第56話~ギルド、そして掲示板~
朝食を食べ終え、食堂を後にした俺とロルは一路、ホリービアにあるギルドへと向かっていた。魔獣のことならギルドにも何かしら情報があるのではないか、との考えからである。
朝と昼の丁度中間の時刻。早朝の澄んだ空気はとうに消え失せ、代わりに街を包んでいるのは昼に向かって高まる活気だ。聖職者が多いという点は違うもののやはりホリービアも街、そこに暮らす人々の活気は関係無いものだ。
おそらく孤児院を兼ねているのであろう教会の前では、優しげな笑みを浮かべた神父が数名の子供達を連れて買い物袋片手に街へと繰り出している。そんな彼らの後ろ姿を他の子供達が笑顔で見送っていた。
視線を建ち並ぶ店へと向ければ、中では冒険者と思しき男性と鍛冶屋の店主がカウンター越しに何やら話している。カウンターに置かれた剣を指差しながら話しているあたり、値切りか剣の性能についての話でもしているのだろう。
前へと顔を戻せば大通り全体が視界に入るが、先程見たような鍛冶屋の数も多くなっている。それにあわせてテントや干し肉などを扱う雑貨、治癒や解毒の薬を扱う店も多くなってきていた。
どれも冒険者の利用が多い店である。ギルドが近いということだろう。
「近くなんだろうが……お、あったあった」
辺りをきょろきょろと見回しながら歩いていれば、目的の建物を見つける。
三階建てのその建物を出入りしているのは一般市民もいるが、その多くが武器を携えた冒険者である。意気揚々と出てくる者、落ち込んだ様子で入り口をくぐる者と出入りする冒険者達の表情は様々だ。
そんな建物の入り口は両開きの扉が開け放たれ、今いる場所から中の様子がわずかながら窺うことが出来る。そんな入り口の上部には、冒険者ギルドを示す看板が掲げられていた。
「ピィ」
隣で小さくロルが鳴き声を上げる。それは先程までよりも軽く、少しばかり気の抜けたような鳴き声だ。
まぁ、それもそうか。いくらギルドのある通りとはいえ、ロルは先程まで道行く人の視線にさらされていた。
けれど今はその視線も柔らかくなっている。今は一般市民が少ないこともあるだろうが、ギルド近くならやはり魔獣を引き連れた冒険者を見かけることが多いためだろう。
そんなことを考えながら、人の流れに乗るようにしてギルド内へと入る。
ギルドといえど一般市民だって利用する。特に商人なんかが多いのは、行商で街道や森を進む彼らにとって魔獣の出没という情報は重要だからだろう。
だからこそ魔獣についての情報が詳しく掲載されているギルド内の掲示板へと多くが足を向けている。俺達もその掲示板に用があるのだが。
流れに乗ってギルド内へと入れば、辿り着いたのは円形の広いロビーだ。そのロビーを中心に酒場、受付、そして目的の者である魔獣や依頼が掲載された掲示板がある。
酒場にいる冒険者のほとんどが串焼きやサンドイッチをつまんでいる。中には日も高いうちに酒を飲んでいる者もいた。
そちらから受付へと視線を移せば、冒険者が依頼の書かれた紙を受付嬢に渡していた。その隣では依頼を発注している商人もいる。
そんなギルドの中、俺はそっと壁に沿うようにしてロルと共に掲示板へと向かう。
入り口のすぐ横に設置されているソレの前には数人、紙をしげしげと眺める人の姿があった。
いや、それにしても入り口近くでよかった。奥だとこう、どぎまぎしてしまうからなぁ。
掲示板の配置に小さく感謝していれば掲示板の傍へと辿り着く。そっと人の隙間を縫うようにして前へと出た。
「えっと、依頼じゃなくて魔獣についての情報は……あぁ、手前なのか」
ざっと掲示板を見てみれば、どうも依頼の紙は掲示板の正面に立って向かって右側に、情報などの書かれた紙は向かって左側に貼られているようである。丁度俺のいる位置は情報の書かれた紙の側だし、わざわざ移動しなくてもよくなった。
安心して上から紙を見ていく。
書いてあるのはどうにも魔獣の出現情報からあの冒険者がランクアップしたといったものと様々だ。ランクアップはどうにも目玉情報として取り扱われているのだろう、比較的大きな紙に目立つようにしてその名前が書かれている。
まぁ、そのせいですぐさまその紙が目についたわけだが。
(おれだったら恥ずかしくて無理。こうしている以上、何かしらの意味があるから目立つようにして書かれてあるんだろうけれど)
小さく溜息が出そうになるのを堪え、視線を別の紙へと移す。ん?今、気になるタイトルの紙があった?
