Episode22
2020年11月1日(月)AM8時
気づけば、十一月に入っていた。
夏の面影を引きずっていた日々も、いつの間にか冬の空気に塗り替えられていく。
校内ではブレザー姿の生徒が増え、廊下を渡る風も少し冷たくなっていた。
雅島は海風のおかげで、冬でも本土より穏やかだ。
それでも、朝夕の風は指先をかすめ、マフラーが恋しくなる季節になった。
この学校のブレザーは青。
俺の一番好きな色だ。
袖を通した瞬間、少しだけ背筋が伸びるような気がして、
ずっと着てみたかったその制服に、心が弾んだ。
聖のブレザー姿も新鮮だった。
背の高い彼は、ネクタイをゆるく締めただけでも様になっていた。
見慣れたはずの笑顔が、どこか大人びて見えて――
そんな何気ない瞬間に、不意に胸が高鳴る。
放課後は、自販機でホットココアや缶コーヒーを買って手を温めたり、
港近くのカフェ『灯し火』で甘いものを食べたり。
ただの何気ない日常。
けれど、傍に聖がいるだけで、それだけで十分に満たされていた。
◇
2020年12月3日(木)PM4時
やがて、十二月。
三日は、はるひの誕生日だった。
蒼空は何日も前から「この日に童貞卒業する!」と騒ぎ、
俺の部屋で勝手に盛り上がっていた。
結果、どうやら本当にその目標を果たしたらしい。
興奮気味に事の経過を語り出す蒼空を、
俺と聖は顔を見合わせて、
「いや、もうやめとけ!」
と止めに入り、はるひの名誉を守った。
馬鹿みたいな時間。
でも、そんなくだらない笑いが、妙に心地よかった。
一方で、俺と聖の関係は、あれから何も変わっていない。
意識してしまう気持ちは隠したまま、
表面上はいつも通りの『友達』を演じている。
たまに聖は、俺のことを気づかうように声をかけてくる。
「最近、夜眠れてる?」「なんかあったらすぐに連絡しな?」「薬、飲みすぎるなよ?」
その一言一言が、胸に優しく沁みる。
彼のやさしさに、いつも心がときめいてしまう。
それが嬉しくて、ありがたくて。
心配をかけてしまっていて
同時に、少しだけ苦しかった。
◇
2020年12月20日(金)PM5時
二学期の終業式が終わった放課後、
俺と聖はいつものように、海沿いのカフェ『灯し火』へ向かった。
ドアを開けると、カウンターの奥から明るい声が飛んできた。
「よっ、少年たち!冬休みだね!今日もいつものでいいかな?」
声の主は、店員の亜美さん。
いつも笑顔で迎えてくれる朗らかな人だ。
「っす!お願いします!」
聖が慣れた調子で返す。
俺は少し照れながら軽く会釈して、窓際の席に腰を下ろした。
もうすっかり顔を覚えられていて、
ときどきサービスしてもらったり、気にかけてもらったりする。
このカフェは、俺たちにとって小さな居場所のような場所になっていた。
窓の外では、冬の海が鈍色に光っていた。
夏のきらめきとは違う、静かな波が寄せては返す。
そんな景色を眺めながら、聖がふと呟く。
「明日から冬休みだな」
言葉のあと、少し間をおいて俺の方を見て、にっと笑った。
「なあなあ、瑠偉ちゃん。クリスマスさ、どっか行かない?」
「えっ? クリスマス?」
不意の言葉に思わず聞き返す。
「そう! 蒼空とはるひはどうせ二人で過ごすだろ?俺たちは独身同士、フェリー乗って都市部にでも行こうぜ。新都は遠いけど、都市部ならわりと近いしさ」
「あはは…独身って……」
吹き出して笑う俺に、聖もつられて笑う。
「どう?行かない? クリスマスデート!」
揶揄うように笑いながらも、
その目の奥にほんの少しの本気が宿っている気がした。
胸の鼓動が跳ねる。
嬉しくて、どうしようもなく。
