閑話~孤独、そしてフード~
「ちょっと強いだけの魔獣に手こずらないでくれない、小峰さん?」
「ごめんなさい……」
ホリービア近くに広がる森に女性の声が二人分響く。前者は不機嫌さを隠すことなく出しており、後者も謝ってはいるものの形だけのような声音だ。前者は緋之宮であり、後者は小峰である。
短い会話の後、二人は顔を向けることなく視線を相手に向ける。視線が合った瞬間、ギッとでも音が鳴りそうなほど睨み合う二人だが、少しして視線を前へと戻した。
小峰の察知した魔獣の群れは実際にいた。けれどそれは小峰達にとって少しばかり手こずる程度の強さであって苦戦するほどの強さではなかった。今は周囲を警戒しつつ残党を探している最中である。けれども緋之宮にとってそれはあまり望んだことではなかった。
堪えきれないとでもいうように、緋之宮はいつも以上に心情を吐露している。
「本当、あなたと一緒にいるより今すぐ勇気君に会いに行きたいわ。彼と一緒だったらもっと早く魔獣を討伐できるもの」
「そうですか……」
「えぇ、そうよ」
小さく呟かれた小峰の言葉に緋之宮は前へと流れてくる髪を後ろへ流しながら噛み付くようにして返す。小峰はそれに小さく顔をしかめさせるも、何も言わなかった。ここで噛み付いたとしてしもただ事がこじれるだけである。それに緋之宮の言葉を真っ向から否定出来ない。
小峰は何も言っていないものの、緋之宮とは同じ考えなのだ。
目の前の人間よりも自分が恋い慕っている天ヶ上と一緒に行動したい。それが本音である。緋之宮のように直接言葉に出すことはしていないが、内心では強くそう思っていた。
小峰と一緒に行動するのではなく、早く天ヶ上に会いたい。そんなことを考えている緋之宮の耳に聞き慣れた声が横から発せられた。
「緋之宮先輩、魔獣の群れがいます……。一人でも討伐できる量なのでここで待っていてください」
「え、ちょっと小峰さん!?」
少し声を荒げながら緋之宮が小峰を呼ぶも、小峰はそれを無視して森の奥へと姿を消す。緋之宮には何の気配も察知できないが、察知系のスキルを持っている彼女は見つけることができたのだろう。
「一人で大丈夫だと言っていたし、手伝う必要も無いわね。義理もないし」
今まで行動を共にしていたにも関わらず冷たい言葉を吐き捨てるように言うと、緋之宮は冷めた視線を小峰が去った方向へちらりと投げかける。それでも一人というのは心細いのか、緋之宮はいつでも抜けるように携えている刀の柄へ手をかけた。
「大体、橘は後輩なのだから先輩である私に勇気君と一緒に行動する機会を譲ってくれてもいいはずよ。いいえ、そうするべきだったのよ。彼女みたいなちんちくりんよりも私のほうがいいのに」
刀の柄に緩く手をかけたまま呟かれる言葉は、他のメンバーに対しての小言だ。
自分のほうが誰よりも天ヶ上に相応しい、他の女性はここが駄目だといったことを呟く緋之宮の顔は、天ヶ上の前にいる時とはあまりにも違っている。慕っている天ヶ上に見せるには憚られるほどのあまりに酷い形相だ。
「こっちの世界に来てシェルマやミレイアみたいな女も増えたし……。どうしてぶりっ子なあの女達が勇気の傍にいるのよ」
依然として呟かれる他の女性への悪口。それを呟く緋之宮は長く艶やかな黒い髪が顔にかかり、酷い形相もあいまってより一層不気味さを増していた。意識は既に周りの警戒から他の女性への嫉妬に変わっている。
――――だからこそ、すぐ傍に近づくまでソレに気付かなかった。
「っ!」
声を出す間もなく瞬時に後ろを振り返ると、視界一杯に広がったのは回転しながら迫ってくるバトルアックスだった。木製の太い柄に両側が刃となっているシンプルで巨大なバトルアックスである。それが風を裂く音は不気味で、本能的に恐怖を感じさせる。
このバトルアックスを見たことがある。確か棍棒を持っているミノタウロスや一つ目トロールが時折この様な武器を使っていた。
ぼんやりとそんなことを考えるのは、目の前の現実から目をそらそうとしているからだろうか。やけにゆっくりと迫るバトルアックスの刃が陽の光を受けて煌く。
「助け――――」
必死の形相で緋之宮は口を開いた。
刀をすぐにでも抜こうとした。
気付くには遅すぎて誰かに、愛しい彼に助けを求めようとした。
