夢だったはずの世界
朧気な意識に春の柔らかな日差しが差し込んだ。瞼に光を感じ、目覚めたことを自覚する。
夢のような体験。そんな言葉がふと頭を過った。起床してその光景を夢として終わらせるには、あまりにも惜しい体験だった。夢でありながら、まるで現実のような感覚はまだ残っている。今目を開けば、あの暗い部屋が広がっているのかもしれない。
目を開いた先に映るのは、就寝前に電源を落としたパソコン。浮世離れした時間はもう終わりみたいだな。
「さて、今日も頑張るか」
世の中の学生諸君が早朝から支度をして登校する中、私の一日は自然に起床してパソコンを起動するところから始まる。
通信制VR自習高等学校。それが私の所属する高校の名前だ。この高校は受験という制度がなく、中学校を卒業した経歴がある者であれば誰でも入学が可能だ。個人情報の入力とVRアバターの作成さえ済ませれば、即日授業を受けることもできる。
ちなみに私は中学を卒業してすぐに登録した。入学してからは2ヶ月になる。
名前の通りVR空間を利用した画期的な学校で、管理者は存在するがその他授業や生徒を担当する教員は存在しない。映像や音声とVR空間での視覚的な刺激を組み合わせた独自の授業方式を採用しているが、その内容は全て事前に収録されたもの。共に学ぶ生徒も限られており、同じ時間に同じ空間へ入室した者に限る。
教室内ではチャット機能を利用して生徒間での交流が可能ではあるが、通信制学校に通うほどに人間関係をこじらせた生徒がほとんどなのでその利用は極めて少ない。
チャットは目的別にいくつか分かれており、全ての生徒がその利用を許されている。主に授業や課題の告知を行なう学校チャット、教室内に滞在している生徒間でのみやりとりが可能な教室チャット、事前に登録した仲の生徒間でのみメッセージを送り合うことができる個人チャットの3種類だ。普段使うことはほとんどないが、まともに見ることすらしなかったが故に提出物に気が付かない事態に陥ってしまった前科がある。間に合ったけど。
私の持っているパソコンはオンボロなので起動までにそれなりに時間がかかる。通信制の学校にするためだけに無理して調達したからだ。
電源を入れたら、手早く朝の支度を始める。
朝食のカップ麺を迅速に調達し、歯ブラシを口に突っ込んだまま着替えを済ませる。寝ぐせがそこら中についている髪はそのままに、口と顔をいっぺんにすすいだら準備は完了。ここまで終えた頃にはカップ麺が食べごろになるため、パソコンの横に置いてVR学校専用のブラウザを起動する。
自分専用に誂えた自習室に入室し、どの授業を流し見するか適当に選びつつ朝食を堪能する。
VR教室は同学年の授業進捗に合わせた共通教室もあるが、定期的に行われる試験で一定の水準を満たせば自分専用の教室、言わば自習室を持つことが許されている。ここでは学科別に最低限受けなければいけない授業時間や提出物の期限こそ決められているものの、基本的には自分で選んだ授業映像を消化し、比較的自由な高校生活を満喫できる。勉強に励むのも結構なことだが、私はのんびりだらだらしたいので授業は流し見する。
私の持つ自習室はかなり簡素な造りをしており、初期設定の白い箱に机と椅子、それから前面にモニターを張り付けただけとなっている。他人の入室を許可することもできるが、もちろんオフ。……チャットはオン。
名前も知らない先生が目の前で授業を始めるが、シカトを決め込んで昨晩の夢のことを思い出す。
夢の中の出来事なのに、今でも鮮明に思い出すことができる。生きるもの全てが機械仕掛けの、無機質な社会性を体現した純白の世界。
私は純白の世界で最後に、ログオフと言って戻ってきた。あの時導かれるように言った、夢から覚めるための合言葉。本音を言えば、もっとあの世界を見て回りたい。こんなところでつまらない授業を受けていたって、退屈しのぎにすらならない。
しばらくつまらない授業を聞きながらカップ麺を啜っていたが、チャットに気になる文章を見つけた。
『昨日変な夢みたやついる?』
それはよりにもよって学校全体に情報が伝搬する学校チャットへの書き込みだった。課題や提出物を見逃さないためにオンにしていたが、変な夢なら私もみたので思わず目を見張ってしまった。まさか、私と同じような夢を見たやつが他にもいるのか? 夢なんて誰でも見るもの、ましてやその内容が酷似するようなことは、到底考えられない。しかしそれでも、昨晩の体験はそれだけの理由で切って捨てるには惜しすぎた。
