4.謎の人食い箱2
開いた……? ゼスが開けたのか? 遠目から見ている国樹にははっきりと分からなかったが、箱の蓋がゆっくりと上がっていることは視認出来ている。
「おっ」
とゼスが嬉しそうに驚きの声をあげ、箱の正面に正座しているのも見て取れる。しかし角度的に見辛いのもあって、どうもゼスは箱には触れていないように見えるのだが……。
そうして箱は、半ば辺りまで開いた。
針金が折れた衝撃で運良く外れたのか、それともゼスが自力で開けたのか。国樹は思わず窓から降り、フロアに立ってその様子を観察していた。二人が注視する中、蓋を半開きにした箱は突然スッと動きを止めた。二人が「ん?」と怪訝な顔をすると、箱の中から赤いなにかが伸びてくるのが見えた――。
それを確認した国樹の決断は早い。
まるで猫さながらの動きで窓によじ登り、身体の半分は塔の外へ晒していた。
どう考えてもやばい!
中から取り出したのならともかく中から出てきた!
なんのことはない、あれは結局人食い箱だったんじゃないか!
国樹は不安定な態勢を維持しつつ、目を剥き箱とゼスを注視する。こうなれば、せめて自分だけでも逃げるべきだ。ゼスは……自分でなんとかするだろう。というかなんとかしろ。
――パワフルかつダイナミックに動く人食い箱。
国樹のような生身の人間が、ゼス如きを助けるため対峙すれば、調査団の二の舞になるのは間違いない!
というよりそもそもあれは、分かりやすい類の罠ではないか!
そうだ、怪我人達もあのトラップに引っかかったんだ!
血塗れで搬送される彼らを見たんだ、一目瞭然だろう!
自分は確かに、世界の深淵を体感することも含め旅に出はしたが、世界各国のトラップを味わうため海を渡ったのではない!
国樹は、もう最期になるかもしれないゼスの姿を見届けんとした。外に向けた身体を少しだけ内側に捻り、視線を再び中へと送る。そして、心の中で語りかけた。
思えば短い付き合いだったなゼス……恨むなら、自分の好奇心を恨んでくれ。俺は、所詮自分が可愛いだけの普通の人間なんだ。
それでも、もし逃げられたら……いやそれはありそうにない……。
そう、そんなことはありえない、あるはずがない。国樹はそう確信していた。
しかし、視線の先の光景は、思い描いていたものとかけ離れていた。
ゼスの眼前には、パックリと蓋を開けた人食い箱があるのだが……ゼスは未だその正面で正座している。そして、中から出てきた赤いなにかは、鍵穴に刺さる針金に巻きついた。
は? と思う間もない。器用に針金を巻き込み取り出した赤いなにかは、それを「ピッ」と放り投げた。そしてゆっくり、蓋を閉じていく。
……なんで!?
と、声に出さず突っ込むが、目の前で奇妙な行動に移る者を見て、今度は全力で引くことになった。
なにせ閉じようとする蓋を、ゼスはガシリ受け止め中に手を突っ込んでいたのだから。
針の振り切れた馬鹿と勇者は紙一重かもしれない。
国樹の唖然呆然を他所に、ゼスはひたすら箱の中をまさぐっている。宝箱の形をしていれば、きっとなにかあるという一心からか。
せっかくおとなしく閉じてくれたのに!
しかし、箱はゼスの思うようには応えてはくれなかった。
唯一返ってきたのは、また赤い、なにか長い生物のようなものだ。
「お、ぬるっときた?」
と、意味不明に呟くゼスに、それは巻きついた。それからゆっくりゼスを押しのけると、ゆっくり蓋を閉じようとするが、またゼスが阻止を試みている。
一連の流れを完全に把握出来たわけではない。が、それでもあまりに分かりやすい違和感は当然持っている。
もはや箱になにかしらの仕掛けがあることは明白!
そしてあの赤は、団員の血! 間違いなくあの箱には、中にはなにかある!
