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「人が恋に落ちるのは重力のせいではない」

 

「『草食動物』この言葉からキミは何を連想する?

 草を食べる、群れで行動する、被食者、側面に目がある、大人しい、食物連鎖ヒエラルキーの上から二番目・・・・・まぁいろいろあるだろうが、きっと大半の人は総じてこう連想するだろう、『弱者』と。

 巷では草食形男子などと言ってもてはやされているから、決して負の印象ばかりではないだろうけれど、それでも『草食動物』と聞いて『強さ』を連想する者はそうそういないだろう。

 だが・・・・・これは大きな間違いだ。

 草ばっかり食べてるからって、他者を襲う爪や牙がないからって、どうして彼らを『弱者』と位置づけてしまうんだろうね?

 まぁそれにはメディアを通して培われてきた大衆の固定イメージによるものだろう。自然モノの番組では、大抵草食動物は肉食動物から逃げ回っているし、最終的には捕食されてしまっているしね。先に挙げた側面に目があるのも、視野を広げて危険をいち早く感知し敵から逃げるためのものだし。ははっ、そんなの今どき小学生だって知っているか。

 閑話休題。

 草食動物が大人しい、心優しい動物なんて認識は、捨ててしまえ。

 いらなくなった紙を捨てるように、ぐしゃっと丸めてポイっとね。

 もちろん、草食動物は肉を食べない。ただ『食べない=襲わない』なんて、そんな馬鹿な考えまさか持ってはいないだろうね?

 例えば、シマウマは時にライオンにも襲いかかる獰猛な性格をしているらしい。あんな真っ黒で円らな瞳からは想像できないか?人は見掛けによらないと言うけれど、野生で生きる動物にはもっと当てはまらない。優しい生き物なんて、あの徹底した弱肉強食の世界では存在すらしてはいけないのさ。

 特にこと生殖活動に関しては、草食動物も肉食動物も大した差はない。

 一匹の雌を巡り、雄たちは文字通り命がけの戦いをする。戦いを勝ち抜いた雄だけが雌に見初められる権利を得るんだ。アフリカゾウなんかは時に相手のツノを折ってしまうほどの苛烈を極めた争いになることもあるらしい。

 狩るための武器はなくとも、戦うための武器はどの生き物にも与えられるものだ。

 平等ではないにしろ、ね。

 ・・・・・・さて、長々と喋ってしまったね。ここで何か質問はあるかい――――斑鳩くん」

 

 斑鳩くん、と先輩の口から僕の名前が発せられたのが合図のように、先刻まで僕の身体を縛っていた緊張感のようなものがふっと緩んだ。

 喋っている時の先輩は何と言うかこう・・・・・威圧感みたいなものがある。

 普段も主に喋り方の所為で威圧感を感じることは常だが、こうやって朗々と自らの考えを口にする先輩には、なぜかいつもとは違う、途中で口を挟んではいけないような強い圧力を感じる。

 それは淡々と一本調子で語る声にあるのか、それとも底を悟らせない奥から鈍く光る瞳にあるのか、定かではない。

 ともかくやっと先輩の語りの金縛りから解放された僕は、おずおずと口を開いた。。

 

 「えーっと・・・・・あの、大変言い難いんですが先輩・・・・・・この状況分かってます?」

 「当たり前だ」





 「私は今キミに組み敷かれている。こういうのを、貞操の危機って言うんだろ?」





 「まぁ、そうですね・・・・・」

 「そうか。じゃあ話を続けるよ」

 「え!? いやちょっと空気読んでくださいよ!」


 仮にも男に押し倒されてるっていうのに、その反応はどうなんですか!?

