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私とコーヒーと秘密基地

教科書も入っていない今日、やけにカバンが重く感じだが、レモンティーの他に昨日貰った缶コーヒーが入っていた。



どうもまだ、苦そうなイメージが強くて飲めそうにない。そういえば、父は好んで飲んでいた記憶がある。缶コーヒーは出先で、家ではドリップしたコーヒーを飲みながら、淹れ方や豆の種類をよく語っていた気がする。たくさん並べられるカタカナは、今になってもよくわからないし覚えていない。



あまりにも毎朝美味しそうにそれを飲むので、何故そんなに好きなのか気になって聞いてみたことがある。美味しいから、という理由では私には理解できないからと考えてくれたのか、父の答えは美味しいとは別のもので、何なら余計に難しかった。



「なんだろうな、目も冴えるし、シャキッとする、うーん。やっぱあれだな、大人になれたからだな」



お酒と似たようなものなのかな、など私には遠いものだと思って考えずにいた。でも、入学祝にと貰ってしまっては、なんだかその『大人』がすぐそこに来た気分になってしまう。ほら、もう飲めるだろ、みたいな。



まだ飲めないし、今朝碧さんに言われたような、律儀ってわけでもないから私は大人じゃない。どんな大人も、もっと律儀だと思ってる。



社会性っていえば聞こえがいいのか知らないけど、良い意味でも悪い意味でも大人は律儀だ。



私はまだ子供だから、父の一件に関しては世間の大人たちみたいに、律儀に賛同して責められない。とは言え父も父だ。歌うのを辞めてしまったら、まるで非を認めて負けたみたいな。いや、勝ち負けではないからちょっと違うか。別に抗ってほしかったわけでもないし、それよりもただ、歌っていてほしかった。



『それでも』歌う父を、少し見てみたかった。



まぁ大人にも色々あるみたいだし、今はもうそれどころじゃないみたいだから。これはあくまで、コーヒーを美味しそうに飲む大人に対する私の意見。大人なら、って。



とりあえずこのコーヒーは、帰ったら碧さんにでもあげよう。そう決めて私は、今日から過ごす高校の校門をくぐった。登校中何人か、ギターケースを背負ってる子を見かけたけど、見ないフリをした。



――――

まだ15年しか生きていないけれど、私の周りではいつも、『正しい事』だけが正しかった。喩えそれで誰かが傷付いたとしても、多数というよりその『正しい事』が絶対だった。




小学生の頃、クラスメイトから父の事で随分と咎められた。小学生に不倫がわかるのかな、とか、正直私に言われてもと思ったけど、父がどうしても間違っていて、私が傷付いたとしても周りが正しかった。「お前の父親は浮気性」、「女にだらしない」、「母親が可哀想」、、、言われているのは父の事だが、まるで私が攻められているようで傷付いた。



中学に上がってから、碧さんが携帯を持たせてくれた。何の気無しに検索したハートポスト。ネットには、父への批判が溢れていた。書き連ねられているのは、私が小学生の頃に受けた言葉達によく似ていて、中にはファンからであろう「裏切者」といった言葉もあった。父の作る曲を信じて、ずっと聴いてきた人からの怒りだろうか。




父がこれらの怒りを受け取ったのかはわからないけど、喩えそれがどれだけ尖った言葉でも、彼らが『正しい事』である以上、父があぁなるのは仕方がない事。



私が傷付くのも、仕方がない事。



それでも、いつかその痛みが等身大になった時、私も父のようになったり、もしかしたら死んでしまいたくなるのかもしれない。『正しい事』は、時に凶器だ。



私は基本的に、家と『青』以外では誰とも会話をしない。今日だってそう。暇つぶしに答えの無い事を考えていたら、入学式も担任の先生の挨拶もいつの間にか終わっていた。この後は各自部活動見学ができるそうだが、無駄に過去を思い返したせいか、やはり入部する気にはならなかった。




