第35話~殲滅、そして再び~
ロルが示した先にはグレイウルフやゴブリン、オーガなどの魔獣の群れがいた。誰もが先程までのロルのような様子で目が血走り、口の端からは涎が垂れている。ゴブリンやオーガの中には白目を剥きかけている奴もいた。
魔獣であるということを差し引いても異様な光景だ。その様子ももちろんだが、どの魔獣も殺意を放っていながら攻めようとする様子が見られない。
集まったのはおそらくロルと取っ組み合っていた時だろう。あの時はさすがに<レーダー>を見ている余裕は無かった。
怪我をしたときとは別の冷や汗が背中に流れる。突然の異常な事態に焦燥を感じる。安易に動くのは危険だろうか。
そう考えて音を立てることなく自身とロルにハイドをかけ、横目でこの場を去るようにとロルに合図する。
視線も体の向きも魔獣に向けたまま、俺とロルはその場を音もなく後にした。
あれから後退した俺達はロルが着地した狭いながら森の開けた場所へと来ていた。あの後、後退しながら警戒していたのだが目の前の魔獣の群れは攻めることが無かった。
様子からしておかしくなったロルとそっくりだったが、原因が分からない。
「ピニョォ、ピッ」
「ん、どうした、ロル?」
考えにふけっているとロルが呼びかけるように声を上げた。そちらへ視線を向けると今度は上空を示しているロルの姿がある。
ロルは自身の方へ向いたのを確認するように一拍置くと、唐突に羽ばたいて上空へと飛んだ。え、まさかまたか?
内心思わず焦ってしまうが、上空からいつも通りの声で鳴きながら呼びかけられる。あ、違うのか、それは良かった。どうやら呼んでいるようだし、俺も向かうか。
音もなく足が地を離れ、静かに上空へと向かう。ロルに並ぶ位置まで浮かぶと、ロルは遅いとでもいうかのようにこちらを優しくつついてきた。すまない、ちょっと焦っただけだから。
謝りの言葉と共にロルを撫でる。仕方がないと小さく鳴くものの表情は満更ではなさそうである。しばらくそうしているとロルは用事は別だというように鳴いて森を指した。その先は先程魔獣の群れがいた場所だ。
そのことを伝えるとロルは鉤爪で四角を宙に描く。何だ?何を示しているんだ?
「箱か?」
「ピィピ」
尋ねてみてもロルは首を横に振る。その後も四角から思いつくものを言っていくが当たらない。ステータスか、と聞いてみるとおしいというような反応をみせる。それなら<レーダー>だろうか。
「<レーダー>か?」
「ピッ」
俺の問いにロルはそうだと強く頷いた。<レーダー>で見てほしいもの……ここから見ても表示されるのは先程の魔獣だろう。
そう思い<レーダー>を展開すると、確かに先程いた魔獣も表示されていた。驚きで声が出ない俺の目の前、<レーダー>には学園のある街を囲むように赤い点が表示されている。それはつまり、魔獣がこの街を取り囲んでいるということだ。
「さっきの魔獣だけじゃないのかよ……」
眉間に皺が寄るのを感じながら、思わずぼやいてしまう。正直に言うのならばあれだけだと思っていた。魔獣がこの街を取り囲んでいるのならば、攻めてくるということか?
