8 ルール決め
久しぶりに流した涙がようやく止まり、真田はリビングに躍り出る。
あれから閑散としていたリビングは、堕地の荷物で少しばかり賑やかになっている。スーツケースとカジュアルなバッグぐらいだが、荷物のにの字もなかった真田にとって、久しぶりの経験だった。
真田はまたもや涙腺から涙を溢れさせそうになる。
「ちょっと、何? また泣こうとしてるよね」
「……ごめん、ちょっとね」
「それ気持ち悪いからやめて。気持ち悪いから」
――二度言わなくてもよくない?
「ごめんごめん、もうやめるから」
真田は泣いているところを見せてしまったことよりも、自分が久しぶりに泣けたことを嬉しく思っていた。
記憶を取り戻してから、鈍っていた感情が鋭くなった気がしている。
「……夕食、作ったから。好きに食べて。終わったら話あるから」
「あぁうん、ありがとう」
そう言うと、ソファーの上に座り、そこからテレビを見始めた。
対して真田はテーブルの上に置かれた料理に目を向ける。
焼き魚に味噌汁、ポテトサラダ。どちらかと言うと和食寄りだ。自分の好みに即していることに真田は微かに喜ぶ。そして丁寧にラップまで描けてある。
――俺がいつ帰ってもいいように、考えてくれたのか?
もちろん、見かけではそう思えない。現に、しかめっ面のまま、テレビのバラエティ番組を見ている。
笑いどころでも、黒条は表情一つ変えない。
――番組変えた方がよくないか。
「何?」
「あ、いや、何でも」
思ったっことは口にせず、真田は用意された夕飯を口に詰め込んだ。
――仲良くしていける気はしないけど、誰もいないよりかはいいな。
そう考えて、真田は微かに口角を持ち上げた。
食事を済ませ、食器を片付けた真田は黒条に話しかけようとする。
「食べ終わったね。じゃあ、話するから」
一応こちらへ意識は向けていたのか、視界に入る前に黒条が先に言ってきた。
「えっと、場所は……」
「そこ座って」
「あ、はい」
ご飯を食べるときにいつも使う席を指定され、真田は為す術もなく座る。一度共闘したとはいえ、真田は黒条のことが苦手だった。
「この家でのルールを決めましょう」
「……ルール?」
「それはそうでしょ。共同生活なんだからルールは必要。そんなのもわかんないの?」
「そ……そうだよね」
相変わらず毒舌な黒条。
「まずは家事分担から。真田は何やりたい?」
「え、俺の要望から?」
「もちろん私がやりたいのだったら却下だけど」
「そ、そうなんだ」
――やっぱりちょっと苦手だ、この人。
真田は少し考えた後、口を開いた。
「掃除は俺にやらせてほしい。使ってない部屋とか掃除するとき、黒条だと困るだろうから」
「……それはそうね。じゃあ掃除はあなたに任せる。他は?」
「……特に。好きなの任せてくれていいよ、もともと全部俺がやってたんだし」
「なんか腹立つんだけど」
「え? あ、ごめんなさい」
――気取ってただろうか。
理由はわからないが、黒条の逆鱗に触れてしまったことに反省する真田。
「洗濯は私がやるから。理由は言わなくてもわかるよね」
少し考えた後、真田は首を縦に振った。
「料理は交代でいかない?たまには自分でやらないと、腕鈍っちゃいそうだし」
「鈍る? シェフでも目指してんの?」
「いや、違うよ」
「はぁ……まぁいいわ。じゃあ、これで家事分担は終わりね。次は私の部屋のこと」
それまで前傾姿勢を取っていた黒条は、上体を後ろに持って行って背を椅子にもたれさせた。
「あぁ、それなら二階に上がって右奥の部屋を使ってほしい。誰も使ってなかった部屋だから。ちゃんと手入れもしてあるから、好きに使って」
「わかったわ」
息を吐くようにそう返事をした黒条。
話が終わりを悟った真田は離席しようとするが、黒条がそれを呼び止める。
「まだもう一つ。大事なルールを伝えるわ」
座り直す真田。無表情のまま、黒条がそれを口に出すのを待つ。
「お互いに不要な接触はしないこと。もちろん狩人関係の事とか、トラブルが発生したときとか、必要な時は話し合うけど、それ以外は基本的に関わらないようにする。わかった?」
真田はそれをすべて聞き取った後、一度口を開け、何かを言おうとしたところで、口を結む。
そして、別の言葉を探して、再度口を開けた。
「なんで?」
少し間を置いて、黒条は目を更にきつく細める。
「あんたと馴れ合う気はないから。それだけ、じゃあ」
そう口にした黒条の瞳の奥に、一瞬暗闇が見えた。
「……」
それだけ言って、黒条は自分の荷物を持って、二階への階段を上がっていく。その足取りはとても早く、遠回しについてこないでと言っているようだ。
「そう……だよな。好きで同じ家に住んでるわけじゃない」
納得しつつも、同居人として少しは仲良くしたいと思っている真田。
それから、真田はシャワーを浴びて諸々の日課を済ませた。明日は土曜だから早く寝る必要はないが、治癒能力が高いとはいえ疲労は溜まる。早めに寝るに越したことはないのだ。
時刻は二十三時。真っ暗な部屋の中、真田はベッドの上で天井を見ていた。
――時々物音はするけど、ほとんど生活音はしない。家じゃうるさいイメージだけど、俺に気を遣ってくれてんのかな。
――母さん、永李。絶対見つけてやるから。
――父さん……俺、父さんの分も頑張るよ。
――明日から、頑張って戦おう。
色んなことを考えているうちに、いつの間にか眠りについていた。