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THE DAY 〜環樹の場合〜

作者: 椎奈未月


 実は酷く地味な、無個性な、でもその中ではそれなりに出る杭という認識を持たれる私の存在は、正直面倒だ。

 ただ、私は出る杭に、誰かに取って目ん玉の上のたんこぶにも、尊敬の対象でも、ありたいと持った事は一度もない。

 他人や目標に尊敬の念を抱く事はあっても、私自身がそうなるなんて事は、到底望まないし望めない。

 たとえそれが、どんな意味であろうと、である。

「あのー…」

 私がデスクに向かって淡々と仕事を処理していると、背後から控えめに声がかかった。

 場所は、私が通うシステム会社の、エンジニアルームだ。私はここで、プログラミング等の作業をすることを仕事としている。最近では多少部下も出来て、チームのリーダーに張られる事もある。正直迷惑な話ではあったが、断るとこれがまたばつが悪いため、私は渋々引き受けた。

 声をかけてきたのはそのチームのメンバーの男だ。年の頃は、私よりも数年若い。

 整然と並ぶデスクに並みいる沢山の人間。

 その中で、私の背後から声をかけた人物は果たして何を理由に私をヒットしたのか。

「…なに?」

 いかにも作業が不意に中断されて迷惑だと吐き捨てんばかりの口調で応答する。相手を認識するための首から上だけは声のした方へ向けた。

「あ、いまちょっといいっすか」

 馴れ馴れしい口調で男はそう口にする。

「環さん、テンション低いっすね。さすがの環さんでも今朝の紡儀部長のむちゃくちゃな注文は頭に気ましたよねー」

「…ええそうね」

 不機嫌さを隠す事をしない私。

 チームメンバーとは言え、とっさには名前も出てこない相手だ。どうせ、全成績に目を通してある程度見込みのある人物は覚えている私が思い出せないのだから、様は補欠要員だろう。

「やっぱり。実は俺もなんすよ。で、あのー、その辺の話とか今回のプロジェクトの件で話せたらなーって思ってるんですけど、よかったら今夜、飲みにいきませんか?」

 私は危うく、大きく酷いため息をつきたくなった。

「ごめんなさい。今夜は前々から入れていた予定があるの」

「あ、なんだそうなんすか。残念だなあ。じゃあ、あさってとかは?」

 なんだ、とは何だろう。

「2人で?」

「あ、もしあれなら誰か誘いますよ。誰がいいっすか?」

 もし、ではない。確定的だ。

 そして、あれ、とはなんだろう。貴方が想像する感情は目の前にいる人間のこれなのだから、指示語は正しくは、それ、だ。

「そうね…今夜までに考えておくわ」

 見え透いた口調で何も隠さず、オブラートに包んで言えば素直に、正直に言えば遠慮もなしに本音の感情をのせて、彼に告げているはずなのだが、彼はぴくりともしない。

「了解っす。じゃあ、連絡ください」

「ええ」

 話は、今ではない別の時間軸に繋がった。これで、今この話は終わりだ。

 私は止めていた手を動かして作業を再開する。

 彼との会話にその直前で止まった作業の状況が上書きされる。

 誰と行くのかを問いかけたときの彼の動揺は、明らかに言い訳めいたものだった。

 見え透いた下心を、さも無いものかのように装って紳士ぶるが、そんなものは100年前のブリキのおもちゃの塗装よりも容易く落ちてしまう。下心を隠す上辺には、心がないからだ。心のない気遣いは、見抜ける者に取ってはただのいい訳にすぎない。


 私は仕事を終えて、もちろん約束があるように振る舞って、ワインを買って、自宅に戻る。

 約束は、存在しない訳ではない。

 しかしそれは今日が特別の約束ではない。この家に住むようになってから、ずっと続く約束だ。

 私は、彼のいる家に帰る。

「…ただいま」

「おお。お帰り樹。今日は早かったね」

「ええ。ちょっと、ね」

 私は答えを濁す。

 仕事を自宅に持ち込まないとか、2人でいるときに仕事の話題は無粋でムードがないとか、そんな仕様もない事を言う気は毛頭ない。

 ただ心持ち、あの話題は触れることでマイナスはあっても、いい事など無いはずだ。そんなことで嫉妬したり激高するような人間でないのは骨の髄まで理解しているけれども、であればだからこそ不必要だ。

「ワイン、買ってきたんだ?」

「うん。もし良かったら飲もうと思って」

「いいね。ちょうど今から夕飯を作ろうと思っていたんだ。今日は僕がやるから」

「ありがとう」

 その言葉にはきっと嘘はない。やる気がないときは、こちらにメニューを聞いてくる。

「それなら、部屋で少し気になっている調べものをしてしまいたいんだけど、いいかな」

「もちろん。出来たら呼ぶよ」

「うん。ありがとう」

 これは、いつものやり取り。

 もちろん立場は様々だけれども。

 提げていたワインを、エプロンを付け終えた彼に渡して、私は自室に行くとすぐにデスクトップパソコンの電源を入れ、パソコンデスクに着く。

 仕事上、パスワードでロックしているため、複雑な文字列を配列を打ち込んでやっと起動する。そうして私はインターネット閲覧用のブラウザを起動させて、適当に調べ物をするには必須だろうというサイトを開く。これは、あくまでも隠れ蓑だ。

「……」

 黙々とそこまでの作業を終えて、リクライニングを少し倒して背を預けた。

 目を閉じる。

 思考を深める。

 感覚としては、脳の中心にぐっと力を入れるようなイメージ。それは、私の本来あるべき姿、私の根底、私という人間の起源というか素みたいなものを呼び起こすような感覚。

 するとまぶたを閉じている視界に、様々なグラフィックが散らばっている空間が視える。


 繋がった。


 そうして私は、進める。


 気になった信号にアクセスして、会話。


 ヒントを一つ置いて、去る。


 今日はあまり時間がない。 

 そこで、私は、全身の力を抜く。するとそこで初めて、くまなく力が入っていた事に気づく。節々が固まるという程ではないが、それでも緊張していたと言っていいだろう。

 すると、視界はまぶたの裏にある暗闇に戻る。

「……ふう」 

 パソコンが、メールか情報掲示板の最新情報通知の到着を告げる効果音を鳴らしたが、ほぼ同時の一瞬後、部屋のドアがノックされる。

「樹、できたよ」

「今、行く」

 私は、この後も触るだろうと、パソコンをそのままに自室を出る。

 漂ってくる香りは、詳細なメニューまではわからなかったがイタリアンのそれだった。



 無人の室内。

 光るディスプレイ。

 システムが告げる通知。

 巨大掲示板のスレッドタイトルのキーワードランキングの速報。

 『完全AI』『謎の曲』『アズ』

 

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