閑話~勇者、そして終了~
「確かに彼女達の試合はすごかったけど、勇気の方がすごいじゃない。何でわざわざ彼女と戦うのよ」
闘技場に響く歓声を他所に、天ヶ上の後ろにいたローブを羽織っている人が天ヶ上にそう言った。どこかつんけんとした少女の声で発せられたそれは、幸か不幸か話しかけた人物にしか届いていない。
「そう言うなよ、真由。彼女達は強い、だからこそそれ以上に強い者の存在を知って更に強くなってほしいんだ」
リリアラとルルアラ二人以上に強い者とは己である、そう暗に仄めかした彼だが一方のローブを羽織る少女――橘は何の疑問も抱かない。先程の試合を見てもなお天ヶ上が、もしかしたら自分自身が強いと信じているのである。
そんな会話を繰り広げる二人にもう一つ、近づく影があった。ローブで顔は見えないものの、歩き方や所作から身分の良さがうかがえる。
近づいてきた影に天ヶ上は笑みを浮かべるが、一方の橘は少し眉間に皺を寄せた。天ヶ上に好意を寄せている者にとって、ローブの人物はライバルでもあるからだ。
「勇気様、本当に試合をなさるのですか?」
「あぁ、もちろんだよ、シェルマ。彼女達にとって僕と対戦することはとても良い経験になる」
「普通の民のことまで考えているなんてやはり素敵なお方です、勇気様」
天ヶ上の返事に見惚れたようにして微笑みを浮かべるアグレナス王国第一王女シェルマ。その後ろには同じようにローブを羽織ったミレイアもいる。
よく見れば他にもローブは羽織っているが緋之宮や小峰もいた。誰もが先程の天ヶ上の言葉に感動すると同時に、彼に気にかけてもらっているリリアラとルルアラに少なくない嫉妬の感情を抱いていた。リリアラとルルアラにとっては迷惑千万だろうが。
そんなハーレム組に係員が二、三名近づいてきた。
「ゆ、勇者様がいらっしゃるとはつゆ知らず、一般席に案内するとは申し訳ありません。今すぐ貴賓席にお連れの方をご案内しますので……」
「ありがとう。ところで僕はもう彼女達と戦ってもいいのかな?」
声を震わせながら言った係員に天ヶ上は一つ頷くと視線をリリアラ達へと向けてそう尋ねた。勇者となればそれは貴族と同等、いやもしかしたらそれ以上の身分である。開催した側としては身分の高い者をぞんざいに扱った、となるとあまりよろしくなかった。
しかしそれを知らない天ヶ上の頭の中には早くリリアラ達と戦いたい、そういう思いがある。
天ヶ上の言葉を聞いた係員は少し戸惑っていたが、先程謝罪していた係員が申し訳なさそうに口を開いた。
「あの、勇者様お一人で彼女達に挑むと?」
「あぁ、そうだ」
「ですが、勇者様と言えど二人を相手に一人で挑むのは……」
口ごもりながらもそう告げる係員。二対一では勇者と言えど不利ではないか、そうその係員は言っているのだ。更には先程まで試合をしていた疲労が残っているだろうと考えても、次元の違う試合を見せたリリアラとルルアラである。勇者とはいえ安心できるものではない。
しかしその思いは届かず、天ヶ上の隣に立っていた橘は顔を少し怒りで赤くしながらわめいた。
「あなた、勇気が負けるとでも言うの? 勇者なんて関わらず、二対一でも勇気が勝つに決まっているじゃない! あの二人の実力じゃあ勇気の力に届くなんてことはないわよ!」
思いのほか響いた橘の声に後ろにいたシェルマ等ハーレム組の面々がそうだというように頷く。傍で聞いていた天ヶ上は苦笑を浮かべるも満更ではなさそうな顔で、否定をすることはない。
闘技場に響いた彼女の言葉に観客はやはり勇者、あれほど豪語するのならよっぽど力があるのだろうと考えた。それと同時にこれから行われる試合は先程の比ではないのではと期待もしている。
見たことがない勇者の実力、やはり勇者なのだから強いと誰もが思っていた。
