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砂金採り

作者: 阿部凌大

 俺はその冷たい流れの中に脛までを浸しながら、両手で掴んだ円形の漆器を、その水面の中に繰り返しくぐらせ、その度に優しく揺らしていた。その漆器は中心に向かって僅かに窪み、その中には川底からすくい上げた砂が溜まっており、それはその揺れに従って小さく軽いものから再び流れの中へと溶け出ていく。そしてそんな作業をひたすらに繰り返すと最後には、一粒か二粒の砂金が残るのだった。

 河原からはバチバチと木片が焼け弾ける音が聞こえていた。俺と共にこの川へとやって来た男が焚火に当たりながら、こちらを眺めていた。川面はその火、そして月明かりに照らされ、細やかな反射の煌めきを見せていた。俺が揺らす漆器の少し先には満月が写り、そのおぼろげな光は流れによって形を僅かに変えながら、揺らいでいる。それはまるでこの川に溶け入っていくように見える。俺がすくい上げる砂金の粒は、この月の欠片なのかもしれないと思った。

 漆器の底に溜まる砂がほんの僅かになると、俺はバシャバシャと水音を立てながら川をあがり、指先で一粒の砂金を摘みあげた。手のひらの上で眺めると、それは鈍く静かな光を俺に見せる。焚火の近くでは連れの男が小さな布袋を開けて俺を待っている。俺はその中に砂金を落とし、再び川の中へ戻る。

「わざわざそうやって月夜にやる理由はあるのか」

 男は俺にそう呟いた。

「やるならこうして刺すような冷たさの中が良い。でなければ楽をして金を得ているようで、どうもかなわん」

「どのみち砂金採りだろうに」

 再び川底の砂をすくおうとその丸い漆器を持ち直すと、その底で何かが煌めいたのが見えた。疲れのせいで砂金を取りこぼしていたのかとそれを摘み上げてみると、それは砂金ではなく、ほんの僅かな青い濁りを持った、透明な丸い粒だった。ガラスかと思ったがどうやらそうではない。そしてそれは僅かに温かくもあった。微細な熱を指先にその感じた。これは一体何なのだろうか、そう思い指先に少し力を入れると、それは簡単にパシャリと、まるで細かな水の飛沫となったように砕けた。そしてその瞬間、俺の目前には不可思議な景色が飛び込んでくるのだった。

 

 誰かが山道を駆けている。それは息を切らしながら、木々の隙間を縫うように駆けるその人物の見る視界のようだった。山の斜面を駆け昇り、頬には風が当たる。その先には小さな小屋があった。その小屋は鮮やかな緑の木々やその枝葉に囲まれ、その横には細い小川も流れている。その視界の持ち主は小屋の扉を開けた。その中にはベッドに腰かける、穏やかな顔つきの老人がいるのだった。


 俺の視界の中に、瞬間的に流れたその景色は、俺の身体を固く立ち止まらせた。脛には冷たい水が飛沫をあげて当たり続ける。何だったのだ今の現象は。

 そのまましばらく考えたが、何も分かるわけが無かった。俺に出来ることは再び砂金採りの作業を開始することだけだった。

 砂金採りという行為は、正直言ってそれほどに儲かるわけではない。だがそれは一度覚えてしまえば、何一つ変わらない作業を繰り返すだけでいい仕事だった。無機質な水面の景色を眺めながら手を揺らしていればいい。人と触れることが無いこの仕事は、俺にとって随分ありがたいものだった。もう一度漆器の中の砂が全て流れ出る。今度はその中に砂金は含まれていないようだった。だがそこにはまた透明な粒があった。

 それを摘まんで顔の前に持ってくると、俺は再び僅かな力を入れてそれを潰した。飛沫と共にまた景色が、俺の前を流れ始めた。


 目の前の老人は木の椀とスプーンを握り、何やら食事をしているようだった。流動的なそれをすくい上げ、ゆっくりと口に運んで咀嚼する。そして頬を緩ませ何かを話し出す。おそらくはこの視界の持ち主と食事をしながらの歓談をしているのだろう。窓の隙間から射し入る陽射しは温かに、その椀の縁を煌めかせていた。

 

 そしてまたその景色は終わり、再び元の川へと戻る。

「おーい、今日はそろそろ終わりにしたらどうだー?」

 河原から男の声が聞こえる。だが俺はもう一度だけ、川底の砂をすくい上げた。


 大きな切株の上に立てられた木片を、視界の上部から飛び込んでくる斧が叩き割る。それをどかしまた新しい木片を立て、同じように割り続ける。斧を置いて額の汗をぬぐいながら、上を見上げると枝葉の隙間から漏れる光は柔らかに、風によって枝葉が揺れるたびに輝いている。そんな光のもとでは斧の錆びや靴の汚れすらも、何故か美しく見えた。


 俺は焚火に当たり眠りにつきながら、今日見た三つの景色について考えていた。そのどれもはとりとめも無い誰かの生活の様相だった。だがその目に映る景色は、俺がこれまでに覚えたことがないほどに、何故か、どこまでも綺麗に思えた。

