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第五話 邂逅


軍人の無言の手に導かれ、私は教会の門をくぐった。

祈りの声と蝋の匂いに満ちていた空間は、背後で静かに閉ざされる。

振り返ることは許されていない――そう言葉にされずとも、身体が理解していた。


舗装もまばらな村道を離れ、しばらく歩く。

土と草の匂いが薄れ、代わりに油と金属の冷たい気配が鼻を刺した。

視界の先に現れたのは、小型の人員輸送車だった。


それは武装車両と呼ぶには小さく、民間車と称するには無骨すぎる、

中間に位置するような存在だった。

鈍色の外装は磨かれておらず、用途のみを優先した形状が、

この車両が「人を運ぶための道具」であることを端的に示している。


軍人が後部扉に手をかけ、解放する。

蝶番が軋む音とともに、薄暗い車内が露わになった。


私は思わず、息を呑んだ。


そこには、私と大差ない年端の子供たちが、

既に座席に腰を下ろしていたからだ。

誰も騒がず、誰も泣かず、

ただ「そうすることが自然である」かのように、静かに座っている。


「さあ、君で最後だ」


軍人の声は柔らかい。

しかし、その柔らかさは慰めではなく、

事務的配慮として調整された音程に過ぎないと、なぜか理解できた。


私は促されるまま、車内へ足を踏み入れた。

直後、背後で扉が閉じられる。

外界の光と音が遮断され、

私たちは一つの箱の中に封じ込められた。


向かい合わせに配置された座席。

外観の無骨さとは裏腹に、内部は明らかに子供向けに設計されている。

角はすべて丁寧に面取りされ、

座面には柔らかく反発力のある詰め物が施されていた。

覆われている布地も、決して安価なものではない。


――配慮されている。

だが、それは「大切にされている」ことと同義ではない。


薄暗さの中では、互いの顔は判然としなかった。

しかし、エンジンが始動する低音とともに、

車内灯が静かに点灯する。


その瞬間、私ははっきりと“見てしまった”。


私と同じ年頃であろう子供たちの顔。

そして、明らかに私の知る「人」とは異なる特徴。


手足に細かな鱗が浮かび、瞳孔が縦に裂けた子。

背中に独特の隆起を持ち、衣服の下でそれを抑え込んでいる子。

白銀に近い髪を持ち、黒人とも異なる、

光を吸い込むかのような深い色合いの肌を持つ子。

発達した犬歯を隠すこともなく、

頭上には獣、狼を思わせる耳を持つ子。


誰一人として、同じ姿形はいない。

出自も、種族も、文化も、

おそらくは信仰すら一致していない。


共通点が、ない。


そう断じかけて、私は思考を改める。


ある。

たった一つだけ、否定しようのない共通項が。


年齢だ。

全員が、あまりにも幼い。世界を知るには未熟で、拒否するための言葉も、選択するための基準も、まだ持たぬ年齢。


なぜ国は幼子を集めるのか。


「ねえ、きみ。名前はなんて言うの?」


不意に投げかけられた声に、私は視線を上げた。

真正面、向かいの座席に腰掛けた少年が、身を乗り出すようにしてこちらを見ている。


左右の瞳の色が異なる。

片方は淡く澄んだ青、もう片方は深い琥珀色。

だが、その視線に曇りはなく、焦点も定まっている。

感覚器官としての欠落を疑う余地はなかった。

――彼は、確かに私を見ている。


「初めまして。私はアーサー。よろしくね」


言葉を選び、声量を抑え、語尾を整える。

生きてきた年数を単純に合算すれば、既に二十を超えている。

だが、それを悟らせる必要はない。

かといって、幼児に徹し、無知を装うのも性に合わなかった。


私は、“少しだけ聡い子供”を演じる。

それが、最も自然で、最も疑われにくい立ち位置だ。


「アーサーね! よろしく!