一方で誰も気づいていないものの眉間に皺を寄せた者もいる。それは参加者の中でもリリアラとルルアラと対戦し実力の一端を知った者、貴賓席で試合を観戦していた主達、そして当の本人であるリリアラとルルアラだった。
しかしリリアラとルルアラが声を荒げて橘の言葉に突っかかることはしない。実力を隠す、という点で言うなら『第五遊技場』の主である秋人を筆頭に遊技場の面々はほとんどそうだ。もしかしたら天ヶ上達勇者もその類なのかもしれない。
そう考える二人を他所に天ヶ上達と係員の話し合いは続く。と言っても係員の言葉をことあるごとに橘やシェルマ達が食ってかかるといった様子になっているのだが。
さすがに話が進まないと思ったのか、天ヶ上がおどおどと説得する係員と食い掛かる橘達の間に割って入った。
「どちらもそこまで。……真由、僕を心配してくれるのは嬉しいけれど、ここは係員の指示に従おう。彼らは僕達の力を知らないからね、こう言うのは仕方ないことだよ」
「……勇気が、そう言うなら」
天ヶ上の言葉に渋々といった様子で引っ込む橘。しかし顔は明らかに不服である、といっている。その様子に天ヶ上は小さく笑みをこぼすと、橘の頭をそっと優しくなでた。
「真由は本当に優しいな。いつもその優しさに僕も助かっているよ」
「そ、そんなことない……わよ」
向けられる天ヶ上の笑みに惚けながらも、素直になれずにそう答える。ハーレム組の面々からは嫉妬の視線が送られているが、それを気にすることなく天ヶ上の笑みを、頭を撫でてくれる感触を楽しんでいた。微かに頬を赤く染めながら、こらえきれないといったような笑みを橘は浮かべている。
天ヶ上は橘の様子が落ち着いたことを確認して、撫でている手を止めて係員へと向き直った。橘は少しばかり惜しそうな顔をして、天ヶ上を見つめている。
「二対二なら良いんだね?」
「あ、はい」
天ヶ上の言葉に頷く係員は、ようやくまともに話が進められると安堵していた。
係員の言葉を聞いた彼はしばらく何やら考え込んだかと思うと橘の方を向いた。今度は何だろうかと不思議そうに見つめてくる橘に天ヶ上は再び笑みを向けた。
「それなら真由、僕と一緒に戦ってくれないか?」
「え? 私でいいの?」
唐突な提案に橘は目を丸く見開いてそう言った。しかし顔には天ヶ上が誘ってくれたことへのうれしさがにじみ出ており、口の端には堪えきれなかった笑みが浮かんでいる。
一方、誘ってくれなかった後ろのハーレム組の面々は悔しそうに橘を見ていた。
そんな視線を気にせず、天ヶ上は橘の問いに大きく頷く。
「僕のことを心配してくれた真由だから、一緒に戦ってほしいんだ。駄目かな?」
「う、ううん! 全然だめじゃない! むしろ嬉しい……って、そうじゃなくて! しょうがないわね、一緒に戦ってあげるわよ!」
橘は顔をさらに真っ赤にさせながらも胸を張ってそう言いながら自身の武器を取り出した。
橘の手に握られているのはメイスである。金属独特の鈍い光沢を放っており、地面につくと橘の腰ほどまでの長さがあった。
地面についた際の音は聞くだけで重さを感じさせ、それを軽々と扱う橘の強さを感じさせた。
「そ、それではお二人が試合に出るということでよろしいでしょうか?」
「あぁ」
「えぇ、そうよ。あなた達に言われて仕方がなく、ね」
係員の言葉に頷く天ヶ上と嫌味を言う様に告げる橘。橘の言葉に係員は誤魔化すような笑いを浮かべるが、それを橘は少し責めるような目つきで見つめていた。
ようやく話を終えていた彼らの元に二つの人影が近寄って来る。話がまだ終わらないのかとやってきたリリアラとルルアラの二人だった。