 

 「失礼な。私は充分に空気を読んでいるつもりだ。ただ黙っているのが性に合わないだけだ」

 「空気を読んだ普通の女性は男に押し倒されて脈絡もなく突然役に立たない上よく分からない雑学を披露したりしませんよ・・・・・・」

 「私がキミの言う『空気を読んだ普通の女性』だったら、今頃キミは私の悲鳴を聞いて駆けつけた人に取り押さえられた挙げ句最悪退学になるだろうが、それでもいいのか?」

 「よくないデス・・・・・」

 

 先輩が悲鳴を上げなくても、もし今この場に第三者が現れたら、僕は間違い無くジ・エンドだ。

 そうなれば僕は研究者としての道どころか、万が一強姦未遂罪で警察に・・・・・・・。

 手錠を掛けられ警察に連れられる自分の姿を想像した途端、さあっと血の気が引いた。

 

 「まぁまぁ。普段まじめなキミがこんなことするんだ、それなりの理由があるんだろ?そんな真っ青な顔しないで、それにこの備品室には滅多に人は来ない」

 「せんぱい・・・・・!」

 「でも、返答次第じゃ、まぁうん。郷里の母親への謝罪の手紙を書く時間くらいはあげよう。そのくらいの広い心は持ち合わせているよ」

 

 にっこりと菩薩のように微笑む先輩。しかしその笑顔には『くだらない理由だったら覚悟しろ』とデカデカと書かれている。

 ・・・・・血の気どころか、生気まで抜けそうだ。

 うう、何なんだこの状況。普通ここで怯えるのは襲う側の僕じゃなくて襲われる側の先輩なんじゃないのか?

 そうだ、そうだった!大事なことを忘れてた!!

 

 「先輩、この状況で言っても全然説得力がないかもしれないけど、これだけは言わせてください!僕は先輩を襲おうとなんてこれっぽっちも思ってません!」

 「確かに説得力皆無だな。でもまぁ一応根拠を聞いてやろう」

 「僕はスタイルの良い女性が好みです。先輩、確かに細いですけど細過ぎって言うかぶっちゃけ胸な「ふん!!」

 「痛っ・・・・!?」


  先輩渾身の頭突き炸裂。

 どうやら僕は先輩の逆鱗に触れてしまったらしいけど、ていうか痛!頭突きめちゃくちゃ痛い!!何だこの人頭の中鉄でも詰まってんのか!?


 「キミは女性に対してのマナーがなってない」

 「す、すみません・・・・・・」

 

 あまりの痛みにうっすら涙を浮かべて謝る僕に追い打ちをかけるように舌打ちをかます先輩。

 ていうか、押し倒すのは良くて胸の話が駄目な基準がよくわかりません・・・・・。

 ここで遅ればせながら説明するが、男に組み敷かれた状況で役に立たなそうな雑学を披露しそしてそこから躊躇無く頭突きまでかましたこの先輩の名前は椎名えつ(「えつ」は正しくは「越」と書くらしい色々ぶっ飛んでるこの人にはふさわしい名前かもしれない)。日本の中でも指折りの国立理系大学であるこの学校の研究室に所属し、生物学を中心に数々の論文を書き上げ、21歳の若さで世界に名を轟かせるまさに『天才』。

 流れのままに身をまかせて気づいたら大学に入学し研究室にまで入り研究者の卵になってしまったその他大勢の有象無象と同等な僕とは別の意味で住む世界が違う人間である。

 まぁ天才は誰でも等しくそうであるように、彼女は性格に少々難がある。

 高飛車で偉そうな口振りもそうだが、先輩には他者を寄せ付けないバリアみたいなものがある、と思う。少なくとも周りの人間は、地位と名誉を思いのままにして有り余るほどの先輩の天才性と近づきがたいその雰囲気に気圧されて敬遠する人がほとんどだ。

 しかしその逆の人間もまた少なからず存在する。僕もそっち側の人間だったわけなのだが、まぁ、ここまでの件で薄々察して頂けてるだろうが、僕がどうやら先輩に抱いていた感情は敬愛ではなく劣情だったことが先日判明し、そこから理性との葛藤があったりなかったりの道のりを経て、意を決して自分の思いを告げようと思い立った、のだが。

 

