「ポセイドンアドベンチャー」
今日も波は穏やかだ。
俺は知り合いの船長から頼まれて持衰としてこの船に乗り込んでいる。
持衰とは、航海中の穢れを一身に引き受けて航海を無事たらしめる古代の風習で、航海中は着替えはおろか風呂にも入らず鳥獣は喰わず精進し、航海が無事に済めば褒美を与え、不都合があれば持衰の責任として殺される。
今時こんな言葉も風習も残ってはいないが、俺の感覚としてはピッタリの役職だった。
船長は俺の持っている〝危険を察知する能力〟を買っているのだ。
そして〝穢れを引き受ける〟方は相棒に任せてある。
あのバスの事故の生き残りの小鬼が、爾来俺にくっついて離れないのだ。
断っておくが、俺が穢れ役を押し付けたわけでもコイツが買って出たわけでもない。普段から小鬼は風呂嫌いで鳥獣嫌いなのだ。
小鬼が俺にくっついている理由を知る事はもう諦めている。
相変わらず何を聞いてもニコニコ顔なのだから。
船長が俺を雇ったのには訳がある。
この船は今回の航海が最後なのだ。もう嫌になるくらいの老朽船で、古い時代の頑固な職人の仕事のお陰でガワの造りは堅牢そのものだが、もう主機の釜がいけない。先任の機関長が騙し騙し運航していたが、機関長の退役と共に釜の積替え自体も見送られたらしい。そんなわけで目的地の港のドッグで解体作業の予約が入っているこの船の最後の航海をなんとか無事に済ませたいのだ。
とはいえ俺が事前に危険を察知したところで、その時にこの船に危険を回避する能力が残されているかは甚だ心許ないと言わざるを得ない。
「あなたには〝悪魔〟が取り憑いています。」
いつものように早朝のパトロールをしていると後部デッキの甲板で牧師風の男に声をかけられた。まぁアホな牧師の言いそうな事だが目が尋常じゃない。緊張以上の何か…、瞳は赤く充血し、ドラッグできまってる時のように焦点が合っていない。
「コレは〝悪魔〟じゃなくて〝小鬼〟だから気にしなくていい。」
異常な精神状態の相手をなるべく刺激したくはないが、俺としてはこれ以上の説明が出来ないのだ。
「今すぐ祓わないとあなたの身に災いが起きますよ!」
高まる緊張感。早朝で辺りに乗客がいなくて良かった。隣にいる小鬼も異常事態に備えて身構えているのが気配でわかる。
「今すぐ悪魔を祓いましょう!」
牧師が一歩前に踏み出した瞬間、
「ふんっ!」
なんと、小鬼が空手のような構えから掌底突きを繰り出し、牧師は触れられてもいないのに後ろに吹っ飛んで倒れてしまった。小鬼は驚いて立ち尽くす俺を無視して倒れた牧師に近づくと小さな腕を牧師の口の中に突っ込んで〝得体の知れない小さな生き物〟を引っ張り出した。
「まさか、ソイツは…、〝悪魔〟なのか?」
サイズ感から言えば〝小悪魔〟だったが、そんな可愛い表現ではしっくりとこない醜い生き物だった。
小鬼はいつもの困り笑いで頷いたと思うと、大きく口を開けて〝悪魔〟を喰らおうとしていた。
「おいっ、やめろ!」
生理的なおぞましさから思わず俺は叫んだが、小鬼は気にも留めずにバリバリと〝悪魔〟を噛み砕いていた。
そう…。鬼なんだからね。ソレが本来のありようなのかもしれない。
俺が今まで知らなかっただけなんだし…、そう、小鬼の新しい側面を受け入れよう。受け入れる事は〝愛〟なのだ! そもそも小鬼は可愛いペットじゃない。
「う、うーん…。」
牧師が意識を取り戻した。
「大丈夫か?」
「私は…、はい、大丈夫です。なんだか久しぶりに大丈夫みたいですよ、はっはっは…。」
俺と小鬼は親指を立ててこの一連の出来事を肯定したのだった。
「やるじゃないか、ジャパニーズブギーボーイ! どれ、褒美に〝ハーバー〟はどうだ?」
牧師の件を報告に行くと船長は上機嫌で小鬼に横浜銘菓を投げてよこした。受け取った小鬼は満面の笑顔だ。
「しかし、牧師が悪魔に取り憑かれるとはな…。そういえば妙な噂を聞いたんだが、赤い霧に包まれた船の乗員乗客全員が不審な死に方をしたって雲を掴むような話しさ…。今回の件と関係なきゃいいんだが…。」
「そんな事より船長!」
スーツを着たお偉いさん風の男が話しに割り込んできた。
「ドッグの解体予約にこの船が間に合わないようでは困る。我が社が工員に空人工を支払わなきゃならん契約なんだ。もっと急いでくれなきゃ困る!」
船長はお偉いさんの発言を完全に無視して俺の方を見て言った。
「なぁ、このシュチュエーションどっかで覚えはないか? 老朽船の最後の航海に船会社の社長と牧師って…。」
俺にはすぐにピンときていたがあまりの符号の一致に不吉なその映画のタイトルを口に出したくなくて首を横に振った。
「ポセイドンアドベンチャー!」
甲高い少女のようなその声に、一瞬誰の発言か分からず、皆んなキョロキョロと周りを見回したが、なんとハーバーをムシャムシャ食べながら小鬼が喋ったのだった。
「お前喋れるんじゃないか!」
少々腹をたてながらブリッジを出た後、俺としては小鬼に確認する必要があった。それほど長い付き合いではないが、なんとも騙されたような裏切られたような気分だった。
「ポセイドン…、アドベンチャー…。」