鞄を持ち、ギターを背負い昇降口に向かう。『青』に行って練習しよう。そう思うと、どこかギターに逃げている気がして、少しだけ舌を噛みたくなった。



「あれ、君うちの新入生?」



下駄箱から靴を取り出した瞬間、引き留められるように声をかけられた。



「あ、ゴメンね急に。何回か『青』で見かけたことあってさ」



声をかけてきた男子生徒の胸元には青いネクタイ。3年生のようだ。ちなみに私は赤のネクタイ。1年生。




「俺3年の白川っていうんだけど、4月から軽音部の部長なんだ。それ背負ってるのアコギだろ?『青』で弾いてんの見たよ」



「東郷です」



一応名乗っておいたけど、私は靴を地面に置き履いた。



「あれ?軽音部には入らない感じ?」



学校にギターを背負ってきて、そりゃあ入部希望者だと思われても仕方がない。



「はい。趣味程度のものなので」



「いやそんな、俺らもそんなもんだよ。見た感じかなり練習してたみたいじゃん。入部してくれたら、他の1年生にも良い刺激になると思うんだけどなぁ」



残念ながら、彼からは碧さんや池田さんの様な雰囲気は感じない。勘だけど。



「祐樹何やってんのー?」



同じく青のネクタイの女子生徒が、白川先輩に声をかけてきた。ベースであろうものを背負っているので、彼女も軽音部だろう。



「いやさ、この子『青』で見かけたことあってさ。ギター背負ってるし勧誘しようかなー、って」



「ふーん」



女生徒はあまり興味なさそうに一瞬だけこちらを見た。



「そうだ、俺ら今日は『青』で新入生歓迎ライブやるんだけどさ、良かったら君も来ない?俺らの演奏聴いてくれたら、入部したくなるかもしれないし!」



「どこにそんな自信あるのよー」



「うっせぇなぁ」



あまり、関りというものを増やしたくはない。それが私の考えだ。傷付きたくないが故の、自己防衛。傷付かずに済む道があるなら、誰でもそちらを選ぶ。傷付いた事があるのなら、尚更だ。




「すみません。私先輩が思ってるように、上手く引けるわけではないので」



「そうかぁ?俺が1年の頃から見かけたことあるけど・・・、普段何弾いてるの?」



聞いてくれるのなら、ちゃんと答えよう。それで、傷付かなくて済むなら、自分からの選択だ。



「ハートポストです」



別に父のバンドとは言わない。言わなくても、



「え、ハートポストってあの不倫の?」



女生徒が反応した。ハートポストは『有名』だから。その反応も、全部わかってた。



「け、結構前のバンドだね。親が好きだったとか?」



明らかに声色の変わった白川先輩も、この反応である。別にいい。わかってた。予想できることは、傷にはなりにくい。慣れとはまた違うけど。



「いえ、別にそういうんじゃないです」



「ほら祐樹、あんま無理矢理勧誘するのはよくないって」



自分で自分の目つきはわからないけど、きっと先輩方に向けるものではなかったのだろう。女生徒は白川先輩を連れて、何処かへ行ってしまった。準備して『青』に向かうのだろう。



高校生活初日。私はまるで、意味もなくギターを背負ってきた生徒になってしまった。



――――

『青』にも行きづらくなったその日の午後。コンビニで軽く昼食を済ませ、いつもの紙パックのレモンティーを片手に、市内の真ん中を流れる大きな川を海の方を目指してのんびり歩いた。どこかギターを弾いても迷惑にならない場所はないかと探したけど、天気も良いので散歩している人も多かったりで見つからなかった。



別に気にせず『青』の個室を借りて練習すればいいのだけれど、今歩いているまっすぐなこの道と違って、私は下手くそな生き方しか選べなかった。実際のところ、何が正しくてまっずぐなのかはよくわからなくて、少なくとも自分が上手に生きているとは思ったことがないぐらい。



さっきの事だって。結局は『傷付いていないフリ』をするので精一杯だった。そんな事だけ上手くなっても仕方ないってわかっているのに。



学校から家までの帰り道。川沿いの桜のトンネルを抜け、石段を町の方へと降りていく。このまま帰ってゆっくりしようと思った時、ふと右手側に細い遊歩道を見付けた。中学から高校へ上がって初めての通学路。こういう新しい道を見付けるのも大袈裟に言えば醍醐味か。そう思って私は、その遊歩道へと歩みを進めた。