「ゼス! 気をつけろ中になにかあるぞ!」
「うん……しょっと」
ようやく発せられた国樹の注意も余所に、ゼスは再び蓋を開け、中に手を突っ込みまさぐり始めた。ダメだこいつ、やっぱ放っていこう。国樹のくらつく思考がそんなことを囁いている。
「ダメだなにもないよ! ぬるっとするだけ!」
それはなにかあるということではないのだろうか。国樹の思考は一周して、とても覚めた感覚が前に出ていた。ただ、それを口にする余裕と意味は感じられなかったのだが。
――なんだかおかしなことになってきた。
端っからおかしい事態にはなっていたが、今はもうそんな次元ではない。国樹はゼスと人食い箱らしき物の遠く反対側に位置している。しかし遮る物のないこの空間では、ゼスがなにをしているのかよく把握出来た。
ゼスはどうやら諦めたようだ。いくら探しても何も出てこない。一方仕掛けのある箱も諦めたようだった。やめろと止めてもこのガキは止まらない。
そのせいか、箱は蓋を開けたままゼスと向かい合っている。
ゼスは両膝を突き中を覗くが、箱は全く反応しない。ついには頭を突っ込んでしまったが、やはり箱は動じなかった。
「動じろよ」という言葉も「なにしてんだ」という言葉も国樹の口からは出てこない。たぶん言っても聞かないだろう、というよりついていけない。
「ほんとなにもないんだね。なんで? 宝箱じゃないのこれ?」
首を引っこ抜いたゼスは、なにを思ったのか「人食い箱かもしれない物」に話しかけている。目の前のあれがなんなのかは国樹も分からない。だが血痕があり、動く存在である以上警戒して当然だ。しない方がおかしい。
しかしゼスは、まるで視線の高さを合わせるよう屈んでいる。「人食い箱かもしれない」も、口を半開きにしたまま向かい合っている。
見ている分にはとても平和だ。馬鹿馬鹿しいぐらいに。
そんな安堵感からか「うーん……」と唸るゼスに対し、
「なにもないのか? ないなら、気も済んだろうしもういいだろ」
と国樹はフロアに降り、少しだけ近づいた。
「タガロ手伝ってくんなかったーなんなのさーなんかあるかもしんなかったのにー」
ゼスは振り返り、ムスッとしてみせたが、
「なかったんだろ? 手伝ってたら無意味に体力を消費してるとこだったよ」
国樹軽く頭を掻いてから、両手を広げ答えていた。
ゼスは不満を顔に出し口を尖らせるが、国樹にすれば一安心といったところだ。
あの箱に仕掛けがあるのは間違いない。
だがそれほど危険でもないらしい。
ゼスにあれだけやられて暴れないのだ。
とするとトラップの類でもないか。
調査団の連中は一体あの箱になにをしたのだ?
それともやはり、嘘だったのか。
真偽の程はともかく、これで予定に変更はなくなった。今さっきゼスの勘が外れたばかりだが、宝石のこともある。時間が許す限りこの塔を調べたい。
国樹は頑丈さだけが取り柄の腕時計に目を落とし、それから塔の外を見た。草原はまだ明るい。しかしここらの治安を考えれば日暮れ前までには出た方がいいだろう。
以降自分が出来ることは基本ないので、ゼスの勘に頼って……そうは時間もかかるまい。引き際を間違えずに一仕事だ。
「ゼス、行くぞ。もう一度全階見て回ろう。少しでも収穫がないと正直寂しい」
リストバンドを取り出し、汗を拭きながら声をかける。ゼスの耳にも届いたようで、一度はこちらを振り向いた。だが時を同じく、ゼスの前にある箱もザラリと音を立て、反応したのは計算外だ。
安堵し完全に頭を切り替えていた国樹が、固まったのは言うまでもない。
それでもパニックに陥らず、重心を後ろにかけいつでも逃げられる態勢を取っていた。一方ゼスと箱は身振り手振りを交え、なにかしら意思の疎通を試みているように見える。
このインチキエスパーは箱とコミュニケーションを取るつもりなのか!?
出来たとしてもそれ必要か!?
という国樹の困惑と憤りは、
「タガロ、宝箱が話したいって言ってるよ」
『グガ、ギガガガ、ゴゴ』
という意味不明な異音と、ズザザザという箱が移動する音に完全に飲み込まれた。国樹とゼスと箱の距離は徐々に、しかし着実に詰められていく。