「お、これだ」
先程まで見ていった紙を辿っていけば、気になったタイトルの紙を見つける。
書かれているタイトルは「魔獣襲撃」というなんとも簡素なタイトルのもの。けれどその文字は大きく、紙にしても他のものよりもつい最近貼られたのか色あせずにまだ新品のソレである。
内容はっと……あぁ、これつい先日あった『第一闘技場』の魔獣について書かれてある紙じゃないか。
目当てのものを見つけて早速その紙を読んでいく。書かれてある内容は『第一闘技場』から『アトレナス』へとやってきた魔獣の群れが出現した箇所のようだった。
えっと場所は……ホリービアの壁門近くに広がる森、海岸沿い、少し離れた箇所で言うのならば国境へと続く街道付近、そしてその周辺に点在している村の辺りだ。どうにもそこら辺に魔獣の群れが出現したらしい。
けれどもそのどれもが討伐されたと書かれている。
最初に討伐されたのはホリービアの壁門近くに広がる森。そして次は海岸沿いとホリービアから離れるように討伐されているのは、最初に群れを発見したのが森だったからだろう。
森で見つけ討伐し、そしてその情報からギルドなり国なりが動いて討伐隊を出した。こういったところか。
「ん? 見つけた場所ってこれだけか?」
思わず言葉が漏れてしまう。抑えることが出来ず、驚きで目を見開かれるのが自分でも分かった。
書かれている出現場所、そのどれもが俺の知らない場所、つまり遭遇しなかった群れだ。
けれどもその中に俺が群れに出会った場所は書かれていない。海岸沿いや森に注視したものの、書かれている内容を見ればどうも違う場所のようだった。
全て把握しているのでは、と思っていたのだがどうにも違うようである。
一体どうしてなのか、どうして俺が遭遇した場所は書かれていないのか。
あるとすれば情報が届き、ギルドや国が動くまでの間に魔獣の討伐を完了してしまったということもある。さすがに群れの規模が規模なだけに、その場に残すようなことをしていなかった。痕跡の無いものを見つけろ、というのも酷である。
(もしくは情報でも漏れがやはりあるか、だよな)
すっと細めた目で紙を見つめながら、内心で呟く。放っておいてしまったからだろうか、ロルが擦り寄ってきたようで足が少しロルの体温で暖かい。
詫びも込めてロルの好きなようにさせながらも目の前の紙からは視線を外さない。
俺が遭遇した群れは時間的に厳しいものがあったとして、残るは他に存在する群れが調査から漏れているかどうかだ。
(そんなことは無い、と思いたいんだけどなぁ)
ギルドだけならばまだしも、ここホリービアには各世界の主に加えて勇者までもいるのだ。しかも冒険者からの又聞きでは、そこまで戦闘に苦労しているわけではないように思える。
そんな勇者達が動いたと仮定すれば、漏れはまず無いと思うのだが。
(これ以上、道中で出会わないことを祈るばかり、だな)
『第一闘技場』の魔獣はそれだけでも厄介ごとの種である。
ホリービアに来る前のように人知れず討伐できるならまだしも、誰かに見られてトラブルに巻き込まれるのは困る。そうでなくともこちらは人相書が張られている身なのだ。
……なんだか俺が犯罪者みたいだぞ。おかしいな、やったこととしては勇者側が非道なのに。
微かに募った不満を振り払うように、視線を別の紙へと滑らせる。先程の紙のようにまだ貼られて間もない紙を探せばほぼ当たりだろう。
そう見当をつけて探せば先程よりもすぐに見つかる。今度はギルドの情報というよりも、チラシのような紙だ。まだ新品の紙であるそれは、左上にでかでかと「速報」と書かれていた。
「勇者様方が魔獣を討伐、か」
見出しであるその一文を小さく声に出しながら記事を読んでいく。
ちらりと視線を横へと動かせば、この記事には他の人も注目しているのか何人かが記事へと視線を注いでいた。
やはり気になるんだろうな。俺としてはあんまり良いものではないが、まだ彼らにとって天ヶ上や橘、緋之宮、小峰、そして樹沢は勇者なのだ。
