Episode12
旅館へ足を踏み入れると広い玄関に木の香りがふわりと漂った。
艶やかに磨き込まれた床板と低く重厚な梁。和紙の照明が温かく灯りどこか懐かしい空気が流れている。
「いらっしゃいま...あらあら!」
声の方を見ると玄関に立つ
ばあちゃんが手を広げていた。
「瑠偉ぃ!」
名前を呼ばれた瞬間胸の奥に熱いものがこみ上げる。
気づけば、俺も
「ばあちゃん!」と駆け寄っていた。
「大きくなったねぇ…何年振りかしら」
笑顔のまま少し潤んだ瞳で俺の肩を抱きしめる。
懐かしい花のような香りと変わらない温もりに包まれ
心の奥がじんわりとほぐれていく。
「久しぶりに来てくれて……お友達まで連れてきてくれるなんて。ばあちゃん嬉しくてたまらないよ」
しわの刻まれた手が俺の頬に触れる。
「突然無理言ってごめんね。」と
小さな声で返す。
「いいんだよ。来てくれたことが一番嬉しいんだから」
その言葉に胸がじんわりと温かくなった。
後ろに立っていた聖たち3人もその様子を静かに見守っていたが我に返った俺は少し照れくさくなり
「ばあちゃん、紹介するよ。俺の友達」
と振り返る。
「初めまして!お世話になります!」
声を揃えて頭を下げる3人
ばあちゃんは顔をほころばせ
「まぁ、礼儀正しい子たちだねぇ」
と何度も頷いた。
ばあちゃんに案内されて、俺たちはロビー奥のエレベーターに乗る。
壁一面に飾られた久遠の四季を写した写真や
和紙の衝立、静かに流れる琴の音色に3人は口々に、感嘆の声を漏らしていた。
そして、最上階で扉が開くとさらに広がる世界に息を呑む。
廊下の窓からは街を見下ろす夜景が一望でき、温泉街の提灯が星のように瞬いていた。
「やばっ。まじでほんとに映画みたい」
「バズるなこれ!」
蒼空とはるひの2人は終始
写真を撮りまくっていた。
用意されたのは三部屋。
「女の子もいるからね」と
ばあちゃんの気遣いで二つは寝室一つは共用部屋として使えるようになっていた。
荷物を置き、みんなで共用部屋に腰を下ろす。自然と
部屋割りの話になった。
すると、聖が真っ先に口を開いた。
「よし!俺と瑠偉ちゃん!んで蒼空とはるひ!」
と元気よく決定を下す。
「おいおい……」と一瞬戸惑う蒼空に対し
はるひは「いいじゃん、それ!」
と意外にもノリノリ。
蒼空は「マジかよ……」と
小声で呟きながらもまんざらでもないように頬を赤らめていた。
聖はというと、にやりと得意げな顔で俺を見てくる。
俺はただ、何も言えずに小さく息を吐いた。
荷物を置いて、ほっとひと息つく。
窓の外に目をやると夕暮れの久遠が広がっていた。
石畳の温泉街の先には山々が連なり夏の茜色に照らされて深い影を落としている。
その稜線の向こうからまだ赤みを帯びた空が青へと溶けていく。
思わず息を呑むほどの景観に蒼空が
「やっば。道具持ってくればよかった」
と声を漏らす。
隣ではるひがすかさず
「蒼空が描いたら本物より綺麗になるんじゃない?」
と茶化すように笑った。
蒼空は「まあねぇ!!」と
まんざらでもなさそうに視線を景色へ戻す。
蒼空は普段から
暇さえあればスケッチブックを広げている。
ノートの落書きですら
まるで作品にできそうなデザインに
仕上がっていて驚かされることがある。
線を描くたびに形が立ち上がり
ただの白い紙が景色や人物に変わっていくのを
俺は何度も見てきた。
お調子者で場を盛り上げる蒼空。
でもその横顔には、絵に向き合うときの
真剣な光が確かに宿っている。
そんな時、控えめに
「失礼します」と障子が開き
仲居さんが姿を見せた。
「ご到着ありがとうございます。本日は貸切の露天風呂を、ご利用いただけますので、ご案内いたしますね」
丁寧な所作に、聖は目を輝かせ
「やった!温泉きたぁ!」と
子どものように喜んだ。
案内されて辿り着いたのは檜造りの脱衣所。
湯気と木の香りがふわりと混じり合いどこか落ち着く匂いがした。
「よっしゃー!」
と蒼空は勢いよく服を脱ぎながら、はしゃぐように動き回る。
「おい、落ち着けって!」と
聖が珍しく笑いながらも制止し自分もシャツを脱ぎ始めた。
その横で、俺はTシャツを握ったまましばし呼吸を整えていた。
聖と蒼空の身体は引き締まり、小麦色に焼けている。
それに比べて自分の白く細い身体は頼りなく映り、どうしてもためらいが生まれてしまう。
やっとの思いでTシャツを脱いだ瞬間
「うわぁ、瑠偉!肌、綺麗!真っ白じゃん!」
蒼空が悪戯っぽく近づき、子どものように顔を覗き込んでくる。
「っ!」
不意を突かれて驚き、身体がこわばる。
「蒼空、やりすぎだろ」
聖の声が、いつもと違い真面目な響きを帯びて脱衣所に落ちた。
俺は言葉もなく逃げるように浴場へ駆け込んだ。
残された蒼空は
「なんかさ、本当女の子みたいだよな……」と呟いた。
聖は小さく笑いながら肩をすくめ、
「なっ、繊細なんだよ。俺らとは違うんだよ」
と軽く茶化すように言った。