 次の日は朝から、また砂金採りの作業を始めた。連れの男は少し上流の方へと登り、釣りをしてくるようだった。

「どうした、砂金採りは夜だけじゃないのか?」

「今日はそれじゃないんだ」

 男は不思議そうな顔をすると、あとは何も言わずに去っていった。

 俺は砂の中から顔を出すあの粒を探し求めた。一すくいごとにその粒が必ず取れるわけではない。遂には砂金の粒を河原へと持っていくのも面倒に思え、俺は遂にはそれを再び川の中へと流して、あの粒だけを待った。

 

 柔らかい土を踏みしめながら、山の中を歩き続けている。今度の景色はそんなものだった。視界の中には数えきれないほどの植物、草木が、そして色がある。それらは幾重にもなり、互いにその内包する鮮やかさや穏やかさを引き立て合い、風や虫、小動物達に揺らされながら光に煌めき、その清らかな景色を構築している。それは刹那の度に移り変わる、麗かで華美な光景だった。

 その視界の持ち主は、森の各所に生える木の実の類を集めているようだった。艶やかに光るその粒を指先でちぎり、手に持ったバスケットの中に収めていく。森の中で息を潜めるように実るその鮮やかな実達が、そのバスケットの中で寄り集まると途端に華々しく、自分達の色を輝かせるのだった。

 次に映る景色は小屋の中だった。老人が皿に盛られた木の実を少しずつ、摘み上げて口元に運んでいく。そして口を

僅かに動かし、おそらくはそっと美味しいと呟いた。その後もその老人は幾度となく景色の中に映った。そしてその度に少しずつではあるが、その老人はやせ衰え、弱っていくように見えた。だがそれすらも俺には、美しく流れ続けるその景色の紛れも無い一部として、その老人が映っているのだった。

 

 そして俺がいくら川底をすくっても、その粒は中々現れないようになってきた。始めは数回に一回であったにも関わらず、次第に十回すくっても現れなくなった。陽はもう頂上を過ぎ、あと少しで夕焼けが始まるという頃、ようやくその一粒が俺の前に現れた。そしてそれが最後の一粒だということが、なんとなくわかった。

 粒を光に透かし、その薄い青を味わった後、指先に力を込める。指先からはまた同じように、飛沫のような欠片が零れた。

 

 その目に映るのは、またあの老人だった。ベットの上に寝ており、ただじっと目を閉じている。視界の持ち主は、布団から飛び出したその老人の乾いた手を、優しく握っていた。もう深い息も出来ていないのだろう、僅かにでもその老人の身体が動く気配は無い。それをただじっと見つめていた。ただそれだけだった。


 俺はそれを見終わると、川から上がり、持っていた漆器を焚火の近くに投げ捨てた。焚火はもうとうに消えており、無残な残骸だけが残っていた。

 俺はその川に沿って歩き出した。上流に向かって、濡れた服を乾かすこともせずに歩き始めた。

 少し歩くと、途中で釣りを終えた連れの男とすれ違った。

「おい、どこに行くんだ」

「この先にあるんだ」

「……暗くなる前には帰って来いよ」

 森の中へと俺は足を踏み入れる。生い茂る草木を足で掻き分け、無理矢理に山道を作り出して進んでいく。俺がなぜその景色を美しいと思えたのか、その答えがきっとこの先にはあった。

 進んでいくと次第に、見覚えのある断片が視界の中に混じり始めた。小さな植物や枝葉はすっかり生え変わっているが、大きな木々の立ち並ぶ様子は変わっていない。それは俺の中に流れたあの景色で見た場所だった。そしてさらに進むと、そこにはあの小屋があった。

 小屋は随分とくたれてしまっていた。その扉を開けると、扉は軋んだ音を立ててゆっくりと開いた。案の定ではあるが、その中には誰もいなかった。あの景色で見たような、ベッドや食器の類はある。だがそのベッドはまた随分とくたびれ、そこにはもう人の気配すら無かった。

 あの景色は、一体いつのものだったのだろう。確かなのはここには二人の人間がいた。そして彼らは今。


 あの景色が帯びていたのは、終わりの気配だった。生あるものはいつか終わる。生が無くとも必ず移り変わる。そんな気配を、あの景色は俺に教えてくれたのだった。次の瞬間には崩れ去る、今はもう存在しない景色、それがどれほどまでに単純な生活のようで、ありふれたものであったとしても、限りなく美しく、俺の目には映っていた。

 だがそれは、あの景色だけのことではないということを、俺は小屋から出て気づいた。小屋を出て俺の視界に飛び込んできたのは、輝かしい森の景色だった。それは先ほどから、根本的な何かが変わったわけではない。限りなく先ほどと同じ森に過ぎない。しかし世界は移り変わり続ける。綻び、終わりに向かい続ける。この一瞬一瞬が計り知れないほどの価値がある、そんな景色なのだ。

 俺の目にはもう全てが美しく映った。せせらぎを歌いながら流れるこの小川の先にある、いくらかの砂金が詰まったあの布袋など、もうさしたる価値も感じられなかった。

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