1話 天からやって来た
「君の名前は?」
「はい」
「いや、『はい』だけじゃわからないんだよなあ……それじゃ、神奈川太郎でいいね……?」
「はい」
「はーい、取り調べはこれで済んだから。もう、帰っていいよ」
僕を生んで少し経って、十四年目と四か月、お父さんとお母さんは僕の頭の中にクソみたいな腫瘍があることを検査で知った。
手術して取り除こうかという話になったが、とりあえず様子見。
そして何事もなく今にいたる。
何事もなく? いや、僕には欠点があった。僕は最悪だ。
「君、荷物忘れてるよ!」
「はい」
「『はい』って、『はい』しか言えないのかい?」
「はい」
警官は怒って行ってしまった。欠点とはこれだ。
元とは言えば僕が悪い。寝る場所がないから、海辺の段々で寝ようとしたのを警官に見とがめられたのも良くなかったし、その後の尋問をずっと「はい」でとおしたのも良くなかった。というより。
「君!」
僕は「はい」しか言えない。
けれど「はい」しか言えなくても、ヒッチハイクのやり方ぐらいは知っている。ばかじゃないからだ。
道路に沿って立ち、右手の親指をあげて道路にむける。夜の材木座海岸沿いは車通りが少ない。夜の国道146号に人通りがそもそも少ないのだ。たまに通りがかる車は僕を無視して、爆音を流し、江の島の方へ向かって走り去っていく。
僕がこの世界で上手くいかないのは僕に欠点があるからなのか、それとも他に問題があるのか。わがままを言って飛び出してしまった。怒りが沸いていた。
「君! どこに行くんだ!」
さっきの警官だ。
「泊まるところがないのか?」
「はい」とは言わず、首を縦にふる。
「そうか……じゃあこっちへ来なさい。とりあえず、この辺りは寒い。署内に入ろう」
その日の晩、僕は警官の家に泊まることになった。警官には一人息子がいたが、上京してここにはいなかった。彼は妻とは離婚していた。温かそうな家庭だなと思った。家は葉山の奥深い山の上にあった。そこまでは、歩いて向かった。遅かったので夕食は取らず、もう寝ようということになり、その日は寝た。
やましい思いがこみ上げてきて、その夜、泣きたくなった。
「君」
「はい」
「これはなんだ」
「はい」
「そうか……」
警官はそれから試すように色々喋った。こうやって言葉を並べていけば、多分ちゃんとした返事が返ってくると思っていたのだろう。それから何やら考え込んで一言うなったが、これには何か理由があるのだろうと考え、今度は頭を抱えはじめた。
そのとき、その池田さんは昨日の取り調べの際に僕の財布から出た、「タダ先生」の名刺の存在を思い出した。
さっそくその僕のかかりつけ医のタダ先生に電話をかけ、事の次第を池田さんは知った。
「君、喋れないのか」
「はい」
それが池田さんと会ってから一番、人間の会話らしい会話だった。
僕は人と話すのがとても苦手だ。
僕は親がどこに行ったのか知らない。いや、正しくは知っている。十四の誕生日、つまり昨日、見せたいものがあると言って、連れていかれたのがあの材木座海岸だった。そこで僕は捨てられたのだ。というか、いなくなってやった。僕は家に帰るべきだろうか。でも、どうやって?




