Episode02
2020年6月22日(月)
転校して、一週間が経った。
同級生から声をかけてもらうことはある。けれど、うまく返事ができない。
そのたびに相手の笑顔がほんのわずかに曇り、少しずつ距離が空いていく気がした。
つまり、俺はまだクラスに馴染めていない。
だけど、そんな中でも秋月だけは変わらなかった。
毎日欠かさず、俺に声をかけてくる。
「一緒に帰ろう」
それは、もはや日課みたいなものだった。
その日の放課後も、同じ言葉。
いつもなら断るつもりだったのに、気づけば口が動いていた。
「うん……帰ろう。」
今日はなんとなく...誰かの声を聞いていたかった。
俺が小さく頷くと、秋月は一瞬だけ目を丸くして、それからすぐに笑顔を見せた。
「よっしゃ」
軽い調子でそう言って、俺の隣に並んだ。
校門を出ると、潮の香りを含んだ風が頬を撫でた。
舗装の途切れた細道の両脇では、濃い緑の木々が風に揺れている。
よく晴れた午後。
遠くで波の音がかすかに混ざり、空は夏に向かう淡い群青に染まりかけていた。
秋月はというと、ほとんど息継ぎもせずに話し続けている。
「俺、もともと風浦ってとこにいたんだけどさ。母親と大喧嘩して、家出したんだ。そりゃもう大変な騒ぎ!それで、雅に住んでるばあちゃんの家に転がり込んだ。置いてきちゃった妹だけが心配なんだけどねー」
「ふーん。」
あまり興味なさそうに相槌を打っても、彼は気にする様子もない。
「瀬名くんは? 家族で越してきたの?」
「ううん……一人だよ。」
短く答えると、秋月は小さく「そっか」と言った。
「まあ、色々あるよな。お互いさ。」
そう言って、口元だけで笑う。
なんで一人で? どうしてこの島に?
そんな質問が来ると思っていた。けれど、彼はそれ以上踏み込んでこなかった。
理由はわからない。人の話に対して興味がないのか。
ただ、その“距離の取り方”は秋月なりの優しさのように感じた。
俺は勝手に、そう思い込んでいた。
気づけば、俺は自然と彼の歩幅に合わせて歩いていた。
◇
2020年6月24日(水)
この日も俺と秋月は一緒に帰っていた。
だけど相変わらず、会話のテンポは合わない。
一方的なマシンガントークに、俺のぶっきらぼうな返事。
自分でも少し笑ってしまうほど、正反対だと思う。
最初の出会いは最悪だった。
島に来た初日。いきなり自転車で突っ込まれて、肩はまだ少し痛むし、手から滑り落ちたスマホには今も小さな傷が残っている。
あのときから、秋月は俺にとって
“ペースを狂わせる変なやつ” のままだ。
勝手に笑って、勝手に話して、勝手に俺のリズムを壊していく。
正直、面倒だと思うことも多い。
…それでも俺の隣には、当たり前のように彼がいる。
嫌なら断ればいい。
けれど、そうは思わない。
その理由が、自分でもよくわからなかった。
2020年6月25日(木)
体育の授業が終わった更衣室。
俺は、端の方でひっそりと着替えていた。
中学ではバスケ部にいたけれど、運動が得意なわけじゃない。
白い肌も、華奢な体も、昔からのコンプレックス。
男子特有のはしゃいだ空気も苦手だった。
見られるのが嫌で、陰に隠れてシャツを脱ぐ。
わかってる。こんな動きしてるから「女の子みたい」って言われるんだ。
そのとき、隣でクラスメートとふざけ合っていた秋月がバランスを崩し、俺にぶつかってきた。
「おっと! わりぃ、瀬名くん!」
「わはは、聖ー! 気をつけろよな!」
笑い声とともに軽い謝罪が落ちる。秋月は片腕を伸ばし、俺の腕を掴んでよろけた体を支えた。
瞬間、身体が勝手に反応した。
掴まれた腕に身体は固まり、呼吸が詰まる。
咄嗟の出来事に、頭が真っ白になった。
秋月の笑顔が一瞬だけ消え、掴んだ腕をそっと離した。
「……ごめん。瀬名くん、マジで。」
今度の声は真剣だった。
「う、ううん……大丈夫だよ。」
軽く返したつもりでも、声は固く震えていた。
掴まれた腕の震えは、しばらく止まらなかった。
その日の放課後。天気予報は外れ、空は急に泣き出した。
雨に打たれながら、俺は屋根のある休憩所に駆け込む。
「……ついてないな。」
濡れたシャツが肌に張りつき、白い身体の輪郭を浮かび上がらせる。
その感覚が、たまらなく嫌だった。
雨を見上げていたとき、背後から声がした。
「瀬名くん?」
振り返ると、ブルーの傘を差した秋月が立っていた。
彼のシャツは乾いたままで、その周りだけが不思議と明るく見えた。
「もしかして傘、ないの?」
「……うん。」
ためらいもなく、秋月は傘を差し出す。
「よっし。じゃ、一緒に帰ろう? 入って。」
「い、いや、悪いからいいよ。」
断ろうとした瞬間、もう傘の下に入れられていた。
「この雨、止みそうにないし。ほら、行くぞ。」
土砂降りの音に包まれながら、二人で歩き出す。
「そういえばさ、この道の先にめっちゃうまい焼き肉屋あるんだよ。今度行こうぜ。」
「……肉は、あんまり好きじゃない。」
「じゃあ別のとこ! 港沿いのカフェ『灯し火』とかさ。あそこのテラス席、最高なんだ。」
「……ふうん。」
相変わらず、俺は相槌ばかり。
それでも秋月はめげずに笑っていた。
「そういや瀬名くん、雅に来てどのくらい? まだ一ヶ月経ってないよな?」
「……君とぶつかった日に、来たばっかり。」
「だと思った! じゃあさ、今度晴れた日にガイドしてやるよ。任せろって!」
秋月は傘を俺の方へ傾けた。
肩にかかっていた雨粒が消えて、少しだけ歩きやすくなる。
相変わらず鬱陶しいくらい話すのに、その声が不思議と耳障りじゃなかった。
傘を叩く雨音と混ざって、静かに心に染みていく。
雨で冷えた心が、少しずつ温もりを取り戻していく。
そんな気がした。




