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輝き

 輝き


 金剛石(ダイアモンド)の輝きはくすむかもしれないけれど、(まこと)の輝きは失われることなく、絶えず爛々と輝き、その強さを増していく。意志というものはそんなものの一つで、瞳の美しいのは、それをそのまま表したように美しく輝いているからだ。

 世界はこうも美しい。それに気づけない彼らの憐れなことよ。

 

 今となっては本当にこんなことがあったのか解らないくらい昔のことである。延岡の愛宕山の麓、柚子(ゆす)ガ谷に立派な尻尾を持った狐が居た。名を太郎左(たろぜ)衛門と言った。その狐、立派なのは尻尾ばかりでない、その毛は夕焼け空のような橙色で、光を浴びると艶やかに彩られ、風が吹くと天女の如く幽幻に舞った。村人たちはこの化け狐のことを太郎左(たろぜ)と呼んでいた。

 太郎左がいつからこの麓に居たのか、それは齢七十を越すような長老の、その先代の長老でさえも知らない。土地に伝わる話によれば、戦乱の炎があちこちで燃え盛っていた時代、もともと住んでいた山が人によって燃やされてしまい、あっちこっちと居住地を求めてさまよい歩くうちにここに辿り着いたそうだ。しかし、その真偽を知るすべは誰も持たない。

 太郎左はしょっちゅう人を化かしては、その姿を見て大笑いした。

 例えばこんな話があった。

 ある日のこと、村のある若者が畑へ芋掘りに行く道半ば、一匹の狐が盛んに芋づるを頭にかぶって、化けようとするのを見つけた。お天道様に照らされて、その輝く毛並みは神々しさすらある。間違えようもないその背中に若者は畏れを抱きながらも、「また太郎左のヤロウが悪さをするようだ」と独りごち、太郎左が何に化け、何をするのかを見届けてやろうと決意した。

 じっと見つめていると、太郎左は芋づるを頭に何度か振りかけた。すると奇妙な音とともに視界が眩み、次の瞬間、ひょっくと琵琶法師に化けてしまった。その変わり見は奇っ怪で、いくら見てもめくらの、琵琶を持った老人にしか見えない。しかし太郎左は村の若者に一部始終を見られていたことを承知していたのか、若者をしっかり見つめると、

「ぼやぼやしないで、ワシの演奏を聞いていきなさいな」

 と優しく笑うと、悠々と山を下っていった。若者は黙ってついていった。

太郎左は村に着くなりそのまま近くにあった百姓の家に入って、慣れた手つきで琵琶を弾じながら、地神経を読みだした。家の人ははじめ呆気にとられた様子を見せたが、滅多にあるものではないので、珍しがって静聴した。

若者はそれを戸の節穴からじっと見ていたのだが、その姿は狐のものとは思えない。後光が差しているかの如く法師の周囲は輝いて見え、読経の声も琵琶の音色も、人のそれより澄み切っていて涼しい。お天道様がてっぺんに昇り、額に汗を浮かべていたが、若者はしばらくこれに見惚れていた。

 ところが不意に、「コラ、危ねえじゃねえか」と背後から知人の声がしたのでハッと我に返った。そしてよく見ると、今の今まで戸の節穴とばかり思って覗きこんでいたのはなんと馬の尻の穴だった。してやられたと思った若者の耳に、クスクス笑う声がこだました。

 こんな風に太郎左はいろいろと村人をばかしていた。



 勿論、そんな太郎左でも、知恵比べで敵わない相手は居た。若い頃は村一番の利口者と言われた先代の長老、松太郎がその一人だった。松太郎はこの土地に居着いた旅人の一人息子で、松のよく見える家で生まれたから松太郎といった。

 松太郎と太郎左との間にはこんな因縁があった。

 長老になるよりも、まだまだずっと若かった頃、ある時友達が太郎左にばかされたのが悔しくって、どうにか見返してやれないかとウンウン唸っていた。それを見た松太郎は「俺が代わりに太郎左狐をやっつけてくれよう」と大言したのだった。

