4 源頼人の絶望
日が落ち、空の色がオレンジに変わった。そんな空の下、サッカー部の源頼人は部活に勤しんでいる。
ただ、今日の彼には目や体の動きに活気がない。仲間にパスの呼びかけをされてもうまく反応できず、ただ調子が悪いという言葉だけで済まされるものではなかった。心ここにあらずといった調子だ。
それをみかねた顧問が源を呼び出す。
「源、今日は休め。それとしばらくは来なくていい」
「……なんでですか」
「やる気が感じられねぇ。やる気が戻るまでは部活くんな。話は以上だ」
「……はい」
特に抵抗するわけもなく、流れるように部室へ戻る。その途中では地面を見ていた。
特に意味はない。だが、理由はあった。
部室に戻るなり、放心状態になった源。ふと脳裏に浮かんだのは、笑う田淵の顔。
「………………なんで」
「源くん?」
呟きに反応するように中にいたマネージャーが声をかけてくる。とても心配そうな顔で見つめるが、しばらくしても源の反応はない。
「あ、あの……?」
「……あ、うん」
度重なる声掛けにより反応を示してくれたが、まともな会話はできていない。数ある言葉の中から適当に選んだような言葉を残して、部室を去っていった。
向かうは校舎。靴は履き替えず、土足のまま廊下を歩いていく。当然、土足であるため廊下に泥のついた足跡が残る。途中ですれ違った生徒が奇妙な目で見たが、源は気付かない。
ここ最近、いつも源の脳裏に田淵がちらついている。
田淵は源の彼女だ。半年という長い期間を経てようやく付き合えて、それなりに順風満帆な日々を送っていた。休日はデートに行ったりして、本当に充実していた。
「楽しいね、頼人!」
テーマパークへ行った時。
「ここのクレープ美味しいね! またいこ!」
放課後にクレープを食べに行った時。
「映画楽しみだな~普段は忙しくてあまり来れないからさ」
二人で言った映画の上映前。
「プレゼント……え、誕生日だからって」
「わ、かわいいネックレス! ありがとう、頼人大好き!」
数日前、学校でこっそり誕生日プレゼントを渡した時。
いくつもの思い出が頭の中で回る。
どこに行っても、何をあげても、無邪気に笑う彼女が好きだった。どんな小さなことでも表情を変えてくれる彼女が好きだった。もはや彼女の笑顔が源という人格の一部となっていた。本当に好きだった。
なのに――――。
『田淵さんが行方不明になりました』。部活が休みで、久方ぶりに二人で出かけられる日だった。楽しみすぎて約束の十五分前に来たが、約束の時間になっても田淵は現れず、そしていくら待ち続けても来ない。焦燥に駆られた源は電話を入れたが応答はなく、わけもわからないまま翌日、学校に行き、そう知らされた。
「……嘘ですよね、先生」
それでも信じられなくて、虚ろな目で立ち上がりながら聞く。
だが現実は非情だ。いいえ、嘘ではありません、と。その否定は源の心に痛いほど響き、全身から力が抜けていく感覚が走った。
田淵が行方不明になった。そしていまだに発見の目途は立っていない。まだ死んだと確定していないが、経過した日数から、源は無意識的に死んだと思い込んでいる。
二日経っても立ち直る気配はない。それどころかさらに悪化しているようだった。誰が話しかけてもほとんど反応を示さず、また自分から話しかけることもない。
「…………」
廊下を歩き終えて、やがて教室にたどり着く。そうして向かったのは、田淵涼子の席だ。
涼子――心の中で、木霊するようにその名前が響く。
「……待ってたんだぞ、ずっと」
指先でそっと触れ机に語り掛けたが、反応が返ってくることは決してない。机は机でしかないのだ。
絶望した人間は虚構に縋る。
机を撫でるたび守ってやれなかったという無力感が増大していった。
もしも一緒に居てやれていたら。そして、テラスに立ち向かえるだけの力がある――狩人だったら。そんな後悔が脳内を侵食していった。
もはや未来を見ることなんかできない。
「……なぁ、帰ってくるよな」
行方不明と言うだけであり、生死は不明。だが、もはや生きている可能性はないと源は考えてしまう。かなり時間が経っても見つかったという報告が出ないことが何よりもの証明だった。
後悔は止まらない。あふれ出した思いは、涙と共にダムにせき止められていた水のごとく流れ出す。
「なぁ……なぁ! なんで……なんで……!」
撫でていた手で机を何度も何度も叩く。その一振り一振りが全力で、感情がこもっていた。打ち付けた手のひらの側面が痛みを感じようと止めない。
「なんでッ――――――‼」
そうして増していった憎悪――負の感情。
心の底から沸々と煮えたぎる、悲しみの想い。
その想いを糧として、一匹の蛹が成長。
テラスは羽化し、姿を現す。
「――」
自分を覆った影が目に映る。わかっていながらも、涙でぐちゃぐちゃの目を背面にやる。
それを見た源は思わずたじろぐ。ただ何故だか乱心はしていなかった。
「あぁ――――」
それぞれの手に巨大な三つの爪、横に伸びた凶悪な目、そして全身が黒く染まったその圧倒的な存在感は、人を恐怖のどん底に追いやるのには十分なものといえた。
テラスが大きく腕を振り上げる。
源は自分がこの後どうなるかわかっている。誰でもわかることだ。
確実に死ぬ。
だが彼は動かない。一切の抵抗をせず、その場で見上げながら立ち尽くしている。
「……まぁいいか」
間もなくして巨大な腕が振り下ろされる。
もう今にも彼の体を裂こうという刹那。
脳裏に、今までの田淵との日常が流れてくる。
一緒に学校から帰る。休日にデートする。鋭日間で映画を見る。クレープを分け合う。
そんななんでもない日常が、走馬灯として彼の中で再生される。
――もう一回、会いたかった。
だがそんな望みは叶わないと、もう完全にすべてを諦めてしまった。
目を閉じて死を覚悟する源。
その時、叫び声と共に脇腹から強い衝撃を感じた。
「――――――――源ッ‼」
臀部に痛みが走る。しりもちをついたのだと認識する。
何かが切られる音が聞こえ、いや確信を覚えつつすぐに横を見る。
――は?
目の前に必死の形相で手を伸ばした真田心。
そんな、彼の胴体は空中で爪で切り裂かれた。