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第三点五話 天才

帝都中央地下戦略評議会室


帝都の地表より幾重にも掘り下げられた岩盤の最深部。

厚さ数メートルに及ぶ石造壁と、外界のあらゆる通信・音響・振動を遮断する多重封鎖構造に守られた、帝国最高機密の評議空間がそこに存在していた。


円形に配置された重厚な石造円卓。その周囲には、帝国軍・官僚機構・学術評議会・治安統括局――あらゆる権力中枢を代表する人物が、等距離かつ無言のまま着座している。

天井付近に滞留する煙草の白煙は、換気装置の稼働にも関わらず完全には排出されず、室内を薄く覆う霧のように漂っていた。


それはまるで、これから語られる内容そのものが、光の下に晒されることを拒んでいるかのようでもあった。


この場で交わされる言葉は、政策ではない。

議論でもない。

ましてや思想などではない。


――ここで定義されるのは、帝国の未来そのものであった。


「――ではこれより、」


円卓の一角に立つ老将校が、静かに、しかし異様な重みを帯びた声で口を開いた。


「次の議題へと移行する。」


一瞬、煙の揺らぎさえ止まったかのような沈黙。


「本日、帝国最高評議会において最終可否を決定する案件――《Θ観測計画》。」


その名が告げられた瞬間、室内の空気密度が変わる。

誰一人として言葉を発しないが、全員が理解していた。これが通常の軍事計画ではないことを。


若い官僚が立ち上がり、慎重な手つきで分厚い資料束を開く。


「我が帝国の軍事運用、正確には人的資源管理は、長年にわたり一貫した前提のもとに構築されてまいりました。」


資料に視線を落としたまま、淡々と続ける。


「すなわち――

『才能とは先天的資質であり、後天的成長には明確な上限が存在する』

という仮定です」


数名の将官が無言で頷く。常識であり、疑う余地のない前提。


「しかしながら」


官僚は一枚、資料をめくった。


「因果管理機関――通称ラプラスより提出された観測報告により、この前提そのものが、理論的に破綻する可能性が示されました」


円卓中央の投影装置が起動し、奇妙な図像が浮かび上がる。

直線ではない時間軸。

交差する観測点。

未来から過去へと逆流する因果矢印。


「ラプラスの提示する新仮説によれば、才能とは固定された内的要素ではありません」


官僚ははっきりと言い切った。


「それは――

未来において確定した結果が、現在および過去の状態を逆方向に規定する現象である、というものです」


円卓の一角で、壮年の将官が腕を組み、鼻で短く笑った。


「要するにだ。

努力や訓練ではなく、後付けの評価によって“天才”が作れると?