対戦相手である二人が近寄ってきたことに気付いた天ヶ上は二人に笑みを浮かべる。橘を始め、後ろにいるハーレム組や一般の女性が見たら思わず頬を紅に染めるような笑みだ。
しかしリリアラとルルアラは頬を赤く染めることもなく、むしろ少しばかり眉間に皺を寄せた状態で天ヶ上と目を合わせる。
「すまない、待たせてしまって。本当は俺一人で相手をしたかったのだけれど、真由も参加する事になったんだ」
「……よろしく」
天ヶ上が笑みはそのままそう告げると、傍にいた橘が少し警戒するようにそう言って小さく礼をする。今までの経験上この展開になって天ヶ上に惚れなかった女性はあまり見たことが無い。いるとしたら身近で言うならば樹沢の近くにいる少女だろうか。
またライバルが増えるのか、そう警戒していた橘だったが目の前の二人にはその様子は見えない。
もしかしてライバルにはならないのか?いや、最初は険悪でも後で天ヶ上に惚れたやつもかなりいる、そう思い直して橘は警戒を止めない。
「なんで目の前の子はここまで私達を警戒しているのです?」
「対戦相手、だから、じゃないかな?試合を、する側としては、当然の、反応だと思うけど……」
周りには聞こえないように小声で話し合う二人。目の前には未だにこちらに笑みを向けている天ヶ上と警戒している橘がいる。
警戒する理由を考える二人だったが、ものの見事に予想を外していた。まぁ、色恋沙汰で警戒されているなどと知れば二人の機嫌はさらに悪くなるだろうが。
互いにどこか勘違いしたまま、リリアラとルルアラ対天ヶ上と橘の試合が決まった。
闘技場の中央、試合の舞台となる場所には向かい合う四人が立っていた。互いの武器を構えたリリアラとルルアラ、そして天ヶ上と橘である。
他のハーレム組はあの後係員に連れられて貴賓席で試合の行く末を見守っている。余談だが、その際にアグレナス王国の第一王女であるシェルマの身分がばれて一時闘技場をどよめかせた。
メインは終わったはずなのに闘技場にいる観客は減ることは無く、むしろ誰かが外に今の事態を知らせたのかさらに観客は増えていた。席が足りずに中には立ち見の客もいるほどである。
これ幸いとポップコーンもどきや飲み物を売る売り子が客席の間を練り歩き、時々立ち止まってはお金をもらって商品を渡している。
静かに試合が始まるのを待つ者もいれば、隣の友人と話ながらどうなるかと興奮して話し合う者達もいる。待つ様子はそれぞれ異なれど、誰もが試合の開始を待ち望んでいた。
準備が整ったのか、審判役の係員が出てきて両者に準備は出来たかと尋ねる。それにどちらも頷いて自身の武器を構えた。
天ヶ上は鞘から剣を抜いて構える。柄は金色、刃は純白で一見して業物であると分からせるかのように陽の光を受けて輝き、一方で見る者に神聖さを感じさせた。大剣程の長さではなく、長さはオーソドックスな長剣といったところだろう。
再度両者が武器を構えたのを確認した審判は前を向いて腕を静かにあげる。瞬時に闘技場には小さなざわめきだけとなり、審判の開始の合図を待っていた。試合前の心地よい緊張感がリリアラ達四人を包み込む。
「では……始めっ!」
大きな声で告げられる開始の号令。その瞬間闘技場にいる客は歓声を上げ、今まで以上に闘技場を揺るがした。声の中には大会の参加者も混じっている。
天ヶ上と橘の顔には余裕が見られ、笑みを浮かべていた。一方でリリアラとルルアラは気を抜いておらず、外から見れば余裕を見せる強者と苦戦するだろうと考えている対戦者達に見えている。
「僕達との試合は、良い経験になるよっ!」
そう天ヶ上は叫んだかと思うと、橘と共に一直線にリリアラ達に向かってきた。小細工なしの真っ向勝負である。それぞれ長剣とメイスを振りかぶり、勢いよくリリアラ達へと目掛けていく。