長年この街で過ごしていても、そのほとんどが家と学校と『青』の行き来だったので、知らない道や行ったことのない場所もたくさんある。けれど、方向音痴ではないので、この方角がどういった所へ向かっているのかはおおよその見当がつく。その証拠に、木々や花々の春らしい香りに混ざって、潮の匂いが近づいてきている。



遊歩道は途中から砂利道に変わって、少し歩くと木々も開けて波の音が聞こえてきた。と同時に、左手に赤いペンキで塗りつぶされた看板が見えてきた。近づいてみるとそこには古民家があり、囲いの無い少し寂しそうな建物だった。入り口と思しき場所には、古い自転車が1台だけ停めてあった。こんな所に誰か住んでいるのだろうか。小春日和の昼下がりだが、2階のベランダには洗濯物も見えない。囲いの無いその家は、縁側がそのまま砂浜に面していて、プライベートビーチみたいにも見えた。



けれど本当に誰かが住んでいそうな気配もなく、そこまで広くない砂浜から、波の音だけが聞こえてくる空間だった。



私は砂浜に足を踏み入れる。誰もいないのなら好都合。今日は此処で弾かせてもらおう。少し見渡すと、腰掛けるのにちょうど良い綺麗な流木があったので、それに座って弾くことにした。



ヘッドホンを鞄に入れ、レモンティーを傍に置いてギターを取り出す。チューナーを取り付けながら、外で弾いたことがないから周りの音を拾ったりしないか、と少し考える。一通りチューニングを終えて、どの曲を弾こうかと音楽プレーヤーのプレイリストに目を通す。



静かな砂浜の雰囲気に魅せられてか、こんな感じの場所で父がギターを弾いているPVを思い出した。その曲にしよう。確か弾けるはず。カポタストを3フレットに取り付けて、黒いピックを構えて、1度深呼吸をする。波の音から始まるPVの、父の真似事。



初めてこんな場所で弾くけれど、父のギターは変わらず良い音を出してくれた。恥じらう必要もないので、思いっきり声も出せた。初めてギターに触れたあの日に比べたら、少しでも父の音に近づけているだろうか。近づけたところで、その先に私は何を求めているのか。別に、過去に囚われているなんて大袈裟なことはない。けどどうしても、今日みたいに否定を恐れてしまう。律儀にダメージをかわせない。大人にはなれない。



出るはずのない答えを考えていると、その曲は終わっていた。これまでだってそう。考え事をしながら、何曲歌っても、結局私は立ち止まったまま。



ギターを膝に抱え、レモンティーを一口飲んだ。歌い終えてしまうと、静かだと思っていた場所に、静けさが増したように思えた。



ザッ―



だからというわけでもないが、後ろから聞こえた砂浜を踏む足音に気が付いた。振り返るとそこには、ワイシャツに白衣を羽織った若い男性が、何故か片手にマグカップを持って驚いた表情で立っていた。さっきの家の住人だろうか―。