「お前も騙されるんじゃないだろうな?」

 とからかうように尋ねた友人に対し、

「前からアイツとは知恵比べをしてみたかったんだ。俺とおんなじ太郎だからな」

 と、こう言って、松太郎は太郎左退治に出かけた。村で一番乗り心地が悪い馬を連れて行った。松太郎には作戦があった。

 松太郎は夕方になるのを待って、馬を引いて柚子ガ谷の近くまで出向いた。そうして柚子ガ谷の峠路に来ると、

「おっかさん、早く戻らねば日が暮れるぞ。はよう戻れい」

 と大きな声で呼んだ。太郎左はこれを聞くとにやりと笑い、いつもの如くばかしてやろうと老婆の姿に化けて出てきた。勿論松太郎は、その老婆が化け狐の太郎左だということを知っていたが、素知らぬ顔で、

「さ、おっかさん、はよう馬に乗らっしゃいな」

 と太郎左を馬の鞍に乗せた。それからしばらく峠を下っていたが、馬はよく揺れて、老婆はあたふたする。松太郎はそれを見て、

「落ちると危ないから、綱で縛っておこうじゃないか」

 と、老婆を馬の鞍にかたく縛り付けた。太郎左は観念したまま、老婆に化けて、松太郎の家に連れて行かれた。引き戸を開けると部屋の中央にある大かまどのそばには大きな包丁がぎらぎらと火に照らされている。松太郎は老婆の顔が青くなったのを見逃さなかった。

 しかし、流石は化け狐太郎左である。

「ハッハッハ、化け狐太郎左衛門と言えどもやはり畜生の類よ」

 得意そうな松太郎が包丁を取りに綱で縛られた太郎左から離れた隙に、するりと蛇に化けて縄を抜け、部屋の隅に打ち捨てられた薪の方に行き、今度はそれに化けて紛れた。ところが松太郎が振り返ったのと蛇から薪に化けた瞬間は同時だった。アッと声を上げると松太郎の顔は真っ赤になり、薪をむんずと掴むと、火の中へくべてしまった。太郎左はそれでもこりずに火の中から飛び出して、家の奥へと逃げ込んだ。狭い家だもんだから、あちこち散らばったものを次々ひっくり返しながらの乱痴気騒ぎが始まった。くるくると家の中を何周もして、太郎左はとうとう仏間に逃げ込んだ。息を切らしながら松太郎が転がり込むがどこにも狐は見当たらない。尻尾の先でもないものかとあちこち見回して仏壇を見ると、昨日までは一つだったおっかさんの位牌が二つになっていた。どこをとっても瓜二つなもんだから、まじまじ眺めても見分けはつかない。はてさてどうしたものかと悩んだが、村一番の利口者。すぐに機転を利かせてこう言った。

「お前がいくら化けたって、うちのおっかさんの位牌は他のものとはちょいと違うんだ。俺がおっかさん、おっかさんと呼ぶと、ゆらゆら揺れて返事をするんだ、見分けがつかないことがあるだろうか」

 それから一、二拍ほど空けて、「おっかさん、おっかさん」と呼んでみると、右にあった位牌がゆらゆら揺れた。松太郎は位牌を掴むと、それを床に叩きつけた。呻くような声がして位牌は化け狐の姿に戻った。走り回ったせいで、太郎左冷静な判断能力を失っていたのだ。背中からしたたかに打ち付けられた太郎左は、ぐったりと床に横たわっていた。

 松太郎は大包丁を太郎左の素っ首に振り下ろそうとした。しかし、太郎左の眼が開き、視線が交わったので思わずその手を止めた。松太郎を横目に、太郎左は緩慢に起き上がり、乱れた毛並みを整えた。仏間の薄闇の中、化け狐のその体毛と同色の瞳が輝いている。夕焼けのような熱さが、靄のような暗黒に広がっていくように思えた。

「若者よ、お前は私を殺すのか」

 その瞳とは対照的な、冬の(シン)とした冷たさを想起させる声だった。冷水をかけられたような衝撃を松太郎は受けた。衝撃、という二文字でしか彼はそのとき味わった思いを表現できなかった。

