表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第五遊技場の主  作者: ぺたぴとん
第三章
74/104

閑話~会議、そして溜息~

 もう春なのだと知らせる暖かい陽の光が会議場内を照らす。会議でなければうたた寝してしまいそうなその空間に、外から街の喧騒が微かに漏れ聞こえていた。

 何とも穏やかな空間である。

 けれどそれはその場にいる人間を差っ引いたなら、という前提がつく。

 大ヶ島の言葉を皮切りに始まった会議は暖かな春の日差しとは打って変わっていた。ちりちりとした小さな痛みを肌で感じ、何も知らない人間がそこにいれば数分で胃の痛みを訴えるような空気が流れている。

 そんな空気の中、平然とした顔で会議をしているのは『第五遊技場』を除く四人の主達だった。

 トン、と大ヶ島が持っている書類を整える。ようやく一つ、案件を終えたのだ。

 整えた書類を机の上に置けば、残りの三人の主へを見回すように顔を動かした。


「それじゃあ先程の取り決めはこれでいいですね?」


 大ヶ島の確認の言葉に、三人は無言で頷く。

 三人が頷いたのを確認した大ヶ島は、さて次の課題は何だと胸中で呟きつつ手元の書類に視線を落とした。会議を開いている場所が所属国の領土内である以上、会議の進行はしっかりと自分が務めなければならない。


(これが別の国なら、茶々を入れることが出来るんだけどねぇ)


 何ともいやらしい笑みは押し隠したまま、そんなことを考えながらも次の議題を見つける。

 瞬間、隠そうとしていたはずの笑みが大ヶ島の顔に浮かんだ。綺麗な笑みではない。見ただけで嫌な予感がするような笑みである。

 本日のメインディッシュだとばかりに浮かべられた大ヶ島の笑みは、もちろん他の三人の視界にも入る。早瀬と岩久良はどうして彼がそんな笑みを浮かべたのか、一瞬考えた後にすぐさま理由に思い当たった。

 何とも嫌な理由だと、早瀬は小さく唇を噛む。

 そうでなくとも今まで大ヶ島に対して良い顔をした事がない。けれどこれからの進行でも良い顔をしないのだろうと、確信めいた予感が彼女の脳内を走った。

 一方、深山は他二人と違って笑みを浮かべている。しかしその瞳には笑いの色などなかった。


「それでは次の議題、先日起こった『第一闘技場』の魔獣襲撃事件について話しましょうか」


 そんな大ヶ島の言葉が会議場の空気を震わせた瞬間、空気がさらに張り詰めたものとなる。

 大ヶ島を除く三人の誰もが本当に笑っていない中、大ヶ島はただ一人隠しきれない嬉々とした声で朗々と話し始めた。


「事の顛末を詳しく知らない方もいらっしゃると思いますので、改めて説明させていただきます」


 何とも大げさな身振りを交えながら言う大ヶ島に、早瀬はスッと目を細める。

 出来ることなら目の前の奴の挙動を今すぐにでも止めてやりたい。何でそんな嬉々として、大げさな身振りも加えてまで話す必要があるのか。騒動が起こった事実を受け入れようともその点は何とも納得がいかない。

 けれどそんな考えはごくりと飲み込み、ただ黙って目の前の大ヶ島に視線をやる。

 早瀬自身、今回の問題が議題に上げるべきものだと理解していた。ただ、人の揚げ足を取ったとばかりに嬉々として言う大ヶ島の様子に腹が立つだけだ。

 そんな早瀬の視線に、むしろ大ヶ島は相手を見下したような高揚感を得る。それに伴って、言葉を紡ぐ口も滑らかになってきた。


「事態が最初に発覚したのは、アグレナス王国側からの報告でした」


 高揚感からだろう。そういいながら大ヶ島は机を人差し指でトントンと叩く。一定のリズムを刻みながら、その音は大ヶ島の声と重なりつつも会議場内に響いた。


「話を聞けば『第一闘技場』の魔獣がこちらへ来たという話ではありませんか。たまたま通りがかった天ヶ上さんやホリービアにいた樹沢さん達が対処したものの、冗談では済まされないことでした」