≪おっと、勇者二人が真っ向から勝負! スピードも並みの者とは段違い、これをリリアラ選手とルルアラ選手は防ぐことができるのでしょうか!?≫
煽るようなアナウンスの言葉に観客は湧きあがる。
勇者と言えば強さの代名詞でもある。その勇者二人とリリアラ達が武器をぶつけ合ったならどうなるか、誰もがどうなるかと予想して次の展開を楽しみにしていた。
勇者が向かう勢いそのままリリアラ達を弾き飛ばすのか、それともリリアラ達が何とか二人の攻撃を受け止めるのか。どちらにせよ勇者達の一撃である、そう簡単にはいくまい。
そんな観客の予想は次の瞬間に裏切られた。
「はぁ、勇者と聞いて構えた私が馬鹿だったのです」
「打ち返して、あげる」
武器を構えて近づいた天ヶ上と橘の耳に小さくリリアラ達の呟きが届く。天ヶ上達はもうすでにリリアラとルルアラの間合いまで近づいていた。
その言葉を理解することなく武器を振るう天ヶ上と橘。次には攻撃によって吹っ飛ばされるか辛うじて受け止めるリリアラとルルアラの二人がいる、そう考えていた。
しかし天ヶ上の攻撃がリリアラのレイピアに、そして橘の攻撃がルルアラのトンファーに塞がれたかと思った次の瞬間、腕が使いものにならなくなったと思うほどの強い衝撃を感じる。
腕で感じたはずのその衝撃は体に伝わり、脳を揺さぶるほどだ。気づけば天ヶ上達二人はリリアラ達によって弾き返されていた。
吹き飛ばされる寸前、呆気にとられて一瞬見たリリアラ達はつまらなさそうにこちらを見ている。しかしその光景はすぐさま遠のき、次の瞬間には背中に衝撃を受けた。地面にぶつかり二回、三回とバウンドしていく。どうしようもない天ヶ上達にとって頭を打たないように気を付けるのが関の山だった。
目の前で勇者が呆気なく吹き飛ばされた。その事実に観客は歓声を上げようと開いた口が驚きで開けたままになり、呆気にとられた様子で見ている。
観客達の視線はリリアラ達に映るが、遠目で見ても苦しそうな様子は見られない。むしろ余裕さえ感じさせていた。
もし観客が彼女達の表情を見ることが出来たなら、先程の考えに失望したような、と付け加えただろうが。
そんなことを知る由もない観客は天ヶ上達に視線をやる。さすが勇者なのか、何とか足で踏ん張って飛ばされた勢いを殺していた。土埃を上げながらもようやく勢いを殺して止まった天ヶ上達。しかし最初の余裕はなく、服の所々は土の汚れやほつれている部分もある。
何より額に冷や汗を流し、息を荒げて這う這うの体といった感じである。最初の余裕などとうに消えていた。
「何の、魔法だい……」
「勇気、たぶん反射の魔法よ……はぁ……」
何とか息を整えようとする二人の会話。それを聞いたリリアラとルルアラはタイミングを見計らったかのように同時に小さく嘆息する。
「魔法なんてないのです」
「単なる、力量。あなたが、私達より、弱い。それだけ」
短く告げられた言葉に天ヶ上達は一瞬目を見開くが、すぐにその眼を鋭くした。どちらも嘘をつくな、といった様子である。
ゆっくりと天ヶ上達に近づくリリアラとルルアラ。その二人に橘が今の思いを吐き出すように叫んだ。
「ふざけないで! 私達勇者の力が簡単に押し返されるわけないじゃない!」
「そうだね、真由。リリアラにルルアラ、こんな魔法を僕達は知らない。君たちオリジナルの魔法なのかい?」
橘の声に賛同した天ヶ上は、リリアラとルルアラに問いかける。
しかしそれにもう言葉で答えることはしなくなった二人は首を横に振るだけで答えた。それでもまだ、天ヶ上達は納得していないようだが。
もし城での鍛錬を真面目にしていたならば、ここまで苦しいことは無かっただろう。この結果は天ヶ上達が招いた当然の結果でもある。
