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Prologue

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潮の匂いが、胸の奥まで染みこんでいく。


フェリーを降りて港に立つと、海はまるで生き物のように呼吸していた。

太陽の光は細い糸のように海面を縫い、浅瀬はガラスみたいに透き通って、遠くへ行くほど深い青へと溶けていく。


波が堤をやさしく撫で、白いフェリーの影がゆっくりと揺れるたびに、光の粒が水面に跳ねた。

耳を澄ませば、風の音とカモメの声。その向こうに、どこまでも続く静けさがある。

その静けさは寂しさではなく、心を洗い流してくれるような、優しい静寂だった。


俺が見つめたその海は、ただ“綺麗”なだけじゃない。

『生きている』ということを、静かに教えてくれるような、穏やかな青だった。



俺の名前は、瀬名瑠偉せな るい。高校一年生。

生まれはこの国の首都・新都しんとという都会。この静かな孤島、雅島みやびじまとは正反対の場所だ。


いろんなことがあって、この島に引っ越してきた。

理由は……まあ、そのうち話すとして。


昔から俺は人と関わるのが得意じゃなかった。

気づけばいつも一人で、静かな場所にいる方が落ち着いた。

けれど、静けさの中に沈んでいくと、自分の中の記憶に沈んでしまうこともある。

それでも俺は『少しでも変わりたい』と思った。

だからこの島での暮らしに、少しだけ望みをかけてみる。


俺は自分を守るために『孤独』を選んだ。

孤独に育てられたから、今の俺がいる。

『孤独』を選んだその日から、心に鍵をかけて生きてきた。



肩に掛けたネイビーのリュックが、やけに重く感じる。

スマホの地図アプリを開き、矢印に沿って歩き出した。


港を離れると、道は細くなり、古い家並みと新しい民家が入り混じる。

どの門前にも、決まってあの守り神の石像。

どこからか、早めの夕食支度の匂いが海風に乗って流れてきた。


目的地の前に着くと、玄関先に五十代くらいの男性が立っていた。


「君が瀬名さんの息子さんだね?」


穏やかな声に、俺は小さく頷く。


「お父さんから話は聞いてるよ。家賃も光熱費も全部お父さんが払ってくれる。必要な家電も揃えてあるから、好きに使ってくれればいい」


「……ありがとうございます」


「なにか困ったことがあれば、すぐ連絡しておいで」


簡単な挨拶を交わし、部屋に入る。

木の匂いが残る床。広すぎない間取り。静かすぎる空気が落ち着くようで、どこか息苦しい。

じっとしていたら余計に考え込みそうで、俺は外に出て、島を歩くことにした。



父親は、新都ではそこそこ名の知れた議員で、毎日忙しくしている。

一緒に過ごす時間はほとんどなく、お金は与えられても、温もりのある記憶は少ない。


父さんのことは、正直好きじゃない。

きっと父さんも、俺を好きじゃない。邪魔者だと思っている。


母さんは、俺が五歳の頃に事故で亡くなった。

病弱な俺の手を引きながら、いつも優しく笑ってくれた人。

母さんがいなくなってから、父さんは俺に冷たくなった。

父さんにとっても、母さんは特別だったのだろう。



坂道を下ると、川のせせらぎが聞こえてくる。

陽を反射してきらきらと揺れる水面ー雅島の名所、清灯川せいとうがわ

地元では光雅ひかりみやびと呼ばれているらしい。


透き通った水がゆるやかに流れ、夏の夜には蛍が舞うという。

清灯川せいとうがわでは、夏になると『蛍火の夜』通称『蛍祭り』と呼ばれる祭りが開かれる。

無数の蛍が川面を舞い、夜空では花火が咲く。


光と光が重なり合い、風に揺れながら流れていくその景色は、まるで夜そのものが呼吸しているように。

島の人たちは、蛍と花火が混ざり合う一瞬を『夏の奇跡』と呼び、大切にしているという。


今は昼間だけど、光を宿したような川の輝きに、思わず足を止めた。

そろそろ戻ろうと曲がり角を曲がった、その瞬間だった。


「っ!」


前方から自転車が勢いよく現れ、肩がぶつかる。

手に持っていたスマホが、舗装されていない道に転がった。


俺がよろけたのと同時に、自転車が急ブレーキをかける。


「わり! ちと急いでて!」


短く言ったその少年はこちらを一瞥しただけで、再びペダルを踏み込む。

風とタイヤの音は遠くに走り、その場に残されたのはやけに鼻に残るムスクの香りだけ。


「……なにあれ」


小さく吐き捨てて歩き出す。


このときの俺は、まだ知らなかった。

あの自転車の少年との出会いが、この先の俺の毎日を。

いや、人生そのものを大きく変えていくことになるなんて。


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