第39話~日常、そして鬼ごっこ~
五大祭から一ヶ月後、『第五遊技場』へと戻ってからはいつもどおりの日々である。ゲートに監視役の兵士がいたが、<完全隠蔽>で誤魔化して通ることが出来た。
変わったことは無いけれど、まぁ、少しばかり神様から挑まれることが多くなったりしたな。
懐かしい色鬼や影鬼、力比べである腕相撲と挑まれたものは様々である。一番最近挑まれたものと言えばあれだろう、缶蹴りをやったな。
……いや、下級神である子供達がな、どうしてもと。他の客の迷惑にならないよういつぞやの的当てのようにして遊んださ。ちなみに俺が鬼である。
まぁ、缶蹴りといっても前の世界のような様子ではない。ルールとしては同じなのだが、鬼が俺だし逃げる相手は下級とはいえ神である。十まで数えた瞬間、隠れている子供達を見つけるのだが不意を突くように子供たちが缶へと向かって走ってくるのだ。土ぼこりをあげて、とても人間には到達できないスピードで。もちろんこちらは鬼なのだから、同じように土ぼこりを上げて子供が缶を蹴るのを阻止する。
言うならば早送りしているように高速で行われる缶蹴り、だろうか。……うん、前の世界ではもっと和やかなはずだった。
当時のことを思い出して何とも言えない気分になりかけるが、それを消すように軽く頭を振って現在の仕事、半ば日課となっている園内の見回りに集中した。現在地は入場ゲートに近い辺りで、白亜の壁へと向かいながら見回りをしている。
隣ではロルが先程与えたナッツ類をおいしそうに食べていた。以前は鉤爪で何かを掴むにしてもそこそこの大きさがなければ掴むことは出来なかった。
けれど今では細いものでも何とか掴むことが出来るようになっている。現にナッツ類の入った小さな袋を片手に持っていた。さすがにナッツをつまむことは出来ないのか、袋に直接くちばしを突っ込んで食べてはいるが。
「上手いか、ロル?」
「ピッ!」
「どれが一番おいしいんだ?」
「ピ~……、ピニョ!」
俺の問いに元気良く頷きながら答えるロル。どれが一番おいしいのかと尋ねてみると、ロルはしばらく悩んだようにしながらも好きだと思われるナッツをくちばしでつまんで見せてくれた。
つまんでいるのはマカダミアナッツに瓜二つの木の実である。色は赤で、大きさが少しマカダミアナッツよりも大きい。『アトレナス』には無い食べ物で遊技場の外に広がる森に自生している木の実だ。
なんでもお客として来た神様が持ってきたのだとか。理由は……確かそうだ、そのお客の世界でこの木の実が絶滅寸前だったからという理由だったはずだ。その後、本当に絶滅してしまったらしいが。
この木の実、『第五遊技場』では森の一画を占めるほど自生しているのだけれどなぁ。まぁ、店やお土産として最低限しか採っていないので、時間がたてば更に増えることだろう。
隣でナッツをおいしそうに頬張るロルを横目に、思わず笑みを浮かべてしまいそうになりながらも見回りを続ける。
五大祭の時よりは少ないけれども楽しげな顔のお客さんにぶつからないよう歩き、大きな広場へと出る。お土産やレストランなどの店に囲まれた広場、見上げればエリアを分ける白亜の壁がいつもどおりそこにそびえ立っていた。
それじゃあこれから上級神エリアを見回ろうかと考えて白亜の壁を通ろうとした瞬間、連絡用の水晶玉が光る。誰かから連絡が来たのだ。
「ロル、少し待ってくれ。連絡が来た」
「ピ?ピィ」
ロルが分かったというように頷く。それを横目で確認しながら連絡に出ると、連絡をかけてきたのはオルブフだった。思わずなのだろう、無事繋がったという小さな彼の声が耳に届く。
「秋人様、今大丈夫っすか?」
「見回りの途中だから大丈夫っちゃ大丈夫だが。どうかしたのか?」
「いえ、秋人様に用があると仰るお客様が館にいらしてるんすよ。遊びの申し出っす」
「あぁ、なるほど」
オルブフの言葉に納得し、思わず小さく頷いてしまう。お客である神様から遊びの申し出かぁ……とりあえず内容を聞いてからじゃないと何とも言えないな。時間がかかるものなら日付を決めなければならないし。
「オルブフ、遊ぶ内容は聞いているのか?」