 そこで一旦言葉を切ると共に、大ヶ島はリズムを刻んでいた人差し指を止める。

 そしてニヤリとした薄ら笑いを浮かべたまま、スッと視線を早瀬へとやった。


「今回の事態、大きな被害が出ていないといっても一歩間違えれば悲惨な事態を引き起こしていたでしょう。このことは十分、会議で取り扱うべき案件だと僕は考えます」


 皆さんはどう考えますか、とは言葉に出さず、残りの三人へと視線で問う。その瞳には自分が至極全うなことを言っているのだという自信が溢れていた。

 そんな大ヶ島の視線を受けて、岩久良はただただ口を噤む。

 大ヶ島の言っていることが正しいことだと分かっている。言い方がどうであれ、案件だけを見たのならば確かに取り扱うべきものだ。

 もっとも、目の前で笑みを浮かべたまま三人を見る彼の様子は肯定されるべきではないというのが彼の心情であった。

 ちらりと岩久良が早瀬のほうへと視線をやれば、眉間に皺を寄せて大ヶ島へと鋭い視線を向ける彼女の姿が視界に入る。当事者である早瀬は苦虫を噛み潰したような、といった言葉が相応しいような表情を浮かべていた。そんな表情でも反論しないのは、おそらく岩久良と同じことを考えているからだろう。

 一方の深山は二人とは違い、表情を変えずただ目の前の光景を見ているだけだ。


(どうせこれだけで終わるわけではないのだろうけれど)


 そんな言葉は口に出さず、深山の胸中で呟かれて終わる。

 確信めいたその言葉を裏付けるのは、会議が始まる前に深山と早瀬へかけられた大ヶ島の言葉だった。

 三人の主を他所に、大ヶ島は笑みを象った顔を早瀬へと向けたまま口を開いた。


「早瀬さん、今回の件について現状どうなっているか。話してもらえますかね?」

「……転移のゲートに二十四時間体制で監視をつけているわ」

「それだけですか?」


 早瀬の言葉に、目を丸くしてこれは驚いたとでも言うような表情を大ヶ島は浮かべる。


(白々しい……!)


 露骨な大ヶ島の表情に、早瀬は思わずつきたくなってしまった悪態をどうにか胸中で呟くようにして堪えた。ここで馬鹿にしているのかと怒れば、それこそ目の前の男の思う壺だ。

 それだけは嫌だとどうにか気持ちを抑え、早瀬はきつく結んでいた唇を再び解いた。


「最後までちゃんと聞きなさいよ。『第一闘技場』全体に魔力検知の魔法をかけているわ。これは『第二図書館』の援助もあってのことだけど」

「あぁ、その件に関しては万全と言えよう。私達『第二図書館』の精鋭が携わった魔法だ」


 早瀬の言葉を継ぐようにして岩久良は一つ頷きながら言った。昨日のうちに進められていた事態に、何も知らない大ヶ島はピクリと眉を動かす。

 それだけでは終わらないと早瀬は岩久良へと向けていた視線を再度、大ヶ島へと向けた。


「加えて、『第一闘技場』内で犯人についての情報収集も行っているわ。一応、『第三商店街』のほうにも正式に応援を要請する予定よ」


 そういってちらりと早瀬が深山のほうへと視線を向ければ、深山は肯定するように頷きながら口を開いた。


「そうね、先程その話を持ち掛けられたわ。こちらとしては引き受けるつもりでいるけれど」


 早瀬を中心にして取られた連携に関しての報告に、大ヶ島は椅子の背にもたれながら目を細めた。その表情は真剣といった顔つきではあるものの、細められた目は面白くないと言わんばかりだ。

 想像していたのは苦渋の表情だった。にも関わらず、こう報告されてしまえば大ヶ島もすぐには皮肉が出ない。

 

