70.タジキスタンの宵闇
盛り上がり過ぎだ。
国樹は苦笑しながら晩餐を振り返った。
ネリーの料理はパーティーさながらで、とにかく量が多かった。まともに食べるのは自分だけだ。いざ征かん、明日は胃痛か腹痛か。もはや覚悟を決めるしかない。果たしてひとりでどこまで平らげられるだろう。
結局はグーシーが無理をしてくれ、珍しくゼスも頑張っていた。酔ったネリーに抱き着かれ「出立明後日にしようよー」「お腹きついよー無理しなくてよくない?」「いや、よく考えたら来年でいいじゃんね!」と無茶を言われた。その時別れる寂しさはこの比ではないだろうに。
思い出すとまた、苦笑と寂しさが生まれてくる。
国樹も少しだけ酒を嗜んだ。
心地よく舌も滑らかになり、ついシンガポールでの話をし過ぎた。マリーとの話を姉であるネリーは顔を赤くして聞いていた。時折声を出し笑い、時折露骨に舌打ちした。「押しが弱い、弱いな国樹は!」と叱られたがバギーの購入は褒められた。
しかしまあすげなく振られた話なのに、なんで自分も笑っていたのだろう。
酔いを醒ますため、宵闇過ぎたドゥシャンベに出た。外を歩くとふわっと酔いを感じる。思わず笑みが零れまた少しだけふらついた。
整備工場の周囲をぐるりと一周、戻ってくると玄関前に充希が腰掛けていた。
「いやはや、よい気分ですな」
「んー申し訳ない。色々申し訳なくて開き直るしかない」
「酔われておりますな。当方も少し頂きました」
「へーアルコールいけるんか」
「まあ、体内でうまく」
便利な身体だ。感心していると、
「少し話ましょう。あちらの建物無人だそうで、立ち入り自由だそうです」
気持ち遠い、向かい側の小さな雑居ビルを指差している。
気楽に応じ二人で建物へと向かう。
人気はなく、まだ零時を回っていないのに無人街のようだ。
みんな歓楽街に行ってるのだろうか。
件の建物は真っ暗で少し不気味だったが、充希は躊躇いなく入口を潜った。国樹はというと、やはり暗くてよく見えない。ライトが照らされ「どうぞ」と中へ招かれる。「どうも」と応じ階段を上がった。
三階建ての雑居ビル、その屋上へと向かうらしい。恐らく普段誰も来ないのだろう、屋上の扉は音を立て開いた。
実質四階なのでやや低いが、首都ドゥシャンベを眺める。
灯りはまばらで賑やかさ華やかさは感じられない。
まあこんなものだろう。最初の印象と変わらない。
充希はライトを消し柵のない屋上の端へと歩を進める。
「実に心地よく、吾輩ああなるほど確かにここにいるのだと実感しています」
「そりゃなにより。俺もしばらく酔っていたいよ」
もしネリーがまだ飲むというなら、付き合ってもいい。明日のこともあるが最後の夜だ。彼女と心ゆくまで語り合いたい。またふっと笑みが零れ、それからぬっとなにか分厚いものが視界に入った。
「おいなんだよ」
思わず声にすると、
「お水です。酔いをお醒ましあれ」
水筒持参……実に合理的配慮。なにか用事があるらしい。それはそうか、用もなく誘ったりしない。
ぐいと飲み酔った頭を無理やり醒ます。大きく息を吐き出し国樹は頷く。
「いいぜ、用向きお聞きしよう」
少し真似してまたひと息ついた。充希は「では」と断ってから話し始める。
「今回は信頼の栄に浴し、感謝の念に堪えません」
慇懃さは相変わらずで、大仰この上ない。仕様の問題か、腰から曲げ少し頭を下げている。
「いえいえこちらこそ。期待通りだった」
こちらは気楽に両手を広げてみせた。
「ご不足ありませんか」
充希は冷静に問うてくる。揚げ足取るなら言いたいことはあった。しかし協調性に欠けるのはご愛嬌と受け入れるべきだろう。
「あるようで。ご指摘頂けると幸いです」
バレバレのようだ。苦笑いと共に仕方なくひとつだけ注意する。
「議論相手を怒らせず、協調性を持って接してくれるととても嬉しい」
「承りました。鋭意努力致します」
たぶんやる気ないな、これ。この軍用機はとことんマイペースを貫く気らしい。国樹は苦笑しそれを受け入れた。
夜風が通り過ぎる。星空も近く空は透き通っていた。
国樹も充希も夜空をひとつ眺め、彼女が先に口を開いた。
「私のお礼はそこではないのです。国樹さんは私を最初から信頼して下さっていました」
気持ち砕けた口調で充希は話す。
「昨夜の会議、私を除き行ってもよかったはずです。しかしあなたはそうしなかった」
確かに、国樹は首を縦に振る。
「契約と登録は些か強引に過ぎました。にも関わらず私を話し合いの場に置いた。如何なる理由か私は愚考しました。そうしてああ、私は期待されているのだなと結論付けたのです」
充希の視線は冷静そのもので遊びがない。国樹も真摯に向き合う。
「恐らくその役割は、果断に発言し異なった解釈を提供すること」
酔いの醒める話だ。国樹は水をもう一口追加する。
「お二人と接し、かなり慎重派であることは感じていました。実際お二方は国樹さんの想定を超えた発言はしない。実態はトラブルと制約を抱え、やりたくても出来ないというところでしょう」
その制約をこいつは軽々と超えてきた。充希は少し上を向き滔々と語る。
「正誤を問題としないなら、踏み込んだ発言は可能です。しかし実際のところは分かりません。役割は心得ました。最も確実なのは観測、捕獲鹵獲。しかし、次の相手はそうはいきますまい」
人の頭をいじくり回した、シヴァと呼ばれた女。次を見越し、飛燕充希は既に備えている。