「何でも鬼ごっこみたいっす。そこまで時間がかかるものじゃないっすから、これからでも出来るのではないっすかね」
「そうだな……とりあえずそっちへ向かうよ。場所は館だな?」
「そうっす。それじゃお待ちしてるっすね」
オルブフはそう言うと連絡を切る。小さく通話の切れた音がしたかと思うと、水晶玉に映っていたオルブフの顔がスッっと消えた。
それを確認して水晶玉をしまうと、視線をロルへと向ける。ロルはボーっと辺りを見回しながらナッツを食べつつ暇を潰していた。視線に気づいたのだろう、ロルはこちらへと顔を向ける。
「ロル、これから館に戻るぞ。お客さんが遊びの申し出で館にいらっしゃっているそうだ」
「ピッ」
「それじゃあ、向かうか」
ロルの了解の頷きを見てから共に館へと向かう。
エリアを区切る白亜の壁はいつもどおり方向感覚が狂うようで、それなのに気づけばエリアを移動している。下級神エリアとは趣の変わったどこかシックな雰囲気の上級神エリア、その整備された通りを歩いて俺とロルは共に館へと向かった。
竹と針葉樹の林に挟まれた一本道を抜け、館へとたどり着く。遠目に正面玄関の扉前でこちらを待つオルブフの姿が見えた。
早足でそちらへ駆け寄ると、ゆるく尻尾を振りながらオルブフが笑みを浮かべつつ扉を開けた。
「お客様には今、お茶とお菓子を出して応接室で待ってもらっているっす」
「分かった。オルブフは一応館内で待機していてくれ。もし何かあれば連絡する」
「了解っす」
扉をくぐりながらそのような会話を交わし、オルブフを先頭にしてまっすぐ応接室へと向かう。磨きぬかれた床を踏む靴のカツンカツンという音が静かな館内に響いた。あぁ、そうだ。
「ロル、これからお客様と会うからお前もオルブフと一緒に待機だ」
「ピッ?ピィ……」
「そんな残念そうな顔をするな。頼むから、分かってくれ」
「……ピッ」
ロルは残念そうな顔で渋々と一つ頷きながら鳴く。あぁ、良かった、分かってくれた。前回みたいに駄々をこねられたら困ったことになる。ヴィレンドーさんに会う時抵抗されたが、地味に鉤爪が肩に食い込むんだよ。
そんなことを考えつつも天井から照らされる暖かい光に包まれた館内を進み、応接室の扉前にたどり着いた。ロルは少し離れた位置で立ち止まる。
オルブフは応接室の扉をノックし、ノブに手をかけながら中へと声をかけた。
「失礼します」
「おう」
中から聞こえる少し低めの女性の声。その声を聞いたオルブフは扉を開ける。
小さく耳元でオルブフのどうぞという言葉を聞き、中へ入ると扉の前にある三人がけのソファーに一人の女性が座っていた。こちらへ視線を向けていた女性は音もなく立ち上がり、こちらへと向き直ると軽く一礼する。
「はじめまして、『アトレナス』で風の神を名乗らせてもらっているウィンフーと申します」
「ご丁寧にどうも、『第五遊技場』の主をしているシュウト・カグラシマです」
そう言って俺は一礼する。それに思わずつられてしまったのだろう、ウィンフーさんは再び小さくお辞儀をした。
しみ一つない白い肌、かかとほどまである長い髪は銀色である。瞳はエメラルドのように透明感のある翠色だ。白を基調とした柔らかそうな服に上半身を包んでいるが、一方でぴったりとした太ももほどまでのズボンとサンダルからは対照的に活発な印象を受ける。着ている衣服はどれも一級品と見紛うものばかりだ。
開け放たれた扉から微かに吹く風で髪や服が小さくなびくその様は、なるほど風の神という言葉がしっくりと来る光景である。
席に座るよう薦めながら、向かいのソファーへと向かう。ウィンフーさんはお言葉に甘えて、と言いながら先にソファーへと腰掛けた。
俺達がソファーに腰掛けるのを待っていたのか、オルブフが入り口から一歩進み出たところでこちらへと話しかけてくる。
「ではお茶の用意をしてきます。……ウィンフー様、先程のお菓子を持ってきましょうか?」
「あ……ありがとうございます。ぜひ……」
「かしこまりました」
いつも聞く語尾が消えうせたオルブフの言葉に少し恥ずかしそうにしながらも了承の返事をするウィンフーさん。オルブフは小さく一礼して応接室から出て行った。
