32.蜘蛛の糸
陽の光が窓から射し込み、マリーの部屋を白く照らす。
この部屋で寝泊まりするのは国樹とゼス、それにグーシーだ。
二人を起こす必要はない。
一階に降りるとヨシカは既に起きていた。
朝食が必要なのは国樹とネリーだけだが、ヨシカはエプロン姿で手伝っていた。
「おはようございます」
国樹に気づき、彼女は明るい笑顔を向けてくる。
「おはよう」
努めて明るく、国樹も笑顔をつくった。寝ぼけた頭を覚ますため洗面所へと向かい、それから食卓に移動する。
ネリーに挨拶をすませ、三人で食卓を囲んだ。
朝食には地元の料理が二人と少し分並んでいる。
この地方のナン、それにシュルボと呼ばれる野菜のスープだ。
旅人にとって、素朴な地元料理を味わうのは贅沢に入る。
「いただきます」と言ったのは国樹とヨシカで、寝間着のままのネリーはそれを嬉しそうに眺めていた。
「今日はどうするの?」
自分の手料理を美味い、と自画自賛するネリーに尋ねられ、
「今日も図書館ですね。それから骨董品屋。あとは街を見て回ります」
確かに美味しい、と国樹は同調しながら応じる。
「えーっとゼス君? でいいのかな。あの子がなんか言ってたよ」
「そうだ国樹さん、ゼスさんが今日は予定を空けておいて欲しいと仰ってました」
ヨシカはスープに少し口をつけ、それから「美味しいです」と感想を述べた。
「ゼスが?」
「はい、今朝方早く」
なんだあいつ、起きてまた寝たのか。嫌な予感がするな。
「あ、いけない」
ヨシカはハッとした顔で、付けたままのエプロンを外そうとしている。ネリーは「別にいいじゃん」と笑うが、ヨシカは少し頬を染めていた。
国樹は覚めた頭でそれを観察していた。
全ての発言行動仕草に意図があり、人間をコントロールしようとする人工知能。社会生活適応型である彼女には、セナレセプターというAIが積まれている。
レセプターは受容体を意味するが、AIとなれば自ずと定義も変わる。
ヨシカの為すこと全て、アナログハックである可能性、か。
彼女自身が懸念し国樹に伝えたものだ。
これは「自分を信用しないで欲しい」ということだが、同時に「信用して欲しい」という意味合いも帯びる。事実を伝えることで信頼関係を構築する目的だろう。
良く言えば素直、悪く言えばあざとい。
観察していると自然、ヨシカと視線が絡みそれとなく外した。
「ゼス君はホントに食べないんだね」
「あれは光合成でもしてんじゃないですかね」
「まさか」
ネリーと他愛のない会話を交わし、一日の始まりを迎える。
朝食後、嫌な予感は的中した。
「見つけたよタガロ、さあ行こう!」
昨日洗ったばかりのシーカーズベストを羽織り、ゼスが息巻いている。朝から全開だ。
「どこに?」
テーブルを拭きながら確認すると、
「高い所さ!」
腕を挙げ人差し指で天を指し示している。
「そう、それどこにあんの」
「すぐそこだ! 見えてるからね!」
ゼスの言葉に、ヨシカとネリーも興味を持ったらしい。洗い物をしながらこちらを見ている。
「あのな、パミール高原通ったろ。あれより高いのは逆のヒマラヤ。北に見えてるのは……ネリーさん、あれはなんて山です?」
話を振ると、ネリーは少し考えてから応じた。
「北ならチムタルガだね。近く見えるかもしれないけど、遠いよ」
「だってさ」
話は終わり、と台拭きを畳む。
「違う、西だよ。調べたもん」
ゼスが調べものをするとは。明日は隕石が降るかもしれない。
「サラズムの遺跡なら、ウズベキスタンの国境だから遠いかな。保護区だし」
ネリーが歴史遺産の名を挙げると、
「そんなに遠くないよ。公園だもん」
「ああ、シルケント?」
「そう、そのケント」
答え合わせが終わった。
ネリー曰く正式には「シルケント自然歴史公園」といい、ギサール渓谷の中にあるらしい。一時間もあれば入口までは行けるそうだ。
「そうか、じゃあ自然を満喫してこい。渓谷に落ちるなよ」
「タガロも行くんだよ、高い所に連れてくって約束しただろ!」
「だからパミール高原通ったろ」
「覚えてないくせに……」
なんて嫌な奴、傷口えぐりやがって……。
「高いってなにが高いんだ。パミールの山とかチムタルガより高いのか?」
「なんか糸みたいなのがあるんだ。見えたんだ、本当だよ」
ゼスは至って真顔で、自分の目と感覚に相当自信を持っているようだ。「ここから見えるのか?」と確かめると「見える」と即答した。
会話が聴こえたのか、グーシーも下りてきた。
「グーシー言ってやってくれ。もう俺は山脈とか渓谷とか嫌なんだ。自然は充分満喫した」
『違うのだ多賀朗、私にも見えた』
思わずも肩の力が抜ける。
最悪の一日になりそうだ。




