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悪役令嬢のざまぁは、静かなカフェで  作者:


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第九話 窓際の席に座る人物

 その人物が扉を開けたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


 外はまだ明るく、人通りもある時間帯。

 それでも、扉が閉まると、店内の空気は変わらない。


 私は厨房から顔を上げ、軽く会釈をした。


「いらっしゃいませ」


 返事はない。

 けれど無礼ではなかった。


 その人物は店内を一瞥し、

 まっすぐに窓際の席へ向かった。


 あの席を選ぶ人は、まだ少ない。

 光が差し、外が見える分、自分もまた見られている気がするからだ。


 けれど、その人物は迷わなかった。


 椅子を引く音も静かで、腰を下ろす動きに無駄がない。


 私は一瞬だけ、その立ち居振る舞いを目で追った。

 服装は地味だ。 装飾も少なく、質素といっていい。


 だが、背筋の伸び方と、視線の置きどころが違う。


 ――慣れている。


 人に見られることに。

 判断されることに。


 私は厨房へ戻った。

 注文は、聞かなくていいだろう。


 こういう客は、自分から多くを求めない。


 豆の袋を開ける。


 乾いた香りが、わずかに立つ。


 ミルを回す。


 ざり、ざり。


 その音に、窓際の人物が一瞬だけ視線を上げた。

 それきり、また外を見る。


 湯を火にかける。


 ポコポコと、控えめな音。


 挽いた豆に、最初の湯を落とす。


 ふわり、と粉が膨らみ、香りが立ち上る。

 窓から差し込む光に、湯気が溶けていく。


 私は蒸らしの時間を取り、

 それから、ゆっくりと湯を注いだ。


 香りは、窓際の席へ真っすぐ流れていく。


 その人物は、カップが運ばれてくる前から、

 わずかに肩の力を抜いていた。


「どうぞ」


 カップを置くと、初めて、視線が私に向けられた。


 鋭さはない。

 だが、奥行きがある。


「……ありがとう」


 低い声だった。

 短い言葉。

 それ以上、何も言わない。


 その人物は、すぐには飲まなかった。

 湯気を眺め、香りを一度、深く吸い込む。


 それから、ゆっくりと一口。


 ほんのわずか、目を伏せた。


 ――重い。


 そう感じたのは、きっと私だけではない。


 その人が背負っているものの重さが、

 言葉より先に伝わってくる。


 しばらく、店内は静かだった。


 壁際の席には、あの常連の男が座っている。


 二人の間に、会話はない。

 けれど、空気は乱れない。


 それぞれが、それぞれの時間を過ごしている。


 やがて、窓際の人物はカップを置いた。


「……ここは」


 一瞬、言葉を探すように間を置く。


「余計なことを、考えなくて済む」


 それだけ言って、

 それ以上は続けなかった。


「そうですか」


 私は、ただそう返す。

 それで十分だった。


 会計を済ませ、その人物は静かに立ち上がる。


 扉を開ける前、一度だけ、店内を振り返った。


 そして、何も言わずに出ていった。


 その背中を見送りながら、

 私は思う。


 ――あの席は、

 必要な人のところへ、ちゃんと届く。


 この店は、もう私だけの場所ではない。


 けれど、それでいい。


 私は今日も、

 厨房で豆を挽く。


 ざり、ざり。


 窓際の席は、静かに、誰かを待っている。

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