 どうなんだ、と問うてくる瞳に松太郎は返答した。

「ああ、殺す」

「何故殺すのだ」

「お前はこれまで人を騙してきた。それを懲らしめてやろうというのだ」

「では、お前は騙されたのか」

「……いや、まだ騙されていない。だが、ついさっき騙された」

 気圧されたためか、松太郎の声は震え、少々裏返った。化け狐はこれから己が殺されるかもしれないというのに、静かに座し、ふむ、と口の中で呟いた。

「成程確かに私は多くの人の子を騙してきた。だがお前たちの食事を奪ったことがあっただろうか? お前たちを噛んだことがあっただろうか? 懲らしめてやろう、とお前は言ったが、何故殺さねばならぬのだ?」

「それは、……」

 松太郎は答えを持たなかった。そして本当に殺す必要があるのかどうか自分でも疑問に思えてきた。いったいどうして自分はあれほど太郎左衛門という化け狐に執着していたのかさえ解らなくなった。気付けば包丁を振り上げていた手は力なく下がっていた。

「久しぶりに楽しめたぞ、礼を言う」

 そう言うと、化け狐は部屋から出て行った。松太郎はしばらく呆然と突っ立っていた。それから馬を返さないといけないと思って外に出ようとして、玄関前にこの時期採れる山菜が山積みになっているのを発見した。

 これが先代の長老と太郎左衛門との因縁である。

 それから松太郎は生きている間、しょっちゅう太郎左衛門と知恵比べをしたという。そしてお互い満足いくまで楽しんだそうだ。

 村の子供たちはこうした化け狐の話を、夜の枕に聞かされて育ってきた。


 ○


 万物にはみな終わりがあって、こんな偉大な化け狐もその例外ではない。形あるものには死の末路が待ち受けている。

 ある梅雨時の頃。

 豪雨のために五ガ瀬の橋が流されて、渡しの人足、雲助共が出稼いでいた。太郎左はここでも渡し人足に化けて、旅人を川の中まで運ぶと、頭から突き落として溺れさせるといった悪戯をしていた。

 その日は弱い雨がしとしとと朝から降る日で、梅雨時にしては珍しい一日だった。

 ちょうど、ある薩摩の飛脚がこの五ガ瀬の渡し場にやって来た。橋がないとは思ってもみなかったから困り果てた。他の人達と同様に渡しを選ばなければならなかった。そしてたまたま目についた巨漢の人足を選んだのだが、これがなんと太郎左だった。

 太郎左は飛脚を背負って川を渡り始めた。飛脚はかねてから武道の心得にも深い侍であったので、太郎左の背中に乗せられて、一歩、また一歩と彼が進む度におかしな音がたつのことに気づいた。川の水を切る足音とは別な、時折ちゃぷちゃぷと聞こえる水音が何なのかと考えた。

すると、道中この地方に太郎左衛門と呼ばれる化け狐が住んでいるという話を思い出した。非情に悪戯好きなので、人足に紛れているかもしれない。さてはこの男がそうなのだろう、と飛脚はすぐに思い至った。

「お主、さては狐か」

「いいえ、何を仰いましょう。私はしがない人足でありますよ」

 人の良さそうな細い目を丸めて巨漢は答えた。しかし依然ちゃぷちゃぷという音はしている。自分から本性を曝すはずもないなと思い、最後通告としてもう一度尋ねた。

「お主が狐だということは判っておる。正体を明かせば見逃してやろう、己を騙したことにたいする敬意だ」

「あなたは面白いことを言われますなあ、はヽヽ……私はただの人足ですよ」

「むう、では、御免」

 そう言うや否や、飛脚は器用に懐から短刀を出すと巨漢をはげしく突き刺した。向う岸まですぐだったので、巨漢はそこまで歩いた。そうして向う岸に着くやいなやばったりと倒れた。しかしいっこうに獣の姿を現さないから、薩摩の飛脚は誤って人殺しを犯したのではないかと、内心気が気でなかった。だが手当をすれば狐に騙されたという事にもなり、息の続く限りは立ち去ることもできない。笠を打つ雨の音が弱まってきたのを感じながら、河原に座って、巨漢の絶命を待った。