息をようやく整えた天ヶ上達の前に、とうとうリリアラ達がたどり着いた。
反撃をしなければ、そう考えた天ヶ上と橘が武器を構える。しかし、その考えを実行することなどできるわけがない。
「反撃の余地なく、潰してあげるのです」
「今の実力を、よく、知ったほうがいい」
同時に告げられる言葉、それと同時に二人の武器が振るわれた。
持っていた武器で防ぐ天ヶ上達だが、それは意味を為さない。勢いよく飛ばされた二人、今度はバウンドすることなく闘技場の壁へと轟音を立ててぶつかった。静まり返った闘技場にその音はやけに大きく響く。
打ち返したのを含めれば二撃、たった二撃で勇者が叩きのめされた。そのことに観客は唖然となる。思い描いていた自身の理想が崩れた感覚、予想していた試合とは異なった現状への驚愕がないまぜになった気持ちが観客の胸中に渦巻いた。
壁にぶつかった衝撃で立ち込めた土煙は風に流され、衆目の元に二撃で負けた勇者達の姿を晒しだす。ボロボロの衣服、武器はやはり一流なのか壊れていることは無いが所々欠けている部分が見られた。
呆気ない展開に誰もが口を開いたままだったが、審判は我に返って天ヶ上達の元へと大急ぎで駆け寄った。審判の胸中では、今日は本当に驚くことばかりで疲れるとぼやいている。
駆け寄った審判は未だ起き上がらない勇者二人に駆け寄った。近くまで来て二人が荒く呼吸していることに気づき、生きていることが確認できて審判は安堵する。
「ゆ、勇者様、大丈夫ですか?」
「あぁ……大丈夫だよ」
審判の問いに天ヶ上は起き上がりながら頭を振りつつ答える。天ヶ上は自身の体に大きなけがが無いことを確認して、自身の武器である長剣を確認した。折れてはいないが刃こぼれしていることに天ヶ上は目を見開く。
「そんな……」
天ヶ上はそう呟くと、何も言わなくなる。遅れて起き上がった橘は天ヶ上の様子を訝しげに思い、続いて彼の視線を追って同じように目を見開いた。
「ちょっとそれ……」
天ヶ上へと近づきながら橘は呟くと、視線を彼の手元にある剣へと向ける。
どちらも何も喋らない。しかし二人の様子を見るだけで、天ヶ上の持っている長剣が刃こぼれなどするわけはないとどちらも信じていた様子だった。
天ヶ上が持っていた長剣は橘が彼の無事を祈って送ったものである。勇者となる以上戦いは避けられない、ならば命を守る為にと送ったのだ。かといって安物ではない。『第四工房』作ではないが、アグレナス王国でも有名な鍛冶師が作ったものだ。どんな魔獣を倒しても今まで刃こぼれしていなかったにも関わらず、今回数撃で刃こぼれしてしまった。試合が続いていたとしたらすぐにでもがたが来て壊れていただろう。
天ヶ上を守ることが出来て嬉しい思いと贈ったものが壊れたことへの悲しみがないまぜになったまま、橘は天ヶ上の顔を無言で見つめた。
天ヶ上は自身を見る少し潤んだ橘の目を見つめ返し、小さく微笑んだ。
「真由、真由が送ってくれたこの剣のおかげで僕はこの通り無事だった。もしこの剣が無かったら死んでいたことだろう。本当にありがとう、真由」
「そ、そんなこと……」
「真由はいつも僕のことを思ってくれる。真由程僕の隣にふさわしい子はいないよ」
甘い声で囁かれる言葉。聞いている橘は夢見心地で、頬を少し上気させていた。
ゆっくりと立ち上がる天ヶ上、続いて橘が立ち上がろうとしたので彼女に手を差し出して手伝う。そして天ヶ上はこちらへと近づいているリリアラ達に向き直った。
「けがは大丈夫なのです?」
「一応、軽めには、したんだけど」
二人を気遣う言葉に橘は一瞬顔を顰めるが、一方で天ヶ上はいつものキラースマイルを浮かべる。
「本当に強いな、リリアラとルルアラは。本当は冒険者とかじゃないのかい?」