本来ならば気付くはずなのにも関わらず、どうして気付かなかったのかと自分を責めた。
――――けれど、何もかもが遅かった。
刹那、肉を叩き切る音が静かな森の中に響く。
何とも形容しがたいその音の後、緋之宮の頭部がゴロンと地面へと転がった。赤い液体が勢いよく首から噴出していたがその勢いも弱まり、頭部の無い体はゆらゆらと揺れると地面へ倒れ伏した。
静寂が満ちる森の中、ゆっくりと赤い水溜りが緋之宮の首を中心に広がっていく。
先程まで愛しい彼と一緒に行動したいと願っていた彼女の最後は、誰も傍にいない孤独なものだった。
□ □
「……お馬鹿」
茂みから姿を現した少女――小峰はただ一言そう呟く。
目の前には先程までチームを組んでいた先輩の姿がある。もっとも、最後に見た彼女の姿は頭部と首から下が分かれた状態ではなかったが。
ぼんやりと緋之宮だったものの傍に立ち尽くす小峰。じっと見据える彼女の表情は髪がかかってそばからは窺うことが出来ない。
ただ黙って見つめ、杖を握る手に力を込めた。
「……こうなるなんて、こうも上手くいくなんて、思わなかった」
そう言って小峰の顔に浮かんだのは笑みである。喜びと目の前の緋之宮に対しての蔑みに似た色を宿した瞳は笑みで薄っすらと細められ、堪えようという意思も無いように口角も上がっている。
「気付かないほうが悪い……」
狂気的な笑みを浮かべたままの顔で小峰はそう呟く。
どうして緋之宮がバトルアックスに気付かなかったのか。それは彼女が他者への嫉妬で警戒が緩くなっていたこともあるだろう。けれどそれだけではなかった。
「死体、こっちへ近づけとかないと……」
そう言って小峰は振り返ると杖を小さく振る。少しして森の茂みを掻き分けて姿を現したのは地面からほんの数センチ宙に浮いている息絶えた一つ目トロールの死体だった。
茂みから一つ目トロールの上半身が姿を現したところで止めると、小峰は発動していた魔法を解く。同時に一つ目トロールの体はそこまで高く浮いていないこともあって、小さな音と共にうつ伏せで地面へと落下した。
一つ目トロールの手には何の武器も握られていない。それもそのはずだった。
「大変だったんですよ、緋之宮先輩……。先輩の方向に斧が飛んでいくようトロールの攻撃を誘うのは……」
小峰が緋之宮へ言った魔獣の群れがいるという話は本当だ。一人で対処できる、というのは少々辛いものがあったがそれもどうにかなっている。
連れてこなかったのは確実に殺すためでもあった。そこまで広い範囲を察知できない小峰は緋之宮の位置を確認しつつ、一つ目トロールによる投擲を誘発させた。何匹か何とも見当はずれの場所に投げたのはさすがに舌打ちをしてしまったが、それでもこうして結果が出たのならばそれも許せる。
「もう少し警戒していればもっと早く察知できたかもしれませんね、先輩。あ、でも無理ですね。私が魔法をかけているから」
何も知らない者が見れば何とも愛らしいと形容するだろう笑みを浮かべて、小峰は何でも無いように呟いた。
一つ目トロールの投擲を誘発しただけならば、さすがの緋之宮でも飛んでくるバトルアックスに気がつく。
けれどそのバトルアックスにサイレンとハイドの魔法がかかっていたらどうなるか、それは想像に難くない。音も無く死角から飛んできたバトルアックスはこうして緋之宮の命を奪っている。当たる瞬間、緋之宮が気付いたのは元のステータスが高いためであった。
ちなみにバトルアックスにかけられていた魔法は既に切れている。
「あ、こうしてちゃいけない……」
先程まで浮かべていた仄暗い笑みを消すと、緋之宮の傍に尻をつけるようにして小峰は座りこんだ。暫くじっと緋之宮を見ていた彼女だが、少ししてその瞳に涙が浮かぶ。そして小さく息を吸った。
「イヤアアアアアアアアアアアアッ!」
今まで出したことが無いのではと思うほどの大きな声で小峰は悲鳴を上げる。天ヶ上の耳に届くほどの甲高い悲鳴は、静かな森の中に響き渡っていた。
「せ、先輩……! 先輩!」
そして今度は緋之宮の体に抱きつき、ぼろぼろと涙を零す。傍から見れば緋之宮の死を悲しむ後輩である。
(これで大丈夫……。勇気先輩に慰めてもらえるかも……)
もっとも、その考えていることは悲しさとは程遠いものだった。
「理沙! 一体何が……ってこれは!?」