随分と都合のいい空想だな」


嘲弄を含んだ声音。


官僚は一瞬だけ呼吸を整え、顔を上げた。


「はい。

正確に申し上げれば――」


一語一語を切り分けるように、こう述べた。


「“天才であったという未来を、継続的かつ一貫して観測され続けた個体は、過去に遡って天才であったことが確定する”」


室内が、完全な沈黙に包まれる。


その沈黙を引き継ぐように、学術顧問が静かに言葉を重ねた。


「我々はこの現象を《観測固定理論》と定義しています」


白髪の学者は、淡々と、しかし逃げ場のない口調で続ける。


「人間とは、孤立した存在ではありません。

常に他者、社会、そして国家によって“観測される存在”です」


投影図に、新たな線が描き加えられる。


「観測が一定の方向性を持ち、かつ長期間持続した場合、個体の能力、判断、思考傾向は、その観測された“結果”へと収束していく。

本人の意思や努力は、そこでは二次的要素に過ぎません」


沈黙という名の重圧が評議会室を支配する中、

ついに議長が、長い沈思を断ち切るかのように、ゆっくりと口を開いた。


「……要するに、だ」


低く、くぐもり、しかし一切の逃げ場を与えぬ声音。

それは問いというより、結論を確認するための儀式に等しかった。


「“天才として扱い続ければ、天才となる”。

貴官らの理論は、その一点に収束すると理解してよいのだな?」


室内の視線が、一斉に学術顧問へと向けられる。

彼はわずかに背筋を正し、即答した。


「概ね、その理解で相違ありません」


しかし、言葉を切ることなく、続ける。


「ただし――無条件ではありません。

本理論が成立するためには、いくつかの絶対的前提条件が存在します」


空気が、わずかにざわめいた。


「第一に、観測の開始時期です」


顧問は淡々と述べる。


「対象が自己を自己として認識し、人格および価値基準を内面化する以前でなければならない。

すなわち、“自分が何者であるか”を確定させる前段階での介入が必須となります」


「……具体的には?」


誰かが、慎重に問いを差し挟む。


「三歳から五歳」


即答だった。


「それ以上の年齢では、自己認識が既に形成途上から固定段階へと移行し始めます。

統計上、因果収束率は急激に低下し、計画として成立し得ません」


その言葉が落ちた瞬間、

重苦しい沈黙が評議会室を覆い尽くした。

やがて、誰かが、まるで独り言のように呟く。


「……徴兵年齢は、十八だ」


その呟きに、官僚は一切の躊躇を見せず、言い切った。


「だからこそです」


静かで、しかし断定的な声。


「十六歳で天才を“選別”する時代は、すでに終わっています。

我々が必要としているのは、才能の発掘ではない」


視線が円卓を巡る。


「才能の確定です」


一拍。


「十六歳で天才を見出すのでは遅すぎる。

三歳で天才であったという事実を、因果ごと確定させねばなりません」


瞬間、別の高官が机を叩き、声を荒げた。


「それは実験だ!

しかも対象は幼児だぞ!

倫理、法、国際世論――どれ一つとして看過される問題ではない!他国に露見すれば、単なる非難で済むと思うな!」


しかし、その怒号を、議長は静かに、しかし完全に制した。

片手をわずかに上げるだけで、室内は再び沈黙に沈む。


「違う」


低く、断定する声。


「これは実験ではない」


一拍置いて、続ける。


「――戦争準備だ」


その言葉の重さに、誰一人、反論できない。

老将軍は円卓の全員を見渡し、ゆっくりと語りかける。


「凡庸な兵士を一万人、消耗品として戦場に送り出すよりも、

確定した天才一人を投入する方が、

戦争そのものを終結させる可能性がある」


沈黙。

やがて、書類が静かに配布された。

そこに記されているのは、名前ではない。

番号のみで管理された、幼児たちの情報。

年齢。

出自。

健康状態。

そして、最後の項目。


《観測適性:極めて高》


議長は、その中の一行を、指先で軽く叩いた。


「この子供たちだ」


誰も言葉を発さない。


「未来観測シミュレーションにおいて、“天才として扱われ続けた場合”、

因果の収束率が異常値を示している」


誰かが、無意識に息を呑んだ。


「……失敗した場合は?」


議長は、間を置かずに答えた。


「凡才として確定するだけだ」


冷酷ですらある沈黙。


「成功すれば?」


「国家の切り札となる」


老将軍は静かに立ち上がり、宣言する。


「ここに、《Θ観測計画》の発動を宣言する」


ごく短い静止が、評議室を完全に支配した。

やがて議長は、逃げ場のない結論を告げるかのように口を開く。


「本決定をもって――」


その声は感情を削ぎ落とした、命令そのものだった。


「対象となる児童は、即時をもって定義される」


わずかな間を置き、言葉が落とされる。


「過去において天才であり、

現在において天才であり、

そして未来においても天才である存在として」


それは宣告だった。


「もはや可能性ではない。仮説でも、期待でもない」


老将軍は静かに言い切る。


「国家は今、この瞬間から

“天才だったという事実”を与える」


評議室の空気が、凍りついた。


「然らば、直ちに措置を講ずる。

対象となる児童――すなわち、魔導適性を有すると判定された幼体を、例外なく抽出・集積せよ」


一瞬の静止の後、


「――了解致しました」


抑制された声が重なり、

列席していた官僚および実務将校たちは一斉に起立する。


椅子が石床を擦る乾いた音が、

既に後戻りの許されぬ決定が下されたことを、無言のまま告げていた。


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