3 始まりの始まり
田淵のが行方不明になってから二日経った。昨日もクラスの雰囲気はかなり暗かったが、今日はかなり軽減されていた。忘れた、というわけではないだろう。だがまだ死んではいないという可能性があるからだろう、ぼうっとしている真田の耳に「早く見つかるといいねー」などと聞こえてきた。
「おはよう心くん!」
「おはよう。今日は元気だな」
そして、白羽の元気も戻ったようだった。昨日まではいつもと違い元気がなかったようだったが、二日経ったこともあって治ったようだ。
「うん! いつまでもうじうじしてちゃいられないからね」
「白羽は強いんだな」
「そんなことないよ! 私なんて全然!」
一瞬固まってから謙遜する白羽。
「はよ、白羽に心。何の話してるんだ?」
登校してきた孝樹が話に入ってくる。
「あ、おはよう孝樹」
「お、おはよータッキー!」
「はよ。で、何の話してたんだ」
「あー、私たちの話はいいんだよ、それより今日も暑いね!」
「あ……あぁ、そうだな」
田淵の話が絡むのがよくないと思ったのか、堕地が話を変える。それを察してか、孝樹も乗っかる。
「暑いと言えば、夏休みだな」
暑いという単語から連想した言葉を真田は口にする。
「あ、たしかに! もう七月だしもうすぐ! やった!」
ツインテールを跳ねさせる堕地。より一層笑顔になっていて、本当に嬉しそうである。
「……久しぶりに三人で遊ぶか?」
ふと、孝樹がためらいがちに聞いてきた。真田は思わず目を逸らしてしまう。
孝樹と白派はそれに気づいてしまった。
「私はいいけど……」
「ごめん、気が向いたらでお願い」
「……そうか」
真田の微妙な反応に空気が若干悪くなる。誰も目を合わさない。やがて孝樹がほかの友達の元へ足をせかせると、それに追随するように白羽も真田も離れていく。
取り残された中、真田はやはり外を見る。
別に離れてほしいわけじゃない。無理に遠ざけたいわけじゃない。
でも、なんとなく誰かと遊ぶ気分に離れない。
また――――あの時のように。そう思ってしまうと、真田は乗り気ではなくなってしまうのだった。
「どいて」
随分と雰囲気の良くなったクラス。そこにある一人の生徒が現れそう言い放ったことで、クラスの空気が変わる。まるで鉛でも乗ったかのように、声を伝える空気が消えたかのように、しんと静まり返った。
「あ、ご、ごめん」
教室の出入り口付近にいる男子生徒は気の強い生徒だが、その時に関しては反抗することはなかった。
真田は昨日の教室の様子を思い出して、同じような態度を源がとっていたことを思い出す。昨日はほかの人の暗さに隠れていたからわからなかったが、空気がよくなるとその態度の異様さが際立って見える。
人は異質なものを見つけると、束になって排斥するという性質を持っている。
そして、源は一昨日田淵の知らせを聞いて真っ先に声をあげた生徒だ。田淵の恋人……もしくはそれに近い立ち位置にいたのだろうと真田を察した。
クラスの人もそれを察してか誰も彼に声をかけなかった。何も触れないことが重責になる。かといって触れても源の精神的負担になりかねない。そもそもどう声をかければいいのかわからない、いう理由もあるだろう。普段源と仲良くしている生徒も、そして先生までもが、彼に積極的に話しかけることはなかった。
「……ごめん」
孝樹がいるほうから聞こえてくる小さな声。多分、本人も意識しての行動ではなかったのだろう。もう漏れないようにと口を手の甲で覆い、目のやる場所を探し始めていた。
一方、真田はなんとなく右を見た。
黒条はらしくもなく呆けている。普段常時きつく結っている眉が自由になっている。
仲が良かったのか、それともただの偶然か。だがそれにしては、いつもと様子が違いすぎる。
仲がいい……そんな次元で済む中ではないという推測ができる。
だが、それを口にすることはなかった。彼女もそれを口にはしない。やがていつものような顔つきに戻ると、何事もなかったかのように携帯を見た。
「……えっと、席についてください」
やや遅れてやってきた担任の先生が、静寂の中でそう告げた。一瞬だけ固まっていたが、生徒が一人移動しだすとだんだんとほかの生徒も動き出して、やがてクラスは足音と少しの話声で埋まっていく。
さっきまでの静寂が嘘みたいだった。
その日のクラスは比較的明るかった。朝の悪い雰囲気はどこへやら、みんな楽しそうに笑っている。
その理由として、田淵が『死んだわけではない』ことがみんなの共通認識になったということが挙げられる。
授業が終わると、各々が帰宅や部活に行く支度をしていく。真田もその例に漏れず鞄の整理していた。だが、今日は学校で少しだけやることがあった。進路希望の用紙を出さなくちゃいけないのだ。今回の進路希望はそれほど重要なものではなくアンケートのようなものが、提出物ではあるため出さなくてはいけない。締め切りは明日だがもう書き終わっているため今日出すことにしたのだった。
「心、じゃあな。また明日」
「じゃあね。孝樹は部活?」
「おう」
「そっか。じゃあ、また」
そういって孝樹は去っていく。
「またね、心くん!」
「うん、また」
挨拶しながら教室から出ていく白羽とは会話することなく挨拶だけで終わる。周囲のことを考えてくれてるらしく抑えられた声量だったからかクラスメイトが注目することはほとんどなかった。
「あの、ちょっといい?」
荷物の整理が終わり、進路選択の髪を出した時、そんな声がかかった。
見ると、ばつの悪そうな顔で学級日誌を抱えた女生徒がいた。
「なに?」
「えっと……今日日直なんだけど、日誌代わりに書いてくれない? 私急ぎの用事があって、どうしても書く時間がなくて」
「大したことは書けないけど、それでいいなら」
「ほんと! ありがと、じゃあお願いね!」
渡すものを渡すと女の子はせっせと教室を出ていく。本当に急いでいるのが足の速さから分かった。改めて教室を見まわす。見たところ、近くにいた真田に頼んだだけで、特に深い意味はないようだ。
学級日誌を開く。そして、ページ同士の隙間が多い場所から、今日書く欄を探す。
――あった、ここか。今日のクラスの様子と時間割と、掃除の時の様子か。
閉じた鞄から筆箱を取り出し、さらにその中からシャーペンを取り出す。
少しだけ迷ったが、真田は本当のことは書かなかった。『普段通りでした』とだけ。
全て書き終えると、シャーペンを筆箱に入れた。
そして職員室にいる担任の元へ向かったが、真田は筆箱を置き忘れてしまっていることに気付かない。
それを思い出すのは、進路選択の紙を提出し終えた後だった。