小鬼は俺の剣幕に困ったような怯えたような小さな声で、船長の問いに答えたご褒美にもう一つ貰ったハーバーを握りしめて繰り返すだけだった。
そう…、コレも新しい小鬼の側面というものだ。受け入れろ。見ろ、今にも泣きそうな目をしてるじゃないか。コイツは〝ポセイドンアドベンチャー〟だけ喋れる小鬼なんだ。いっそ何も喋れない小鬼の方がもっと愛せたような気がするが…。仕方がない事だ。
「持衰さん!」
鬱々とする俺に声をかけてきたのは船が雇ったミュージシャンのユキだった。船上の生活なんて退屈なものだ。カジノとプールだけでは暴動が起こるだろう。船では毎晩がパーティーで3組のミュージシャンを雇って昼夜交代で演奏をさせている。
「小鬼さんもこんにちは。今日は昼の部にオーシャンデッキで演奏するの。よかったら観に来て。」
ユキとジギの兄妹ユニットは俺と小鬼のお気に入りではあったが、ここでも例の映画との符号に気付かされてしまった。確か兄ちゃんは死んで妹は助かったんだっけ…。後は元刑事と売春婦の夫婦が現れないことを祈るばかりだった。
「アンタがこの船の警備責任者だって? 俺は元警視庁の目黒五郎ってんだ。この派手な化粧は女房だ。」
役者は揃ったか…。もう絶望的な流れだが…、今のところ襟足チリチリはまだ来ない。以前メキシコの砂漠で雷に撃たれて以来、やばい場面では襟足の毛がチリチリと逆立って警告してくれる能力を俺は手にしたのだ。
「この船で何人か薬中みたいにギラギラした奴らを見てるんだが、売人でも乗り込んでるんじゃないだろうな?」
さっきの牧師みたいな悪魔ツキが他にも居るって事なのか? 俺と小鬼は顔を見合わせた。
「元刑事さん、事によっちゃドラッグなんかよりヤバいものが流行ってるのかもしれません。今度そいつらを見かけたら俺に教えてくれませんか?」
オーシャンデッキでのユキジギのパフォーマンスはハッピーそのものだった。ジギの繊細なギターにユキの伸びやかな天使の歌声。乗客の1/4は集まっていたが異常者は見つからず、目黒からの連絡も無く、ポセイドンアドベンチャーの件も思い過ごし、取り越し苦労かとも思われた。午後からも俺と小鬼は念の為、調理室や機関室までパトロールして回ったが異常は見つからなかった。
機関室と言えば、小鬼はこの船の巨大なディーゼルエンジンが大のお気に入りで寝泊まりまでここでする熱の入れようなのだ。機関長の老サダ爺にも気に入られて機関の整備まで教わっているらしい。とすると、小鬼があのロビン少年の役回りなのだろうか?
夕方、一日の報告がてらブリッジに再び立ち寄ると、室内には妙な緊張感がただよっていた。
船長はじめ士官たちはレーダーのコンソールを覗き込んで緊迫したやりとりをしているのだった。
「船長。」
「おぅ、ご苦労さん。お前さんにも意見を聞かせてもらおうか。気象予報には無い雲が進路に現れたんだが、どうも妙な雲でね。船の進路を塞ぐように広がりだしてるんだ。」
そもそも海の気象に関しては素人同然だったがレーダーを覗き込んだ途端に襟足の毛が逆立ってチリチリと電気が走った。電池を舐めた時みたいなチリチリだ。
「船長、コイツはヤバいヤツだよ!回避したに越したことはない。」
「素人が馬鹿を言うな! 船がいちいち雲を避けてどうする!」
お偉いさんがすかさず横槍をいれると、
「ポセイドンアドベンチャー!」
と小鬼が満面の笑みで叫んだものだからその場の全員が微妙な空気に包まれてなんとも言えない表情で小鬼を見つめていた。
「小鬼様! 私を弟子にしてください!」
ブリッジを出たところで俺たちを待ち構えていたらしい例の牧師につかまった。
「神は私を悪魔から守ってくれませんでした。私の信仰は今朝終わったのです。」
「ポセイドンアドベンチャー…。」
これでは了解か拒絶か判断のしようがないが、小鬼は困り顔で俺を見上げていた。
「よし、今日からアンタは小鬼様の弟子だ! 今から船内をパトロールして悪魔つきを探すんだ。見つけたら俺の携帯に連絡してくれ。」
「はい、わかりました!」
牧師は小走りに去って行った。
怪しい雲との遭遇は30分後に迫っていた。その時間にはメインホールでロックバンド〝PDバッヂ〟のディナーショーが予定されていて乗客の半数は集まる筈だった。
「バーで男が暴れてるんだ! 早く来てくれ!」
ロゴ…、じゃなくて元刑事の目黒五郎から連絡があったのはメインホールへ向かう途中だった。
「ウガルーーーー!」
男はソファーを頭上に担ぎ上げて叫んでいた。完全にいってしまってるようだ。
「ロゴ、こんな時刑事だったらどうする?」
「さっきから落ち着くように説得してるんだが唸るばかりなんだ。そうだな、ここまできたら強制的に制圧しないと他人や本人を傷つけかねんだろう。」
俺はすでに身構えている小鬼に頷いた。
「ふんっ!」
小鬼の掌底突きに男はぶっ倒れて担いでいたソファーの下敷きになった。その後の展開は…、割愛しておこう。
「おいおい、おまえの相棒は…、なんて言うか…、やるな!」
ロゴは目をまん丸くして小鬼を見つめていた。
「ん…? なんだ、これは?」
バーの中の様子が何かおかしい。何か赤いモヤがかかったようにぼんやりとしてきたのだ。これが船長の言っていた〝赤い霧〟なのか?
