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悪役令嬢のざまぁは、静かなカフェで  作者:


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第十三話 鎧を脱ぐ場所

 昼下がりの喫茶ルポには、今日は音があった。


 私は棚から一枚のレコードを取り出し、

 黒い盤面をそっとプレイヤーに乗せる。


 針を落とすと、

 微かなノイズのあと、低く穏やかな旋律が流れ始めた。


 主張しない音。

 沈黙を追い払うのではなく、静けさの輪郭をなぞるような音だった。


 その中で、扉が開く。


 背の高い男が入ってくる。

 無駄のない体躯。視線の動きに、癖がある。


 左右を一瞬だけ確認し、扉を閉める。


 音楽は止めない。


「いらっしゃいませ」

 そう声をかけると、

 男は短く頷いた。


 返事はない。

 だが、その場に馴染む気配はあった。


 男は店内を見渡し、窓際には目を向けない。

 背を壁につけられる、壁際の席へ向かう。


 椅子を引く音は小さく、

 腰を下ろすと、しばらく動かなかった。


 私は厨房へ戻る。


 豆を量り、ミルに入れる。


 ざり、ざり。


 レコードの旋律と、

 豆が砕ける音が重なる。


 挽いた豆に最初の湯を落とすと、

 ふわりと香りが立ち上った。


 音楽に溶けるように、

 香りが客席へ広がっていく。


 私はすぐに続きを注がない。


 蒸らしの時間。


 この時間が、一杯の印象を決める。


 壁際の男は、背もたれに体を預け、

 静かに目を閉じていた。


 ――もう、少し休んでいる。


 私は湯を注ぎ切り、

 カップを壁際の席へ運ぶ。


「どうぞ」


 男は、すぐには口をつけなかった。


 まず、カップに顔を近づけ、

 立ち上る香りをゆっくり吸い込む。


 深く、

 長く。


「……いい」

 短い一言。


 評価ではない。

 確認だ。


 男は、そこで初めてカップを持ち上げた。


 一口目は、ごく少量。

 舌に触れさせ、すぐに飲み込む。


 その瞬間、

 男の眉間に寄っていた力が、ほどけた。


 肩が、下がる。


 背中の緊張が、椅子に預けられていく。


 男は、二口目を飲んだ。

 今度は、少しだけ長く。


 音楽が、店の中を流れている。


 命令も、報告も、ここにはない。


「……考えなくていいな」

 独り言のような声だった。


 私は、何も答えない。


 それが、この店の答えだから。


 男は、三口目でようやく息を吐いた。


 仕事の呼吸ではない。

 人間の呼吸だ。


 それからしばらく、

 店内には音楽と、コーヒーの香りだけがあった。


 カップが空になる頃、男は静かに立ち上がる。


 会計を済ませ、扉へ向かう。

 出ていく前、一度だけ振り返った。


「……次も、同じのでいい」


 それは、立場ではなく、

 一人の客としての言葉だった。


「かしこまりました」


 男は頷き、扉を開け、外へ出ていく。


 扉が閉まっても、

 レコードは流れ続ける。


 私は針の位置を確かめ、

 そのままにしておいた。


 ここは、鎧を脱ぐ人間が、香りと音と一杯で、自分に戻る場所。


 喫茶ルポは、静かに役割を増やしていく。

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