢の言葉を俺は無言で聞く。うんともすんとも言えず、首肯することもしない。ただ聞くだけ、けれどそれで樹沢は良いのか再び口を開いた。
「だから、今は許してくれなくていい。これからの行動で、信じてもらえるようにするから」
どこか清々しささえ感じる表情を浮かべた樹沢は、言いたいことを言ったというように小さく笑みを浮かべた。対して俺は戸惑った表情を浮かべているのだろう。
返事をするとしても「そうか、頑張れ」というのも何か違う。かといって「あ、そう」と返すのはどうにも他人事のような返事で相応しいとは思えない。けれど何か返さなければ、と考えてしまう。
思いつかないならば、せめてこうやって決心を言った彼に対して何か情報を上げたほうが良いのではないだろうか。
ぐるぐると思考の渦に飲み込まれそうになった頭でそう考え付くと同時、自然と口が開かれた。
「……樹沢、一つ情報をあげるよ」
「情報?」
ぽかんとこちらを見つめる樹沢を尻目に、そのまま言葉を紡ぐ。
「第一からこっちに来た魔獣の件、その件の話だよ。そっちが把握しているかどうかは分からないけれど、少なくとも発見された場所には入っていなかった場所だ」
「それって何処だ?」
そう尋ねてきた樹沢に第一の魔獣の群れと遭遇した場所を告げる。するとどうやら把握していなかった場所らしく、樹沢は驚きの表情を浮かべた。
「ありがとう、神楽嶋」
「……どういたしまして」
そう返答すればむずがゆいような感覚を覚え、フイッと視線を樹沢からそらす。
もうこれ以上話すことは思いつかない。少しばかり沈黙に居心地の悪さを感じていれば、ジャリと靴底で土を踏む音がした。
「それじゃあな、神楽嶋。行こうぜ、キシェル」
「あ、うん」
そう言って隣にいた少女を引き連れ、樹沢はその場を去っていく。その顔からは最初に会ったときの気まずさが消え、決心した者独特の顔立ちとなっていた。
声をかけることもないまま、無言で二人を見送る。二人の気配が遠ざかり、そして消えた。体を先程彼のいた場所へと向ければ、当然二人の姿は無い。
そうしていれば、ロルが声を発さずにそっと体を足へとすり寄せてきた。
「そうかぁ……」
吐き出した言葉は、いや、吐き出すことの出来た言葉はそれだけだ。
吹っ切れ、決心することで以前と変わった樹沢。以前ではなく今の彼を詳しく知らないが、それでも以前よりは勇者らしくなったのだろう。
それならば自分はどうなのだろうか。変わることの出来た彼と比べて、俺は変わることが出来ているのだろうか。自分の中での優先順位が変わったのは確実に分かるけれど、それ以外はどうにも分からない。
分からないほどには今の世界で必死になって生きてきたんだよな、なんてことを考える。
先程呟いた言葉はとうに空中へと溶けて消えてしまった。聞いていたのはロルだけで、そのロルは俺を慰めるように無言で寄り添ってくれている。目を閉じれば思い浮かべるのは第五の皆だ。
昔なら多少、前の世界に未練があっただろう。けれど樹沢に対してはっきりと言葉にしたことで分かった。
前の世界を思う以上に、今の俺にとっては『第五遊技場』の皆が家族なのだ。守るべき、支えるべき家族なのだ。
あぁ、そうなんだとどこかストンと納得できたようで、俺は小さく笑みを浮かべた。
□ □
ロルの視線を受けながら、ここら辺だろうかと辺りを見回す。
ギルドの掲示板に貼られていた紙や樹沢の言葉から察するに、この森でハーレム組が『第一闘技場』の魔獣を撃退したのだろう。
きょろきょろと辺りを見回しながら森の中を進んでいれば、少しばかり開けた場所へと出る。
瞬間、辺りを見回すのを止める。開けた場所へと出た瞬間、ここが探していた場所なのだと分かったからだ。
誰か人がいるわけでもなく、かといって旅人のためなどの施設が建っているわけでも、町や村が近くにあるわけでもない。近くの町を探すなら真っ先にホラビルが近いと答えることが出来るだろう。
そんな殺風景な場所に一つだけ、森の中にあるには少しばかり違和感を覚えるものがあった。
それへと歩み寄り、その手前で立ち止まる。動きに合わせて抱えた白い花がゆらりと揺れた。
つい最近ここに設置されたのだと分かる簡素な石碑だ。人の膝ほどの高さも無いそれには名前らしいものは刻まれていない。ただ刻まれているのは『第一闘技場』の魔獣が『アトレナス』へと来た日付だけだ。
遠目に見れば変なところにある石と見間違うその石碑の上に、そっと白い花を置く。
かける言葉はないんだ、先輩。貴方にとっては俺の言葉よりも、あいつの言葉のほうが良いのかもしれないのだろうけれど。
ふっと頭に思い浮かんだのは艶やかな黒髪をなびかせ、きつい瞳でこちらを睨む彼女の姿だ。
焦がれていたわけでは無い。どちらかと言えば負の感情のほうが近い。けれどそれはそれだ。何も思うところが無かったわけではないのだ。だからこうして花を置いている。
少しばかり石碑を見つめていたが、無言のままくるりと体を来た方向へと向けた。
既に宿は引き払っている。これから向かう場所はカリオ魔国の領土内にあるエルフの里であり、その里にある大図書館が目的だ。
もう一度、ちらりと視線だけを石碑に向ける。けれどそれはほんの一瞬のことで、すぐさま視線をそらし、その場を立ち去った。
暖かな日差しと心地良い風が森の木々の間を抜け、開けたこの場所にも流れてくる。穏やかなはずのそれは、今この時だけはどこか寂しさを感じさせるものとなっていた。




