リゾート人魚姫
「レディース、アーンド、ジェントルメーン! そして小さなお友達! レストラン・アクアの大水槽、マーメイド・ショー、はっじまるよぉ~!」
MCの声が響く。連休初日のお昼のショーはおこちゃま向けだから、彼女の声もテンションアゲアゲだ。大音量の音楽が流れ、暗い会場に色とりどりの照明が乱れ飛び、お客さんのテンションも一気に上昇。
拍手を聞きながら、あたしは大きく息を吸うと、音楽のタイミングに合わせて大水槽に飛び込んだ。魚たちの群れを振り切り、ドルフィンキックで水を蹴って、ぐんぐん水槽の際に近づいていく。人魚型の水着には大きな足ヒレがついているので、けっこう速く進むことができるのだ。
水槽の向こう側にはたくさんのチビッ子が張りつき、キラキラした目でこちらを見ている。あたしが正面で投げキッスすると、子供たちがわっと拍手した。
音は聞こえないけど、大喜びなのはわかる。本日のショーもきっと大成功だ。
あたし、海野美月は海辺の巨大リゾートホテルの呼び物の一つ、マーメイド・ショーの人魚姫。音楽やMCの語りに合わせ、水中で人魚パフォーマンスをする。今年で三年目のベテランだ。
上半身はホタテ貝殻のビキニ。割れるとまずいので、本物の貝じゃないけどね。
子供のころからシンクロをやってて、本気でオリンピック目指してたから、水中で回ったりするのはお手のもの。照明が降り注ぐ大きな水槽には岩や海藻が配置され、お魚――エイとか、小さなサメ――もたくさん泳いでいて、本物の海のよう。息は一分くらい止めないといけないし、一日数時間水中ですごすことになるので、けっこうハードなお仕事だけど、やりがいもあるし自分に合ってると思う!
何しろ水槽の向こうの、子供たちのキラキラした笑顔が眩しい。今日も、隅っこで水槽に張りついている三歳くらいの子! 超可愛くて目が離せない。マジ、王子だわー。これって一目ぼれかな? 将来有望っていうより、あたしもあんな子が欲しい。その前に彼氏見つけろよって。うける。
……って思ってたらパパがやって来て抱っこした。さすが王子のパパだけあってこれもまたイケメン! でも、大人にそこ立たれると後ろの人に迷惑なのよね。次の息継ぎの時に伝えて、注意してもらわなきゃ。
目を真ん丸にして見つめてくるイケメン親子に愛想を振りまいて、あたしは息継ぎのためにグルンと回って水面に浮上した。
昼間のショーは大成功。あたしは夜のショーまで空き時間なので、ホテルのプライベート・ビーチで休憩中。人使い荒いから、半分、監視員もやらされてるんだけど。
このプライベートビーチからの夕暮れは本当に絶景なんだよね。ホテルの宿泊者が散歩したり、デッキチェアで寝そべったり。連休だから家族連れが多いけど、もちろんカップルもいて、手をつないでイチャイチャ散歩してる。そんな姿を見ていると、あたしも彼氏欲しいなって、切実に思う。でも、何しろ出会いがないからなー。お客さんはカップルか家族連ればっかりだし。
その時、小さな子が一人で、砂浜をとてとて走ってくるのが視界に入った。周りに親らしき大人の姿はなく、あたしはディレクターズチェアの上で身を乗り出す。
ちょっと、ちょっと。親は何してんのよ。迷子になって事故でもあったら、うちのホテルの責任にされちゃうじゃん!
しかも運悪く、けっこう大きな波がザパーンってやってきて、子供を飲み込んでしまった。やっば! 大変!
あたしはビーサンを脱ぎ捨て、手近に転がってる浮き輪を掴んで走り出した。
ざばーん、ざばーんと、夕方の波はだんだん高くなる。子供は波にさらわれて呆然としているのか、黒い頭が浮いたり、沈んだり。やばいやばいやばい! あたしは海に飛び込み、抜き手をきって泳いで、波と格闘して子供を捕まえる。
「うわあああん!」
「もう大丈夫だから! これに掴まって!」
三歳くらいの子だったから、持ってきた浮き輪が大きすぎたけど、何とか掴まらせて引っ張って救出する。発見が早かったおかげで水も飲んでないみたい。とはいえ、ほんと、危機一髪だった。
砂浜に上がると、見ていた監視員やお客が集まってきて、「危なかった!」だの「よかった!」だの、「どこの子だ!」だの騒いでいる。びしょ濡れでわんわん泣く子を抱っこしていると、ホテルの方から全速力で走ってくる人がいる。両腕を直角に曲げたアスリート走り。超速い。走りのプロか。
「すいません、子供が溺れたって聞いて!」
近づいたその人の顔をみて、アッと思う。さっきのイケメンパパ! てことは、この子、さっきの王子じゃん! めっちゃブッサイ顔で泣いてるから、わかんなかったわ!
「うわああああん!」
「リク! ああ、やっぱり!」
「砂浜を一人で走っていて、波が高くなって被っちゃいました。水は飲んでないと思いますけど、念のために医務室に行きますか?」
イケメンパパはもう、平身低頭で、ありがとう、すいませんを繰り返してる。謝罪の気持ちはもうわかったから、それよりも抱っこしてるこの子が重くて腕が痛いので、早く抱きとってもらえませんかね。
世間の母親たちは軽々抱っこしているように見えるけど、実際子供って意外と重い。
独身、子無しどころか彼氏無しのあたしの細腕では正直、辛いんだよね、マジで。
……なんて思っていたら、突然、イケメンパパがあたしの顔見て「あれっ?」て顔をした。
「もしかしてさっきの人魚姫? うわ、脚あるやん!」
お前、何を言い出すんだよ、当たり前だろ。そんなことより、さっさと子供を引き取れや。
「まさかモノホンの人魚だと思ってました?」
既婚者に興味ないけど、お客さんだからそれなりに愛想よくしないとね、とにっこり笑い、
「海は危ないんで、目は離さないでくださいね。はい、パパんとこ行こっか!」
などと言いつつ子供を押し付けようとしたら、ブサ王子がなぜか、あたしにしがみついて離れない。
「おじちゃんヤダ!」
「おじちゃん?」
あたしが聞き返すと、イケメンは頭を掻きながら眉をハの字にして言った。
「あー、甥っ子なんすよ、姉貴の子で」
パパじゃなかった!
「父親が急な仕事で来られなくなったから、拗ねちゃって……姉貴は妊娠中で、俺が面倒みてるんだけど、子供に慣れてないから気がつくと脱走されちゃって。ほんとすいません!」
「じゃあ、医務室まで一緒に行きましょう」
おじさんならしょうがねえや。
あたしは子供を抱いたまま、脱ぎ捨てたビーサンを履いてホテルへと向かう。パパじゃないイケメンが申し訳なさそうについてきて、あたしに話しかける。背も高くてすごいがっしりしてるし、アスリートなのかな?
「ほんとにありがとうございます、いつの間にか視界から消えるんだもん、こいつ。昼間のショーのときも、どこ行ったかと思ったら水槽に張り付いてて。あの人魚のショー、本物みたいで、よく息が続くなあって」
「えへへ、ありがとうございます! 夜もショーがあるんで、よかったら来てください。お昼のショーはお子様向けなんですけど、夜のはカップル向けの大人っぽいやつです」
「大人っぽい人魚姫……」
イケメンの目がギラリと光って、なんだろう、食われそうだなってなんとなく思った。
……ま、このイケメンとちょっといい雰囲気になるのは、また別のお話です。