天ヶ上は笑みを顔に浮かべたままそう言った。対照的にリリアラとルルアラは眉間に皺を寄せた。
天ヶ上とは今日初めて出会ったのだ、それにも関わらず既に呼び捨てである。いくら先程の試合をしたとはいえ断りもなしに名前を呼び捨てされるのはリリアラ達にとってあまり嬉しいものではない。
少しばかりの嫌悪感を感じていたリリアラ達に天ヶ上は関係無いと次々に話しかけた。
「一般だとは聞いたけど、本当に冒険者じゃないのかい?」
「……違うのです」
「君ぐらいの強さだったら冒険者でもきっと上位なんだろうな。どれぐらいのランクだろうか」
「……さっきから、冒険者じゃないって、言ってる」
リリアラ達と天ヶ上の間では通じているようでかみ合っていない会話が為されている。傍にいる橘は会話をしていること自体が恨めしいのかリリアラ達を睨んでいた。そんなつもりのない二人にとってははた迷惑な話だ。
また天ヶ上も二人の話を聞いていない。先程から話すのは自身がそう思い込んだことだけで、リリアラ達が訂正してもその話を聞き入れることは無かった。
話すだけで疲れる、天ヶ上と会話をしているリリアラ達はそう感じていた。
そんなことを二人が思っていると、目の前でしゃべっていた天ヶ上が唐突にしゃべるのを止める。突然だったため何だろうかとリリアラ達が天ヶ上を見ると、こちらを優しそうな瞳を浮かべていた。
「強い、それに加えて君たちは可愛らしいな」
その言葉を天ヶ上が言った瞬間、橘からは殺気がリリアラ達へと飛ばされる。橘にとってこの光景はよく見るものだが、あまり嬉しいものではない。
一方のリリアラ達は天ヶ上から離れるように体を引いていた。彼女達からしてみれば唐突に脈絡もないことを言って誉めてきたのである。話があまりにも繋がっておらず、誉められて嬉しいどころか不信感しか沸かなかった。
さすがにリリアラ達の様子がおかしいことに気付いたのか、天ヶ上は不思議そうな顔で二人の顔を見つめてくる。何かおかしいことでも言ったか、そういった様な顔だ。
「どうしてそんな顔をしているんだい?あ、もしかして照れているのか?」
そう言って笑顔を浮かべた天ヶ上。更にリリアラ達は顔をひきつらせた。
もうこの男達の傍から離れたい。その思いでリリアラ達はその場を立ち去ろうとした。
「勇気様!」
「ん?シェルマか、どうしたんだい?」
声をかけて天ヶ上に駆け寄ってきたのはシェルマだ。すぐ近くには他のハーレム組もおり、こちらを複雑そうな顔で見ていた。誰もがまたライバルが増えるのかと思っているのである。
駆け寄ってきたシェルマを愛おしそうに見た天ヶ上は、彼女にも笑みを向ける。ひっそりとルルアラが「どれだけ女性に笑みを向けるのです……」と呟いていたのはご愛嬌である。
「勇気様、けがはございませんか?」
「大丈夫だよ、シェルマ。ありがとう、僕のことを気にかけてくれて」
そう言ってそっとシェルマの頭を撫でる天ヶ上。二人の間からは甘い空気が流れてくる。それは橘と話していた時にも流れていた空気だ。
リリアラ達だけでなく近くにいた審判や観客のほとんどもその様子を見て妙に腹いっぱいの感覚を感じているが、そんなことを勇者達は気にしない。
しばらく頭を撫でていた天ヶ上は再びリリアラ達に向き直る。
「強い君達にぜひとも頼みがあるんだ。勇者である僕に力を貸してほしい。力を貸してくれるよね?」
突然の申し出にリリアラ達は呆気にとられる。傍にいるシェルマや橘はこちらを警戒するような目で未だに見ていた。
返事を待つ天ヶ上にリリアラとルルアラは息を合わせてただ一言答えた。
「お断りするのです」
「お断り、します」
息の合った一言に天ヶ上はもちろん他のハーレム組も呆気にとられた顔をする。今まで天ヶ上が誘ってはいと答える女性はいたが、いいえと答える女性はいなかった。
