第十一話 男爵令嬢の限界
会談の失敗から数日後、
王城の空気は、目に見えて重くなっていた。
隣国との交渉が白紙に戻ったという事実は、公式には伏せられている。
だが、要職に就く者たちの間では、すでに周知の出来事だった。
第一王子の執務室では、今日も感情の混じった声が響いている。
「だから、わたしは間違っていないって言ってるじゃない!」
淡いピンク色の髪を揺らし、リリアーナが声を荒げていた。
「だって、あの人たち、すごく偉そうだったんですよ!?
あんな言い方、ひどいと思いません?」
王子は椅子に腰掛けたまま、
彼女を宥めるように手を上げる。
「分かっている。君は正しい」
そう言いながらも、声には疲労が滲んでいた。
男爵令嬢は、王子の前を行き来しながら続ける。
「それに、宰相様の言い方も冷たくて……!
わたし、すごく怖かったんです!」
その言葉に、王子の眉がわずかに動く。
――怖かった。
それは、責任のある立場で口にする言葉ではない。
「……次からは、もう少し控えめに話してもらえると助かる」
エドワードが、珍しく言葉を選んだ。
リリアーナは、その意味を理解しなかった。
「え?わたしが悪いって言うんですか?」
目を見開き、声が高くなる。
「殿下は、わたしの味方じゃないんですか!?」
空気が、きしむ。
王子は、一瞬言葉に詰まった。
これまで、彼女は「守るべき存在」でいればよかった。
考えなくていい。責任も負わなくていい。
だが今は違う。
彼女は、王子の隣に立つ存在として、
言葉を発し、判断を下している。
――そして、その重さに耐えられていない。
「……そういう意味じゃない」
エドワードは言ったが、声に以前の勢いはなかった。
リリアーナは、それを敏感に察した。
「やっぱり……」
唇が震える。
「最初から、あの人の方が良かったんでしょう?」
その言葉に、エドワードははっきりと否定できなかった。
沈黙。
それが、答えになってしまう。
「……ひどい」
リリアーナは、泣きながら部屋を飛び出していった。
残された王子は、椅子に深く腰を沈める。
――違う。
そう思いながらも、頭の中には一人の女性の姿が浮かんでいた。
必要なことだけを伝え、余計な感情を持ち込まなかった婚約者。
場を荒らさず、誰の顔も潰さなかった存在。
王子は、初めて理解した。
彼女が「何もしていなかった」のではなく、
「整えていた」のだと。
一方、王城の外れ。
喫茶ルポでは、いつも通り静かな時間が流れている。
男爵令嬢の限界など、この場所には届かない。
豆を挽く音。
湯の沸く音。
椅子に座る人の気配。
それだけで、十分だった。
王子の選んだ相手は、
守られることしか知らなかった。
そしてそれは、王妃の器ではなかった。