 「なのに気づいたらこんな状態になっちゃってたんですよね。もう何がなんだか・・・・・」

 「それはこっちの台詞だ。備品室に呼び出されて何の用かと思ったら突然机に押し倒された私の気持ちを考えろ」

 「本当に先輩が来てくれると思わなくて・・・・・。それで先輩の顔みたら急に頭がこんがらがっちゃって、思わず・・・・・・」

 「思わずって・・・・・。キミ、気が弱いクセして意外と直情型っていうかたまに脊髄反射的なところあるよね」

 「あ、そうだ言い忘れてた。先輩、好きです。結婚を前提に付き合ってください」

 「今言う事かそれ!? キミこそ空気を読め!」

 「そもそも僕、それが言いたくて先輩を呼んだんです。さあ先輩、返事ください」

 「展開が急過ぎてついていけないよ・・・・・・」


 頭が痛い、と言わんばかりに頭を押さえる先輩。

 僕も先刻の先輩の頭突きの余韻がまだ残ってて、頭けっこう痛むんですけど。

 しかしほとんど自分で撒いた種なため、黙って口を噤む。

 

 「とりあえず、この体勢をどうにかしない?見下ろされてるのは好きじゃないんだ」

 「あ、すみませんっ!そうですよね、イヤですよね・・・・・先輩いっつも偉そうですし。背ちっちゃいけど態度はデカイし」

 「その鳥の脳みそ並に軽い口を切り取ってホルマリン漬けにされたくなかったら、さっさと退け」

 地を這うような低音ボイスに、僕は慌てて口を噤み俊敏な動きで上半身を起こす。先輩はやると言ったらやる人だ。

 ゆっくりと起き上がった先輩はぱんぱんと白衣に付いた埃を払い、結果的に先輩の背中によってキレイに掃除された机にもう一度座り直した。

 

 「で、だ。状況をまとめさせてもらうと、キミはつまり私に好意を抱いているんだね?」

 「そ、そうです」

 「顔を赤らめるな空気を読め。それで告白しようとした矢先土壇場で怖じ気づいてしまったしまったキミは何を血迷ったのか私を襲いかけた、と」

 「だからそれは誤解ですって・・・・・!凹凸の特に凸がない先輩の身体に魅力なんてまったく感じな、痛っだ!」

 

 本日二度目の頭突き。うわぁ、これ明日ぜったいタンコブできてるよ・・・・・。

 

 「そしてその後いけしゃあしゃあと告白って。しかも結婚を前提って馬鹿かキミは。・・・・ここまで私を振り回せるキミに呆れを通り超して感心するよ」

 はあぁ、と眉間を押さえて疲れたように嘆息する先輩。

 「先輩・・・・・その仕草、歳を感じますよ・・・・・」

 「キミの辞書にデリカシーという文字はないのか?」

 「す、すみません。ちょ、そんな怖い顔しないでくださいよ・・・・・!」

 ぎろりと睨み付ける先輩にたじろぐ僕。三度目の頭突きは勘弁してもらいたい。

 「・・・・・キミがなぜ私を好きになったか分からない」

 俯いたまま溜息を吐き、本当に分からないという風に先輩はそう言った。

 普段なら決して見ないような姿に僕は思わず驚いてしまう。

 「えっ先輩でも分からないことってあるんですね・・・・・」

 「キミは私をなんだと思ってるんだ。ていうか喧嘩売ってる?」

 「いいえ滅相もない!だって先輩っていつも堂々としてるイメージありますし・・・・・」

 

 ぶんぶんと音がするくらい僕は頭を左右に振る。

 僕の中の先輩のイメージは『完全無欠の高慢ちきな稀代の天才』だ。

 チビで幼児体型のクセに態度だけはビッグサイズで、だけどそれを差し引いても翳らない圧倒的な才能を持つ。それが先輩。 

 その才能に嫉妬しなかったらと言ったら、もちろん嘘になる。この研究室のいやこの大学、この業界で彼女の才能に嫉妬しない人間なんていない。

 けれど生来プライドとは無縁な僕は、そこらへんは早い段階で諦めてるので今更何とも思わない。

 というかむしろ――――



 「僕、単純に先輩の才能に惚れてるんです。それ以外の理由なんてありません。先輩がいくら性格悪くたって胸がまな板だって気にしません。―――――他者の追随を許さない圧倒的な稀代の天才・椎名えつが好きなんです」

 


 声が震えながらも、開き直ってむしろ堂々と言い放った。

 先輩はいつの間にか顔を上げていて、そして元々大きな瞳を更に大きく見開いている。

 えっ、また先輩の癇に障るようなこと言っちゃったかな!? 本日三度目の頭突きまで五秒前!?