もし最初に見た魔獣と今取り囲んでいる魔獣の群れの様子が同じならば、ロルのように凶暴になる。安易な行動だと思って一旦退いたが、ここは殲滅した方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると魔法学園の時計塔から時を報せる鐘の音が街に鳴り響いた。まるでそれが合図のように、状況に変化が起きる。
微動だにしなかった赤い点、それらが一斉に包囲網を狭めはじめた。今はまだ遠いがこの速さだと明日の朝頃には街へと辿り着くだろう。
「バリアっ!」
≪ヴォルカス≫を取り出し引き金を引くと、町全体を薄ら見える膜がすっぽりと覆った。更にそれに魔力をつぎ込み範囲を拡大していき、赤い点がぶつかるまで広げる。<バリア>に阻まれて進めないのか、赤い点の侵攻が止まった。小さく揺れ動いているため、侵攻を諦めているということは無いのだろう。
五大祭を魔獣のせいで台無しになったならば、遊技場に来ているお客は興ざめするかもしれない。最初見た程の群れなら原因を探るぐらいだろうが、しかしその規模は無視できないものだった。
「ロル、俺の傍に」
「ピ? ピニョッ」
ロルは不思議そうな顔を一瞬するも俺の傍へと寄ってきた。まぁ、万が一のためだ。ロルに怪我があってはならない。
円状に存在する敵、一気に殲滅するのであれば『第五遊技場』の魔法がいいだろう。おっと、その前にサイレントの魔法をかけて音を消さないと。これは結構音がするからな。
そう考えてサイレントの魔法をかけた後、≪ヴォルカス≫の銃口を空へと静かに向ける。空ということもあり顔には微かに吹く風が当たり、ディーラー服の裾を揺らした。規模を考えてこれぐらいだろうと必要な魔力を≪ヴォルカス≫に注ぐ。うん、十分だな。
「【コーヒーカップ】」
魔法名を告げて一回、引き金を引く。次の瞬間、上空にはバリアと同じ円状に浮かぶ遊園地でよく見るソーサーの上に乗ったコーヒーカップの数々。その特徴を表すようにどれもがゆっくりと回っていた。
「ピ?」
ロルは興味深そうに視線をコーヒーカップへ向け近づこうとする。それを見て慌ててロルを引き止める。不思議そうな顔をされても……あれは見た目通りではなく危ないからな?
そんなことをしている間にもコーヒーカップの回転数は上がり、気のせいか風を切る音が聞こえ始めた。あぁ、そろそろ始まるな。
瞬間、ソーサーが高速で回転したまま魔獣の群れへ目掛けて飛んでいった。そして触れた魔獣から次々と両断していく。部位は様々だがどの魔獣も一刀両断のもと、切り伏せられてゆくのだ。あまりの速さで血はあまり飛び散らず、ただ魔獣が地に倒れる時に死んだ証としてその場に広がる。
もちろん魔獣だって抵抗する。オーガやゴブリンは自身が持っていた棍棒などの武器で応戦し、他の魔獣も魔法を使って飛び回るソーサーを撃墜しようとしていた。しかしその行動も無意味に終わっている。
ソーサーではなく、出番だとばかりに今度はカップがそれらの攻撃を飛び交いながら受け止めていた。受け止める度にコーヒーカップの中身が満たされていく。様子を見ていると溜まる量は一定ではなく、攻撃の威力によって変わるようだ。
コーヒーでも紅茶でもない液体のようなものが溜まったコーヒーカップ。周りをソーサーが飛び交う中、もう入りきらないといったコーヒーカップはおもむろに上の部分、開いた口の方を魔獣へと向けた。しかし中の液体がこぼれることは無く、代わりに出たのは魔獣の群れを射貫くレーザーだった。
空を舞うソーサーから逃げ延びてもカップからのレーザーがそれを許さない。壊そうとしてもカップに攻撃を受け止められ、そして次の瞬間にはソーサーによって倒される。
問答無用、一方的な蹂躙である。ちらりと横を見てみるとロルは触れなくて良かったというように一つ、大きく息を吐いた。まぁ、さっき触れようとしていたのが今目の前に広がっている光景を生み出しているからなぁ。
視線を前へと移しと、徐々に閃光の回数が減ってきている。そろそろ群れが殲滅されるのだろう。
「……遊具ってこんな使い方、しないよな?」
「ピィ……」