「そうですか。まぁ、対処しているならこちらも何も言うことなど出来ないんですけどね」


 どうにか面白くないという感情を抑え、何とも白々しく肩を竦めながら大ヶ島は言う。

 話はこれだけではない。もう一つあるのだ。そう気を取り直した大ヶ島は再び薄い笑みを貼り付けて口を開いた。


「まぁ、この騒動の件に関してはこれだけでは終わりません」

「犯人について魔族の可能性がある、ということでしょう?」


 先程のようにもったいぶって言おうとした大ヶ島だが、そんな彼の言葉をすぐさま引き継ぐようにして尋ねたのは深山であった。

 思わず大ヶ島が深山へと顔を向ければ、余裕のある笑みを浮かべたまま再度、そうでしょう?と尋ねてくる。


「……えぇ、そうです」


 肩透かしを食らったようで、大ヶ島は思わず気の抜けたような返事をした。

 このことを話題に出せば、深山でも早瀬と同じように渋面になると想像していた。けれど結果は全く違う。相手は余裕綽々といった笑みを浮かべ、むしろ自分から話題に頭を突っ込んできたのだ。

 自分の所属国から犯人は出ていないと確信しているのか。そう考えた大ヶ島は胡乱な目つきで深山を見やる。

 一方の深山は、そんな視線も何のそのとばかりに受け止めた。


「犯人のことについて、カリオ魔国としては関与を否定しているわ。もちろん、『第三商店街』もよ」


 笑みを浮かべたままそう言った深山の後ろで、ミヨンネがその通りだと言わんばかりに強く首を縦に振った。


「けれど犯人の特徴は人族のものとは思えません。もちろん獣人族とも――」

「だから、『第一闘技場』との連携捜査を引き受けるつもりなのだけど? こちらとしても嫌疑は晴らしておきたいもの」


 食い下がるようにして放たれた大ヶ島の言葉。しかしそれは深山によって途中で遮られてしまう。

 最後まで言うことが出来なかった。加えて目の前では先程の自分を真似るようにして大げさに肩を竦める深山がいる。それがどうにも腹立たしく、大ヶ島はしかめ面で深山を睨みつけた。