僕はジークフリート。ジークフリート・ヴァイスだ!」


名乗りと同時に、少年は屈託なく笑った。

その表情は明るく、無防備で、年相応の快活さに満ちている。


ジークフリート・ヴァイス。


名前に負けない体躯と雰囲気。

活発、という形容がこれほど似合う子供もそうはいないだろう。

衣服は清潔で、サイズも合っている。

軍が与えた即席のものではない。

――家庭で、きちんと手をかけられてきた痕跡だ。


礼儀正しく、言葉遣いも乱れていない。

教育を受け、愛情を注がれて育ったことが、所作の端々に滲んでいる。


「ヴァイス君は……この車が、どこへ向かっているか知っている?」


探るように、だが不自然にならぬように問いかける。

彼は一瞬、首を傾げ、素直に答えた。


「ううん、わからない。

軍人さんが難しい言葉をいっぱい使ってたけど……」


そこで言葉を区切り、胸を張る。


「でもね、僕たち、お国に選ばれた“優秀な子供”なんだって!」


その言い切りに、疑念は含まれていない。

信じている。

あるいは、信じさせられている。


なるほど。


得られる情報量は、私と同程度。

それ以上でも、それ以下でもない。


私は視線を外し、改めて車内を見渡した。

向かい合う座席に並ぶ、幼い顔ぶれ。

誰もが静かで、誰もが従順で、

誰もが自分が「選ばれた存在」であると信じて疑っていない。


だが。


“優秀”かどうかを判別するには、

彼らはあまりにも若すぎる。


初等教育すら修了していない年齢で、

才能を測るなど、常識的には不可能だ。

少なくとも、私の知る社会においては。


私なら、違うやり方を取る。


十八を超え、基礎教育を終え、

人格と能力の輪郭が定まった人材を集め、

そこから選別し、鍛え、配置する。


それが、合理的で、効率的で、失敗が少ない。


にもかかわらず、帝国は、

“まだ何者にもなっていない子供”を集めた。


なぜだ。

……まあ、どれほど思案を巡らせたところで、すでに結論は出ている。

この進路は国家と軍部によって決定されたものであり、一介の個人、それも身寄りなき孤児である私が、異を唱えたところで何かが変わる類のものではない。選択権など最初から与えられていなかったのだ。


であるならば、考え方を切り替えるほかあるまい。

ここで優秀な成績を修め、軍の中枢に名を連ねることができれば、有事においても前線に立つ必要はない。後方の執務室で、淹れたての珈琲を嗜みながら書類に目を通す、その程度の役割で済む可能性も、決して低くはないだろう。


幸いなことに、私には人を殺すことに快楽を見出す趣味はない。

むしろ可能であれば、戦争というものそのものに関わらず、静かで平穏な生活を送りたいとすら思っている。命を奪う才能がないことを、私は欠点だとは考えていなかった。


過度に悲観するのはよそう。

あの孤児院という閉ざされた環境では、学べる事柄にも、得られる情報にも明確な限界があった。国家が支援すると言う以上、相応の教育と資料、そして知識が与えられるはずだ。期待してよいどころか、それを最大限利用しなければならない。


結局のところ、有事において自分の身を守れるのは、他ならぬ自分自身の知識と技能だけなのだから。


しかし。


この車は、いったいどこへ向かっているのだろうか。

すでに三十分近くは走行している。私が暮らしていた孤児院は、帝国の中でも「田舎」と呼ぶほかない辺境にあった。そこからこれほどの距離を走るとなると、行き先は限られてくる。


ダウンタウン。

それも、国家が各地から生徒を集めるような教育機関となれば、行き着く先は、必然的に帝都ということになる。


そんな思索を巡らせつつ、隣に座るジークフリート・ヴァイスと他愛のない会話を交わしているうちに、時間は驚くほどあっさりと過ぎ去った。

やがて、車体がわずかに揺れ、完全に停止する。


それまで車内を支配していた低いエンジン音が途切れ、代わりに聞こえてきたのは、子供たちの無邪気で楽しげな話し声だった。


次いで、金属同士が擦れ合う乾いた音を立てながら、扉が開かれる。


「到着だ。順番に降りよう」

「急がなくていい。足元に気をつけてな」


発せられた声は、驚くほど穏やかだった。

規律と威圧を纏う軍人のものというよりは、むしろ園児を引率する教師のそれに近い。


最後に乗車した私を先頭として、子供たちは競うように車外へと降り立った。

高揚を隠しきれない足取りで、まるで弾けるように石畳へ飛び降りていく。その小さな背中を見失わぬよう、軍人は一人ひとりに視線を配り、過不足のない言葉を与えていた。


「降りた者から、あちらに整列だ」

「荷物はこちらで回収する」

「体調は問題ないな。……そうか、それなら結構。長時間の移動だったからな」


靴底が石畳に触れ、乾いた音が規則正しく響く。

指示に従い、子供たちはぎこちなくも隊列を成した。


車外に出た瞬間、視界に飛び込んできた光景は、私の知る世界とは明確に一線を画していた。

孤児院のあった村の記憶と重ねる余地すらない。


重厚な正門。帝国紋章を深く刻み込んだ石柱。

その奥には、幾何学的に整えられた街路樹が等間隔に並び、白く磨き上げられた外壁を持つ石造建築が連なっている。

それは教育施設というより、むしろ権威と秩序そのものを可視化した空間だった。


帝国の力が、無言のままそこに立っている。


「……ここ、ほんとに学校?」


誰かが、耐えきれずに呟いた。

不安とも畏怖ともつかぬ声音だった。


軍人は否定しなかった。

ただ、わずかに口角を上げる。


「そうだ。我が帝国が用意し得る、最高位の学舎だ。」


その一言で、子供たちの目は一斉に輝きを帯びる。

未来を与えられたと信じた者の目だ。


ただし、私を除いて。


確かに、表層だけを見れば非の打ち所はない。

孤児院のあった寒村とは比較にすらならない。

だが、足元の石畳は踏みしめても何の応答も返さず、ただ冷たさだけを主張していた。


歓迎されているのではないことだけはわかる。


やがて、校舎の正面扉が開く。

重厚な金属製扉は、軋み一つ立てることなく内側へと引き込まれ、その奥から数名の大人が姿を現した。


「心配は無用だ。君たちは国家に選ばれた存在である」


一拍置いて、彼は言葉を続ける。


「ようこそ、帝国立軍事大学ツェントルへ」


誇り高く告げられたその言葉を、私は素直に受け取ることができなかった。

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