最初はライバルが増えるかと警戒していた彼女達だが、今度は逆に天ヶ上を否定されたと憤る。
天ヶ上も呆気にとられた顔をするが、瞬時に理解が出来ないといったような顔でリリアラ達へと詰め寄った。
「どうしてだい?勇者の僕が誘っているんだよ?ぜひとも君達には僕の力になってほしいんだよ!」
「私達にも仕事があるのです。申し訳ないけれど他の人に当たってほしいのです」
そうきっぱりと断るルルアラだが、天ヶ上は未だ納得のいっていない顔である。その様子を見たリリアラは小さくため息をついてこの場を切り上げようとした。
「とりあえず、私達はこれで――――」
「ちょっと、あんたたち!勇気が誘ってやってるのよ、どうして断るの!」
リリアラの言葉を遮るようにしてそれまで黙っていた橘がリリアラ達に食い掛かってきた。怒りのせいで顔は真っ赤の橘、そばにいたシェルマもこちらを険しい目つきでにらんでいる。
「勇気様が誘っていらっしゃるのですよ?何を犠牲にしてでも彼について行くべきだわ。勇気様は勇者で正しいのだから」
続いて告げられたシェルマの言葉にリリアラ達は絶句する。何を犠牲にしてでも、というのはあまりにも言い過ぎではないだろうか。そこまでするほど勇者である目の前の男性に思いがあるわけではないし、むしろ若干引いているぐらいである。
しかし目の前の天ヶ上達は何もおかしいことがないと言わんばかりに立ち、むしろこちらに非があるような目で睨んでいた。
何とか笑顔は浮かべているものの、先程よりも引きつったような笑みを浮かべて天ヶ上は再びリリアラ達に手を差し伸べた。
「勇者である僕がついてきてと言っているんだ。僕と共に行くことは正しいし、それを断ることは間違いだよ。君達が力を最も発揮できるとしたらそれは僕の傍にいる時だ。だからほら、僕と一緒に行かないかい?」
「何度も言けれど、一緒に行かないのです」
「自分の、力が、発揮できる場所は、もう見つけているし、それは少なくとも、あなたの傍じゃない」
しかし天ヶ上の誘いをリリアラ達はすっぱりと再び断った。
自身の力を発揮できる場所、と聞いて二人が瞬時に思い浮かべたのは秋人やジェラルド達『第五遊技場』のメンバーだ。目の前の男性について行くより、今まで通り『第五遊技場』で働くことがリリアラ達にとっては望んでいることだ。
しかしリリアラ達の断りが聞こえていたにも関わらず天ヶ上はそれを無視してなおも彼女達を誘ってくる。あまりのしつこさにリリアラ達が相手をするのも辟易し、橘達はさらに怒りを露わにしてくる。
場の空気が険悪となり、傍にいた審判も気まずさを感じてハーレム組とリリアラ達の傍からそっと距離を置いていた。
そんな空気を散らすようにミレイアが二組の間に入ってくると、リリアラ達の方に顔を向ける。顔に笑みは張り付けてあるが無理やり張り付けてあるのだと分かる程、仲良くしようとはしていない空気を発していた。
「あなた方は勇気様について行きたくない、そうですね?」
「そうなのです」
「だから僕は――――」
「落ち着いてください、勇気様」
身を乗り出すようにして再び訴えようとした天ヶ上をミレイアがなだめる。天ヶ上は渋々といった様子で引き下がった。
それを確認したミレイアは再びリリアラ達に向き直った。
「勇気様は勇者です。そんな立派なお方についてこないと?」
「あなたも、他の人と同じように、言うのですか? 私達は、ついて行かない」
げんなりとした顔でリリアラはミレイアの質問に答える。
場を落ち着かせようとミレイアがやって来てくれたことにリリアラ達はようやくかと安心したのだが、その彼女から発せられたのは目の前の男や他の女性二人と同じ言葉である。何度もするやり取りに二人はいい加減にしてほしい、話を聞いてくれとうんざりしていた。
