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Episode01

夕方の雅島を散策して帰ってきた俺は、汗ばんだ肌の不快感と、あの自転車の少年にぶつかった苛立ちを洗い流すように、すぐシャワーを浴びた。

ぬるめの水が首筋を伝って落ちていくたび、胸の奥に溜まっていたざらつきが少しずつ薄れていく。


シャワーを終えて鏡を見ると、そこには頼りない自分が映っていた。

鏡を見るのは、あまり好きじゃない。


肌は白く、日差しを浴びるとすぐに赤くなる。腕も細く、肩も華奢だ。

そういう見た目のせいなのか、昔から「女の子みたい」と言われることが多かった。

そのたびに、少しだけ居心地が悪くなる。

「男子っぽくない」という言葉が、胸の奥に小さな棘のように残る。


そして...腰に残る(あざ)

その(あざ)を見ると、いまだに心が抉られる。

鍵のかかった心の扉。

開けてはいけない記憶の奥に、それは沈んでいる。


髪はダークブラウンで、前髪が少し目元にかかる。風が吹くとふわりと跳ねて、整えてもすぐ元に戻る。もう諦めている。


人と目を合わせるのが怖い。誰かに名前を呼ばれるたび、少し身構えてしまう。

笑うのも、話すのも、どこか演技みたいで息が詰まる。

「普通の男子」になりたかった。ただ、それだけなのに。

どうしてこんなに難しいんだろう。


そんな自分と、毎日のように戦っている。

疲れる生き方だと分かっていても、これが、俺だから仕方ない。



──知らない部屋の天井が、やけに遠く見えた。



布団に入っても、ほとんど眠れなかった。

虫の声や風の音がやけに耳について落ち着かない。


小さな瓶から睡眠導入剤を取り出し、水で流し込む。

これを飲めば、少しは眠れるはずだ。

こんな生活が、いつか変わっていけばいい。

ぼんやりとそう願いながら、目を閉じた。



2()0()2()0()()6()()1()5()()(()())()


翌朝。

制服に袖を通す。白いワイシャツに青のネクタイ、青と黒のチェックのズボン。

この高校の制服は正直好きだった。

大好きな色が使われているし、冬服が学ランではなくブレザーだというのも気に入っていた。


鏡の中の頼りない自分に「大丈夫」と小さく呟き、玄関を出る。


坂を下って川沿いを歩く。

六月の雅島は、朝から湿気を含んだ空気がまとわりつくように暑い。

木々の葉は濃く茂り、海からの風に揺れている。遠くでは蝉が鳴き始めていた。

新都(しんと)の雑踏とはまるで別世界。

この静けさにも、そのうち慣れてくるだろう。そう思うと、少しだけ足が軽くなった。



校門の前で、若い男性教師が笑顔で迎えてくれた。


「瀬名くんだね。今日からよろしく。緊張してると思うけど、大丈夫だよ。

クラスは二つだけだし、離島留学の子もいるから、島民じゃない生徒も何人かいるんだ」


軽く肩に触れられた瞬間、反射的に拳を制服のポケットに隠した。

廊下を歩く間、心臓の音がやけに耳に響く。早く終わってほしい。


「今日から新しい仲間が増えます。入ってください。」


教室の扉が開かれ、担任が黒板に俺の名前を書いていく。

カツ、カツ、とチョークの音がやけに大きく響いた。

全員の視線が一斉にこちらへ向く。


「……瀬名瑠偉(せなるい)です。よろしくお願いします」


声は少し震えていた。

教室内がざわつき、いくつかの声が耳に届く。


「えっ……かわいいー!」

「新都から来たんだって」


下を向いていても、視線の熱が肌に刺さる。


「じゃあ瀬名くんは……秋月(あきつき)の隣ね」


窓際の後ろ。指示された席へ歩く。

何分もかかったような気がした。

そして、その隣にいたのは。


「あっ。あーっ!」


思わず声が出た。

昨日、自転車でぶつかってきて、謝りもせずに去ったあの少年。


白い歯を見せ、眉を下げて笑う。


「昨日は悪かったな。へへ……あんな急に曲がって来ちまって。俺、秋月あきつき ひじり。よろしくな!」


軽い調子。飄々とした笑み。

俺は目を逸らし、短く返す。


「……うん、まあ。よろしく」


「え?もしかして怒ってる?」

覗き込むように聞いてくる。


「……別に」


窓の外へ視線を逸らした。

やっぱり、第一印象は最悪だ。



それでも、秋月の存在だけはやけに目に、耳に残る。

暗くて人付き合いが苦手な俺とは正反対で、眩しいほど明るい。

昨日の一件もあって、少し鬱陶しく感じた。

……適度に距離を置こう。そう決めた。



授業が始まってまもなく、隣の秋月はノートも取らず、腕を組んで今にも寝落ちしそうに目を細めていた。

まぶたがゆっくりと上下し、やがて机に頬を預ける。

先生の声とチョークの音が、まるで子守唄みたいだ。


朝あれだけ元気だったのに、この気の抜け方はなんなんだ。

…苦手だ、こういうタイプ。


休み時間になると、その印象はさらに強まった。

秋月が教卓の前に腰掛けると、あっという間に人が集まってくる。

誰かが話せば、すぐに笑い声が返る。

彼がそこにいるだけで、空気が明るくなるのが分かった。


なるほど。この人は“輪の中心”にいるタイプなんだ。

初日で、それがもうわかる。


俺は窓の外を見つめた。

雲の切れ間から光が差し、校庭の端に影を落とす。

背中越しに響く笑い声が、遠く感じた。



そして放課後。

チャイムが鳴ると同時にリュックを肩にかけ、できるだけ目立たないように教室を出た。

下駄箱で靴を履き替えていると、背後から声がする。


「瀬名くん? 帰り道わかる? もしよかったら俺が島、案内するけど」


振り返ると秋月が立っていた。昨日と同じ、人懐っこい笑み。


「家、どの辺なの?」

「休みの日とか、行きたいとこある?」

「新都から、来たんだっけ?」


質問、多すぎ。


「……大丈夫」


ため息を隠さずに返し、靴ひもを締めて先に歩く。

追いかけてくる足音はない。代わりに、背中越しに軽やかな声が響いた。


「じゃあ、また明日なー!」


見なくてもわかる。

きっと、あの笑顔で手を振っているんだろう。


ため息をひとつ落とし、俺は歩幅を少しだけ速めた。


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