私とギター
『世界の真ん中でナミダを流す君のために この声が枯れるまで歌い続けることをココに誓うよ』
そんな歌詞で締めくくった曲を最後に、父はロックバンドの活動を辞めた。この曲がリリースされて5日後、父の不倫疑惑が報道されたのが大きな原因だ。
否定もせず、沈黙を続ける父。そんな父と血が繋がっていることが気持ち悪い、と当時5歳の私を残して、母は家を出て行った。
ある日突然崩壊した家族だけど、私は何故か、父を責めることも、母を恨むこともできなかった。5歳という幼い心が追い付かなかったというわけではない。もちろん、これまで幸せに暮らしてきた両親の離婚は悲しかったし、母の手料理をもう食べられなくなることも、しっかり稼いでいた父の建てたこの広い家が、さらに広く感じてしまう寂しさも、それがつらい出来事というのは理解できた。
それでも私は、ずっと笑顔で過ごしてきたであろうこの5年間を、母のように否定できなかった。母の悲しみ、はたまた悔しさがあったとして、人が生まれてくる摂理を知った今では肯定などできない。疑問すら浮かび上がる。
私の存在は、ウソになるの?
別に父を庇うわけではない。世間が騒ぎ立てることが真実であっても、そこに何かしらの理由が父にあったとしても、私の問題はそこではない。
ここまでソコにあったモノが無くなってしまう、きっと私はそれが一番怖かった。
幸せなんかじゃない。別に不幸ってわけでもない。
私はこの出来事で生みだされた『否定』が怖いのだ。
そう、幼いながらに大好きだった、
父の曲の数々。
――――――――
サウンドホールから奏でられるメロディーが、6畳ほどのスタジオに響き渡る。産まれたころから私の耳に届き続けてきたそのメロディーを、15歳になった今では自分で奏でることができる。
初めてアコースティックギターに触れたのは、幼稚園の時。休日に昼寝をする父の傍らに立てかけてあった『それ』を、好奇心で触れてみたのが始まりだった。
とてもじゃないが、いつも聴いているような父の音は出なかったが、幼い私にとってその音は、耳で聞いているのにも関わらず、見たこともない景色を眺めている様に感じさせてくれた。
「お、良い音だすじゃねぇか」
歪な音に目を覚ました父に驚き、大事な仕事道具に勝手に触ってしまった私が申し訳なさそうにしていると、
「ギター、興味あるのか?」
私の頭を撫でながら、二カッと笑う父の顔を時々思い出す。
その日以来、父は仕事の合間にギターのイロハを教えてくれた。TAB譜の見方、細かい技術、コードの抑え方、何も知らなかった私の世界は、どんどん広がっていった。
父がギターボーカルを務めたロックバンド『ハートポスト』は、その新曲のリリースの早さで有名だった。シングルなら同時3枚リリースも手掛けており、母曰く、8ヶ月連続リリースに挑戦した際は(なんとなく8という数字が好きだったらしい)、半年ほどろくに家に帰ってこなかったそうだ。
私が産まれてからはそんな無茶はしなくなったらしいが、それでも1年でアルバムを2枚作り、3枚目を作ろうとして周りから止められたそうだ。
多忙な日々でも、父は私にギターを教えてくれた。「おもちゃのギターからでよくない?」という母に対し父は、「生の音で覚えるのが大事だ!」と、私にその音を聞かせてくれた。5歳の私に理解できるように。たぶんそれが1番難しかったと思う。
父の不祥事によるハートポストの解散より10年。私はアレンジも含め、ハートポストの膨大な数の楽曲は、ある程度弾けるようになった。あまりにもスピード感のある、エレキギターのアレンジはあえて挑戦していない。
あえて。
私の記憶に残る父の姿は、それではないからだ。
もちろん、汗を飛び散らせながら、激しい演奏をする父もかっこよかった。ただ、私が1度だけ見に行けたハートポストのライブで、最も印象に残っている父は、、、
ガチャ―
ギターをケースに片付けながら、一人そんなことを思い出していると、スタジオのドアが開いた。
「おー、悪いなぁお嬢ちゃん。今日はこの後対バンがあってよぉ、此処控室に使う予定なんだ」
私の知らないどこかの球団のキャップを被った、初老の男性が入ってきた。
「いえ、大丈夫です。そろそろ出ようと思っていたので」
ギターケースのファスナーを閉めて、私はちゃんと立ち上がって『池田さん』にお辞儀をした。彼、池田さんは、このライブハウス『青』のオーナーさんだ。
「いよいよ明日だっけか、入学式は」
「はい、なんとか高校生になれるみたいで」
私が笑いながら言うと、池田さんはいつもみたいに豪快に笑った。
「がははっ、確かにお嬢ちゃん、いつ勉強してんだってくらいにずっとギター弾いてたもんな。もう3年も前か、初めて此処に来たのは」
