第3話
「……ふぁ、お早うアッシュ。今朝も精が出るわね」
「お前は眠そうだな?」
翌朝、光明けの刻(=朝五時〜朝七時)になった頃、拠点にしている冒険者の店“天舞う小鳥”亭の裏庭に顔を出したアリーシャは、素振りをしているアッシュに声を掛けた。
そんな彼女に、アッシュは一旦手を休め、答えてから朝の挨拶をする。
まだ眠そうながらも、鍛錬用に重さを調整した木剣と盾を手にしたアリーシャはそれに答えながら自分も裏庭へと出てきた。
「碧樹の月(=五月頃)に入ったばかりだと、まだ冷えるわね?」
「それじゃあ体を動かして暖まるか」
アリーシャに答えてアッシュは手にした大型の木剣を構えた。アリーシャも当然と言わんばかりに木剣と盾を構える。
開始の合図も無く、それは始まった。
「ヒュッ」
と、呼気を吐きながら、アッシュの木の大剣がアリーシャへとまっすぐ振り降ろされた。しかしそれは、アリーシャが素早く振った左の盾に受け流される。お返しとばかりにアリーシャは一歩踏み込みつつ、木剣をアッシュに向けて突き込んだ。
アッシュは左手を剣から放して体を開きつつ、軽くサイドステップしてそれを避けながらも右手一本で木の大剣を振った。
アリーシャは即座に反応して盾で受け止めた。
勢いも力もろくに乗っていない一撃は、簡単に受け止められたが、アッシュはその隙に体勢を立て直し、ふたたび大剣を両手で持って横薙ぎに払った。
アリーシャは、それを受け止めずにバックステップして下がりながら盾を構えた。
そこへアッシュが踏み込みながら木の大剣を強引に引き戻しながら追撃する。
それを盾で防ぎながらさらに後ろへ飛ぶアリーシャ。さすがに大剣の全力打撃を受ければ、その衝撃で動きが止まりかねないからだ。
しかしアッシュはそこに生じる隙を見逃さずに、木の大剣を素早く縦横に振るった。
超重武器ほどでは無いが大剣も十分重い武器だ。この木の大剣も、中に鉄の芯が入っており、重量は本物並に調整されているはずだが、アッシュはそれを以て立て続けに振るった。
「くっ……」
蜂蜜色の金髪を振り乱し、アリーシャはそれをすべて盾と木剣で弾いていく。と、最後に完全に受け止めたアリーシャは、果敢にアッシュに向けて踏み込んでいった。小回りの利く小剣サイズの木剣を巧みに使い、アッシュへと切り込む。
アッシュはあわてて大剣を引き戻しながら後退しつつアリーシャの木剣をかわした。場合によっては大剣で弾き、逸らしながらも次の機を待つ。
「……とと、随分腕を上げたなぁ」
「当然よ! もう一年近くつきあってるんだから!」
「けどまだまだだ」
突然アッシュの姿が消えたかと思うと、アリーシャはしまったとばかりに下を見た。それと同時に足を掬われるように払われた。
「あわっ?! キャン!」
尻餅をついて悲鳴を上げながらも、すぐに体を起こそうとするが、その首元に木の大剣が突きつけられた。
「ほい、終わりだな」
「む〜」
額に汗をかきながらも笑うアッシュに、アリーシャは頬を膨らませながら見上げた。
この鍛錬から始まる二人の朝は、すでに一年近く経つが、アリーシャがアッシュに勝ったのは数えるほどしかない。
アリーシャは十二の頃から父が客分として招いていた冒険者に師事して剣を学んだが、実戦経験はこの一年あまりしかない。逆にアッシュはといえば、八つの時に傭兵団に拾われて、十一の頃には戦場に立っていた。実戦経験の差は明白である。
それでも、初めは軽くあしらわれていたのが、ここまで食い下がれるようにはなった。
それが、アリーシャの自信を支えるものとなっていた。
「もう一度よ!」
「おう」
意気を上げて言うアリーシャに、アッシュは笑いながら答えた。
そんな二人を、店の二階から見下ろす人影があった。
人影はしばらく二人の様子を見ていたが、やがてその場を離れた。
「でも不思議よね?」
「なにがだ?」
朝の鍛錬が終わり、シャワーを浴びた二人は朝食を摂る為に『天舞う小鳥』亭の廊下を歩いていた。
この『天舞う小鳥』亭は、この城塞都市クレイモアではポピュラーな冒険者の店で、宿兼酒場としても機能している。