視線を記事へと戻せば、最初に目に入ったのは天ヶ上の名前。読んでいけば記事の大半は天ヶ上が進んで『第一闘技場』の魔獣を討伐したことが書かれている。その記事の中には冒険者から又聞きしたマンティコアラを一人で討伐した、という内容も書かれていた。
(マンティコアラを一人で討伐した勇者・天ヶ上は真の勇者と言えるだろう、ね)
露骨な天ヶ上を上げるような記事に思わず眉根を寄せてしまう。
本当にこれを書いたのだろうか。第一王女あたりが圧力でもかけたように思えるなぁ。実際、想像できる。あの第一王女が天ヶ上の勇姿を一面に取り上げろと言う姿がな。
口からこぼれてしまいそうになった溜息を飲み込み、次の記事を読む。ちらちらと樹沢の名前が書かれているが、それでも天ヶ上ほどの取り上げ方は為されていない。おかげで樹沢も魔獣の群れを討伐した、ぐらいしか情報が入ってこなかった。
天ヶ上や樹沢だけでなく、橘といった他の面々の情報も知りたいのだがそれらしいものは書かれていない。どれもが勇者という言葉で一括りにされており、それぞれの名前が出ていない。
(いやいや、ここまで他のメンバーの話が無いというのはおかしいだろ。つい先日のことだからか? 本当に活躍が無かった?)
一体どれなのだろうかと眉間に皺を寄せながら考える。
つい先日のことだから急いで記事が書かれたのだろうか。けれどもそれでは天ヶ上について詳しく書かれているのと少しばかり矛盾してしまう。急いだにしては詳しい。
第一王女の言葉で天ヶ上だけが取り上げられているというのが一番想像できるんだがなぁ。そこまで彼女達の様子を詳しく知っているわけではない。けれど以前のハーレム組を想像するに、とてもではないが女子達の仲が良いとは思えないのだ。
(ひとまず頭の片隅に留めておこう)
そう考えた後、掲示板を再度見渡す。他にめぼしい情報は無いなぁ。
気付けばもう昼を過ぎている。隣で手持ち無沙汰気味のロルが空腹を訴えるように服を引っ張ってきた。鳴き声を上げないのは、場所が場所だからだろう。
掲示板の前から一歩後退してギルドを見れば、先程よりも人の数が多くなっている。手に入れたい情報も手に入れたし、そろそろ引き時かもしれない。
「行くか」
短いその言葉にロルは無言で頷く。
人がごった返し始めたギルドの中、俺とロルは壁に沿うようにしてそっとその場を後にした。
外に出れば降り注ぐ日の光で思わず目を眇めてしまう。そこまで長いこと室内にいたわけでは無いはずなのにな。
ロルと二人、宿屋へと戻る通りの道を歩く。風に吹かれて微かに建ち並ぶ店の看板がゆれ、女性がなびく髪を抑えながら道を歩いていた。
昼時ということもあって道行く人の大半が昼食を目当てにしているのだろう。朝にはあまり混んでもいなかった食堂やレストランは人がごった返し、あちらこちらで楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。
八百屋では特売だなんだと声を上げる者がおり、その隣では新品の剣を大切そうに抱えた新人の冒険者がドアベルと共に店内から出てきた。
普段なら陽気と感じるだろう。もしかしたらその陽気さに乗って何か屋台で買っていたかもしれない。
けれども眉間の皺は取れない。取ることなど出来ない。
依然として突き刺さるロルへの視線。それが眉間に皺の原因だった。
決して好意的といえるような視線ではない。随分と前から感じていた剣の切っ先を突きつけてくるような悪意のそれが今もなおロルへと向けられている。そしてロルを連れている俺にもだ。
俺だけならば、まぁ、構わない。けれどロルへと向けられる一方的な悪意は何とも不快だ。道行く魔獣に対して同様の視線が突き刺さっているあたり、ホラビル神聖国の人々は魔獣に対して反射的にそんな視線を送っているのだろう。
こんな国のことだ。仲の悪いカリオ魔国の住人である魔族が歩いていたらさらに酷いことになる。そのためか先程から魔族の姿を見ることは無い。