「そうなりますね」
「いやぁ、あの時はびっくりしたぜ。中学上がったばっかだっていう小さい女の子が、ドレットノート引っ提げてうちに来た時は」
3年前―
中学の入学式があったその日の午後。今も大事に使っている父のギターを背負い、私は初めてライブハウス『青』を訪れた。偶然通りかかったライブハウス。地下の入り口に続く真っ暗な階段には、いろんなバンドのポスターが貼りめぐらされていて、数段降りた右手側に、ハートポストのステッカーを見つけ、入ってみる勇気がそっと浮かんだ。
そこにある見るからに重そうな扉(今でも開ける時ちょっと重たい)をゆっくり開けてみると、受付のカウンター越しに何やら話をしていた、ニット帽を被り武将ひげをはやした当時の池田さんと、サングラスにスキンヘッドの男性が、揃ってこちらを見てきた。
私は自然と背筋をピンと張り、なんとか目を逸らさずに、口を開いた。
「あのっ、、、此処でギターを弾きたいんですけど!」
10秒くらい誰も口を開かなかったのを、今でもよく覚えている。
「おいおっさん、あぁ言ってんぞ?」
ポカンと口を開けたままの池田さんに、スキンヘッドの男性が言った。
「えっ、あぁ、悪い悪い。ちょっとびっくりしてよー。お嬢ちゃん、いくつだい?」
「今日から中学生です」
「中学1年生か!?」
池田さんは大きな声で驚き、スキンヘッドの男性と顔を見合わせた。
「此処でギターが弾きたいってのは、ライブがしたいって事か?」
煙草に火を点けながら、スキンヘッドの男性が聞いてきた。
「ライブ、、、やらせていただけるならもちろん。どの道私には、これしかないので」
私は、背負うギターケースの肩紐をギュッと握りしめた。父の、ギターを。
「、、、?訳アリみてぇだけど、なんでそんなにギターが弾きてぇんだ?」
煙草の煙を天井に向かって吹きながら、スキンヘッドの男性が私に聞いてきたこの質問、当時の私はもちろんのこと、今でもその答えを見つけられずにいる。
私は、何故このギターを弾くのか。
私は、何故あんなことがあったのに歌うのか。
普通こういった質問をされれば、例えば将来はプロになりたいだとか、単純にギターを弾いたり、歌うことが好きだから、などと応える人が多いだろう。
でも私には、しっくりくる解答が見つけられない。
未だに将来の夢なんてたいそれたものはないし、父が『あぁなって』からは、ギターを辞めようとしたことも何度だってある。
質問されて初めて気づく。どうして私は、まだこのギターと生きているんだろう。
「すみません、理由はわかりません」
俯きながら正直に応えると、スキンヘッドの男性は煙草の火を灰皿で消してから、壁に立てかけてあったケースを背負った。少しヘッド部分が長いからベースかな?などと考えていると、一瞬サングラスの向こう側と目が合った気がした。
「アコギか、それ」
彼は私の前に立ち、ジッとこちらを見つめてくる。ちょっと怖い。
「そうです」
それからややあって、彼は池田さんの方を向き、
「いいじゃねぇか、1曲ぐらい。今日はステージなら使ってねぇだろ?」
と言ってくれた。
「そんな、ステージだなんて、」
「なんだよ、弾きてーんだろ?」
ステージって、想像が追い付かない。
「この時期スタジオは埋まってるからなぁ。客はいねぇけどそれでも良けりゃ、お嬢ちゃんの勇気に免じて1曲聴かせてもらおうか?」
そう言って池田さんは、ステージのものであろう鍵を取り出した。
「良かったな、物好きのジジイがやってるライブハウスで」
スキンヘッドの男性は、私を通り過ぎてドアに手をかけている。
「なんだよ、お前は聴いていかないのか?」
「俺はこう見えても忙しい身でね」
「何を休止中のくせに」
会話の流れで、スキンヘッドの男性が休止中のバンドマンであることがわかった。
「だからこそだろ、ずっと待ってるなんて退屈だからよ。そうだお嬢ちゃん、」
「はい?」
「なんの縁かこんな所で巡り合ったハゲの独り言だ。理由も無くギターを弾くことは、決して悪いことじゃねぇよ。いつか見つかるといいな」
それだけ言い残して、彼はドアを開けて出て行った。
「呼び止めといて独り言はねぇだろ、まったく。さてお嬢ちゃん、こっち」
「あ、はい!」
彼の言葉の意味を考えている私を、池田さんがステージのある部屋に促した。
そこはイメージとは少し違い、とは言っても私の知るライブのステージは、父が演奏していたあの大きなものしか知らないわけで。誰もいないその広い部屋のステージは、寂しいはずなのに暖かく感じた。どうしてだろう。
「皆、此処で演奏してるんですね」
「ん?まぁ、俺が認めた一定のラインに達してる奴らはな。こう見えて、見る目だけは自信があるんだ。ほれ、ステージ上がってみなよ、特別だぜ?」
