Episode17
2020年8月11日(火)PM11:30
「そんな簡単にはいかないのかもしれないけど……独りで抱え込まないでほしい。」
聖の声は、夜の静けさに溶けるようにやさしく響いた。
「俺は、瑠偉ちゃんにもっと笑っててほしいよ。前にも言ったけど、俺は瑠偉ちゃんの笑顔、好きだからさ。」
その真っ直ぐな言葉に、胸の奥で固くなっていたものが少しずつほどけていく。
「……ありがとう。」
小さく囁いた瞬間、堰を切ったように涙が頬を伝った。
「泣いてもいいよ。大丈夫。誰にも言わないから。」
追い詰めるような強さではなく、包み込むような声。
その優しさに触れた途端、心の奥が揺れて、どうしようもなくあふれていく。
どうして?
どうして俺なんかに、こんなに優しくしてくれるの?
どうして、こんなにも気にかけてくれるの?
今まで誰からももらったことのない温かい言葉。
嬉しいのに、胸が苦しくて。どう返していいのか分からない。
ただ涙が止まらず、聖の言葉だけが心の奥に沁みていった。
涙が落ち着くまで、聖は一言も挟まず、ただ隣で待っていてくれた。
やっとの思いで息を吸い込み、小さな声で言葉を絞り出す。
「ふぅ……ありがとう。落ち着いた。」
ダメだ。喋るとまた涙が出てきちゃう。
また涙がこみ上げて、視界が滲む。
その様子を見て、聖はゆっくりと身体を起こし、
そっと俺の頭をポンっと撫でた。
次の瞬間、俺の顔はそのまま聖の胸にすっぽりと包まれた。
けれど、その腕には強さも、無理やりさもなく、
ただ受け止めるための柔らかさだけがあった。
「……っく、ひっ……ひぐっ……ううっ……」
肩を大きく上下させながら、必死に呼吸をしようとしても、
涙としゃくり上げがそれを邪魔する。
胸の奥にしまい込んで我慢していたものが、一気に壊れた。
もう声を殺せなくなって、子どものように泣きじゃくる。
恥ずかしさも、強がりも、この瞬間にはもう意味をなさない。
「ひっ、ぐす……っ、ひぅっ……っ……」
言葉にならない泣き声が次々と漏れ出していく。
聖の手は優しく背中を撫でる。
繰り返すその温もりは、夜の闇をすべて遠ざけてしまうみたいで。
「大丈夫。全部出しちゃいな。大丈夫だよ。」
静かで、力強い声が、心の奥深くまで沁みていった。
長い間閉じ込めていた扉が、少しずつ開いていくのを感じた。
◇
どれくらい泣いていたのか分からない。
気づけば俺は、聖の胸に顔を埋めたまま、子どもみたいに泣きじゃくっていた。
やがて涙が少し落ち着いた頃、小さな声で「ごめん」と呟いた。
「……なんか、こんな泣いたの久しぶり。スッキリしたかも。」
聖は少しだけ照れたように口元を緩めて、
「へへ、それならよかった。たまには泣かないとな?」と微笑み、
俺の頭をやさしく二度、ポンポンと撫でた。
その手の温もりが、胸の奥の不安を少しずつ溶かしていく。
しばしの沈黙のあと、聖は真剣な声音で口を開いた。
「聞いていいのか分からないけど……あれだけうなされて苦しむくらいの夢って、どんな夢なの……?」
「無理なら話してくれなくてもいい。でも、話すことで少しでも軽くなるなら……って思った。」
その言葉に、鼻の奥がツンと痛む。
自分の過去のことを人に話すなんて、考えたこともなかった。
聖の優しさはありがたくて、救われてもいる。
だけど、まだ話す勇気が持てない。
この話をしてしまったら、嫌われてしまう。
また、俺は『孤独』に戻ってしまうよ。
すすり泣きながら、震える声で答える。
「……ごめん、聖。それは話したくない。ごめんね、聖。」
肩をすくめて身体を震わせる俺の姿を、聖は見逃さなかった。
そっと身体を少し離し、俺の顔を覗き込むようにして、まっすぐ瞳を合わせる。
「へへっ、謝るなって。俺こそごめん。デリカシーなく踏み込んじゃって。」
普段の彼からは想像もつかないほど真剣で、澄んだ瞳。
まっすぐ見つめられた俺は、返す言葉もなく、
また静かに、聖の胸の中へと帰っていった。
(ありがとう。聖。心の整理がついたら、話させてね。)