同等の店は何十軒もあり、競争は激しくはある。
「例の呪い。鍛錬や模擬戦では発動したこと無いじゃない?」
「ああ、それは俺も気になってる。だから発動のキーは単純に戦闘の興奮て訳じゃあ無いんだろうな」
アリーシャの言葉にうなずいて、アッシュはあごに手をやり歩きながら考え込む。
アリーシャも眉根を寄せて考えた。
「……正確な発動キーが分かれば、もう少し対処も出来るし、仲間の募りようもあるんだけど」
「……すまん」
アリーシャのつぶやきに、アッシュが済まなそうにつぶやいた。それを聞いてアリーシャはしまったと言う顔になって慌て始めた。
「あ! そういうつもりじゃあないのよ? 私が言いたいのは……」
「……わかってるよアリーシャ。たださ、原因はやっぱり俺なんだよ」
「……」
アリーシャを遮るように言って、アッシュは笑った。
その、どこか無理をして笑っている姿に、アリーシャは何も言えなくなってしまう。
「それより朝飯を食いながら勧誘の方法……」
「……あのお」
表情を暗くしたアリーシャに、アッシュが努めて明るく話していると、不意に声が割り込んできた。
何かと思って二人がそちらを見れば、一人の柔らかそうな黒髪の女性が立っていた。
瞳は大きく黒目がちで眉は太いが優しげな弧を描いており、とろんと眠そうに半分閉じたまぶたが、おっとりとした印象を与える女性だ。
「……なんでしょう?」
アリーシャが少し怪訝そうに尋ねると、女性はお辞儀をし始めた。
「わたくし、フェルフェッタ・モルドリンと申します」
「はあ。どうも……」
丁寧に頭を下げられたことに恐縮してアッシュが手を頭にやりながら頭を下げ、アリーシャもそれに倣うように頭を下げた。
女性は顔を上げて、茫洋と二人を見ながら口を開いた。
「……ぶしつけで申し訳ないのですが、わたくしと模擬戦をしていただけませんか?」
本当にぶしつけな申し出である。それ以前に問題もあるため、二人は女性にアッシュの呪いについてフェルフェッタに一通り話した。話を聞いている間も、フェルフェッタはのんびりとした顔でふたり……いや、アッシュを見ていた。
「……そういう訳で、呪いのせいでいつ暴走するかは分からないから、模擬戦はやめた方が良いと思うわよ?」
「……いえ。ならば尚更対戦した方が良いでしょう」
おっとりとした容姿に反し、力強く言うフェルフェッタ。その勢いに、ふたりは少しのけぞった。
「今朝、二階の窓からお二人の模擬戦を拝見しておりましたが、こちらの……」
勢い込んで話すフェルフェッタだが、不意に戸惑うように言い淀んだ。その様子に、アリーシャがあっ! となった。二人とも自己紹介をしていなかったことに今更ながらに気づいて、バツが悪そうになるアッシュとアリーシャ。
「すまない。名乗ってなかったな? 俺がアッシュで……」
「私がアリーシャ。アリーシャ・レストブルクよ?」
「アッシュさんとアリーシャさん。ですね? 改めまして、フェルフェッタ・モルドリンです。フェルとお呼びください」
二人の自己紹介を受けて、フェルは微笑みながらうなずいた。
「それで、今朝の模擬戦でアッシュさんはそんな暴走しているようには見えませんでした。ですよね?」
フェルに同意を求められて、アッシュとアリーシャはうなずいた。たしかにあのときアッシュは暴走していなかった。
「なら、大丈夫でしょう」
フェルは我が意を得たりとばかりにうなずいた。
「しかし……」
だが、アッシュは渋い顔だ。
と、アリーシャが何か気づいたような顔で口を開いた。
「……ところで、なぜアッシュと模擬戦を?」
問われてフェルは表情を曇らせた。
「……はい、実はわたくし、師の言いつけで冒険者として身を立てるべく、先日こちらの街に来たばかりの神官なのですが、なかなかコレという冒険者グループに会えませんで……」
肩を落とし、軽く息を吐くフェルを見て、アッシュとアリーシャは顔を見合わせた。
