51.悪夢に終幕を
そいつが誰だかはどうでもよかった。
若い白人の女に、今日だけで二度出くわすのは強運か凶運か知らないが、今はそこじゃない。周囲に視線を巡らせ、
「ゼスどこだ」
声をかけるが返事がない。
「多賀朗?」
女の疑問を、国樹は無視する。
「どこだゼス! 返事しろ!」
大声を出しても反応がない。
まずい、あいつ沈んだまま浮かんできてないのか?
いや、渓谷に流された?
冗談だろ、もしかしてあいつ、
「泳げないのか……溺れてるんじゃないだろうな!?」
「うん? 泳げると思うよ」
「そうか。それならいいが、誰だお前は?」
いい加減ムカついて、ドスの利いた声を向けていた。さっきからこの女、馴れ馴れし過ぎる。視線に、だから誰だテメーは、と憤りを込める。
女はなぜか困惑して、こちらを覗き込んでいた。
「え、いやあの、私、というか僕だよ」
「男か? いやどうでもいいそんなこと。ゼス捜せ、白人のチビだ。お前も白人なら捜す義務がある。俺の法ではそうなってる」
「うん、僕はここだよ多賀朗」
なにを言ってるんだ。頭がどうかしてるのか?
国樹は呆れ、もう相手にしないことにした。
もし、流されているだけなら下流で見つけられる。しかし沈んだままだったら? どうする、日が暮れては対応のしようが――。
「多賀朗、無視は酷いよ」
川面を揺らし、若い白人が袖を掴む。
「僕らは助かった。天使の大勝利だ!」
ああ、こいつもそっち系。違う、なんか違う。というかあれだ、俺は酷い勘違いを――そんな馬鹿なと思うが、
「お前、ゼス、なのか……」
躊躇いがちに尋ねると、
「そう言ってるじゃない」
きょとんとした顔は、確かにゼスのそれに似て……ない気がする。
性別も判然としない、自分より若い白人。
白いワンピースは水に濡れ、肌に張り付いている。
女性らしい、男性らしい身体的特徴、どちらも見受けられず……いや、なんかちょっと胸元が怪しい。どちらかと言えば、女性の特徴が見て取れる。違う、どちらかは、はっきりしていた。
腕を振りほどき、
「ふざけんなゼスは男だ! そうでないと困る!」
指差し言い募ると、
「そんな多賀朗の都合押し付けられても……」
そいつは目を細め、うんざり顔を向けてきた。
「お前がゼスなら、元のゼスはどこだよ! おかしいだろ!」
「元の僕はここだよ。おかしいのはそうかもしれないけど、気がついたらこうなってた」
言い回しや仕草のそれが、なんか凄くゼスっぽい。どうしよう。
「な、なんでワンピースなんて着てる! ジャケット羽織れ男なら!」
もはや言いがかり染みてはいるが、
「次からそうする……でも好きで着替えたわけじゃないんだよ?」
そうして、
「助かったのに、それ重要?」
付け足された。
どう見繕っても瑞々しい女が、呆れ果て溜め息をついている。
肌に張り付く白いそれが、今は暗くてよく見えない。
妙に生々しく、国樹は思わず「勘弁してくれ……」と零していた。
恐らくだが、自分は失神したのだろう。
そう告げると、隣を歩く自称ゼスも頷いた。
「多賀朗声出さないし、返事しないから大丈夫かな? とは思ってた」
渓流を離れ木陰に入る。アナスタシアの追撃があれば、こいつはともかく、国樹の頭頂部に穴が開く。
上空約6000メートルからの対地長距離射撃。ないと思うが、パラシュートはしてやられた。
「場所分かるか?」
確かめると、
「塔からちょっと離れてる。道は分かるよ。公園の入口まで歩こう」
自称ゼスが先導を買い、前を歩く。万が一を考え、ライトは使えないので足元も覚束ない。国樹が遅れると先往くそいつが振り返り、
「手握ろうか?」
細く女性的な手を差し伸ばす。
爪がやたら整っている、手のモデルみたいだ。
「似たようなこと言われた記憶がある」
それから、ゼスは夜目が利く事実も思い返す。
「ああ、蹉跌の塔だね。地下が真っ暗で、多賀朗だけ見えなかった」
そう、そうだった。
国樹は内心で首肯し、確かに、こいつはゼスなのだと理解した。
受け入れるのに時間がかかりそうだ。
何度目だ、こう思うのは。