言われて私は、改めてステージを見てみる。
「照明とかどうするよ?」
客席後方の機材の前に腰掛け、池田さんが聞いてきた。
「え、いいんですか、そんなことまで」
「まぁ、リハでもねぇ限り普段はやらねぇけど、今日くらい良いだろ」
「じゃあ、、、ステージ中央にスポットだけ当ててもらえますか?マイクは要りません」
「は、、、?」
「あ、その、生意気言ってすみません!」
でも、こんな場所で歌えるなら、私はその設定がよかった。
「いや、別にいいけどよぉ。声量に自信あるんだな」
池田さんは機材を弄って、ステージ中央にスポットを当ててくれた。私はその明かりの中に入ってみる。
そこに胡坐をかいて、ギターをケースから取り出してチューニングを始めた。6弦から順番に音を出してみる。このギターの音を聴くと、不思議と緊張はどこかに行ってしまうのを感じた。
なんだろう、この感覚は。成り行きでこんな事になって、しかも『この弾き方』ができるなんて。でも、嬉しいとは何か違う。急に申し訳ない?ってのもある。あぁ、でもきっと、私はこの名前の見つからない感覚と、ずっと一緒に生きてきたのかもしれない。それはギターを弾く理由なのかな。わからないけど。
「それじゃあ、1曲だけ」
チューニングを終えて、私は深く息を吸い込んだ。この曲のスタートにギターの音は無い。どの曲を歌ってみようか考えたけど、やっぱり自分で見たこの曲にしようと決めた。
ホール内に、私の声が響く。思っていたより、声も出てる。ギターの音だけ、まだまだだけど。いや、歌もまだまだだけど。初めて思いっきり弾いて、大きい声を出している。英語の部分も、噛まずに発音できる。小さい頃は、ただカッコいいって思ってただけの英語の歌詞も、意味を調べて息をのんだ。こんなことを考えていたんだね。って。
今ここで歌って、池田さんが一人聴いてくれているけど、『あなた』はいつも、誰に届けようとしていたのか。この歌もそうだけど、全て聴いたあなたの曲はどれも、伝えたいであろうメッセージの根元は一貫していると思う。最後の曲までしっかり聴いて、私にはちゃんと届いた。多分、ファンの人たちにも、届いていたんじゃないかな。
いや、どうだろう。あの一件以来、あなたのファンを語る人は、居なくなってしまった?難しいニュース番組でも、お昼のワイドショーでも、ネット上の言葉達も、それはもう否定ばかりだったね。あぁ、お母さんの気持ちはこうゆう事だったんだね。
それでも私は、このギターで、あなたの歌を歌っているよ。どうしてかな、わからないよ。
あ、ここ良いよね、難しいアルペジオだけど、弾けたとき凄く嬉しかった。他のとこもそうだけど、よくこんな音思いつくよね。あなたが言ってた、『良い音』なんだろうけど、この難しい音をちゃんと届けようとするその姿勢が尊敬できますよ、いやホントに。
最初の歌詞をもう1度だけ繰り返し、私は最後の1音を弾き終えた。我ながら上手く弾けた気がする。あ、でもカッティングミュートだけまだ下手くそだなぁ。また練習しなくちゃ。
また、練習しなくちゃ。あれ、何だろう。私。
弾き終えて、私は泣いていた。この理由もわからない。私には、私のわからない部分が多すぎる。
「昔、」
ステージ中央で固まる私に、池田さんが近づいてきた。
「昔いたんだ。誰が見てもアツいライブを披露した後のアンコールで、マイクも使わずにステージ中央で弾き語りする奴が」
知っている。それはきっと、
「今お嬢ちゃんが歌った曲を作った、ハートポストってバンドのボーカルさ」
父だ。
「しかしよくそんな曲知ってるな?もう何年も前の曲だろう」
「そうなんですね。なんか、いい曲だなって思って練習してただけです」
私は、池田さんに自分の正体を明かさなかった。自分が彼の娘であることは、『世間』には知られないほうがいいと、これまでの人生でよく学んできたから。
「何年も前の曲だろうと、響く奴には響くもんだよな。・・・ロックじゃねェか」
池田さんは、そっと笑った。
「またいつでも弾きに来るといい。自信がついたらライブもやってみりゃいい」
「え、そんな。いいんですか?」
驚いた。ずっと否定され続けている父の曲を披露して、そんなことを言ってもらえるとは思っていなかった。
「いいもん聴かせてくれたからな。この年になると、若い芽を眺めてんのが結構楽しいんだ」
池田さんは良い人だ。私の人生の中で、極稀に現れる良い人だ。それでも臆病な私は、自分の正体を明かしたりしないけど。
もっと練習しよう。
理由はわからないけど、もしいつかその理由がわかるなら。
私はステージから降りて振り返る。
弾いてみよう。
あなたが残した、沢山のメッセージを。
理由があるとすれば、理由を知りたいから。
私は今日も、ギターを弾く。