41.ノーチラス号に用はない2
アナスタシアに戸惑う様子はなかった。
彼女は国樹という存在を歯牙にもかけていない。
一歩引いてみれば、これはゼスの奪い合いだ。
当然アドバンテージは自分にある。
天界とやらに案内してやれず、保護者としても褒められたものじゃないだろう。
それでもほんの少しだけ、ちょっとした信頼関係を築けている。恐らく誰よりも。
「あなたそもそも何人なんだ?」
国樹は少し呆れを込め問うた。こちらは名乗った、国籍も明かした。しかし目の前の女はなにも話そうとしない。なぜだ?
「ゼス、こいつきちんと自己紹介したか?」
「してない。偽名かもね」
言いやがる。いいぞ、と国樹は内心で頷く。
「酷いわ」
「名乗れよ。姓を答えろ」
答えは沈黙として返ってきた。
「ゼス、こいつ何人だと思う?」
「たぶん、白人。それか宇宙人」
「うんまあ……こいつは恐らくロシア人だ」
言い切ったが、アナスタシアは動じない。
「どうしてそんなことが言えるの?」
ゼスが疑問を口にしたので、国樹は率直な見解を並べる。
「アナスタシアは姓だ。ロシア系に多い。理由はそれだけだな。キルギス、ウズベク、カザフかもしれない。まあでも決まりだろう」
ゼスは斜め上を見ている。ピンとこないか。そりゃそうだ、そもそもアナスタシアは名で姓じゃない。国樹としても、鎌をかけているだけだった。
「ロシアは日本と同じで姓名の順だ。姓を名乗った人間に姓を確認してんだから、なんか言えよ」
「あなたの思い込みには付き合えないの」
食いついた。
「まあいい。人種や国籍に固執すると、ダイバーシティな皆さんの反感を買いそうだ」
アナスタシアは鼻で哂うが、国樹もまた同じ気持ちだった。
「ところでアナスタシアさん」
声をかけても返事はこない。構わん、ひとつ間を置き切り出す。
「"あなた今、一体何語を話しているんです?"」
この世界を覆う矛盾。
透き通る闇――この問いにどう答えるのか。
彼女の顔つきが柔和になった。しかし、国樹を見てはいなかった。
「ゼス君、君はこれからどうするつもり?」
「タガローの質問に答えなよ」
「このまま世界を放浪して、どうなるというの?」
無視か、そうまでして隠したいと。せっかく食いつかせたのに。諦めが広がるが、そうもいかない。ゼスは諦めていない。
「いつか見つかるよ」
「そのいつかはいつ?」
「タガロの質問に答えてよ」
ゼスが苛立つと同時、
「"世界はそんなに安穏としていないのよ"」
アナスタシアの表情が険しくなった。そして鋭い視線が国樹に向けられる。
「共通語、これでいいかしら」
「正式名称をお聞きしたい。それとあなたの母国語はなんです?」
「他に訊くことはないの? そんなだから、いつまで経っても冴えない道を行くことになるのよ」
饒舌じゃないか。いい傾向だこのまま吐かせる。
「正直呆れているの……あなたに責任は取れない」
「責任? なんのです。質問に答えて下さいよ」
「私から問うこともないのに?」
「わざわざ来たんだ。他愛ない会話も必要です」
「あなたには無理よ」
アナスタシアは繰り返し、侮蔑の目を向けてくる。
「だからなんの?」
「この子よ。あなたでは無理」
「勝手に決めるなよ!」
ゼスが割って入るが、言葉で制す。
「今まで上手くやってきました。なにがご不満なのか俺には分からない」
「あなたの存在全て」
全否定かよ。内心煮えたぎるものを覚えた。それでも、
「世界は安穏としていない、とはどういう意味です」
言葉で抑え込む。
「どうして分からないの、あなたでは守り切れない」
らしくない、強い口調だった。
彼女もまた苛立っている。
考えろ、彼女は今はっきり言い切った。
意味するところは「ゼス」を「今の世界」から「守り切れない」――。
間違いない、この女ゼスの正体も世界のことも知っている。
当然か、宇宙にいるんだ。
さぞ心地よい眺めだろう舐めやがって!
それでも声を荒げるな、なにが起きるか分からない。
自分に言い聞かせ、国樹は慎重に口を開いた。
「この宇宙船はなんです。人類が宇宙に進出したのはまあ分かる。あなたなぜここで生活してるんだ」
「ノーチラス号に用はない」
言下に否定された。しかし咄嗟には、その意味するところを理解出来なかった。
「タガロは潜水艦じゃない。宇宙船の話を訊いてるんだ」
ゼスのフォローで思い出せた。なんでも知ってるな、改めて感心する。しかしなぜここで潜水艦の名が出てくる。空と海……意味を読み解くとすれば、
「俺が海底にいると言いたいわけですか」
「君は君を自覚すべきだ、日本人」
憤怒を纏い、アナスタシアは続ける。
「石に頼るしか能のない愚鈍さを思い知るといい」
ノーチラス号。フランスのSF作家ジュール・ヴェルヌの「海底二万里」に出てくる潜水艦の名称