少しして小峰の耳に届いたのは切羽詰った声をした天ヶ上の言葉だった。肩を震わせながら小峰が声のした方へと顔を上げると、こちらに駆け寄ってくる天ヶ上の姿と目を見開いて緋之宮を見る立ち尽くした橘の姿があった。
シェルマやミレイアの姿は無い。遠くて声が聞こえなかったか、最初から駆けつける気など無いのだろう。
そうしている間にも天ヶ上は緋之宮の傍へと駆け寄り、片膝をついて彼女の体を抱えようとする。けれども頭部の無い体なのだと気付くと小さく引き攣った声を漏らし、そのまま彼女の体から手を離した。手から離れた頭部の無い緋之宮の体は、大きく音を立てて地面へと落ちる。
「あ……」
天ヶ上は申し訳なさそうな顔で小さく声を漏らした。けれどすぐにこのまま見てはいたくないとでもいうように視線を小峰へと向けた。
「理沙、大丈夫か……?」
「う、ひぐ……何とか……。でも、私が離れた間に、先輩が……!」
嗚咽を漏らしながら答える小峰の体を天ヶ上は抱き寄せ、慰めるように頭を撫でる。
「理沙、僕がいる。泣き止んでくれ。泣いている姿は理沙に似合わないよ」
「ひ、ひぐ……うぇ……」
頭を撫でながらそう言われるも、小峰の嗚咽は止まらない。天ヶ上の胸に頭を押し付けられるようにしてあり表情は窺えないが、それでも震える肩や漏れる嗚咽は悲しみを表している。
だからこそ、少し離れた位置で様子を見ていた橘は何も言うことが出来なかった。暫く突っ立っていた彼女だが、辺りをきょろきょろと見回して何かを探すような仕草をする。
見つけたのは一つ目トロールの死体、そして近くの木の幹へと突き刺さったバトルアックスだ。よく見ればその刃には血が付着している。
(緋之宮先輩は一つ目トロールの投擲にやられた?)
小さな引っ掛かりを覚えるも、目の前の事態はその通りだと伝えてきていた。
緋之宮の力なら防ぐことは可能なはずだが、死角からの攻撃ならば可能性はある。こうしている今も魔獣が襲ってくる可能性があるがそれらしい気配は無い。殲滅したことで気が緩んでいたという可能性も考えられる。
そう結論付けた橘は二人の傍へと近づいていく。森の中、小峰の嗚咽と天ヶ上の慰める声が響いていた。
しかし小峰の表情は誰にも見えない。そう、見えないのだ。
(あぁ、勇気先輩に抱かれている……)
だからこそ天ヶ上の腕の中、嗚咽を漏らしているはずの小峰が口の端を笑みで歪めているものの、それは誰にも気付かれることはなかった。
□ □
ハーレム組が悲しみに暮れている頃、『第一闘技場』の外に広がる森は打撲音と魔獣の悲鳴で満たされていた。
「ふざけるなあああああっ!」
怒号を響かせながら拳をふるって次々に魔獣を倒しているのは、怒り狂った形相の早瀬だ。彼女が動くたびに髪が乱れ、さながら鬼のようでもある。魔獣を倒すたびに彼女が着ているジャージにその返り血が飛び散っていた。
目の前に現れて邪魔をしてくる魔獣を蹴散らしつつ猛スピードで進んでいけば、早瀬は開けた場所へと辿り着く。
瞬間、早瀬は急ブレーキをかけてその場に立ち止まり、目の前で起きた光景に思わず声を漏らした。
「くそ……っ!」
忌々しげに言葉を吐き捨てた早瀬の目の前で多くの魔獣が転移され、その姿を消してしまう。到着した次点で転移の魔法は既に妨害が困難なほど進んでいたのだ。あのまま突っ込んでいたとしたら、今頃早瀬は魔獣と共に『アトレナス』へと転移してしまっていただろう。
十や二十ではない、百単位にも及ぶ魔獣が転移されて、先程までどこか窮屈だった目の前の開けた場所は一気に閑散としたものとなる。そして早瀬の対角線上、開けた場所でも森の茂み近くに一つの人影があった。
早瀬の目が細められる。魔獣が転移された今、ここに残っているのはどう考えても転移を実行した人物だ。
全身をすっぽり覆い隠すほどの丈が長いローブを羽織ったその人物の顔は、フードを目深に被っているため見えない。けれども微かに覗いている赤い目は爛々と不気味に輝いていた。
「あなたが、第一の魔獣を転移させているのよね?」
「ソノ通リ、ト言エバ?」
早瀬の問いにローブの人物は可笑しそうな声音で答える。
刹那、早瀬は強く地面を蹴ってローブの人物との距離を縮めた。犯人が分かった以上やることはただ一つ、目の前の人物を『第一闘技場』から排除することである。