 おぉ、怖いと呟きながら自身の体を両腕で抱えてみせる深山だが、そんな彼女の表情は明らかに怖がっているものではない。先程までの行為のやり返しをしている。

 ふつりと沸く小さな苛立ちを咳払いで押さえ、大ヶ島は再び口を開いた。


「まぁ、それなら良いのですが。この件に関しては次の会議でも報告をお願いします」

「えぇ、構わないわ」

「私も」


 大ヶ島の言葉に、深山に続いて早瀬が答える。

 さすがにこれ以上、この議題で話を引っ張ることは出来ないだろう。個人的にはもう少し予想していたリアクションが欲しかった。

 そんなことを考えながら、大ヶ島は手元の紙へと視線を落とす。

 一拍置いた後、大ヶ島の視界の外からふと思い立ったような深山の声が彼の耳へと届いた。


「そういえば、あの件も会議で話すべき話題だと思うのだけれど?」

「もったいぶらずにはっきりと言ったらどうです?」


 視線を紙から深山へと移しながら大ヶ島は言う。そんな彼の表情は決して晴れていない。


「『第五遊技場』の件、よ」


 深山は笑みを浮かべ、ことさら強調するように言葉を紡ぐ。

 静かな会議場の空気をその言葉が震わせた瞬間、変わった気配が二つ。岩久良と大ヶ島であった。

 傷を抉られたような苦しい顔の岩久良と嫌なところを突かれたとでも言わんばかりの大ヶ島は、どちらも視線を深山へと向けている。


「結局、あの後うやむやになったようなものじゃない」


 二人の視線を受けながらも、深山は笑みを崩すことなく言葉を紡ぐ。


「ここら辺できっちりと言うべきだと思うけれど? 『第五遊技場』の件について、どう考えているのか」


 そう言って細められた深山の目は、まず岩久良へと向けられる。

 先に貴方が言いなさい。先程の気持ちが嘘でないのなら、この場で言えるはずだ。まるでそう言うかのような視線を受け、岩久良は苦しげな顔のまま目を伏せた。

 これはすぐさま謝罪の言葉を口に出せば済む問題ではない。例え深山の中ではそれほどのことだと考えていなくとも、岩久良自身がそれを許さないのだ。

 自分の考えを、気持ちを整理するほんのわずかな間、三人分の視線が岩久良へと突き刺さる。

 一拍置いて、岩久良はゆっくりと目を開いて言葉を紡ぎ出した。


「私は……反省しているよ。愚かなことをしたと」

「……そう」

「これ以上、第五の主に対して強固な接触はしない。もし次会うことがあるのならば……正直に謝りたいよ」


 岩久良の言葉を遮らないように、深山が相槌をいれた。

 それで話しやすくなったのか、それは岩久良自身も分からない。けれど言葉を締めくくった時の彼は苦笑を浮かべ、どこか力が抜けているようであった。

 そんな岩久良を深山は優しげな笑みで見つめている。深山だけではない。早瀬も少し感心したとでもいった顔つきを彼に向けていた。

 ただ大ヶ島だけが、岩久良へと疑わしいと言わんばかりの表情を向けている。


「第二の主さんの言葉は聞いたのだけれど、貴方はどうなのかしら。第四の主さん?」

「挑発するように尋ねるのは止めてくださいませんかねぇ」


 視線を大ヶ島へと移しながら深山が尋ねれば、大ヶ島は笑みを顔に貼り付けながら応じた。


「僕だって反省していますよ、えぇ。申し訳ないことをしたなって。きちんと反省していますよ」


 力なく頭を振りながら、大ヶ島はそう締めくくる。そんな彼に岩久良と早瀬の疑うような視線が刺さるのは、それまでの彼が招いた事態でもあっただろう。

 一方の深山は笑みを浮かべるでもなく、けれど睨みつけるでもなくじっと大ヶ島を見つめていた。


(本当に言葉通りなのかしらねぇ……)


 内心で小さく呟いた原因は目の前の彼だ。今も申し訳なさそうな顔、遠くを見ているような目で反省の言葉を紡いでいる。


(言うというよりも吐き出していると言ったほうが、この場合相応しいかもしれないけれど)


 何を考えているのだと、深山は自身に対して思わず苦笑してしまう。

 けれどそう思えてしまう。目の前の大ヶ島は確かに反省しているように見える。そう、見えるだけだ。目は口ほどに物を言うとはまさしくこのことで、彼の目を見ても反省の色がこれっぽっちも見えない。


(諦めていないというよりか、優先順位が下がっただけという感じかしら?)


 では一体何が第五の主の案件よりも優先順位が高くなったのか分からない。大ヶ島から視線を外すことなく考えてみるも、候補としてあげた件ではどうにもしっくりこなかった。

 深山が考え込んでいれば、大ヶ島の視線が彼女へと移る。


「何です?」

「いいえ、何も?」


 思いのほか冷たい声音の大ヶ島に、深山も同じ冷たさをもって返す。どこかもったいぶるような深山の返答に、大ヶ島はピクリと眉を一瞬上げた。


「もったいぶるその様子、底意地の悪さが出ていますよ」

「あら、そうかしら?」

「えぇ。本当、カリオが所属国なだけありますね」

「あら、そういうあなたも皮肉が露骨過ぎるわ。本当、ホラビルが所属国なだけあるわね」


 互いが互いに挑発的な笑みを浮かべて言葉の応酬を繰り広げる。顔には笑みを貼り付けているものの、纏う空気は明らかに表情と違っていた。

 二人の間で火花でも散っているのではないかと、二人に視線を交互にやりながら早瀬は考える。

 この二人は特にこれなのだ。

 おそらく最初はお互いを知らない状態だったはずである。同じ高校にいるといっても全生徒と知り合いになるのは難しい。

 けれど今こうなっているのは互いの所属国によるものが大きいのだろう。


(同属嫌悪かもしれないけど)