「それで途方に暮れていたのですが、今朝たまたまお二人の手合わせを見ましたところ、実力もわたくしと同じか、少し上かと判断いたしました。それを確かめるべくお声を掛けさせてもらった次第です」
フェルの説明に、アリーシャはなるほどとうなずいた。そしてアッシュの方を見れば、彼もアリーシャへと視線を送ってうなずいた。
仲間探しをしている二人にとっても都合の良い話だった。
「いかがでしょうか? アッシュさん、アリーシャさん」
そう聞いてくるフェルに、アッシュとアリーシャは笑顔を見せた。
「そいつはありがたい申し出だ。ちょうど新しいメンバーを探していたんだ」
「そうなのですか?」
アッシュが嬉しそうに言うと、フェルは眠そうな半眼を少し見開くようにして驚いていた。
「まあ、一手手合わせして互いに納得がいくなら歓迎するよ」
「ありがとうございます。実は男性ばかりのグループが多く、ほとほと弱っていたのです」
アッシュの言葉に、ホッと安堵の息を吐くフェル。
その隙を突いて、アッシュがチラとアリーシャを見た。
アリーシャも嬉しそうな表情をしながら、わずかにあごを引く。アッシュはそれだけ確認すると、すぐにフェルへと視線を戻した。
「……そうだな、これから朝飯だし、手合わせの時間はその後炎光の刻(九時〜十一時頃)に入った位にしよう。良いかな?」
「はい、よろしくお願いします」
アッシュの提案に、フェルは再びお辞儀をした。
「それじゃあ、わたくしも朝食をいただいて準備しますね」
フェルはそう言って廊下を食堂の方に向かって歩き始めた。それを見送りながら二人は小さく言葉を交わした。
「……どうだ?」
「……胡散臭くはあるわ。けど、嘘はついていないと思う」
軽い調子で訊ねるアッシュに、アリーシャは難しい顔で答えた。それを聞いてアッシュはうなずいた。
「そうか」
「どうするの? 私たちのグループに進んで近づくようなのは何か狙いがあるとしか思えないんだけど?」
「……同感だ。けど……」
「渡りに船ではあるのよね」
つぶやいて頭を掻くアッシュ。アリーシャも何とも言えない顔で息を吐いた。
「……ああ。今の調子じゃ期日までに二人も見つけらんないだろ?」
「……そうね。ま、手合わせでもう少し探ってみましょう? 本当に仲間になってもらうかはその後で決めれば良いわ」
ぼやくアッシュに答えながら、アリーシャは歩きだした。
約束の時間に、果たして彼女はやってきた。
場所はギルドの鍛錬場。そこに、麻のシャツとズボン。柔らかそうな長い黒髪を結い上げた姿で現れたフェルは、傍らに長槍を携え鍛錬場に入る。
「お待たせしました」
丁寧にアッシュとアリーシャにお辞儀して顔を上げた。その雰囲気は今朝のおっとりしたものではなく、凛とした静かな気配を纏っていた。
「……これは、真面目にやらないと負けるかもな」
「……神官で十字槍。ということは光明神アルスゼオス信仰かしらね?」
そんなフェルを見て、アッシュとアリーシャは小さく言葉を交わした。
十字槍とは、槍の穂先に横向きの刃を追加した武器だ。光明神アルスゼオスは槍を持った神として知られており、光明神の神官はそれを十字の聖印に見立て、聖別されたものを好んで使う。
フェルは訓練用に穂先が木製となった十字槍を手にしていた。
「それで、どちらがお相手してくださるのでしょう?」
フェルに訊ねられ、アッシュとアリーシャは視線を交わす。
ふたりとも訓練着の麻のシャツにズボンという姿で、アッシュは木製の大剣、アリーシャは小型の木剣に丸形の盾を所持している。
と、アッシュが「俺だ」と短く言いながら一歩前に出た。
フェルは静かにうなずき、槍を構える。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
答えてアッシュが大剣を構えるとアリーシャは二人から距離をとった。彼女が審判役だ。二人の様子を見て、声をかける。
「二人とも用意は良いわね?」
「ああ」
「いつでもどうぞ」
ふたりの答えを聞いて、アリーシャはうなずいた。
「では、始め!」
アリーシャが号令とともに木剣で盾を叩いた。
それが合図となった。