目の前の光景を見て思わず呟いてしまう。隣で力なく鳴いたロルの小さな声が妙にその場に響いたように感じた。
あの後、レーザーの光が消え、<レーダー>で残りがいないことを確認して遊技場にある仮の家へとロルと共に戻った。残党がいないことは確認したので、これで大丈夫だろう。
念の為にとジェラルドさんに報告したところ、事態は把握したもののどうしてこのような事態が起こったのかと不思議に思っていた。まぁ、群れは殲滅したがその原因は不明である。
ひとまずそのことは頭の片隅にとどめながらも、ジェラルドさんの代わりの仕事は『第五遊技場』に戻った後でということになった。
兎にも角にも今日の仕事は終了である。
翌朝、朝食を食べた後仮の家を出ると玄関でロルが俺を待っていた。
一緒に遊技場を見回るのだろうかと思っているとまるでついてくるようにとこちらを見ながら空へと飛んでいく。またか、今度は何だと言うのか。
ロルの後を追うようにして雲一つない空へと飛びあがる。ロルはこちらがついてくるのを確認しながら更に上へと上がっていった。さすがにこれじゃロルの姿が見える、ヴィジョンをかけておくか……ってロル、既にヴィジョンがかかっているな
時計塔とほぼ同じ高さまで上がるとロルが止まる。近くには険しい顔で遠くを見つめるジェラルドさんの姿があった。その視線の先を追うと街の外にある森へと向けられていた。
しばらく見ていたジェラルドさんは気づいたようにこちらへ視線を移す。しかしその顔からは険しさは抜けていない。
「秋人様、お呼び立てしてすみません」
「ロルじゃなくてジェラルドさんが俺に用があったのですか?」
「えぇ」
俺の言葉に頷いたジェラルドさんは表情はそのままで言葉を紡ぐ。その様子に思わずこちらも緊張が走った。
「秋人様、昨夜魔獣の異常な群れを殲滅したと仰っていましたよね?」
「えぇ、はい」
「そうですか……ですがそうだとしたらこれまたおかしな事態です」
「何があったんですか?」
「秋人様、あの森の方をご確認ください」
俺の疑問にジェラルドさんは森の方を指さしながらそう言った。何だかよく要領を得ないがとりあえず<レーダー>で確かめてみるか。
そう考え<レーダー>を展開する。思わず「なっ」と声を出してしまった。<レーダー>に映っていたのは昨日見たのと同じ、街を囲むようにいる魔獣の群れである。確かに昨日殲滅した、確認もしたので残りはいないはずだし、今表示されている数も残りとは言えない程である。あの後集まったのか?
「確かに昨日殲滅したはずなのに、何故?」
「殲滅の残りではございませんか?若しくは群れの一端しか確認していなかったのでは?」
「いえ、それは……。<レーダー>で他に群れはいないと確認したので……。でもそれならこの事態は?」
「どちらにしろ異常事態ということですな」
ジェラルドさんの言葉に声を出さず一つ頷く。魔獣が集まることはあれど、このように一度殲滅したにも関わらず短時間で集まることは無い。今回が特別なのか?
赤い点が森のあちらこちらにあるのであれば特に違和感はないが、それが見事に円を作るようにして街を囲んでいるのであれば異常だ。魔獣の様子は昨日と同じなのだろうか。
昨日の魔獣の様子を知っているロルに尋ねてみると大きく一つ、縦に頷いた。そうか、それなら昨日の事態と別ではなく関連があるか。……一体何が原因だよ。
「まるで軍隊のようですな……」
そんなことを考えていると、横から小さく呟くジェラルドさんの声が届いた。思わずそちらをちらりと見ると、視線は森に向けたまま険しい依然険しい顔つきである。
軍隊、か。魔獣で結成された軍隊という話は聞いたことが無い。でも目の前の魔獣の動きを見たら、なるほど軍隊のようとは言い得て妙だ。
「秋人様のご報告では魔獣の様子がおかしくなったと、それはロルが暴走していた様子と酷似していたという話でございますが」
「えぇ、ロルも頷きましたし今街を囲んでいる魔獣も同じ状態かと。今は街に迫っていないようですが、今後迫る危険性は大きいと思います」
俺の答えにジェラルドさんは唸るようにして視線をこちらから森へと移す。鐘がきっかけだったのかは分からないが、また同じように街を攻め始める可能性は高いだろう。
