Episode04
目の前いっぱいに広がったのは、羽衣浜のまぶしいほどに美しい景色!と思った次の瞬間、俺は秋月と自転車ごと海に落ちていた。まさかの展開だ。
けれど、不思議とイラッとはしなかった。
びしょ濡れの服が身体に張りつく重さよりも、海の冷たさよりも、その出来事自体が突拍子もなくて、むしろ笑えてきた。
砂浜に戻る途中、ポケットからスマホを取り出してスマホが壊れていないを確かめる。
「……よかった。無事だ」
安堵の息が漏れたとき、浜辺から手を振るクラスメートたちの姿が見えた。
「はい、タオル!」
女子の一人が差し出したタオルを受け取ると、別の子が笑いながら叫ぶ。
「あいつ、アホだからさ! 怪我しないようにね! わかってると思うけど基本あいつは危険だから!」
その「あいつ」、つまり秋月はというと....
少し遅れて海面から顔を出し、びしょ濡れの自転車を担いで砂浜に転がして両手を腰に当ててニカッと太陽みたいに笑った。
「まあ楽しければOKだろ! な? 瑠偉ちゃんも楽しかったよな?」
「……てか、その『瑠偉ちゃん』って何?」
そっぽを向いて返すと、秋月はさらに楽しそうに笑う。
「え? いいじゃん! 『瀬名くん』より『瑠偉ちゃん』のほうがさ、友達って感じするだろ? しかも可愛いし、ぴったりだって!」
「うるさぁ……。まぁ、どっちでもいいけど」
『可愛い』。また女子扱いか。
でも、秋月になら、いいやって思った。というより秋月だから、仕方ない。否定しても、多分無駄だと思った。
いつの間にか浜辺には香ばしい匂いが広がっていた。
肉や野菜、新鮮な魚介が網の上で焼け、煙が風に流れ、笑い声が重なる。
会費は一人千円。急な集まりにしては二十人ほどが集まり、みんな楽しそうだ。
波音と笑い声が混ざり合う。
その賑やかさが、なぜか心地よかった。
『友達』と呼んでいいのかは、まだわからない。
けれど多分、みんなは俺をそう思ってくれている。
その事実が、ただただ嬉しかった。
そして何より驚いたのは、自分が心の底から笑っていること。
こんなふうに輪の中で笑ったのは、きっと生まれて初めてだ。
笑顔の練習。そんな言葉を聞いたことがある。
俺にとってのそれは、秋月のバカみたいな行動の中に、確かに組み込まれていたんだと思う。
◇
やがて空は群青に変わり、星が顔を出し始める。
砂浜に組まれた焚き火の中央で、秋月が火起こしに悪戦苦闘していた。
小さな火は、風が吹けばすぐに消える。うちわで必死にあおいでは煙にむせ、「げほっ」と咳き込む。
その様子に、クラスメートたちは呆れながらも笑っていた。
数十分。ようやく大きな焚き火に火が灯る。
「やっとついたぞ! 大仕事完了! まじで全っ然つかねーじゃん!」
両手を上げて笑う秋月に、誰かがツッコむ。
「最初からライター使えばいいだろ!」
「こういうのは火起こしから楽しむのが風情だろ! 苦労してこそ楽しいんだよ!」
そのやり取りに、周囲から笑い声が溢れた。
焚き火の炎がパチパチと音を立て、潮風にあおられて揺れる。
そのたび、みんなの笑顔が柔らかく照らされた。
俺は少し離れた場所で、ぬるくなったコーラを片手にその光景を眺めていた。
誰とも話していないのに、不思議と孤独じゃない。
少しだけ、この輪の中に自分の居場所がある。そう思えた。
「瑠偉ちゃーん! こっち来いよー!」
焚き火の向こうから秋月の声。
俺は紙コップを軽く掲げて「大丈夫」と合図を返す。
秋月は笑って、隣の男子と肩を組みながら何か話していた。
◇
火が落ち着き、炎が丸く小さくなったころ、誰かが静かにギターを鳴らし始めた。
「うわ、出た! 昴真のギター!」
「柴谷、文化祭出るんだろ?」
「もしかしてプロ目指してんの?」
茶化す声に、低く落ち着いた声が返る。
「いや、部屋でこっそり配信してるだけだよ。今日は聖が持ってきて、弾けって言うから…仕方なく…」
無愛想にボソボソと柴谷は言葉を続けていたが
次の瞬間、夜の浜辺に優しいギターの音色が溶けた。
指先でなぞるような旋律に、透明で伸びやかな歌声が重なる。
潮風がその声を運び、俺の肌をかすめていく。
肌は少し冷えるのに、心はどこか温まる。
「……上手いな」
焚き火の音に紛れるほどの声で、思わずつぶやいた。
やがて即興のセッションが終わると、焚き火の近くにいた秋月が隣に腰を下ろした。
「あいつ、ギター上手いよなー」
「結局、聖がこっち来たの?」
「瑠偉ちゃんが一人でいるから、寂しいかなって思って。……それに、いつの間にか下の名前で呼んでくれるようになったのね?」
「べ、別にいいじゃん。いいよ、じゃあ……秋月くんって呼ぶ」
「まぁまぁ、別にいいだろ。仲良くなれた証拠だよ!」
他愛のないやり取り。
けれどその距離感は自然で、無理のない優しさを帯びていた。少しずつ、秋月への印象が変わっていく。
気を遣ってくれていることは、最初からわかっていた。
だから、それ以上は何も言わなかったし、何も言えなかった。
聖と二人並んで、焚き火を眺める。
ちょっと変な感じ。
でも、その『変』は、少しだけ心地いい。
炎がゆらゆらと小さくなり、賑やかな声も潮騒に溶けていく。
俺は紙コップを指でくるくる回しながら、オレンジ色に揺れる海面をぼんやり見つめていた。
そのとき、隣にいた聖が立ち上がった。
「なあ、ちょっと歩かない?」
「どこ行くの」
問いかけると、聖は片手を差し出して笑う。
「星でも見よーよ。いいとこ知ってるんだ」
「ここでも見えるよ?」
そう返すと、彼は子どものように笑って言った。
「もう、素直じゃないな! 瑠偉ちゃんは! いいから行こーぜ!」
……また、ペースを持っていかれる。
そう思いながらも、あまりにもまっすぐな笑顔に息がこぼれた。
「……わかった。行こう」
「へへっ! よっしゃ!」
焚き火よりも、聖の笑顔のほうが眩しく見えた。