「あっ。すみません、私・・・」



すぐさま立ち上がり、迷惑だったかと思い頭を下げた。



「いた、驚かせて悪かった。普段郵便屋ぐらいしか来ないから、誰かと思って」



何故か男性の方が頭を掻きながら申し訳なさそうにしている。



「まさか郵便屋がギターかき鳴らしてるわけねぇだろうし。ずいぶん懐かしい曲歌ってたから、つい最後まで聴いちまったよ」



「すみません、ご迷惑でしたよね」



「いや、別にいいよ。この辺俺しか住んでないし」



再度謝ると、男性は手をヒラヒラさせながら流木に腰掛けて、マグカップの飲み物を一口飲んだ。チラッと見えたその飲み物は黒かったので、おそらくブラックコーヒーだ。



「さっきの曲ハートポストだろ?君見た感じ高校生だけど、世代じゃなくね?」



ポカンと立ち尽くす私に、まぁ座れよと促しながら男性が言った。



「ご存知なんですか、ハートポスト」



少し距離をとって私も座り尋ねてみる。



「ご存知も何も、俺らの世代のド真ん中だからな。誰もが一度は通る道、って感じのバンドだったよ」



碧さんもよく聴いていたと言っていたのを思い出し、確かにこの男性も彼女と同じぐらいの年齢に見えた。



「まぁ俺も、人から教えてもらうまでは興味もなかったんだけどな」



男性は、まだ湯気の出るコーヒーを飲みながら話を続けた。楽しそうに話す男性を、ついじっと見つめてしまった。



「なんだよ」



「あ、いえ。私の周りでは、ハートポストはあまり良いイメージを持たれていないので。その、、、珍しいなと思って」



学校での一件もあったので、余計にそう思ってしまった。



「あぁ、ギターボーカルのスキャンダルの話か?あんなもんよくある事なんじゃねぇの?そんな事どうでもいいって思えるくらい、俺にとっては衝撃的だったけどな」



私には、そんな風に思ってくれている人がいた事の方が衝撃的だった。



「君の方こそ珍しいな。さっきも言ったけど、世代じゃねぇだろ?親が好きだったとか?」



親が好きだったとかいう次元を超えて、まさか父本人だなんて、たとえこの人が「良い人」だとしても言えなかった。



「私は、、、何ででしょうね」



濁してしまう。



「なんだそれ」



男性は不思議そうな顔をする。



「ギターの音に惹かれたんですかね、まぁ歌詞もメロディも好きですけど」



今の私には、こんな曖昧な答え方しかできない。



「それって結局、全部好きって話か?」



「え?」



「だってそうだろ?楽器の音に、歌詞にメロディって。あー、メンバーは別か?何にせよ羨ましいね、音楽ができるやつには、そういう楽しみ方もあるんだよな」



男性は、海の向こう側のそのずっと遠くを見つめるように言った。その眼差しはどこか寂しそうで、私はこういう人間っぽい人を見ると、何故か少し安心する。私の中での『良い人』の基準は、きっとそんな人なのだろう。だから他の人には話さない事も、話してしまう。



「楽しいっていうのもちょっと違って、変な話なんですけど、分からないんですよね。自分がどうしてギターを弾いているのか」



自分の行動の意味が分からないなんて人が、世の中にどれだけいるのか分からないけど、自分がそうであることが濃い霧の中を彷徨っているみたいで、私はずっとモヤモヤしている。このモヤモヤが、私が人前で堂々とギターを弾けない理由。



「別に変でもねぇよ」



そう言われて、私は思わず男性を見つめてしまった。



「そういう事もあると思うけどな。と言うより、そんな人はいくらでも見てきた」



男性は遠くを見つめたまま続ける。



「後ろめたくなっちまうよな。何が誰に悪いのかすらわからないのに、間違ってるのは自分だって決めつけて、埋もれてしまう」



まるで、私の心を優しく読み上げてくれているような感覚だった。



自分でも理解しきれていない感情を、増してや今日初めて出会った人に、そっと触れられたような気がして、私は自分の体重が無くなったかのように浮き上がってしまいそうになった。



「いくらでも見てきたっていうのは?」



私は、出会った事のない感情を少しずつ奥へしまい込みながら、気になった別の事を口にした。



「あぁ、休業中の身で言うのもなんだけど、俺一応医者なんだ」



言われて男性の着ている白衣をじっと見る。



「それで白衣だったんですね」



「何に見えた?」



「えと、なんでしょう。博士とか?」



首を傾げて私が言うと、「俺何の研究してんだよ」と男性は大笑いした。笑って体が揺れた拍子に、マグカップのコーヒーが手にかかり「アチッ」と我に返っている。あまり自ら他人との関わりを望まない私にとっては、不思議な時間だった。