そうこう考えている間、授業や学校に関係のないあまりにも私的な発言は、一瞬の内に削除された。管理者の対応、早すぎやしないか。
それ以降は特に気になる発言もなく、授業時間を消化するつまらない時間が続いた。
今日の授業時間ノルマが終了し、時計は丁度12のあたりを指している。お昼時と言えばそうなのだろうが、私は昼食より気になることがあった。
ブラウザを匿名SNSに切り替え、夢に関連する最近の発信を辿る。ありきたりで変な夢じゃない、妙に現実味を帯びた幻想的で未来的な、そんな夢に関連する情報を探る。
『久しぶりに明晰夢みたわ』
『海の中に見たことないくらいおっきい魚がいる夢を見たんだけど……』
『聞いてくれよ、俺昨晩虫けらになってたんだけどさ……』
『意識がはっきりした夢なのに、体は全く動かなくて……』
気のせいだろうか。前日までの書き込みに比べて、夢に関連する発信がやけに多い。私も書き込んでみるか。
『昨晩変な夢をみてさ、明晰夢ってやつなんだろうけど周りにあるもの全部が真っ白で。動くものは全部機械だったんだよね』
書いておいてなんだが、匿名SNSを利用したのはこれが初めてだ。ちょっとフレンドリーだったかな? こんな書き込みでも誰か見てくれるだろうか。
しばらく書き込みを眺めていると、個人用のメッセージに着信が入った。先ほどの呟きをみてくれた人だろうか。
『はじめまして、突然のメッセージ失礼します。あなたの書き込みについて少し気になるところがあったので、いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?』
なかなかに丁寧な文章だ。フレンドリーな書き込みをしたはずなんだけど、こんなに丁寧に返されると嬉しくなっちゃうね。
『もちろん大丈夫です。私も夢については気になっていたので、もし同じような体験をしている方がいるなら情報を共有したいと思っています』
相手が丁寧な対応をしてきたら丁寧なお返事をする。フランクな口調で返しても良いが、相手に合わせた方が話しやすいだろうからね。
『ご協力感謝します。それではまず、夢を見る前に質問票のようなものを記入しましたか?』
質問票。あれだろうか、メールのことを言っているのだろうか。あれは確かに質問形式のアンケートだったけど、それと何か関係あるのかな。
『質問なら、昨晩寝る前にメールでいくつか答えました。確か、欲しいものなんかを聞かれた気がします』
『質問に答えたのですね。質問の内容になりたいものという項目があったはずですが、それにはなんと答えましたか?』
なりたいもの? そんな質問あったかなぁ……。夢での出来事が衝撃的すぎて、質問の答えなんてろくに覚えていない。そんなことよりも、私すらまともに記憶していない質問の項目まで把握しているこの人物は何者なのだろうか。
『私からも質問です。あなたはどこまで把握していて、何者なのですか?』
つい聞いてしまった。でも怪しい人物にほいほいと情報を渡すのもなんだか危ない気がする。気が付いたら個人情報を抜かれていましたーなんてことになってからでは遅いからね。
しばらく経っても返信はなく、もしかしたら怒らせてしまったのかもしれないと少し反省する。質問に質問で返すなってか? この際怪しすぎるのが悪いと開き直ってはダメだろうか。
『私は昨晩起きた不特定多数による共時性の明晰夢について独自に調査を行っている者です。データ収集のためにも、質問の回答をよろしくお願いします』
『質問の回答については記憶が曖昧なのでお答えできません』
私はその発信を最後にSNSを閉じた。
なんだ共時性の明晰夢って。聞けば聞くほどわからなくなりそうだが、同じような夢を見た人が沢山いるのはわかった。朝見かけた学校チャットのあいつも、もしかするとその1人なのかもしれない。
同じ夢を見た人が居たとして、それについて調べている人も居て、夢の続きを見たいと思う私が居る。
例え罪状を並べられて断罪される結末だとしても、あの美しい世界をもう一度見たいと思うのはそう不思議なことじゃない。
願わくば今夜また、あの世界へ。