 巨漢の呼吸は、時が経つにつれて荒くなっていった。その顔色も、血色の良い日焼けした小麦色がだんだんと青白くなっていった。いよいよ、自分は人殺しをしてしまったのだという思いが飛脚の中で強くなった。ごろごろと転がる丸い石ころの間には真っ赤な血が行き渡っている。もう手当をしても助かる見込みはない。瞬きもせずに飛脚は巨漢を見つめた。巨漢も細い目を見開いて、じっと飛脚を見つめていた。その瞳は黒かったが、人ならざる何かのような印象を覚えさせるものだった。

 一刻半が過ぎた頃だろうか、血の臭いに生き物の死を嗅ぎつけたのか、どこからか烏がやって来た。ぐらあがあがあと喚きながら、飛脚と巨漢の上空を旋回した。目の前で肉を啄まれるのも嫌だから、飛脚は手頃な石を手にとって投げつけた。烏はいっそう大きな声でがあがあ啼きながら散っていったが、しばらくするとまた戻ってきた。数は次第に増えてきた。飛脚は息も絶え絶えに石を投げ続けた。そうする内に巨漢が死んでしまうかもしれないと思い、自分が何故こんなことをしているのか疑問に思った。

 また一刻が過ぎた頃だろうか、すっかり死相の浮かんだ巨漢が口を開いた。

「お侍様は、どちらからいらっしゃったのです」

 その声に胸を突かれるような思いがした。穏やかな風貌通りの声なのに、針のような鋭さを孕んだ声だった。飛脚は内心こわごわと、しかし堂々と答えた。

「己は薩摩から来た」

「そうですか、薩摩から。名前はなんと申されるのですか」

「己は桂久臣と申す。お主、名は」

「私は常吉と申します。久臣様、あなたはけだものを殺めることをどうお考えになりますか」

「どう、とは」

「無意味な殺生を是とするか否かでございます」

「お主は己に説教でもしようというのか」

「まあ、まあ、あと少しで死ぬ身なのです。どうかお答えください」

「……そうだな、己は理由もなく殺めるのは良くない、と、思う」

「どうしてでしょうか?」

 五ガ瀬は夕暮れになり、夜風が肌にしみた。服は濡れたままだったので、寒さはまるで全身に針が刺さるような痛みを伴った。長く息を吐いて、自分は試されているのだと感じた。

「狐狸の類であれば人を騙しているに相違ない。それならば懲らしめねばならぬ」

「では、悪人を殺めるのは?」

「己が殺めるか否かを独断するのは、良くないことだと思う」

「どうしてでしょうか?」

「どうして、とな。そう定められているからではないだろうか」

「ははあ、そうですか」

 溜息のように短く、巨漢は息を吐いた。それから、おかしそうに笑った。飛脚は心の中で己の言葉を反芻し、それらがどこか赤子じみた、幼稚な答えのように思えた。だがその嘲るような笑い声に自尊心を傷つけられたような気がして、思わず怒鳴った。

「何がおかしい」

「ええ、いえね、お気を悪くしないでくださいね、死にゆく者の言葉ですから。あなたはけだものを殺めるのは独断して良いと言い、人を殺めるのは持て余すと言うのでございましょう。人も獣も同じけだものだというのに、なにを仰るのか、と思いましてね」

「お前は己らと獣が同じだと言うのか」

 細い目を見開き、橙色の瞳で飛脚を見据えて、口調はそのままだが、冬の針とした冷たさを想起させるような声で言い放った。

「なんせ人間は狐狸に騙されるのですからね。つまり、狐狸のほうが賢いということじゃあございませんか。それにけだものは己の意志ですべてを独断して生きるというのに、己の意志でものの生き死に一つ決めきれない。面白いことですなあ」

 夕日が沈み始め、辺りが燃え上がるように赤くなりました。巨漢が言い切ると同時に、飛脚の眼にその強い光が突き刺さった。思わず手で目の上に蓋をして、飛脚は巨漢から目を逸らした。

 それからゆっくりと蓋をした手をずらして、巨漢の居たところを見ると、そこには長い尻尾を横たえた、夕焼けよりも鮮やかな橙色の毛をした狐が倒れていた。見開かれたその瞳は、沈み際の夕焼けを反射して、ほんの刹那、森羅万象あらゆるものよりも美しく輝いた。

 


 これが村に伝わる化け狐太郎左衛門の物語である。

原作 日本の民話第二十三巻 日向の民話 北日向 「狐の太郎左衛門」


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