小峰は右の拳を振り上げると、相手の鳩尾目掛けて突きを放った。常人では出せないスピードで放たれたその攻撃は人の拳ながらも唸るような音を上げる。
常人ならば避けることなど出来ない。そのはずだった。
「……私もふざけた力を持っていると自負していたんだけど、あんたも大概ね」
「褒メ言葉ト受ケ取ッテオクヨ」
怒りを隠すことなく発する早瀬の言葉に、攻撃を避けたローブの人物はどこかぎこちない言葉で返す。よく見ればその足であろうものは蛸のような触手だ。人間ならまずそんな足ではない。可能性としては魔族だろうか。もしそうであるなら第三の主に言わなければならない。
そんなことを頭の片隅で一瞬考えた後、もう一度攻撃を仕掛けようと橘は足に力を込める。
(多分、攻撃力はこっちが上。ならとっとと決めるが勝ち)
そう結論付けて攻撃しようと飛び上がり、距離を一気に縮める。ローブの人物はさすがにそのスピードについていけず、距離を離す前に早瀬に追いつかれてしまった。
「失せろっ!」
そう吐き捨てられた言葉と共に橘は回し蹴りを繰り出す。風を切る音が森に響く中、その攻撃をフードの人物は紙一重で避けた。体に当たることは無かったものの、頭部目がけて放たれた鋭い蹴りはフードを揺らす。
「危ナイ危ナイ、今ノママジャア死ンデシマウカラ逃ゲヨウカ」
「おちょくってる?」
「真面目ダヨ? コレデモ」
フードから覗く赤い目を細めそう言えば、フードの人物は魔力を込め始めた。
このままでは転移の魔法を使ってこの場から逃げられてしまう。そう考えた早瀬は妨害しようと再度接近を試みた。歯を食いしばるその表情、見開かれた目のどちらにも目の前の人物への殺意が隠されることなく滲み出ている。
けれどもそれはあと一歩、遅かった。
「ソレジャア、サヨウナラ。ドウカ喰ワレルマデハ死ナナイデネ?」
ニタリといった擬音が付きそうな笑みを浮かべたフードの人物は、その言葉と共に姿をかき消す。消えたと同時に橘の拳は先程フードの人物がいた空間を殴った。けれどもその攻撃は当たるものがないために空を切る。
あと少し、あと少しだったのだ。相手が早瀬の攻撃を受け止める、もしくは反撃することが一度でもあれば捕まえることなり出来たが、そんなことをせずに逃げの一手である相手を捕まえるのは困難だった。
空を切った拳をしかめ面のまま無言で見つめていた早瀬だが、先程ちらりと窺うことが出来たフードの中身を思い出す。
暗がりの中で薄っすらと見えた明らかに人間のものではない顔。知っている種族で近いものといえば一つしか思いつかない。
「あれはどう見ても魔族。……会議もあるし第三の主にちょっと聞いてみようかしら」
小さくそんなことを呟いていた早瀬だが、ふと背後に立った気配に気付く。そちらへと視線を向ければこちらを見ているキシャーンの姿があった。
「早瀬様、賊は……いえ、失礼しました」
「そ、私の責任。ごめんね、捕まえるなんて意気込んで来たのに取り逃がして」
「いえ、早瀬様のスピードには誰もついていけませんから。それに早瀬様が飛び出してからそこまで時間が経っておりません。相手は最初からもう逃げる気だったのでしょう」
キシャーンの言葉を肯定するように早瀬は無言で頷くと、再び口を開いた。
「逃げの一手、反撃とかしてくれたら捕まえやすかったのに。最初から逃げる準備をしていたね、あれ。魔獣だけを狙っていた様子だったけど、とりあえず種族は魔族が一番可能性高いかな。丁度会議もあるし、第三にも話しておくよ」
「かしこまりました」
「あぁ、あとあいつの出入りが出来ないようにしないとね」
「ではそれに関しては闘技場に戻って会議を行いましょう」
「ん、分かったよキシャーン」
キシャーンの提案に乗った早瀬はしかめ面で一度ローブの人物が消えた場所を睨む。けれどそれはわずかな時間のことで、すぐに彼女は闘技場のほうへと歩き始めた。
キシャーンはそんな彼女の半歩後ろをついていく。何も言わずとも分かる。怒りと自責、それらがない交ぜになった感情は隠そうとしても漏れ出ていた。視線を落とせば早瀬の手は強く握り締められている。
どちらも口を開くことなく、重苦しい空気の中を闘技場へと向かって歩いていく。
早瀬は胸中で渦巻く感情をどうにか逃がすように、険しい表情のまま唇を噛み締めた。