そして今『第五遊技場』が開いている空中遊技場には五大祭を楽しみに来た客がほとんどだ。ここで魔獣騒ぎが起こったとしたら、最悪五大祭中止につながりかねない。正直あまり頼りたくはない勇者や各世界の主がいる以上、酷いことが起こるとは思えないが。
「その顔つきでは、可能性のある芽をつぶすという選択肢でよろしいですかな?」
「その言い方はなんだか……ですが、はい。そうですね」
ジェラルドさんの問いに答え、視線を森へと移す。<レーダー>を確認してみると街を囲む魔獣の群れはその場から動いていない。今は攻めるタイミングではないということだろうか。
「人員はいかがいたしましょう」
「これからの仕事に支障をきたすわけにはいきませんし、少数のほうがいいですね」
「それに加えて戦闘の様子、音などを漏らさない隠蔽用の魔法も使えるものがよいですな」
「となると……リアナ、ですかね。彼女、今日の仕事は無かったはず」
条件に当てはまる人物を考えてリアナに思い当たる。彼女は魔法が得意だし、広域殲滅にも向いている。力量も申し分ない。
あぁ、そうだ、殲滅後の監視も必要だ。これは……俺がやろう。常時<レーダー>を展開することで対処ができるだろうし。ロルにもヴィジョンをかけて、手伝ってもらうことにしよう。
そう提案するとジェラルドさんは手を顎に当て、考え込むように小さく唸った。
「リアナの力量ならば問題は無いでしょう。秋人様とロルが監視をなさるのであれば確かにそれがよろしいですが……監視をなさるならほぼ休みは無くなりますが」
「大丈夫ですよ」
心配そうなジェラルドさんを安心させるように顔に笑みを浮かべてそう言う。確かにジェラルドさんの言う通りかもしれないが<レーダー>の展開にそんな労力は要らないため苦ではない。ロルもいるのだし、大丈夫と言えるだろう。
「ですが休みは……いいえ、これ以上は秋人様を信用していないようで失礼ですね。申し訳ありません」
心配の言葉を紡ごうとしたジェラルドさんは、小さく苦笑いを浮かべながら途中でその言葉を止めた。そして申し訳なさそうにこちらへ一礼してくる。いや、そこまで気にしなくても。
「い、いえ、心配していただいて嬉しかったですし、大丈夫ですよ!」
頭を上げないジェラルドさんに焦りながらそう言ってしまう。焦っていたため考えていた言葉がそのまま出て行った。か、顔を上げてほしいんだよ……。
焦りながら大丈夫ですと繰り返していると、唐突にジェラルドさんが顔を上げた。その動作に思わず言葉も止まる。
ジェラルドさんの顔には申し訳なさは残るものの、こちらを見てくる目は仕事を任せたという信頼の色を帯びていた。頼られているのだという実感はどこか嬉しく、それでいてむず痒い。
そんなことを考えているとジェラルドさんは「リアナには私から報せておきます」と一言述べると、見本のように綺麗な一礼をして遊技場へと戻っていった。
遊技場の方を見れば入場ゲートにはお客が集い、中には学園のある街へと繰り出している人もいる。園内に設置されたスピーカーからは陽気な音楽が流れ、祭りの雰囲気と合わさって気持ちを高揚させていた。
下の街ではまだ五大祭の活気は引いておらず、むしろ最終日に向けてより上がっているようにも感じられる。誰もが楽しげに屋台の品を買い、食べ物を頬張っていた。
その様子を見ればこちらも楽しくなるのだが、それを邪魔するように森での件が頭の片隅に引っかかる。その懸念から少しずつ、しかし確実に湧き上がる不安で楽しみたいけれども楽しめないでいた。
「ピニョ」
「お、そうだな、もう戻るか」
服の裾をくちばしでつまんで引っ張ってきたロルの頭を撫でながら言うと、ロルは先に行くぞと言わんばかりに一声鳴いて遊技場へと戻っていく。
その様子に思わず苦笑しながらも、再びちらりと森を見る。<レーダー>無しで見たのなら、そこに広がるのはいつもの光景である。
頼むから何も起こってくれるなよ……、そんな願いを声に出すことなく胸中で呟いてロルの後を追った。
喧騒に混じって少し大きな声が聞こえた気がしたが、それは一瞬のことですぐに祭りの喧騒に飲み込まれていった。