彼女の前に置かれた机の上には菓子が入っていたのだろう、小さな渋い木目の器が置かれていた。けれど中にある菓子はあとわずかである。彼女の反応や目の前の菓子の入っている器からして、ここまで食べるほどウィンフーさんは器に入っていた菓子を気に入ったのだろう。
ウィンフーさんはまだ少し恥ずかしさを顔に残しながら、こちらへと視線を向ける。そして申し訳なさそうにぺこりと頭を軽く下げた。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい……すみません」
「いえいえ、そんなことはありませんよ」
「すみません……ふぅ、さて」
俺の言葉に再度小さく謝るウィンフーさんは、手元にあったカップを口元へと運ぶ。カップから風に乗って微かに紅茶の良い匂いが鼻をくすぐった。
紅茶を一口含んだ彼女は一息つくと、話を切り替えるようにしてこちらを向く。ソーサーへと置かれた空の紅茶のカップは陶磁器同士がぶつかる音を小さく立てた。
「私がここに来た理由は既に知っていらっしゃいますか?」
「はい、遊びを申し込みに来たのですよね?」
「えぇ。遊技場で遊ぶのも良いのですが、せっかくだからと主に遊びを申し込もうと……。時間のことを考えても鬼ごっこが良いかなとは思うのですが、よろしいでしょうか?」
ウィンフーさんの提案に一回黙り込み、考える。相手が風の神ということですぐに終わるとは思えないし、加えて詳しいところがはっきりとしていない。そんな状態でやるかどうかと言われてもなぁ……。
明日もう一度、となるような展開は正直困る。明日は朝から書斎での書類仕事があるのだ。出来ることなら今日中に終わる方がいいのだが……。
「う~ん、詳しいところが分からない時点で判断は……。回数とかは一回でよろしいでしょうか?」
「はい、一回で。あとルールは主がご存知の通り、一方が鬼で一方が逃げる役をしましょう。場所は遊技場の外、時間は二十分ほどで。この後に行うということで良いでしょうか」
「なるほど、それなら大丈夫ですね。えぇ、受けて立ちましょう」
二十分ほどなら時間もとれるし、問題も無いだろう。場所も園内というわけではないし大丈夫だ。そう考えてウィンフーさんの提案に乗ると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。期待がにじみ出て、言葉にせずとも分かるほどである。
そんな時に応接室の扉をノックする音とオルブフの声が聞こえてきた。入っても良いという旨を扉越しに伝えると、一言断りを入れてオルブフが部屋へと入ってくる。
「失礼します、お茶とお菓子をお持ちしました……って、もしかしてこれからすぐ遊びに向かわれるので?」
「え? えっと……」
今にも向かわんと張り切っていたウィンフーさんに問いかけるオルブフ。一方のウィンフーさんは戸惑ったようにお菓子とこちらを交互に見ている。あぁ……遊びたいけど、菓子も食べたいのか。
「では、お菓子を食べてから鬼ごっこをしましょうか」
「あ、ありがとうございます……」
どちらをとろうか迷うウィンフーさんにそう言うと、彼女は口元にこらえ切れないといった笑みが浮かびつつも小さくお辞儀をした。そんな彼女の様子に思わずといった様子でオルブフと俺も苦笑を浮かべる。別に気にしなくていいのに。
目の前に置かれたティーカップに紅茶が注がれる。立ち上る湯気と共に紅茶独特の匂いが鼻をくすぐった。ウィンフーさんにもオルブフは紅茶を注ぐのだが、当の本人はお菓子を待っていたらしく器に補充されたお菓子に早速と手を伸ばしている。
どれだけその菓子が好きなんだ……、でもまぁおいしそうに食べるから構わないか。
その後しばらく、ウィンフーさん、オルブフと共に紅茶や菓子を楽しんだ。ウィンフーさんにロルの話をするとぜひ見たいということでロルを呼んでみる。しかし、オルブフが呼ばれたのに自分が呼ばれなかったことに対してロルは少々機嫌が悪くなっていた。す、すまんな、ロル。
ロルの機嫌をとりつつも、遊び前の穏やかな時が流れていく。紅茶の香ばしい匂いと共に菓子のほのかに甘い匂いが応接室にふわりと漂っていた。