「まぁ何にせよ、久々にハートポストの曲が聴けて良かったよ。気が向いたら、またいつでも弾きに来ればいい」



マグカップのコーヒーを飲み干してから男性が一息付く。



「そんな、ご迷惑ですよっ」



「いいんだよ、どうせ休業中だし。それに好きなんだろ、音楽。楽しいかどうかわからなくても、わざわざ嫌いな事をこんな所でやりゃしねぇだろ」



言われてみれば確かにそうだ。別にギターを弾く事も、歌う事も、嫌いだなんて思った事は一度も無い。ただ理由がわからなくて、後ろめたかっただけ。



「駅前にライブハウスもあるし、放課後なら学校の音楽室ででも弾けばいいのに、こんな誰も居ない所で練習してるのには訳があるんだろ?」



何も言っていないのに、彼はまた私の深い部分にそっと触れてきた。思わず口をつぐんで下を向いてしまう。



「あとは何だ、得体の知れないオッサンにタダで聴かせる義理はねぇってか?」



「そんな事っ!」



「いや、そんな事あった方がいいぞお前。ご時世的に」



自分で言って、彼はクスクス笑っている。



「そうだな、観覧料としてお茶ぐらいは淹れてやるよ。ちゃんと豆から挽いてハンドドリップしたお手製だ」



「私コーヒー飲めないですよ」



傍に置いていた紙パックのレモンティーを手に取る。



「マジで?まぁ、まだ高校生だもんな。じゃあ他のもん考えとくよ」



「先生は、いつからコーヒーを飲めるようになったんですか?」



「先生はやめてくれよ、休業中なんだ」



また、どこか寂しそうな顔をして先生は続けた。



「そうだな、自分の中で何か一つ成長したって思った時に、初めてコーヒーのブラックを飲んだ。苦かったけど、旨いって思った。大人になるって、多分そういう事だな」



私もいつか、そう思ってコーヒーを飲める日が来るのだろうか。そうやって大人になれたら、ギターを弾く理由もわかるのだろうか。それとも、理由がわかって初めてコーヒーを飲めるようになるのか。



けれど、



「私はそんな、真っ直ぐじゃないからなぁ」



濁して、笑った。笑って魅せた。でも先生は、



「まるで真っ直ぐじゃなきゃいけないみたいな言い方だな、それ」



と、こっちを見ずに呟くように言った。



「まぁ、わかるけどな。世の中圧倒的に、真っ直ぐ生きてる人の方が多いし。俺もお前ぐらいの歳の頃にそれに気付いて、『葛藤』とか『不安』とかと喧嘩しまくってたよ。若ぇ奴が何を偉そうにって言われてもさ、10何年も生きれば、それぐらい気付いちまうよな」



その通りだ。いくら若いといっても、15年生きた。誰かに比べれば短いのかもしれないし、この先考え方が変わる事があるかもしれないのも充分わかってる。でも、私が『今』立っている此処に辿り着くのに歩いてきた道のりが、そういった魅せ方をしてきたのは確かなんだ。



「先生はすごいなぁ。私には、わかっていても戦う度胸なんて」



そう、そんなもの無かった。何一つ。だから今日も、逃げてしまったんだ。



「そうか?んー、俺の場合実際に喧嘩ばっかやってたしなぁ」



「え?」



「あぁ、俺元ヤンだから」



「そうなんですね、見えないなぁ」



「んだよ、もっと驚くか、普通引くだろ」



「別に何とも。驚きはしますけど、『元』って言ってますし」



それに経験上、誰かを否定しようとは思わない。増してや過去の話なんて。



「変な奴だなぁ、お前」



「多分、お互い様ですよ」



とても、不思議な時間を過ごした気がする。否定される事もなく、でも、全てを肯定された感じでもなく。初めて会った人と色んな事を話せてしまった自分がいた。



「本当にご迷惑でなければ、また此処で練習してもいいですか?」



「あぁ、構わねぇよ。秘密基地だとでも思ってくれ。俺もBGMがあった方が良いんだ。こんな所に住んでおいてなんだけど、あんまり好きじゃねぇんだよ、静かな海は」



今日1番寂しそうな顔をして、先生は言った。そんな顔をしている事を、自分では気付いていないんだろうなと思った。自分に自信がない時、私もこういう顔をしているらしい。以前池田さんに言われた。



「下手くそでも笑わないでくださいね」



「笑わねぇよ」



こうして私に、秘密基地ができた。そんな小学生の男の子みたいな場所でも、今の私には必要な居場所なのかもしれない。




帰り道、遠くに見えた飛行機雲が少し曲がっているように見えて、先生の話は間違っていない、と心の中で呟いた。

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