 ポツリと早瀬は言葉に出さず胸中で呟く。そんなことを口に出してしまえば、大ヶ島はおろか深山もこちらに矛先を変えかねない。

 ただこれだけは許してくれと、早瀬は小さく溜息を吐いた。


「会議、そろそろ進めない?」

「……まぁ、それもそうですね」


 溜息混じりに言われた早瀬の言葉に、大ヶ島は少しばかり従うのが不服そうな顔をするも肯定の言葉を吐き出す。深山も賛成を示すように挑発的な笑みからいつも浮かべているそれへと変えた。


 早瀬の言葉で会議の進行が戻る。

 そこからは時折わずかな脱線をしながらも、会議は進んでいった。



     □     □



 会議場の外、扉の両脇には警備として樹沢とキシェルが立っていた。

 ちらりと樹沢が窓の外を確認すれば、会議開始時にはてっぺんにあったはずの太陽が街の影に隠れ始めている。

 もうそろそろ会議の終了予定時刻だ。


「はぁ……」


 意識せず溜息を漏らしてしまった樹沢に、隣のキシェルがピクリと反応して意識を向ける。そんなキシェルの様子を気にすることなく、再び樹沢は深い溜息を吐いた。

 一体これで溜息は何回目だろうかと、樹沢はぼんやりと考える。少なくとも天ヶ上と話してから溜息を吐いているのは確かだった。

 そう考えれば、樹沢の口から再び溜息が漏れてしまう。

 そんな樹沢の横から、少しばかり不満げな声で言葉が投げかけられた。


「……トウジ、さっきから溜息ばっかりなんだけど」

「わ、悪い」

「さすがに横の人が十秒間隔ではぁはぁ溜息吐いたら私も辛い」


 私が溜息を吐きたいぐらいだと、緩く首を横に振りながらキシェルは締めくくる。

 そんなキシェルに樹沢は眉尻を下げた。自分でも隣の人間が何度も溜息を吐いたのなら辛いものがある。その気持ちが分かるのだ。

 申し訳なさそうに肩を下げ、項垂れた樹沢にキシェルは仕方がないと小さく肩を竦めた。


「溜息の理由、どうせさっきの話し合いでしょ?」

「分かるのか」


 どうして理由が分かったのだろうか。そんな驚きが隠されることなく樹沢の顔にありありと出る。

 そんな彼にキシェルは呆れた顔を向けた。


「さっきの話から戻って今まで溜息吐いているじゃない。それまで溜息なんて吐いていなかったんだから、それが原因だと分かるわよ」

「そ、そう言われればそうだ」


 キシェルの言葉に樹沢は頷きながら言葉を零した。

 すぐ近くにキシェルがいたわけではない。けれど同じ空間にはいたのだ。少し離れた位置でも何やら話し込んでいるのは分かるだろうし、それ以降、溜息が増えればそのことが原因だと推測できる。