突き刺さる視線。その中を魔獣とその魔獣のパートナーが生きていくには酷く辛いだろう。短期間であるならまだしも長期間この視線に晒されたいとは思わない。
(ことが済み次第ホリービア、いやホラビルから出て行くのが良いかもな)
そんなことを考えながら宿屋へと向かう足取りは止めない。少なくとも魔獣が泊まることの出来るあの場なら、ロルへの視線も和らぐ。丁度食堂もあったはずだし、そこで昼食としよう。
いつもよりロルと密着した道中、依然として冷たい視線が俺達に注がれる。それが和らぐ様子は今のところ、兆しさえも無かった。
□ □
翌日、いよいよ主達による会議当日である。
宿屋を出た俺達は大通りではなく、人のいないひっそりとした裏路地へと来ていた。建物が混在しており日もろくに当たらないこの場所は<レーダー>で確認しても周囲に人の気配は無かった。
上を見上げれば目的の場所である大聖堂の姿を拝めることの出来るこの場所に来ている理由は単純だ。これから大聖堂内へと潜りこむためである。
そのための準備として魔法をかけるのだが、人目のある場所でやるわけには行かない。
「ロル、それじゃあ魔法をかけるぞ」
「ピニョ!」
ロルが元気よく一つ頷くのを確認して、ロルへとハイドの魔法をかける。そして次には俺も。
これで俺達の姿は誰にも分からない。あとは念のためのバリアもかけてっと。
一瞬半透明の膜が俺達を中心にして包み込むように発生する。けれどもそれはすぐに空中へと溶け込むように消えていった。
ハイドもかけた、バリアもかけた。それじゃあそろそろ出発するとしようか。
ロルは羽ばたきながら、俺は飛行の魔法を使って空中へと浮かび上がる。眼下に広がる街並みを尻目に真っ直ぐと大聖堂へと向かえば、前日確認した会議場と思しき階の高さまで大聖堂に沿って上がる。
再度、オープンマップと<レーダー>を同時に展開すると部屋の中に一つ反応がある。そして外には複数の反応。
一体何だろうかと<レーダー>の設定を変えてみれば、部屋の中にいるのは主、そして外にいるのは勇者だった。うん、やはりここで間違いは無いようだな。
ちらり、とロルに目配せする。確認の意味合いをこめたそれに気付いたロルは無言で一つ頷いた。
準備は出来た、それならば行こうか。
無言でファントムの魔法を発動させる。簡単に言えば壁を通り抜けることの出来る魔法だ。この状態では物体を掴むことは出来ない代わりに、壁といった物をすり抜けることが出来る。
そっと大聖堂の壁に手を触れてみる。けれども指先に感じるはずの壁の感触は無く、代わりに目の前で手首から先が大聖堂内へと入っていった。
魔法が無効化にされてはいない、か。何度か試した手首から先はまだファントムをかけられた状態にある。これならば大丈夫だろう。
意を決してロルと共に無言で大聖堂内へと入る。視界を一瞬壁が埋めたが、すぐにそれは中の広々とした空間へと変わった。
円形の空間には中央に巨大な木製の丸テーブルが設置されている。そのテーブルに沿うようにして等間隔で渋い木の椅子が置かれていた。背もたれだけではなく手すり、足にも細かい模様が彫られている。
室内を柔らかく照らす日の光が凝った造りの窓から差し込んでいた。下は普通の窓ガラスだが、上部の半円を形作っているそれは様々な色を使ったステンドグラスとなっている。
壁をぐるっと見ていけば右側には一つばかり観音開きの扉がある。あそこから出入りするのだろう。
神秘的な空気さえ感じさせるような大聖堂内の会議場。その静謐な空気を一人の少年が振るわせた。
「それではこれより、会議を始めようか」
どこか軽い口調で言った少年――『第四工房』の主の言葉に既に席に着いてた他四人の主が思い思いに返事を返す。
静かな会議場内で始まる会議、それを俺とロルは彼らの頭上から声を押し殺し、少しばかり体に緊張が走りながらも見守るのだった。




