第4話その3
「いや、すごかったよフェル。あんな槍捌き、見たことがなかったよ」
「……ふぇ?」
模擬戦を終えて、アッシュは笑いながらフェルの側に近づいていった。
すると、フェルは真っ赤になってあわてたようにアッシュからひょこひょこと距離を取った。
「フェル?」
その様子を訝しく思い、アッシュがさらに一歩近づいた。
するとフェルはモジモジしながらも、また距離を取った。
さすがにアリーシャもおかしく思い近づいていく。
「どうしたの? フェル」
「ひあっ? あっ?!」
アリーシャに声をかけられて驚くも、それがアリーシャだとわかってそそくさと彼女の後ろに回った。
「え? なに?」
突然のことにアリーシャも戸惑った。と、フェルが彼女の耳元にささやいた。
瞬間、アリーシャは目を丸くし、訝しげになり、戸惑い、思案してから、フェルにささやき返した。すると、フェルはさらに顔を赤らめながらうなずいた。
アリーシャは、あちゃーとばかりに額を押さえてからアッシュとタカツナに向き直った。
「あー、アッシュ?」
「? なんだ?」
アリーシャの態度に訝しげな顔をしながらも、アッシュが返す。アリーシャは、その整った顔をさらに百面相させつつ苦笑いを浮かべた。
「……えーと。と、とりあえずこの子と汗を流してくるわね?」
「汗? フェルはともかくおまえ全然掻いてないんじゃないか?」
アリーシャの提案に、アッシュは半眼になった。それにさらされたアリーシャは一瞬言葉に詰まる。
その様子に、タカツナが眉を跳ねさせた。
「まあ良いじゃあないか。女の子は体臭に気を使うもんだぜ? 坊主。察してやらないと嫌われるぞ?」
「……は?」
降って沸いた声に、アッシュが目を丸くしてそちらを見た。
「よう」
すると、白髪混じりの黒髪を長めに伸ばしたとぼけた顔の男がフレンドリーに片手を挙げた。
「……誰だ?」
「“元”武蔵帝国氏族、タカツナ・ビトウだ。よろしくな? 灰髪の坊主」
やぶにらみするアッシュに、タカツナがにやにや笑いながら自己紹介した。
「……坊主ってのはやめてくれないか? 一応、アッシュって名前がある」
「ん? 気に障ったってんなら謝るよアッシュ」
軽く怒気を込めたアッシュの言葉にも動じること無く、タカツナは飄々とした調子で言う。
その様子に、アッシュは返って毒気を抜かれてしまった。
「……いいさ。それより一本相手をしてくれないか? タカツナ。まだ体を動かし足りない感じなんだ」
軽くストレッチをしながらタカツナに笑いかけた。そこに、“あんたは強いんだろう?”と含みを持たせて。
だが。
「……すまんな。しばらく前なら喜んで相手をしてやれたんだが、今は無理だ」
寂しそうに笑いながら、タカツナは右袖をまくって見せた。
右肘から先が……無かった。
しかも、切断部が黒いシミで覆われていた。
「……獣魔の呪い」
アッシュは絞り出すようにつぶやく。タカツナは、気にした風でも無く笑って袖を戻した。
「相打ち同然でな。奴の首と俺の腕の交換だ。ご丁寧に不治の呪いときてやがる」
“不治の呪い”。薬のみ成らず、魔法によってすら傷や病気が治らなくなる呪いだ。これを掛けられるとまず自然治癒は望めない。針の先ほどの傷からも絶えず血が流れ続け、絶命してしまうのだ。瞬時に傷を塞ぐほどの高位治癒魔法ですら、わずかにしか治らない。
唯一、高位神官の最高治癒魔術でのみ、ある程度の回復は見込めるが重篤な傷や病気ならまず治らない。危険な環境に身をおく冒険者にとっては致命的な呪いである。アッシュは、タカツナの寂しそうな笑顔に、拳を握りしめた。
「……俺も、呪われました」
「……そうか」
小さく漏らしたアッシュに、タカツナが短く応じた。
呪いの種類は多く、人々を苦しめるものしかないという。しかし、それを解くことに成功したと言う話はまるで無い。
獣魔の呪いを受けた者達は、死ぬまでソレと付き合っていかなければならないのだ。
「……辛いな」
アッシュはまだ若い。人生はまだまだこれからだ。その時間を呪いと共に生きていかなければならないのだ。それをおもんばかって言葉がタカツナの口を突いた。
「……いえ、それでも希望はあるかもしれない」
「ん?」
顔を上げたアッシュの言葉に、タカツナは軽い驚きを覚えた。その口元には笑み。瞳には希望。若者特有の無思慮なものではなく、確かな確信を持った輝きだ。
「……おい、まさか?」
「まだ、確実じゃあ無いですけど、必ず解けると思ってます」
それは、タカツナにとっても縋りたくなるような言葉。
「……は、ははっ! こりゃいい! 獣魔の呪いを解いて見せりゃ世界が驚くぞ! 手伝ってやれないのが悔しいくらいだ!」
「あまり期待しないでくださいよ? まだ確実なことは言えませんから」
豪快に笑い始めたタカツナに、アッシュが苦笑いする。
だが、タカツナは笑いを止めない。
「ははっ! それでもだアッシュ。よし、ひとつ手を貸してやろう。俺の弟子を連れていけ!」
「……は?」
タカツナの突然の申し出に、アッシュは呆けた顔になった。
「俺の弟子だ。剣の腕前はいまいちだが、立派に役に立つはずだ!」
「え? いや、でも……」
突然のことに戸惑うアッシュ。と、鍛錬場の外から誰かを捜す声と、ガシャンガシャンという騒がしい音が聞こえてきた。
『しぃしょお〜? どちらですか〜?』
「おうっ! こっちだユウファ!」
聞こえてきた柔らかな声音に、タカツナが呼びかける。
と、ガシャガシャと騒がしい音が近づいてきた。
「こちらですかぁ?」
そんな声と共に、鍛錬場に一人の少女が顔を出した。
金髪碧眼。緩くウェーブの入った光沢のある髪に、サファイアのような瞳。そして、白磁のようにシミ一つ無い白い肌と、長く尖った耳。
「……エルフ?」
その少女を見て、アッシュがぽつりと漏らした。
「あ♪ 師匠こちらに居らした……ぐえ?!」
タカツナを認めた少女がうれしそうに鍛錬場に足を踏み入れようとした瞬間、がちゃんと甲高い金属音が響き、少女はつんのめって、潰れたカエルのような声を上げた。