「行きたい!」
自然に笑顔がこぼれた。
カップの中で立ちのぼる湯気が、いつもより少し温かく感じた。
◇
2020年12月24日(木)AM9時
朝からずっとそわそわしていた。
鏡の前に立っては髪を直し、服のシワを伸ばして、また全身を確認する。
「……よし」
小さく声に出してみても、すぐまた気になって鏡を覗き込んでしまう。
聖とクリスマスデート(仮)。
期待と緊張で、呼吸が浅くなるくらい落ち着かない。
いつも一緒にいるはずなのに、今日はまるで違う日みたいだ。
予想できた?聖に誘われて、こんなにも胸を躍らせているなんて。考えられない。あの聖に片思いをして少し悩んでいる自分がいるなんて。
良い意味でも、悪い意味でも。俺は確かに変わった。
そしてその変化のそばには、いつだって聖がいた。
待ち合わせは港。
潮の匂いを含んだ冷たい風に少し身を縮めながら歩いていくと、
すでに聖の姿が見えた。
「あ……」
思わず、声が漏れる。
普段より少しセットされた髪。
センスよく着こなされたジャケットとマフラー。
まっすぐ立って俺を見つけ、柔らかく笑うその姿に、
胸がどくん、と跳ねた。
ただそれだけで息が止まりそうになる。
どうしてこんなにも、ときめくんだろう。
かっこよくて、眩しくて。
隣に並ぶだけで嬉しいのに、
鼓動が速すぎて胸が疲れてしまいそうだ。
「おっ、瑠偉ちゃん!そのコートめっちゃ似合ってるな!」
いきなり褒められて、心臓が跳ねる。
「えっ……ありがと。聖も、そのニットすごく似合ってる。大人っぽい。」
聖は、照れ隠しみたいに鼻をかきながら笑った。
「それにさ……今日の瑠偉ちゃん、なんかふわふわしてて可愛い。」
「は?か、可愛い……?ふわふわって何それ……?」
思わず顔が熱くなる。
『可愛い』
その言葉は、ずっと苦手だった。
男なのに、って何度も思った。
どうすれば普通の男子に見られるか悩んだ時期もあった。
でも、今は違う。
聖に『可愛い』って言われて心の奥が温かくなった。
嬉しくて、もっと可愛いって思ってもらいたいなんて考えてしまう。
……はあ、俺、重症だ。
「ひ、聖のほうがいつもと違っててなんかかっこいいよ。ジャケットも似合ってる。」
「えー?かっこいい?マジ?」
聖は子どもみたいに笑って、肩を揺らした。
「うん……」
小さく返した声は、照れくさくてすぐに風に紛れた。
「へへっ。なんか俺たち、付き合いたての中学生みたいだなっ!」
「あはは。ほんとにね。」
付き合いたての中学生か。
そんな感覚は経験したことなんてない。
でももし誰かと付き合うっていうのが、
こんな風に胸があたたかくなることなら少し、羨ましいと思った。
二人で顔を見合わせて笑ったその瞬間、
冬の港に吹く風すら、優しく感じられた。
フェリーに乗る前、俺はポケットから薬を取り出した。
「はい、聖。酔い止め。せっかくのデートなのに撒き餌したら台無しだからね。ちゃんと飲んで。」
水のキャップを開けて手渡すと、
聖は「瑠偉ちゃん、さすが!」と笑いながら
慌てて薬を口に含んだ。
その仕草が少し可愛く見えて、思わず笑ってしまう。
やがてフェリーに乗り込み、甲板へ出る。
冬の冷たい潮風が頬を撫でるけれど、
聖の隣にいると、不思議と温かかった。
「なんか俺、緊張してきた……」
聖が照れくさそうに呟く。
「な、なんでよ。普通に遊びに行くだけじゃん。そ、それに聖から誘っておいて!」
俺だって...とっくに緊張してるよ。
そう返しながら、胸の奥がじんわり熱くなる。
フェリーが動き出すと、波が陽を反射してキラキラと瞬いた。
白い航跡の先に、今日という一日が広がっている。