「おまえは俺の女房を娼婦だって馬鹿にしてるんだろ!」
ロゴが急におかしくなって俺に掴みかかってきた。目が赤く、放射能でも出てるように光っている。すかさず小鬼が掌底突きをお見舞いして悪魔を取り出して喰らったが、このバーの中でもあと10人程は目から赤いビームを放っている奴がいた。小鬼はロゴの後で3人の悪魔を喰らったところで大きなゲップをして膨らんだお腹をさすり、俺の方を困った顔をして見た。。いくら好物でもそうそう沢山は食べられないのだろう。っていうか、いちいち悪魔は食わなきゃならんのか? 引き摺り出した後、踏み潰すとかじゃだめ? ちょっとその辺のシステムがイマイチ分からんのだったが、今はバーよりもメインホールのディナーショーの方が心配だった。あそこには200人は集まっている筈だった。
♪ オレはフライングソーサーマン
キミの部屋の窓から
こっそり忍び込んで
キミを拐っていくよ♪
ディナーショーのオープニングは〝PDバッヂ〟の名曲「フライングソーサーマン」で大盛り上がりだった。
一見普通に見えたこの会場にも赤いモヤが流れ込んでいて、半数近い人数が目から赤い光を放っていたし、ステージで歌うリーダーの〝閣下〟自身の眼からも赤いビームが客席に向って照射されていた。
「ポセイドン…。」
小鬼のこの呟きは訳すまでもなかろう。もう無理、食べれないよ。
全ての物事には因果律というものがある。誰かに何かをしたり、されたりした事が、一見関係のない物事に深く結びついているのだ。
例えば俺が小鬼のために囚人を追いかけたり、天使と夜の公園で遊んだりした事が、今回の航海に深く結びついていて物語りの結末に大きな影響を与えたりするのだ。それが因果律だ。プラスの因果律もあれば、マイナスの因果律もある。愛をもって因果を結べばプラスになるし、憎をもって結べばマイナスにもなる。選択するのは本人なのだ。
そう、この時のための切り札が俺にはちゃんとあるのだった。全ての因果律に感謝しよう。
♪ We all live in a yellow submarine, yellow submarine , yellow submarine ♪
俺は精神を集中してあの時の歌を歌った。あの時の天使の笑顔を思い浮かべながら。
♪ We all live in a yellow submarine, yellow submarine, yellow submarine ♪
俺の中の天使が俺と目を合わせて微笑んだ次の瞬間だった。
ガラガラ、ドッシャーン‼︎
船に特大のカミナリが落ちた。
電気系統がたちまちにシャットダウンしてPDバッヂの演奏はレコード針を持ち上げたようにブツリと途切れ、全てが静寂と暗闇に包まれた。
オレンジ色の非常灯が点くまでの時間が永遠に感じられたが、おそらくは1分程だったろう。俺と小鬼以外の船上の全ての人達が倒れ伏していたが、薄明かりの中でゴソゴソと意識を取り戻し出した人々の瞳は清んでいて、もう心配は無さそうだ。
船の本電源が復旧するのにさらに小一時間程かかったが、その間パトロールした限りでは船内に悪魔ツキは残っていなかった。
パトロールしながら俺は、今回の事で大活躍した小鬼にとっておきの褒美をやる事を思いついていた。この船には図書室がある。船の航海は退屈との闘いなのだ。そしてそこではDVDの貸し出しも行っていた。
きっとこの船にはある筈だという確信が俺にはあった。
1972年
20世紀FOX配給
ロナルド・ニーム監督
主演 ジーン・ハックマン
パニック映画の金字塔
「ポセイドンアドベンチャー」
ハーバーを食いながら小鬼とこいつを観よう。




