79.再出立
明朝七時、フロント係の彼は笑顔を絶やさず見送ってくれた。
支払いを済ませると、
「ご利用ありがとうございます。またのお越しをお待ちしています」
そう言って丁寧に頭を下げた。決して隙のない所作とは言えない。しかしプロとしての拘りは感じられた。
こちらも礼を言いホテルを出た。改めての出立。ホテルでは何事もなかったがこの先は分からない。
ここからパミール高原に入りアフガニスタン国境沿いを走り続ける。ホルグという小さな町を通り過ぎれば、一気にバダフシャーン自然公園へと入る。ここでアフガニスタン国境とはさよならだ。
バダフシャーン自然公園内のどこか、恐らくマルツという場所にたどり着けば、今日の移動は終わる。自然公園の東端にあたるムルガブまで行きたいが、日が暮れれば危険度も増す。移動も襲撃も警戒するなら限界だろう。
安全を期すならホルグで止まるのも手だ。マルツ近辺は山に囲まれ見通しが悪い。グーシーから受けた説明を伝えると充希が意見した。
「可能ならムルガブとやらまで行ってしまいましょう。襲撃など迎撃すればよいのです」
「自信家だな。時間的にはギリギリ可能だけどさ、バギー守り切れるか?」
「無論」と軍用機は言うが、問題は移動の方だ。なるべく慎重に走りたい。
途中食料品店などもあったが買い物は済ませてある。
景色は正直代り映えしない。荒れているというより標高が高く木々が成長しにくいのだろう。
パミール高原は標高の平均だけで5000メートルを超える。森林限界という奴だ。水資源の問題もある。乾いた大地と山肌がそれを示していた。
皆警戒しているのか道中沈黙が続く。しかしなにかを伝えるためグーシーが口か蓋かを開いた。
『ゴル、ガルバルズゾ』
「タガロ、ホテル出てから誰もついてきたりしてないって」
「そう。ならあいつは本当にホテルマンだったんだな」
フロント係とはいえひとりきりだ。チップを渡すべきだったか。少し悔やんでいると充希が素直な感想を述べた。
「不思議なホテルでしたな」
「うん、本人もそんな感じだったよ」
自分もヨシカも、恐らく充希も少し感心していた。
「昨日結構話したんだ。お客が来ないって嘆いてた。宣伝とかしてないんだって」
『ガルバ! ゼダゾ!』
「えーっと、あの人誰とも連絡取ってないらしいよ。監視するつもりだったけど僕が話しかけたから話す方向にしたって。そうなんだ」
なるほど、昨夜そんなことしてたのか。ゼスの飽き性と好奇心を逆手に取ったわけだ。
「あの人共通語とタジク語しか話せないんだって。久しぶりのお客で、久しぶりに仕事したって言ってたよ。広いしキレイだしみんな行けばいいのにね。ネリーとかさ」
そう言ってゼスは少し寂しげな顔をみせた。もう懐かしんでいるらしい。
あのホテル、ネリーはさすがに知っているだろう。しかし、フロントの彼が言うシーズンという奴が来なければ食事も出ない。パミール高原に用がないなら泊まること自体が目的になる。
「本当にどう成立させているんでしょう。国営ですか?」
充希が問いかけると、
「ううん、知らないって言ってた」
ゼスはあっさりと答えた。
「まさか、とは思いますがそうですかタジク語。国樹さんの仰る通りでしたね」
「そうね」と返事して国樹は運転に集中する。ヨシカは気になったがきっと「そんなはずない」と思っているだろう。
バダフシャーン自然公園の南ルートは視界的には開けていた。しかし道路は自体は狭く舗装もかなり頼りない。グーシーとゼスから聞いていた通りだ。
両側を山に挟まれ前後はともかく見通しも悪い。しかもどこがマルツか分からない。標識もなく目印もなかった。
日の傾きをはっきりと感じた。日暮れが近いならもう停車させていいかもしれない。しかし場所がまずい。自分の考えを伝えると、
「お構いなく。ムルガブに行かぬならここにしましょう」
充希が言い切った。山の向こうから狙い撃ち出来る。かなり不安だが本気だろうか。ヨシカが落ち着いた口振りで確認する。
「充希さん、自信過剰になっていませんか?」
「全く」
「そこまで言うならここにしよう」
道を外れ乏しい草木を踏み砕く。致し方なかった。一夜過ごすのに路肩に停める訳にはいかない。程よい場所で停車させ、国樹は皆に告げる。
「お疲れ。今日はここまで。バギーだからペースは勘弁してくれ」
謝罪と言い訳を混ぜ合わせ、今日の移動は終了だ。