 あぁ、そうだと樹沢は言葉に出さないまでも再び納得した。

 けれどそれは結局そこまでのことで、樹沢の表情は依然として落ち込んだ人間のそれである。

 そんな樹沢をキシェルは見つめていたが、少ししてゆっくりと口を開いた。


「吐き出してもいいわよ」

「へ?」

「仕事中だけれど、今のままじゃあそれこそ仕事にならないじゃない」


 恥ずかしさと躊躇いを押し隠し、絞り出すような掠れた声に樹沢が聞き返せば、少しばかり音量を上げてキシェルが再び言った。

 ゆっくりと、樹沢は先程のキシェルの言葉を噛み締める。

 それと同時に口角が上がるのを樹沢は自覚した。抑えたい。けれどそれはどうにも抑えられない。


「トウジ、笑みを浮かべていないで」

「あ、あぁ。ありがとうな、キシェル」

「……それはいいから早く」


 催促するキシェルに樹沢は笑みを浮かべたままお礼を言う。

 その言葉にこれ以上は恥ずかしさが押し隠せないのか、キシェルはフイッと顔を背けて再度催促した。

 そんなキシェルに苦笑を浮かべつつ、樹沢は視線を自身の足元へと向けながら口を開いた。


「俺さ、勇気のこと、少しは期待していたんだと思う」


 口を開けばポツリ、ポツリと言葉が紡がれる。キシェルはそれを遮ることなく、相槌を打つこともなく、ただ黙って聞いていた。

 ただ聞くだけ。けれどその沈黙が樹沢にとっては心地良かった。


「何だかんだ、あいつはリーダーだったしな。俺みたいにきっかけがあれば、少しは変わるんじゃないかって」


 そこで言葉を切れば、樹沢はきゅっと口を閉じた。浮かんでいた笑みも消え、眉間にはわずかに皺が寄っている。

 ちらりと樹沢の表情を確認したキシェルは、ここで何か言ってはいけないとただ黙ったまま彼が再び口を開けるのを待った。


「でも、さ。さっき話を聞いたら変わっていなかった」


 どこか諦めたような笑みを浮かべながら、樹沢はただじっと自身のつま先を見つめ続ける。

 顔を上げることなど出来ない。まるで上から押さえつけられているような、自身におもりがついているような気の落ち込みようを樹沢自身も感じた。

 それでも開いた口が止まらないのは、吐き出して楽になりたいという気持ちもあったのだろう。


「勝手に期待したのは俺だし、勝手に失望しているのは俺だ。それは分かっているんだよ。けれど、あいつだって勇者を名乗っているんだからって、ちょっとは期待していたんだよ」

「……うん」

「結局はただの期待だけだったんだ。どうにかしてやれたのかな、なんて今更後悔したって遅いんだ。ほんと……何だかなぁ」


 そう言った樹沢は悲しさと諦めが混ざった笑みを浮かべながら、乾いた笑い声を漏らした。樹沢自身漏らすつもりも無かったその小さな笑い声は、キシェルの鼓膜を大きく震わせる。

 じっとキシェルは樹沢を見つめていたが、少しして口を開いた。


「私は、そうやって人を気にするトウジが良いと思うけれど」

「そうか?」

「私はトウジじゃないから、今のトウジがどんな気持ちを抱えているのか分からない。けれど……」


 そこで言葉を切れば、キシェルは真っ直ぐに樹沢の瞳を見つめた。何だと言おうと開きかけた口を、樹沢はそっと閉じる。


「うだうだ悩んでいるトウジはトウジらしくないと、そう思う」

「でも……」

「簡潔に答えて。トウジはあいつを信じたいの? それとも信じたくないの?」


 真っ直ぐ樹沢を見つめながら紡がれたキシェルの言葉に、耐え切れなくなった樹沢はそっと視線を外した。

 けれど視線を外してもキシェルがこちらを見つめているのが分かる。

 先程の問いの答えを求めているのだと、うやむやにして逃げることなど出来ないのだと思わせる彼女の視線を前に、樹沢は固く結んだ唇を解いた。


「俺は……まだ、信じたい。勇者としてじゃなくてもいいから」


 本音を吐き出せば、思いのほかその言葉は樹沢自身の胸にストンと収まった。それはもう、あれほどうじうじと悩んでいたのが嘘のようだ。


「ありがとな、キシェル。確かにぐだぐだと悩んでいるのは性に合わないわ」


 気持ちの整理をつかせてくれた礼の言葉を樹沢が言えば、キシェルは少し照れながら無言でコクリと小さく頷く。

 そしてすぐさまそれを隠すようにつんと顔をそらした。


「私は彼のこと、嫌いだけどね」

「ははは、だろうなぁ」


 はっきりと言うキシェルに樹沢も苦笑を浮かべるしかない。

 そんな奴ではないと否定しないのは、樹沢自身も天ヶ上がキシェルに嫌われても仕方がないと分かっているからだった。

 口をへの字にしているキシェルに苦笑を浮かべていた樹沢だが、ふっと視線を前へと戻す。

 そして酷く静かに口を開いた。


「……そろそろ会議も終わる。終わったら緋之宮先輩の弔い、着いてきてくれるか?」

「えぇ。丁度近くの路地に花屋があるらしいわよ。終わったらそこに寄りましょう」

「だな」


 互いに顔を見合わせることなく、二人は会話を終える。

 二人の間に漂う空気は確かに互いを信頼しているのだと分かるそれだ。そしてそれからは、その空気を樹沢の溜息が震わせることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