 ふっ、と先輩が小さく笑う音が聞こえた。

 それが開始の合図になったかのように、突然先輩はお腹を抱えて声を上げて笑い出した。

 

 「はっ、ははは!あはははは!! 天才がイイって、ふはっ!何を言うかと思ったらよりにもよって、私の才能が好きだって!?」

 傑作だ!!

息も切れ切れに爆笑する先輩。意味が全く分からない僕が若干引き気味になってしまうのは致し方ないと思う。

 一頻り笑いきった先輩は、それでもまだひーひーと息を切らして笑いを余韻を引きずっているだったが目尻に浮かんだ涙を拭う。

 一世一代の告白を笑われたら、さすがに僕も傷つく。僕は少し非難するように口を尖らせた。

 

 「人の告白を大爆笑するとか、人にデリカシー云々言えませんよ・・・・・」

 「ははっ。あまりにもキミが、ふっ、奇を衒った事を言うから・・・・・。ふふっ、でも、うん。いいよ」


  言い終わるや否や、先輩は突然僕のネクタイを握りしめた。かと思うと、力任せにそれを自分の方へと引っ張ったのだ。

 

 「ぐえっ!?」

 

 僕の喉からはカエルが潰れたような声が漏れたが、非力モヤシの僕はそのまま抵抗できず引っ張られるまま先輩のところへ崩れ込み、












 ちゅ。










 「へっ・・・・・・ぐはっ!!?」

 

 唇に感じた柔らかい感触を問う間もなく、突如急所に衝撃が走った。

 頭突きなんか目じゃないくらいの激痛に僕は股間を押さえながら床に崩れ落ちる。

 

 「私に対する無礼な行動と数々の暴言はそれでチャラにしてあげよう。感謝しなよ」

 

 痛みに悶絶する僕の上から鈴のような先輩の声が降ってくる。

 恐る恐るちらりと上を見遣ると、痛みで霞む視界に僕を見下ろす形で立つ先輩の姿が映った。

 先輩は―――――笑っていた。それも、どこか楽しげに。

 しかしそれも一瞬で、もう僕に用はないと言わんばかりに先輩はあっさりと僕を置いてスタスタとドアに向かって歩いて行ってしまう。

 ドアノブに手を掛ける先輩に、まだ痛みで立ち上がれないでいる僕は焦燥に駆られながらもなんとか上半身だけを起こし慌てて声を上げる。

 

 「せんぱいっ!僕・・・・!!」

 「勘違いするな」

 

 言い募ろうとする僕の言葉を遮り、先輩はきっぱりと言い捨てる。

 

 「及第点だ斑鳩くん――――。面白い答えに免じて、キミの気持ちを認めてはやろう。だがな、」

 

 振り返った先輩は笑顔を浮かべていた。

 挑発的に。そしてとても艶やかに。



 「私は意外とモテるんだ。野生動物然り、雌の気を惹きたかったら無い牙を突き立ててでも戦って勝ち取ってみたまえ」



 ぱたん。ドアが閉まる。どんどん遠ざかる足音から、今度こそ先輩は行ってしまったんだろう。

 

 「意外とモテるって何その冗談・・・・・あ、でも先輩嘘は言わないんだっけか・・・・・・・」


 へなへなとまたその場にへたり込み、僕は頭を抱える。

 流れに身を任せるままゆらりゆらりと生きてきた僕に、言うに事欠いて『戦え』ときたか・・・・・。

 あの先輩を好きになるんだ。並大抵の相手ではあるまい。

 ・・・・・考えただけで胃が痛くなってきた。

 しかし、それでも僕に先輩を諦めるという考えは一切無いらしい。

 自分で思っている以上に僕は先輩に首ったけのようだ。

 そして一瞬だけ感じたあの唇に触れたやわらかい感触と艶やかな先輩の笑顔が脳裏を掠め・・・・・・急速に顔に集まる熱と煩く脈打つ心臓に、僕はしばらく立ち上がれなかった。


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