「何度もすみません、ですがそれなら仕方がないでしょう。……勇気様、彼女達を誘うことは諦めてください」
「だがミレイア!」
「勇気様は私達を信頼してくれないのですか? 私達はいつでも勇気様の味方です。あんなわがままな方々、仲間に加えたところでいつか勇気様の足を引っ張るだけです」
「そ、そうかな……」
ミレイアの説得に天ヶ上は考え込む。一方でリリアラ達は不機嫌そうに眉間に皺を寄せいていた。目の前でわがままだのと言われたのだ、眉間に皺を寄せるのも道理と言える。
しばらく考え込んでいた天ヶ上は俯いていた顔を上げると、晴れやかな顔をミレイアへと向けた。
「ごめんね、リリアラにルルアラ。やっぱり僕は彼女達を信じるよ」
そう言って天ヶ上は後ろでこちらを見ているハーレム組の面々へと視線を向けた。シェルマや橘達も嬉しそうな顔で天ヶ上を見つめている。一見すれば仲間を信頼する感動的な場面だが、そう感じているのはハーレム組だけだった。
リリアラやルルアラ、審判は話について行けず何なんだといった様子である。リリアラ達にいたってはまるで彼女達からの誘いを天ヶ上が断る、といった感じの彼の言葉に理不尽さを感じていた。
周りの人はそっちのけで天ヶ上や橘、シェルマ、ミレイアはその場から去って他のメンバーが笑顔で待っている場所へと向かって行った。
「なんだか……疲れたのです」
「そう、だね」
ルルアラの呟きにリリアラも賛同するように頷いた。審判もようやく終わったかと思わずため息を吐くと、リリアラとルルアラへ顔を向けた。
「それではリリアラ選手、ルルアラ選手、表彰式を行いますのでこちらへ」
そう言って先導する審判に試合での疲労とは異なる精神的な疲労も感じながらリリアラとルルアラはついて行く。
早く商売袋を手に入れて空中遊技場に戻りたいと二人は同じことを考えながら闘技場を去っていった。
勇者の乱入以降、表彰式はスムーズに進んでいった。三位から発表されて準優勝、優勝の紹介の時には観客も歓声を上げている。
優勝者であるリリアラは前へと出て、『第一闘技場』の主である早瀬から賞品の商売袋を受け取った。同時に優勝者だけでなく参加者の健闘を称える拍手と歓声がより一層湧きあがる。
賞品を受け取ったリリアラが参加者のいる場所へ戻ると、早瀬が締めの言葉を魔法で闘技場内に響くようにしながら観客に告げた。
「それではこれにて闘技大会は終了! ご来場、ありがとうございましたー!」
瞬間、観客や参加者達の歓声と拍手が再び割れんばかりに起こる。誰もが顔に笑みを浮かべ、言葉にはせずともこの闘技大会を楽しんでいたことがその表情で分かった。
勇者の乱入というハプニングはあったが無事闘技大会は終了、そしてリリアラとルルアラは目的の商売袋を入手したのである。
商売袋を手に入れた二人はまっすぐに空中遊技場へと戻った。二人を待っていたのか遊技場へと現れた商売の神が二人に祝いの言葉と商売袋はどうだったのかと聞いてきたので二人は商売袋をその神に手渡す。
嬉しそうな顔で受け取る商売の神、その様子を見たリリアラ達も思わず微笑を浮かべていた。
商売の神と別れてリリアラ達は帰路につく。歩いていると少しして目の前に見慣れた後ろ姿が見えた。ディーラー服を着て、腰には銃を一丁下げている秋人の姿である。傍には秋人の後を追う様にロルが歩いていた。
「秋人様!」
ルルアラが大きな声で呼びかける。その声に気付いた秋人がこちらへと振り返った。
今日の闘技大会、その話をしよう。勇者の話を除けばなかなかに楽しかった。リリアラとルルアラは顔に楽しそうな笑みを浮かべて、手を振りながら秋人の元へと駆け寄っていった。




